魔法使いの同居人

たむら

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誘拐少女と探偵

19話

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 その日は休日で、俺は自分の部屋で図書館から借りてきた本を読んでいた。

 季節外れの蒸し暑い天気ではあったが、俺一人のときにエアコンを付けていると父親が怒るため、ただただ我慢していた。そろそろ限界だと図書館に逃げ込もうと支度をしていると父親が帰ってきた。

 傍らには見知らぬ少女がいる。
 ろくでもないことが起きていると、すぐに察しがついた。

 父は機嫌次第で性格が良い方にも悪い方にも変わる人間で、何でもないことで俺を褒めちぎってきたかと思えば、数分後に意味もなく殴りつけてくる。そんな男だった。

 そして少女を連れてきたのは、悪い方の父であることは容易に想像がついた。

 父は何の説明もなく、俺に少女を押し付けると再び家を後にした。このままだとよくないことが起きる。そんな予感はあったが、俺は無理やりその考えを頭から消した。昨夜、父親と一悶着あったため、とにかく父の感情を逆撫ですることはしたくなかったのだ。

 少女のほうも落ち着いたもので、泣くことも騒ぐこともなく、ただ部屋の中を興味深そうに見まわしていた。その様子を見ていると、先ほど感じた嫌な予感も勘違いだと思えてくる。

 しばらくすると部屋の中を走り回りだした。何かを壊されでもしたら大事になる。俺が慌てて少女の腕を掴むと、大した抵抗もせずにすぐに大人しくなった。見知らぬ男の言うことを素直に聞き入れる少女からは、子供らしさがまるで感じられなかった。

 その後、何度か少女に話しかけてみたのだが、清々しいほど無視をされた。何度かは反応を見せてくれたのだが、無垢な目でこちらをまっすぐ見つめるだけで何も話さない。警戒されているのだろうと気にしないことにしたが、少女が耳に障害を持っていることに気づくまで、それほど時間はかからなかった。

 帰ってきたてからも父親は何も語らなかった。少女の存在が見えていないかのように普段通りの生活を送っている。

 俺からも敢えて話題に出すことはなかった。しかし幼い女の子が一人で生活することなどできるはずもなく、なし崩し的に俺が面倒を見ることになった。

 学校に通いながらの家事に加え、子育ての真似事まですることになり、疲労感がどんどんと蓄積していくのがわかった。

 状況が状況なだけに誰かの手を借りるわけにもいかない。そんな終わりの見えない生活がしばらく続き、俺は楽観的な妄想をするようになっていた。この子は俺の知らない親戚の子供で、短期間だけ父親が預かることになったに違いない。もう少しすれば親戚が少女を引き取りにやってきて、何事もなく元の生活に戻れるはずだと。

 しかし俺の淡い期待は無残にも砕け散ることになった。

 ある日ネット通販会社の名が書かれた段ボールが送られてきた。父が段ボール箱を開封すると中から手錠が出てきた。父は迷うことなく手錠を少女の小さな手首に取り付ける。

 それが親戚の子供に対する態度ではないことは一目瞭然だった。俺は最初に感じた嫌な予感が的中していたことを痛感する。父親は少女を誘拐してきたのだ。

 しかし、少女が来てからの生活は思ったより悪くなかった。それどころか、これまでの鬱屈とした日常と比べて楽しくすら感じられた。

 最初こそ我が家に警察が来るのではと、気の休まらない日々が続いたが、人間とは不思議なもので次第に恐怖に慣れてくると罪悪感は無くなっていった。

 少女のほうも俺に懐いてくれているようで、家にいるときはよく遊ぶようになっていた。手に手錠が掛けられていなければ年の離れた兄弟といっても不自然じゃないほどに打ち解けていた。

 父親がどういった狙いを持って誘拐してきたのか定かではなかったが、いまのところ少女をどうこうするつもりはないようだった。

 少女はたまに泣くことはあったが、大声は出さないため父の暴力が少女に向くこともなかった。だから俺は安心していた。このまま少女がずっと居てくれればいいなとすら思っていた。

 父は手錠を外すことは許さないため、少女を浴室へは連れて行けない。俺は桶にお湯を入れ、部屋の中で少女の体を拭うようにしていた。

 普段は大人しくしている彼女だったが、その日は珍しくはしゃいでいた。俺が少女の体にタオルを当てると逃げ出し、捕まえようとしても鎖が伸びる限界まで走って抵抗してくる。鬼ごっこでもしているつもりなのだろう。

 手錠があるので動ける範囲はたかが知れているが、小さい体は小回りが効くうえ、強引に取り押さえたときに力加減を誤れば怪我をさせてしまうかもしれない。細い腕を強引に掴むことに気後れして、なかなか捕まえることができなかった。

 どたどたと駆け周る少女に俺は気が気じゃなかった。隣のリビングには父親がいる。ヒステリーを起こしたときの父を思い出すと血の気が引いていく。しばらくして何とか取り押さえることに成功したが、場所が悪かった。捕まってなお手足をバタつかせて抵抗を続ける少女の足が湯桶に当たったのだ。逆さになった桶から水がこぼれ、部屋の中に広がっていく。

 最悪の事態が起きてしまった。俺はすぐさま処理に取り掛かった。

 父親にばれる前に早急に対処しなければならない。そんな願いもむなしく、タオルで水を吸い取っていたとき、隣の部屋から入ってきた父と目が合った。父は感情が消え去ったかのように、無言でこちらを見つめている。それは父が激怒しているときの表情だった。

 父は一切口を開くことなくこちらへ近づいてくると、四つん這いになっていた俺の腹を蹴とばした。こういうとき、抵抗すると暴行が過激になることを経験から理解していた俺は、歯を食いしばりお腹に精一杯の力を込め、父の気が収まるのをひたすらに待った。

 無限にも感じられた時間が終わり、父の足が止まる。気が済んだのかと思ったが、それは勘違いだった。父は少女の前に立つと、俺にやったのと同じように、力の限り呆然と座り込んでいた少女の腹を蹴り上げた。

 少女の口からうめき声が漏れる。目の前で行われる暴行に俺は混乱した。何の根拠もなかったが、父が暴力を振るうのは家族である自分だけだと思っていた。家族に対してだから理不尽な行為も行えるのだと、他人にそんなことはしないだろうと俺は信じていた。

 偽物だと思った。
 目の前で少女を蹴り続ける男は、父の姿をした別の誰かに違いない。

 朦朧とする思考で俺はそう確信した。戸棚に置かれた木製の箱が目に入る。それは少女の腕の擦り傷を手当したときに持ってきた救急箱だった。俺は無意識にそれを手に取っていた。そして自分に背を向ける男の頭頂部に向けて、木箱の角を思いっきり振り落した。
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