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見聞録
魔力制限がある国 ⑨
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日没後、シメジとアンズとカランは、ようやくリアトリスの目を覚ますことに成功した。
再び眠りたい心地はあれど、リアトリスはさすがに野外でいつまでも寝込むわけには行かないと、歯を食いしばって気力を振り絞る。
そうしてなんとか帰路に向かうリアトリスたち一行を見て、傍にいた老人も安心したのか帰って行く。
薄い夕闇に覆われた世界の中、ラウジ湖はより一層ひっそりとして、観光客は一人残らずいなくなっていった。
* * *
ラウジ湖からア=ラウジ国の首都に戻り、リアトリスたちはどうにか無事に滞在先まで帰ることができた。リアトリスに至っては、よろよろの足取りである。
リアトリスたちに見送られ、カランは普段暮らしている、「魔力断ち」の敷地内に戻って行った。
その後、リアトリスは使用人二人に、夕食は起きたら明日食べることを詫びて、さっと湯浴みを済ませると早々にベッドに倒れ、寝入ってしまう。
使用人二人は、リアトリスの疲労困憊の様子を当然心配したが、シメジとアンズが二人に「寝れば大丈夫だから」と手記で説明し安心させた。
イーグル・イザベル夫妻は、まだその場に戻っていない。
二人は、セニョフらドゥロ一族の者たちから晩餐に招待され、現在「魔力断ち」の敷地内の中にいる。そこには二人同様、他国からの訪問者たちも出席していた。
足の低い大きな細長いテーブルを囲み、出席者たちは背もたれの低い和座椅子似たものに腰かけている。
そんな饗応の宴の最中、カランが静かに登場した。カランがすたすたと歩いて向かうは、上座に位置する妙齢の女性の元である。
イーグルとイザベルは、現れたカランに思うところがあれど、不躾にカランを見ることはなかった。
「おかえり、カラン」
女性は細腕ながらカランを持ち上げて膝に乗せると、その頭を優しい手つきで撫でる。
カランは嬉しそうにしながら、うつらうつらと舟をこぎ、そのまま眠ってしまった。
「遊び疲れたようですね」
「ええ。まだ子どもですもの。それに、今日はよっぽど楽しかったんでしょうね」
女性の近くの男性が声をかければ、女性はふふっと笑って幸せそうなカランの寝顔に目を細める。
「セニョフ殿にマイコニドのペットがいたとは初耳ですな」
「あら、そうでしたか? 隠していたつもりはないのですが、なにぶんこの子が人見知りなもので、ご紹介する機会がなかったのかもしれません」
他国から訪問した中年男性が気軽に声をかければ、セニョフと呼ばれた女性は柔らかな口調で返した。
「それにしても、珍しいマイコニドですね。全身が白いとは」
「そうでしょう? 『魔力断ち』の敷地内で生まれた子だからですかね。土に埋まっていたときからこうでした」
「ほう。ここで生まれ育ったのですか」
それから専ら話題は、セニョフのペットであるカランに移った。
イーグルとイザベルは時々会話に参加しながら、周囲の者たちの会話をしかと耳に入れる態度を取る。
カランの全身の色は、色白且つ表面が青色がかった白い髪を持つセニョフには親近感があること。カランは「魔力断ち」の敷地内に生まれたのにもかかわらず、敷地外だけでなく、ア=ラウジ国の首都から出てもなんの問題もないらしいことなど、セニョフは明るく周囲に語った。
夜も更けていき、酒の酔いも回り、理性も弱まり、口も軽くなってくる頃合い。
「セニョフ殿を我が国にご案内できないのは、至極残念にございます。あなた様に見せたいものがたくさんありますのに」
普段であれば憚られる発言をしたのは、他国の男性だった。年齢は三十路ほどに思われる。
その場にいた他国の者たちはその発言に不安を覚えるも、ドゥロ一族の者たちはさして気に留める様子はない。
