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見聞録
嘘つきさんは甘い蜜を吸っていたい ⑧
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トリクシーは身を竦ませていた。更には現実逃避したい欲求が強すぎるのか、周囲の会話が何一つまともに耳に入ってこない。言葉を情報ではなく、ただの音として認識してしまっている。
それほど、トリクシーにはフデリンドウが、正確にはフデリンドウの夫が、恐ろしかった。
一方、閉店作業を終えた面々は、そんなトリクシーを敢えて構わないでいた。
トリクシーをよそに、厨房内で和やかに会話している。
「今更だけど、リースがトリクシーのようにあの魔法を使えたら良かったのにと思うわ」
「俺はそれを言うなら、ソランジュが毎度ついてやればいいのにって意見だな」
エルネスティーヌが右頬に右手を当てて言えば、隣にいたファブラスがそんな返しをした。
ファブラスにちらと視線を向けられたソランジュは、小さく肩を落とす。
「そりゃ、私だって頼まれれば是が非でもそうするわよ。でも・・・・・・、頼まれないんだもの。むしろ、ここで帰りを待っていて欲しいって態度取られちゃねぇ。まあ、それはそれで嬉しんだけれども」
「そうだったな」
ソランジュなりの苦労と悩みを吐き出されれば、ファブラスが少し眉を下げて目を細める。
本音を告げて何かしら言いたい意欲が高まったのか、ソランジュが口を開いた。
「姉には呆れられたわ。本当に大事に想ってるくせに、こんなにほったらかしてって。この前なんて、暢気に構えてばかりいると、いきなり失うかもよとか、物騒なこと言われちゃった」
「ズザナは、本当にウリヤーナが大事なんだもの。そうやってソランジュを心配するのも、無理ないわ。自分たちと、ソランジュたちを照らし合わせてしまえば、尚更ね」
エルネスティーヌは、ソランジュに優しく諭すように言った。
「ええ。分かってはいるんだけどね~。私だって好きでこんなにほったらかしてるわけじゃないってことを、姉にも理解してもらいたいっていうか」
軽く頷いてから、ソランジュはふうと小さく息を吐く。
先ほどから、その場にいる面々だからこそ、「誰が」・「誰を」というのを省略した会話が成り立っていた。
「それは難しいでしょうね。ズザナは、できうる限りウリヤーナから離れたくない性分だもの。ウリヤーナに降りかかると予期される些細な火の粉すら、予め抹消しなければ気が済まないでしょうし。ソランジュたちのような関係は、きっと気が気じゃないんじゃないかしら」
「だと思うわ。だからやきもきして、私にたま~にいろいろと突っかかってくるのよね」
実の姉をもよく理解しているエルネスティーヌに、ソランジュが苦笑交じりに同意する。
「ソランジュはソランジュ、ズザナはズザナ。姉妹だけど違ってて当然ってことなの~。私はそれでいいと思うの~」
「私もおばあちゃんの意見に一票」
「じゃあ、俺も」
フデリンドウがお茶を飲みながらのほほんといえば、エルネスティーヌとファブラスがすかさず合いの手を入れた。エリーとテネヴ、コカトリスたちも無言で挙手し、自分たちも一票入れる姿勢を示す。
一同の優しさに、ソランジュは二カっとした笑顔を見せた。
「ありがとう、みんな」
直後、閉店したはずの入り口をノックする音が聞こえてくる。
入り口に近いコカトリスが、とことこと歩いて入り口に向かった。
そのコカトリスも、厨房内にいた他の面々も、来訪者に心当たりがあるのか、頬を緩ませる。
「噂をすればなんとやら、ね」
ソランジュが言い終わるや否や、コカトリスに出迎えられた者たちが厨房内に顔を出した。
「ただいま」
来訪者二人は揃って挨拶した。
だからその場にいた面々も、ほぼほぼ揃って挨拶を返す。
