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誘拐少女と探偵
4話
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「すみません」
声を掛けると女性が振り向いた。
申し訳程度の化粧に、簡単にまとめられた髪の毛。手からは買い物バックを下げている。服装も飾りっ気のないもので、近場に買い物に来た主婦という様子が全身から感じられた。紅坂さんの話によるとまだ二十代後半ということだが、顔色が悪いせいか、実年齢よりも年を重ねているように見える。
「なんでしょうか?」
女性は怪しげにこちらを見る。思わずひるみそうになるが、堪えて指示された通りのセリフを口にする。
「ここへ行きたいんですけど道がわからなくて、教えてもらえませんか?」
そう言って僕はジーンズのポケットから一枚の紙を取り出した。中には手書きの地図が描かれていた。それを見た女性の表情が微かに歪んだ。
「××公園ですか?」
「そうです。友人とこの公園でキャッチボールをする約束をしているんですけど、道に迷ってしまいまして」
僕はこれ見よがしに、手に持っている野球グローブを女性の前に掲げた。もちろん僕の所持品ではなく、紅坂さんに事前に渡されていたものだ。
「この時間帯は子連れの親子がたくさんいます。キャッチボールなんてしたら遊んでいる子供に当たってしまいますから、場所か時間帯を変えたほうがいいと思います」
「そうなんですか?」
「そうよ」
女性の口調が強くなる。怒っているというより、子供を心配しているといった様子だ。他人の子供を気に掛ける女性の優しさが垣間見え、僕の良心に鈍い痛みが走る。
しかしこれは仕事である。自分から手伝いを買って出たくせに、中途半端なことはできない。感情を押し殺して続ける。
「お詳しいんですね。あなたも子供がいるんですか?」
「……そんなこと聞いてどうするの?」
女性の警戒心が強まったのがわかった。半歩下がり僕と距離を取ると、目の前の男が敵なのか値踏みを始める。
「他意はありません。そんな怖い顔をしないでください」
「場所は教えてあげるけど、公園でキャッチボールはしないこと。それは約束して」
「わかりました。友人と合流したら別の場所へ移動することにします」
素直に従ったことで彼女も安心したのか、公園までの道のりを説明しだす。僕は適当に相槌を打ちながら、無事に仕事がこなせているのかが気掛かりでしょうがなかった。
「お子さんは今どちらにいるんですか?」
「子供がいると話した覚えはないわよ」
「でも、それ」僕は女性が肩から下げているバッグを指さす。そこには電車のシールが二枚雑に貼られていた。子供のいたずらで貼られたシールを剝がせずにいるのだと想像できる。
僕に指摘された女性はシールを僕から隠すように身をよじった。それからどこか悲しそうな表情を浮かべた後、「もういいかしら」と視線を合わせずに言う。
「はい。助かりました。ありがとうございました」
お礼を言って、僕は公園の方向へ歩き出す。しかし目的地へは向かわず、女性から見えない場所まで歩くと方向転換した。そのまま周るように移動し、先ほど女性に話しかけた場所から道路を挟んで真向かいにある喫茶店の中へと入る。
店内を見回すと窓際のテーブル席に紅坂さんがいた。グレーのパーカーに身を包み、左手を服のポケットの中へ入れている。コーヒーカップを掴む右手には黒革の指ぬきの手袋をはめていた。人のファッションにあれこれ言うつもりはないが、中学生みたいなセンスだと思わずにいられなかった。
席に向かう僕を見つけると、彼女はこちらに手を振ってきた。パンクミュージシャンが付けるような手袋をした手で呼ばれると、恥ずかしさが込み上げてくる。周囲の視線が気になって仕方がない。
紅坂さんの正面に腰かけると、メニュー表を差し出してきた。
「お疲れ様。まずは飲み物でもどう? お姉ちゃんの奢りだよ」
お言葉に甘え、店員さんにホットコーヒーを注文する。
すぐにやってきたカップを一口啜っていると、紅坂さんはテーブルに肘をついてこちらを見つめている。そんなに見られていると落ち着かないのだが、にっこりとほほ笑む紅坂さんに注意することもできなかった。気にしないように決めて、コーヒーを無心で飲む。
「いい仕事ぶりだったよ」
「本当ですか? 無事に仕事をこなせたんでしょうか?」
「うん。完璧だよ。おかげさまで必要な情報はすべて集まったかな」
紅坂さんの言葉に安堵する。一方で罪悪感もあった。
先ほどの女性から、子供を奪う計画に加担しているのだから当然である。
「あの――」口を開いた僕を、紅坂さんは右手を上げて静止する。
「仕事の話は事務所に戻ってからにしよう。いまはお姉ちゃんとのデートを楽しもうぜ」