「私も残念です。出来うることなら、ご帰国の際、共に参りたいものですよ」
セニョフがにっこり笑いかければ、先ほど発言した男性の頬はみるみる赤く染まっていった。純朴ともとれるその反応に、周囲はふふっと波打つように笑う。
しかしながら、男性は徐に目を伏せ、申し訳なさそうな顔で口を開いた。
「かけられた呪いを、できることならば今すぐ取り除いて差し上げたい」
酒の勢いもあるとはいえ、愚直なまでに思いを述べた男性を、誰も注意も非難もしない。不適切な発言だろうと、頑ななまでに助けたいと思う真心があることを、その場にいた者たちは理解したからだ。
それは、セニョフと呼ばれる役職の女性も同じだった。
「そのお気持ちだけで、大変嬉しく思います。私共も、呪いのようなしがらみから、いずれ解放されることを願っております」
セニョフのその言葉に、イーグルは僅かに眉を動かした。
他国の若者は、ドゥロ一族の者の一部が、「魔力断ち」の敷地内でしか生きられないことを、はっきりと呪いとみなした。一方当事者であるセニョフは、呪いのようなしがらみと例えている。
そのことに、イーグルは何か気持ちの悪い違和感を覚えたのだ。
イザベルはそんなイーグルを、隣でそっと見つめていた。
「どうにかならんものですかな。プロンツ国が競売にかけ始めた、あのパンピニョンですら、解けない呪いはあるというではありませんか」
他国からの来客である中年男性が思い切って発言すれば、その場にいたほとんどの他国の者たちはざわつく。
「伝説の万能薬も万能ではない、ということですな」
「まあ、伝説と言われていた果実が現実に存在したというだけ、大発見なのでしょう」
「そうですな。入手も困難なのは変わりありませんし。死ぬまでに一度は口にしたいものです」
次第にその場にいた他国の者たちの意識の先は、イーグルとイザベルに向いた。
「イーグル殿とイザベル殿が、羨ましい限りです。パンピニョンを召し上がられたことがおありでしょう? イグナシオ王子の結婚式は、パンピニョンで盛大にもてなしたと聞きました」
「イグナシオ王子は、プロンツ国先々代族長のご息女と結婚なされましたことですし、さぞかしロムト国はプロンツ国から優遇されているのではございませんか?」
嫉妬と羨望と好奇心、そんなものが一緒くたになったような気配が辺りに漂う。
微酔状態ながら、イーグルとイザベルに話しかけた者たちも、何も考えなしに発言しているというわけではないはずだ。
そんな回りくどい言い回しをせず、正面切って「パンピニョンを寄越せ」と明け透けに口にしてくれた方が、正直イーグルとイザベルにとっては面白い。
しかしながら、そこまで深く酔いが回った者はいなかった。
「そうですね。皆様もご存知のように、国交面では、確かにロムトはプロンツ国とは友好的になったと言えましょう。残念ながら、パンピニョンに関しては、一切優遇はされておりません。先の結婚式も、新婦があのようにすべく独自で手配したものなのですよ」
イーグルが爽やかに語った。
イザベルはあらと、珍しく軽率な発言をしたと思える夫を、不思議そうに見る。
「パンピニョンが優遇されていないとは、驚きました」
一人の男性の言葉に、何人かがすぐに首肯せずにいられない。
「そうでしょうか? 種族間の違いを鑑みれば、プロンツ国の族長はそこまで甘くはないでしょう。いとこがイグナシオと結婚したといえど、ロムトと友好関係を結んでくれたこと自体、本来奇跡に近いかと」
「そうですね。イーグル殿の言う通りでしょう。彼の国と友好を結びたくても、容易に結べるものではありません」
イーグルに同意したのはセ二ョフである。彼女は膝の上で眠るカランを撫でながら、苦笑を滲ませていた。
「予言と未来視に長けた方々ですから、私たちの今こうしているやり取りも、もしかしたら知られているのかもしれませんね」
「そうですな」
「全くです」
セ二ョフの独り言ちたような台詞に、次々と賛同の声が上がった。