「おかえりなさい」
来訪者の一人は、銀髪の青年。肌つやのいい、端正な顔立ちをしていた。碧眼は、夏の青空を想起させる色合いをしている。
青年の体は細すぎもしないが、太すぎもしない。冬服を着用しているとはいえ、肉体を鍛えていることをほのめかしていた。身長は百八十センチは越えていて、隣にいる少女と比べればより一層、背が高く思われる。
青年の隣にいる少女は、フデリンドウと実によく似ていた。薄葡萄色の髪と瞳。フデリンドウより少し背が高く、側頭部に小さなリンドウの花は見当たらない。あとフデリンドウとあからさまに差があるといえば、目立つ胸囲くらいだろう。
「遅かったのね」
「うん、ごめんね。なんやかんやで時間かかっちゃってさ」
「そうだと思ってたわ」
ソランジュとフデリンドウに似た少女の会話に、エルネスティーヌも加わる。
「疲れてるなら無理して寄らなくても良かったのよ」
「心配してくれてありがとうございます。でも、疲れはないんですよ。それに、お土産も早く渡したかったので」
「そう、ならいいのだけれど」
女性陣が和やかに会話する一方、青年がトリクシーの存在に気づき、あからさまに怪訝な顔になっていた。
「おい。あれはどういうことだ?」
青年が首をくいとトリクシーに向け、不機嫌な口調で言った。
今の今まで放心状態だったトリクシーは、青年の嫌な視線に我を取り戻す。恐る恐る突き刺さる視線の主を、トリクシーの視線が捉えた。
すると、トリクシーはたちまちかっと目を見開く。そして、ばっと青年から視線を逸らした。人によっては失礼にあたるかもしれない行動だが、トリクシーはそうするしかなかった次第である。
血の気を失っていくトリクシーを、青年の隣にいる少女もようやく認めた。次いで、心配の眼差しで、青年と似ているようで違うような問いかけを周囲にする。
「・・・・・・あの、何かあったんですか?」
「ん~、あったような、なかったようなね」
「いやいやソランジュ。彼女がここにいる時点で、何もないわけないでしょ」
ソランジュの揶揄うような曖昧な返答に、少女は呆れてツッコミを入れた。
そんな中、青年は眉根を寄せている。
「ともかく、事情を説明してくれ」
「分かった分かった。イグナシオ、そんなに殺気出さないでよ。小心者のトリクシーがますます委縮しちゃうじゃない」
イグナシオと呼ばれた青年は、あからさまにトリクシーをよく思っていないことが丸分かりである。それに今度はソランジュがやれやれといった態度を示した。
「そんなのどうでもいい。とにかく、事情説明」
イグナシオは眉根をぎゅっと寄せて、語気を強めて再度促す。
トリクシーはといえば、イグナシオの発するとげとげしさに、涙が結界寸前状態である。
とにもかくにも、二人にもトリクシーがここにいる経緯を教えることとなった。
* * *
委細を聞き、イグナシオの眉と眉の間の皺は消える。それでも、イグナシオがトリクシーに向ける警戒心が全て消え去る気配はない。
イグナシオを目視せずともそのような雰囲気が伝わってきて、トリクシーは冷や汗だらだらで怯えていた。
「事情は分かった」
「うん」
イグナシオが仏頂面で納得すれば、フデリンドウによく似た少女が相槌を打つ。
「この計画に二人も異論はないでしょう?」
「ああ」
ソランジュの確認に、イグナシオが渋い顔で了承した。
「いや、一部異論ありです」
しかしながら、そこで待ったをかけたのは、フデリンドウに瓜二つといっても過言でない少女である。
それに周囲は「おや?」という反応を取った。ソランジュに至っては、片方の眉を軽く上げている。
「何よリース。どこが不満なわけ?」
「トリクシーをソランジュの家で匿うこと。それがすんごい不満です」
珍しく凄みのある笑顔を作る親友に、ソランジュも珍しく面食らう。
一方、イグナシオとトリクシー以外の面々は事情を察し、口元を緩ませた。
