魔法使いの同居人

たむら

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誘拐少女と探偵

5話

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「はい、これ」

 事務所に戻った僕は、来客対応用の三人掛けソファーに座っていた。このソファーを僕はベッド替わりに使っていて、仕事以外の時間はここで過ごすことが多い。

 喫茶店から戻った僕が定位置であるソファーの真ん中に座っていると、自分の部屋から出てきた紅坂さんが一枚の紙を差し出してきた。

「帰ってきてから手を洗いましたか?」

 渡された紙を確認するより先に僕は言う。外出時につけていた手袋は外したみたいだが、きちんと手洗いをしていることの確認ができていなかった。

「失敬だな。洗ったよ。真雪くんにはあたしが不潔な女に見えているわけ?」

 紅坂さんはムッとして言い返してきた。女性に対して失礼だったかもしれないとは思うものの、気になるのだから仕方がない。

「そんなことはないですけど」
「真雪くんって潔癖症なの?」
「どうですかね。もしかしたら記憶を失う前の僕はそうだったのかもしれません」

 記憶にはないが、身体が覚えているというやつなのだろうか。他人だけではなく、自分の汚れも気になって仕方がなく、外から帰ったときや掃除をした後には、何度も手洗いをしなければ気が済まない。

 紅坂さんの言葉を信じ、僕は彼女から紙を受け取ると改めて中を確認する。そこには住所と思しき文字が書かれていた。どこかピンとこないが、県外だということだけはわかった。

「これは?」
「昼に真雪くんが話しかけた女性が子供を匿っている場所」

 ああ、と僕は頷いた。

 例の女性に声をかけたのは仕事のためだった。

 その仕事というのは、とある男性から受けたもので、妻が隠している子供の居場所を調べてほしいという内容だった。依頼人と女性はすでに別居しており、奥さんが子供を連れて出て行ったらしい。離婚することは避けられないということだが、親権だけは諦められない依頼人は弁護士に相談をしたらしい。

 しかし相手側の有責でもない場合、男親が親権を取ることは難しく、さらには奥さんが子供を連れた今の状態で離婚調停が進むと、子供の環境がころころ変わることを良しとしない調停委員の判断が、奥さん側へ傾く可能性が大きいという話のようだ。

 それを阻止するため子供を連れ戻したい依頼人だったが、奥さんの現住所にも実家にも子供の姿はなく、手の打ちようがなくなった結果たどり着いたのがこの探偵事務所だったのである。

「僕があの女性と会話しただけで、子供の居場所がわかってしまうんですね」
「そうだよ。凄いでしょ」
「紅坂さんの超能力の話、本当だったんですね」

 紅坂さんは他人の思考が読めるらしい。冗談や比喩ではなく、文字通り人の考えがわかるのだという。クレアエンパシーの一種だと彼女は言っていたが、そんな言葉聞いたことがなかった。

 相手の思考を紅坂さんが読み取るのみで、その逆はできない。また、対象となる人物の正確な位置がわかっていなければいけないという制約もある。

 紅坂さんと過ごした時間はわずかだが、仕事やプライベートの時間の中で、僕はその能力が本当である証拠を何度も見せられてきた。

 今回の依頼もそうだ。僕は女性が子供のことを考えるように、紅坂さんの指示に従って話を進めたに過ぎない。遠くから僕たちの様子を窺っていた紅坂さんが超能力を使って子供の居場所を探り当てたのだった。

 僕は住所が書かれた紙を見ながら、確かに探偵こそ彼女にとって天職だと思った。相手の思考が読めるのであれば、調査なんてお手のものに違いない。

 子供の情報を依頼主の渡せば仕事は完了となる。自分が手伝った仕事が終わる安心感はあったものの、奥さんに対する罪悪感は消えずにいた。今日僕がしたことは、彼女から子供を取り上げるための手伝いだ。スカッとするはずもない。

「十七時までに依頼主に電話で伝えてね。それを過ぎたら時間外労働になっちゃうから。残業は、この世で最も忌むべきものだということを忘れないように」

 僕は返事をできなかった。胸のわだかまりが解けずに、気が付くと「連絡しなくちゃだめですよね?」と口にしていた。

「どういうこと?」
「やっぱり子供は母親が引き取るべきだと思うんです。昼に見た女性の顔、凄く疲れているみたいで、ここで子供まで失ったら彼女生きる気力を失ってしまうんじゃないかって、そう思うんです」
「駄目だよ、引き受けた仕事は最後までやり遂げなくちゃ。社会経験のない君にはわからないのかもしればいけどね、世の中納得のいかないことなんてたくさんあるの。そんなことに一々心を痛めてたら生きづらくてしょうがないよ。何かを決断するときに感情は考慮しない、これは社会人としての大事な教訓だから、真雪くんもよく覚えておくこと」
「紅坂さんはどんな仕事にも傷ついたりしないんですか?」
「しないよ」

 あまりに無機質な紅坂さんの回答に、僕は何も言い返せなかった。
 これだけ世話になっておいて申し訳ないと思いながらも、彼女のことを冷たい人間だと思ってしまった。
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