僕は口をつぐむ。うっかり誰の耳があるとも限らない場所で仕事のことをしゃべるところだった。これでは探偵の助手失格だ。
声を掛けると女性が振り向いた。
申し訳程度の化粧に、簡単にまとめられた髪の毛。手からは買い物バックを下げている。服装も飾りっ気のないもので、近場に買い物に来た主婦という様子が全身から感じられた。紅坂さんの話によるとまだ二十代後半ということだが、顔色が悪いせいか、実年齢よりも年を重ねているように見える。
「なんでしょうか?」
女性は怪しげにこちらを見る。思わずひるみそうになるが、堪えて指示された通りのセリフを口にする。
「ここへ行きたいんですけど道がわからなくて、教えてもらえませんか?」
そう言って僕はジーンズのポケットから一枚の紙を取り出した。中には手書きの地図が描かれていた。それを見た女性の表情が微かに歪んだ。
「××公園ですか?」
「そうです。友人とこの公園でキャッチボールをする約束をしているんですけど、道に迷ってしまいまして」
僕はこれ見よがしに、手に持っている野球グローブを女性の前に掲げた。もちろん僕の所持品ではなく、紅坂さんに事前に渡されていたものだ。
「この時間帯は子連れの親子がたくさんいます。キャッチボールなんてしたら遊んでいる子供に当たってしまいますから、場所か時間帯を変えたほうがいいと思います」
「そうなんですか?」
「そうよ」
女性の口調が強くなる。怒っているというより、子供を心配しているといった様子だ。他人の子供を気に掛ける女性の優しさが垣間見え、僕の良心に鈍い痛みが走る。
しかしこれは仕事である。自分から手伝いを買って出たくせに、中途半端なことはできない。感情を押し殺して続ける。
「お詳しいんですね。あなたも子供がいるんですか?」
「……そんなこと聞いてどうするの?」
女性の警戒心が強まったのがわかった。半歩下がり僕と距離を取ると、目の前の男が敵なのか値踏みを始める。
「他意はありません。そんな怖い顔をしないでください」
「場所は教えてあげるけど、公園でキャッチボールはしないこと。それは約束して」
「わかりました。友人と合流したら別の場所へ移動することにします」
素直に従ったことで彼女も安心したのか、公園までの道のりを説明しだす。僕は適当に相槌を打ちながら、無事に仕事がこなせているのかが気掛かりでしょうがなかった。
「お子さんは今どちらにいるんですか?」
「子供がいると話した覚えはないわよ」
「でも、それ」僕は女性が肩から下げているバッグを指さす。そこには電車のシールが二枚雑に貼られていた。子供のいたずらで貼られたシールを剝がせずにいるのだと想像できる。
僕に指摘された女性はシールを僕から隠すように身をよじった。それからどこか悲しそうな表情を浮かべた後、「もういいかしら」と視線を合わせずに言う。
「はい。助かりました。ありがとうございました」
お礼を言って、僕は公園の方向へ歩き出す。しかし目的地へは向かわず、女性から見えない場所まで歩くと方向転換した。そのまま周るように移動し、先ほど女性に話しかけた場所から道路を挟んで真向かいにある喫茶店の中へと入る。
店内を見回すと窓際のテーブル席に紅坂さんがいた。グレーのパーカーに身を包み、左手を服のポケットの中へ入れている。コーヒーカップを掴む右手には黒革の指ぬきの手袋をはめていた。人のファッションにあれこれ言うつもりはないが、中学生みたいなセンスだと思わずにいられなかった。
席に向かう僕を見つけると、彼女はこちらに手を振ってきた。パンクミュージシャンが付けるような手袋をした手で呼ばれると、恥ずかしさが込み上げてくる。周囲の視線が気になって仕方がない。
紅坂さんの正面に腰かけると、メニュー表を差し出してきた。
「お疲れ様。まずは飲み物でもどう? お姉ちゃんの奢りだよ」
お言葉に甘え、店員さんにホットコーヒーを注文する。
すぐにやってきたカップを一口啜っていると、紅坂さんはテーブルに肘をついてこちらを見つめている。そんなに見られていると落ち着かないのだが、にっこりとほほ笑む紅坂さんに注意することもできなかった。気にしないように決めて、コーヒーを無心で飲む。
「いい仕事ぶりだったよ」
「本当ですか? 無事に仕事をこなせたんでしょうか?」
「うん。完璧だよ。おかげさまで必要な情報はすべて集まったかな」
紅坂さんの言葉に安堵する。一方で罪悪感もあった。
先ほどの女性から、子供を奪う計画に加担しているのだから当然である。
「あの――」口を開いた僕を、紅坂さんは右手を上げて静止する。
「仕事の話は事務所に戻ってからにしよう。いまはお姉ちゃんとのデートを楽しもうぜ」
僕は口をつぐむ。うっかり誰の耳があるとも限らない場所で仕事のことをしゃべるところだった。これでは探偵の助手失格だ。
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