「それは何、私たち一家が頼りないってこと? それとも、私たち一家を心配してくれてるの?」
「後者だよ。ソランジュたちが頼りにならないわけないじゃない。ただ、ソランジュにこれ以上負担をかけるのは、私がすんごく嫌なだけ」
少し不満を露わにソランジュが問えば、リースと呼ばれた人物は正直に答える。
自身の身を案じてくれている。リースの素直な気持ちに、ソランジュの不満も次第に和らいだ。
それを見越してか、リースはにっこりと笑顔で語る。
「だから、トリクシーはうちで預かりますっ!」
「「はあっ!?」」
イグナシオとソランジュの感嘆の声が同時に上がった。
半ば恐慌状態に陥っていたトリクシーの耳は、リースの発言をきちんと拾い上げられたらしく、瞳が驚きの色に染まっている。
他の面々はこの流れに予想がついていたのか、落ち着きを払っていた。
「却下だっ!」
「駄目っ!!」
「い、やっ!」
イグナシオとソランジュが結託したかのように、リースの提案を否定する姿勢を見せる。
リースもリースで語気を強め、にこやかに応戦する姿勢を示した。
周囲はただ成り行きを見守る。
「どうしてよりにもよってリースのところで匿うのよっ!? 危険すぎるでしょっ!」
一瞬ぎりっと歯を食いしばってから、ソランジュは小さく叫んだ。
イグナシオもそれに続く。
「そうだっ! なんでもよりにもよってうちでっ!!」
怒りと興奮が増していく二人を見つめながら、リースは一度深呼吸する。そして、二人を真っ直ぐな瞳で交互に見ながら言った。
「まず、おじいちゃんとおばあちゃんの呪いと祝福が張り巡らされているおかげで、うちがとことん安全な場所であるだろうからです。トリクシーの追っ手は、まず退けられるでしょう」
「それは私も保証するの~」
冷静なリースの指摘に、フデリンドウがのほほんと援護する。
「それでもよ。可能性は低いけど、トリクシーがリースやリースの大切な存在を害する危険だってあるわ」
ソランジュは低い声できっぱり言った。
トリクシーは、完全に自分が信用されているわけではないと改めて身に染みる。仕方ないと理解しつつも、下唇を強めに噛んだ。
「そうだね。でも、そうはならないと思う」
リースの静かな言葉に、トリクシーは内心驚く。また、一応は信頼されていることをほのめかされ、気持ちが楽になった。
「どうしてそう思うのよ?」
「だって、ソランジュたちもそう思ったからこそ、トリクシーを助けようとしているんじゃない。それに、本当にトリクシーが悪人なら、モンスターたちだってトリクシーから距離を置くはず。でも、そうしてないってことは、そういうことでしょう?」
回りくどくも、リースはトリクシーが安全であると言い張った。
それには、ソランジュとトリクシーの瞳が揺れる。
「それにだよ。私の家に来られれば、彼女が悪人じゃないって証明にもなると思わない?」
「それは、そうでしょうけど・・・・・・」
「でしょ? だから、お願いだから、今回は折れて。ソランジュ、トリクシーは私たちのところで保護させて欲しい」
リースは申し訳なさそうな顔で、ソランジュに切実に懇願した。
頑なとも呼べる態度を崩さないリースに、ソランジュはハアと大きな嘆息をせずにいられない。
なんだかんだ、ソランジュはリースに甘いと自身で認識している。だからこそ、普通であらば突っぱねるリースの要求も、呑んであげたいと思ってしまうのだ。
ソランジュはガシガシと頭をかく。
「もしもよ。トリクシーが、リースの家の敷地内に入れないような事態になれば、トリクシーを保護することをきっぱり諦めてくれるわね?」
「うん。万が一そんなことになれば、トリクシーを切り捨てる覚悟はできてるよ」
両者互いにすうっと冷めた瞳をぶつけ合った。