「ところでイーグル殿。先ほど花嫁が独自にパンピニョンを手配したとおっしゃいましたが、それはすなわち結婚式で使用された大量のパンピニョンは、ロムト国で手配したものはないということですかな?」
「はい。プロンツ国側から贈られたものでも、買い取ったものでもありません。花嫁自身が元々所有していたものを使用したのですよ」
その発言にイザベルは内心驚くが、決して顔に出すことはない。イーグルは何か考えがあって述べているのだろうと、イザベルは黙って成り行きを見守る。
周囲は、イーグルの発言に驚きや好奇心を隠せない。
「真とは思えませんな。おかしいではありませんか? パンピニョンは、プロンツ国から入手するしかないはず」
ぶつぶつと謎が解けない男性に、イーグルはわざとらしく片眉を上げる。
「おや、ご存じありませんか? パンピニョンの出どころは、かつても今もあの老師なのですよ。彼が、イグナシオと結婚する可愛い孫娘に渡したとて、なんの不思議もないでしょう」
その説明には、周囲は皆一様に微苦笑を浮かべた。
イザベルだけは、そうもっていったかと、ふうと安堵の息を吐く。
「おっしゃる通りだ」
「理解できました」
イーグルの述べたことが、一般に公にされている事実が大半だからこそ、その場にいた者たちはイーグルの少しの嘘に全くもって気づく気配はない。
一般に公にされている事実が、必ずしも真実とは限らないのだ。
かつてこの世界で悪役非道の権化と称された老師が、溺愛している孫娘にパンピニョンをあげたことは、一度たりともない。また、パンピニョンの出どころは、厳密には老師の妻と孫娘にあたる。
そもそも、プロンツ国にパンピニョンを売っているのは、プロンツ国先々代族長の娘であり、老師の孫娘であり、イーグルのいとこであるイグナシオの妻という肩書きを持つ、一人の女性だ。
その女性が、善意でイーグルたちにパンピニョンを時々無料でくれるのだから、プロンツ国がパンピニョンをロムト国に優遇する必要は正直ない。
また、彼女自身の結婚式に、パンピニョンを参列者に大盤振る舞いしたのも、彼女がパンピニョンの出どころたる所以だ。
諸事情により、実はその女性、パンピニョンの真の値打ちを未だよく理解していない。彼女の周囲も、敢えてパンピニョンの有能さを、彼女にははっきり教えないでいる。
だから、彼女はパンピニョンは食べると多分体に良くて、人によっては美容にもよく、一時的にちょっと見た目が若返る、売ると高値の果実と思い込んでいた。寿命が延びたり、あらゆる病気や怪我も完治したりする効果もあることなど、彼女は知る由もない。
それらの事情を知っているのは、この場ではイーグルとイザベルだけだ。
* * *
「実は、パンピニョンが私たち一族を厄介事から救ってくれるかどうか、まだ試したことはないのですよ。試したくとも、入手が困難ですから」
それからしばらくして、セ二ョフがそんなことを口にした。話しかけた相手は、ドゥロ一族の一部の者たちの厄介な事情を解決する糸口として、パンピニョンを引き合いに出した中年の男性である。
「では、試す価値はある、ということですね」
「ええ。ゆくゆくは試すつもりです」
話の流れから、また自然とイーグルとイザベルに周囲の視線が向く。その視線の意味が、分からない二人ではない。
「パンピニョンを持っておらず、悔しい限りです」
そう発言したのは、酒に飲まれ気味の、セ二ョフに特別な思いを抱いているらしき男性である。彼は、他意があって、その言葉を発したつもりはないように見える。
しかし、機会を窺っていた他の者たちは、それを利用せんと後に続いた。
「私もですよ。持ってさえいれば、すぐにでもお渡ししたのですが」
「そうですな、お役に立てず残念です」
「お力になれず申し訳ない限りで・・・・・・」
それからも、何人かの者が似たような言葉を繰り返していく。