ぶつかり合う本音を聞き、トリクシーはぶるり身震いする。事情は曖昧だが、トリクシーがリースの家に行くことができるかどうかで、明暗が分かれていることは明白だった。
「どうやら決まりね」
「だな」
見守っていたエルネスティーヌとファブラスが口を挟む。
しかしながら、リースの意見を吞めない人物がまだ一人いた。
「俺の意見は? 完全に無視か? あそこは、リースと俺の家でもあるのに」
夏空のような青い双眸が、横暴だとリースに訴えかける。
さすがにその主張には反論しがたいのか、申し訳なさとどうしようもなさを示すように、リースは一度両肩を上げた。
「ごめんね。イオにも迷惑をかけること、申し訳ないと思ってる。でも、今回ばかりは譲れない」
「絶対か?」
「絶対だな」
両者視線を逸らすことなく、念押しに念押しした。
身長差のある二人がしばし見つめ合っていれば、背の高い方ががくりと肩を落とす。
「分かったよ。正直邪魔だが、我慢する」
「ありがとう。でも、イオ。そういう本音は本人の前で失礼だから、今後はやめよっか。つーか控えろ」
自分のことは正直棚に上げて、リースは頬を引くつかせていた。
イグナシオはそんなリースにふてくされる。
「だって事実だろ。新婚なのに夫婦水入らずの時間が足らなすぎると、俺は常日頃思ってる」
「・・・・・・ねえ、結婚してもう半年も経ったんだけど?」
「半年ならまだ新婚だろ」
「今後ともずっと一緒にいるんだから、四六時中傍にいなくてもいいと思わない?」
「思わない」
「・・・・・・倦怠期回避のためにも、適切な距離感も必要だと思うけど?」
「俺たちに倦怠期なんて存在しない」
極寒の冬のように冷え冷えとした瞳と口調でリースが淡々と述べるも、イグナシオはひしひしとうららかな春を匂わせ続けた。
それからも周囲を置き去りにして、若き夫婦は延々と口論を繰り広げる。
ソランジュはトリクシーの方に振り向き、呆れた顔で助言を一つ。
「とまあ、真冬でも熱々で濃厚、癖があってくどいくらいのショコラショーのような新婚夫婦の家に、あなたはしばらく厄介になるってことで」
直後、トリクシーは胸やけと夏バテをないまぜにしたような気持ちに苛まれたのだった。
それほど、トリクシーにはフデリンドウが、正確にはフデリンドウの夫が、恐ろしかった。
一方、閉店作業を終えた面々は、そんなトリクシーを敢えて構わないでいた。
トリクシーをよそに、厨房内で和やかに会話している。
「今更だけど、リースがトリクシーのようにあの魔法を使えたら良かったのにと思うわ」
「俺はそれを言うなら、ソランジュが毎度ついてやればいいのにって意見だな」
エルネスティーヌが右頬に右手を当てて言えば、隣にいたファブラスがそんな返しをした。
ファブラスにちらと視線を向けられたソランジュは、小さく肩を落とす。
「そりゃ、私だって頼まれれば是が非でもそうするわよ。でも・・・・・・、頼まれないんだもの。むしろ、ここで帰りを待っていて欲しいって態度取られちゃねぇ。まあ、それはそれで嬉しんだけれども」
「そうだったな」
ソランジュなりの苦労と悩みを吐き出されれば、ファブラスが少し眉を下げて目を細める。
本音を告げて何かしら言いたい意欲が高まったのか、ソランジュが口を開いた。
「姉には呆れられたわ。本当に大事に想ってるくせに、こんなにほったらかしてって。この前なんて、暢気に構えてばかりいると、いきなり失うかもよとか、物騒なこと言われちゃった」
「ズザナは、本当にウリヤーナが大事なんだもの。そうやってソランジュを心配するのも、無理ないわ。自分たちと、ソランジュたちを照らし合わせてしまえば、尚更ね」
エルネスティーヌは、ソランジュに優しく諭すように言った。
「ええ。分かってはいるんだけどね~。私だって好きでこんなにほったらかしてるわけじゃないってことを、姉にも理解してもらいたいっていうか」
軽く頷いてから、ソランジュはふうと小さく息を吐く。
先ほどから、その場にいる面々だからこそ、「誰が」・「誰を」というのを省略した会話が成り立っていた。
「それは難しいでしょうね。ズザナは、できうる限りウリヤーナから離れたくない性分だもの。ウリヤーナに降りかかると予期される些細な火の粉すら、予め抹消しなければ気が済まないでしょうし。ソランジュたちのような関係は、きっと気が気じゃないんじゃないかしら」
「だと思うわ。だからやきもきして、私にたま~にいろいろと突っかかってくるのよね」
実の姉をもよく理解しているエルネスティーヌに、ソランジュが苦笑交じりに同意する。
「ソランジュはソランジュ、ズザナはズザナ。姉妹だけど違ってて当然ってことなの~。私はそれでいいと思うの~」
「私もおばあちゃんの意見に一票」
「じゃあ、俺も」
フデリンドウがお茶を飲みながらのほほんといえば、エルネスティーヌとファブラスがすかさず合いの手を入れた。エリーとテネヴ、コカトリスたちも無言で挙手し、自分たちも一票入れる姿勢を示す。
一同の優しさに、ソランジュは二カっとした笑顔を見せた。
「ありがとう、みんな」
直後、閉店したはずの入り口をノックする音が聞こえてくる。
入り口に近いコカトリスが、とことこと歩いて入り口に向かった。
そのコカトリスも、厨房内にいた他の面々も、来訪者に心当たりがあるのか、頬を緩ませる。
「噂をすればなんとやら、ね」
ソランジュが言い終わるや否や、コカトリスに出迎えられた者たちが厨房内に顔を出した。
「ただいま」
来訪者二人は揃って挨拶した。
だからその場にいた面々も、ほぼほぼ揃って挨拶を返す。
「おかえりなさい」
来訪者の一人は、銀髪の青年。肌つやのいい、端正な顔立ちをしていた。碧眼は、夏の青空を想起させる色合いをしている。
青年の体は細すぎもしないが、太すぎもしない。冬服を着用しているとはいえ、肉体を鍛えていることをほのめかしていた。身長は百八十センチは越えていて、隣にいる少女と比べればより一層、背が高く思われる。
青年の隣にいる少女は、フデリンドウと実によく似ていた。薄葡萄色の髪と瞳。フデリンドウより少し背が高く、側頭部に小さなリンドウの花は見当たらない。あとフデリンドウとあからさまに差があるといえば、目立つ胸囲くらいだろう。
「遅かったのね」
「うん、ごめんね。なんやかんやで時間かかっちゃってさ」
「そうだと思ってたわ」
ソランジュとフデリンドウに似た少女の会話に、エルネスティーヌも加わる。
「疲れてるなら無理して寄らなくても良かったのよ」
「心配してくれてありがとうございます。でも、疲れはないんですよ。それに、お土産も早く渡したかったので」
「そう、ならいいのだけれど」
女性陣が和やかに会話する一方、青年がトリクシーの存在に気づき、あからさまに怪訝な顔になっていた。
「おい。あれはどういうことだ?」
青年が首をくいとトリクシーに向け、不機嫌な口調で言った。
今の今まで放心状態だったトリクシーは、青年の嫌な視線に我を取り戻す。恐る恐る突き刺さる視線の主を、トリクシーの視線が捉えた。
すると、トリクシーはたちまちかっと目を見開く。そして、ばっと青年から視線を逸らした。人によっては失礼にあたるかもしれない行動だが、トリクシーはそうするしかなかった次第である。
血の気を失っていくトリクシーを、青年の隣にいる少女もようやく認めた。次いで、心配の眼差しで、青年と似ているようで違うような問いかけを周囲にする。
「・・・・・・あの、何かあったんですか?」
「ん~、あったような、なかったようなね」
「いやいやソランジュ。彼女がここにいる時点で、何もないわけないでしょ」
ソランジュの揶揄うような曖昧な返答に、少女は呆れてツッコミを入れた。
そんな中、青年は眉根を寄せている。
「ともかく、事情を説明してくれ」