白々しい三文芝居をする面々の中には、イグナシオの結婚式に参加していた顔ぶれもある。結婚式の参加者には、パンピニョンを加工したものが土産として配られていた。果たして彼らが今「道具」の中にそれらを持ち合わせていないのか、甚だ怪しいものである。緊急時のために、少しでもそれらを残しておいていても、なんらおかしくはない。
(自分たちが持っているパンピニョンの加工品は、絶対に渡したくない)
(イーグルとイザベルなら、絶対にパンピニョンかその加工品を持っているに違いない)
(さあ、もったいぶらず、差し出してみろ)
私利私欲と嫉妬と悪意にまみれた、そのような心の声が、容易に聞こえてくるかのようだ。
だからこそ、イーグルは心の中で嘲笑し、イザベルも内心冷ややかな視線を送りたい気持ちでいっぱいだ。
イーグルとイザベルは、確かにパンピニョンを持っている。
二人にとって、セ二ョフにそれを渡すことを惜しいとは思わない。むしろ、セ二ョフたちドゥロ一族の役に立つなら、喜んで渡したい次第だ。
だが、今ここで容易にそんなことはできようもない。
各国の要人たちが顔をそろえる中で、招待国であるア=ラウジ国の代表だけにパンピニョンを渡すことは、リスクもある。
様々なことを予測し、良心的な対応をしたくても取れないことだってあるのだ。
さてどうするかと、イーグル・イザベル夫妻が考えを巡らし言葉を発するよりも早く、セ二ョフが口を開いた。
「その温かいお気持ちだけで、私たちには十分でございます。皆様、そこまで私たちのことを思ってくださり、感謝いたします」
セ二ョフの気持ちのこもったその言葉で、もうイーグルもイザベルも、二人に追い打ちをかけようと目論んでいた輩も、何も言わず仕舞いで締めくくられる。
それから、夜も大分遅くなってきたこともあり、あっという間に解散となった。
再び眠りたい心地はあれど、リアトリスはさすがに野外でいつまでも寝込むわけには行かないと、歯を食いしばって気力を振り絞る。
そうしてなんとか帰路に向かうリアトリスたち一行を見て、傍にいた老人も安心したのか帰って行く。
薄い夕闇に覆われた世界の中、ラウジ湖はより一層ひっそりとして、観光客は一人残らずいなくなっていった。
* * *
ラウジ湖からア=ラウジ国の首都に戻り、リアトリスたちはどうにか無事に滞在先まで帰ることができた。リアトリスに至っては、よろよろの足取りである。
リアトリスたちに見送られ、カランは普段暮らしている、「魔力断ち」の敷地内に戻って行った。
その後、リアトリスは使用人二人に、夕食は起きたら明日食べることを詫びて、さっと湯浴みを済ませると早々にベッドに倒れ、寝入ってしまう。
使用人二人は、リアトリスの疲労困憊の様子を当然心配したが、シメジとアンズが二人に「寝れば大丈夫だから」と手記で説明し安心させた。
イーグル・イザベル夫妻は、まだその場に戻っていない。
二人は、セニョフらドゥロ一族の者たちから晩餐に招待され、現在「魔力断ち」の敷地内の中にいる。そこには二人同様、他国からの訪問者たちも出席していた。
足の低い大きな細長いテーブルを囲み、出席者たちは背もたれの低い和座椅子似たものに腰かけている。
そんな饗応の宴の最中、カランが静かに登場した。カランがすたすたと歩いて向かうは、上座に位置する妙齢の女性の元である。
イーグルとイザベルは、現れたカランに思うところがあれど、不躾にカランを見ることはなかった。
「おかえり、カラン」
女性は細腕ながらカランを持ち上げて膝に乗せると、その頭を優しい手つきで撫でる。
カランは嬉しそうにしながら、うつらうつらと舟をこぎ、そのまま眠ってしまった。
「遊び疲れたようですね」
「ええ。まだ子どもですもの。それに、今日はよっぽど楽しかったんでしょうね」
女性の近くの男性が声をかければ、女性はふふっと笑って幸せそうなカランの寝顔に目を細める。
「セニョフ殿にマイコニドのペットがいたとは初耳ですな」