「分かった分かった。イグナシオ、そんなに殺気出さないでよ。小心者のトリクシーがますます委縮しちゃうじゃない」
イグナシオと呼ばれた青年は、あからさまにトリクシーをよく思っていないことが丸分かりである。それに今度はソランジュがやれやれといった態度を示した。
「そんなのどうでもいい。とにかく、事情説明」
イグナシオは眉根をぎゅっと寄せて、語気を強めて再度促す。
トリクシーはといえば、イグナシオの発するとげとげしさに、涙が結界寸前状態である。
とにもかくにも、二人にもトリクシーがここにいる経緯を教えることとなった。
* * *
委細を聞き、イグナシオの眉と眉の間の皺は消える。それでも、イグナシオがトリクシーに向ける警戒心が全て消え去る気配はない。
イグナシオを目視せずともそのような雰囲気が伝わってきて、トリクシーは冷や汗だらだらで怯えていた。
「事情は分かった」
「うん」
イグナシオが仏頂面で納得すれば、フデリンドウによく似た少女が相槌を打つ。
「この計画に二人も異論はないでしょう?」
「ああ」
ソランジュの確認に、イグナシオが渋い顔で了承した。
「いや、一部異論ありです」
しかしながら、そこで待ったをかけたのは、フデリンドウに瓜二つといっても過言でない少女である。
それに周囲は「おや?」という反応を取った。ソランジュに至っては、片方の眉を軽く上げている。
「何よリース。どこが不満なわけ?」
「トリクシーをソランジュの家で匿うこと。それがすんごい不満です」
珍しく凄みのある笑顔を作る親友に、ソランジュも珍しく面食らう。
一方、イグナシオとトリクシー以外の面々は事情を察し、口元を緩ませた。
「それは何、私たち一家が頼りないってこと? それとも、私たち一家を心配してくれてるの?」
「後者だよ。ソランジュたちが頼りにならないわけないじゃない。ただ、ソランジュにこれ以上負担をかけるのは、私がすんごく嫌なだけ」
少し不満を露わにソランジュが問えば、リースと呼ばれた人物は正直に答える。
自身の身を案じてくれている。リースの素直な気持ちに、ソランジュの不満も次第に和らいだ。
それを見越してか、リースはにっこりと笑顔で語る。
「だから、トリクシーはうちで預かりますっ!」
「「はあっ!?」」
イグナシオとソランジュの感嘆の声が同時に上がった。
半ば恐慌状態に陥っていたトリクシーの耳は、リースの発言をきちんと拾い上げられたらしく、瞳が驚きの色に染まっている。
他の面々はこの流れに予想がついていたのか、落ち着きを払っていた。
「却下だっ!」
「駄目っ!!」
「い、やっ!」
イグナシオとソランジュが結託したかのように、リースの提案を否定する姿勢を見せる。
リースもリースで語気を強め、にこやかに応戦する姿勢を示した。
周囲はただ成り行きを見守る。
「どうしてよりにもよってリースのところで匿うのよっ!? 危険すぎるでしょっ!」
一瞬ぎりっと歯を食いしばってから、ソランジュは小さく叫んだ。
イグナシオもそれに続く。
「そうだっ! なんでもよりにもよってうちでっ!!」
怒りと興奮が増していく二人を見つめながら、リースは一度深呼吸する。そして、二人を真っ直ぐな瞳で交互に見ながら言った。
「まず、おじいちゃんとおばあちゃんの呪いと祝福が張り巡らされているおかげで、うちがとことん安全な場所であるだろうからです。トリクシーの追っ手は、まず退けられるでしょう」
「それは私も保証するの~」
冷静なリースの指摘に、フデリンドウがのほほんと援護する。
「それでもよ。可能性は低いけど、トリクシーがリースやリースの大切な存在を害する危険だってあるわ」
ソランジュは低い声できっぱり言った。
トリクシーは、完全に自分が信用されているわけではないと改めて身に染みる。仕方ないと理解しつつも、下唇を強めに噛んだ。
「そうだね。でも、そうはならないと思う」
リースの静かな言葉に、トリクシーは内心驚く。また、一応は信頼されていることをほのめかされ、気持ちが楽になった。
「どうしてそう思うのよ?」
「だって、ソランジュたちもそう思ったからこそ、トリクシーを助けようとしているんじゃない。それに、本当にトリクシーが悪人なら、モンスターたちだってトリクシーから距離を置くはず。でも、そうしてないってことは、そういうことでしょう?」
回りくどくも、リースはトリクシーが安全であると言い張った。
それには、ソランジュとトリクシーの瞳が揺れる。
「それにだよ。私の家に来られれば、彼女が悪人じゃないって証明にもなると思わない?」
「それは、そうでしょうけど・・・・・・」
「でしょ? だから、お願いだから、今回は折れて。ソランジュ、トリクシーは私たちのところで保護させて欲しい」
リースは申し訳なさそうな顔で、ソランジュに切実に懇願した。
頑なとも呼べる態度を崩さないリースに、ソランジュはハアと大きな嘆息をせずにいられない。
なんだかんだ、ソランジュはリースに甘いと自身で認識している。だからこそ、普通であらば突っぱねるリースの要求も、呑んであげたいと思ってしまうのだ。
ソランジュはガシガシと頭をかく。
「もしもよ。トリクシーが、リースの家の敷地内に入れないような事態になれば、トリクシーを保護することをきっぱり諦めてくれるわね?」
「うん。万が一そんなことになれば、トリクシーを切り捨てる覚悟はできてるよ」
両者互いにすうっと冷めた瞳をぶつけ合った。
ぶつかり合う本音を聞き、トリクシーはぶるり身震いする。事情は曖昧だが、トリクシーがリースの家に行くことができるかどうかで、明暗が分かれていることは明白だった。
「どうやら決まりね」
「だな」
見守っていたエルネスティーヌとファブラスが口を挟む。
しかしながら、リースの意見を吞めない人物がまだ一人いた。
「俺の意見は? 完全に無視か? あそこは、リースと俺の家でもあるのに」
夏空のような青い双眸が、横暴だとリースに訴えかける。
さすがにその主張には反論しがたいのか、申し訳なさとどうしようもなさを示すように、リースは一度両肩を上げた。
「ごめんね。イオにも迷惑をかけること、申し訳ないと思ってる。でも、今回ばかりは譲れない」
「絶対か?」
「絶対だな」
両者視線を逸らすことなく、念押しに念押しした。
身長差のある二人がしばし見つめ合っていれば、背の高い方ががくりと肩を落とす。
「分かったよ。正直邪魔だが、我慢する」
「ありがとう。でも、イオ。そういう本音は本人の前で失礼だから、今後はやめよっか。つーか控えろ」
自分のことは正直棚に上げて、リースは頬を引くつかせていた。
イグナシオはそんなリースにふてくされる。
「だって事実だろ。新婚なのに夫婦水入らずの時間が足らなすぎると、俺は常日頃思ってる」
「・・・・・・ねえ、結婚してもう半年も経ったんだけど?」
「半年ならまだ新婚だろ」
「今後ともずっと一緒にいるんだから、四六時中傍にいなくてもいいと思わない?」
「思わない」
「・・・・・・倦怠期回避のためにも、適切な距離感も必要だと思うけど?」
「俺たちに倦怠期なんて存在しない」
極寒の冬のように冷え冷えとした瞳と口調でリースが淡々と述べるも、イグナシオはひしひしとうららかな春を匂わせ続けた。
それからも周囲を置き去りにして、若き夫婦は延々と口論を繰り広げる。
ソランジュはトリクシーの方に振り向き、呆れた顔で助言を一つ。
「とまあ、真冬でも熱々で濃厚、癖があってくどいくらいのショコラショーのような新婚夫婦の家に、あなたはしばらく厄介になるってことで」
直後、トリクシーは胸やけと夏バテをないまぜにしたような気持ちに苛まれたのだった。
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