「あら、そうでしたか? 隠していたつもりはないのですが、なにぶんこの子が人見知りなもので、ご紹介する機会がなかったのかもしれません」
他国から訪問した中年男性が気軽に声をかければ、セニョフと呼ばれた女性は柔らかな口調で返した。
「それにしても、珍しいマイコニドですね。全身が白いとは」
「そうでしょう? 『魔力断ち』の敷地内で生まれた子だからですかね。土に埋まっていたときからこうでした」
「ほう。ここで生まれ育ったのですか」
それから専ら話題は、セニョフのペットであるカランに移った。
イーグルとイザベルは時々会話に参加しながら、周囲の者たちの会話をしかと耳に入れる態度を取る。
カランの全身の色は、色白且つ表面が青色がかった白い髪を持つセニョフには親近感があること。カランは「魔力断ち」の敷地内に生まれたのにもかかわらず、敷地外だけでなく、ア=ラウジ国の首都から出てもなんの問題もないらしいことなど、セニョフは明るく周囲に語った。
夜も更けていき、酒の酔いも回り、理性も弱まり、口も軽くなってくる頃合い。
「セニョフ殿を我が国にご案内できないのは、至極残念にございます。あなた様に見せたいものがたくさんありますのに」
普段であれば憚られる発言をしたのは、他国の男性だった。年齢は三十路ほどに思われる。
その場にいた他国の者たちはその発言に不安を覚えるも、ドゥロ一族の者たちはさして気に留める様子はない。
「私も残念です。出来うることなら、ご帰国の際、共に参りたいものですよ」
セニョフがにっこり笑いかければ、先ほど発言した男性の頬はみるみる赤く染まっていった。純朴ともとれるその反応に、周囲はふふっと波打つように笑う。
しかしながら、男性は徐に目を伏せ、申し訳なさそうな顔で口を開いた。
「かけられた呪いを、できることならば今すぐ取り除いて差し上げたい」
酒の勢いもあるとはいえ、愚直なまでに思いを述べた男性を、誰も注意も非難もしない。不適切な発言だろうと、頑ななまでに助けたいと思う真心があることを、その場にいた者たちは理解したからだ。
それは、セニョフと呼ばれる役職の女性も同じだった。
「そのお気持ちだけで、大変嬉しく思います。私共も、呪いのようなしがらみから、いずれ解放されることを願っております」
セニョフのその言葉に、イーグルは僅かに眉を動かした。
他国の若者は、ドゥロ一族の者の一部が、「魔力断ち」の敷地内でしか生きられないことを、はっきりと呪いとみなした。一方当事者であるセニョフは、呪いのようなしがらみと例えている。
そのことに、イーグルは何か気持ちの悪い違和感を覚えたのだ。
イザベルはそんなイーグルを、隣でそっと見つめていた。
「どうにかならんものですかな。プロンツ国が競売にかけ始めた、あのパンピニョンですら、解けない呪いはあるというではありませんか」
他国からの来客である中年男性が思い切って発言すれば、その場にいたほとんどの他国の者たちはざわつく。
「伝説の万能薬も万能ではない、ということですな」
「まあ、伝説と言われていた果実が現実に存在したというだけ、大発見なのでしょう」
「そうですな。入手も困難なのは変わりありませんし。死ぬまでに一度は口にしたいものです」
次第にその場にいた他国の者たちの意識の先は、イーグルとイザベルに向いた。
「イーグル殿とイザベル殿が、羨ましい限りです。パンピニョンを召し上がられたことがおありでしょう? イグナシオ王子の結婚式は、パンピニョンで盛大にもてなしたと聞きました」
「イグナシオ王子は、プロンツ国先々代族長のご息女と結婚なされましたことですし、さぞかしロムト国はプロンツ国から優遇されているのではございませんか?」
嫉妬と羨望と好奇心、そんなものが一緒くたになったような気配が辺りに漂う。
微酔状態ながら、イーグルとイザベルに話しかけた者たちも、何も考えなしに発言しているというわけではないはずだ。
そんな回りくどい言い回しをせず、正面切って「パンピニョンを寄越せ」と明け透けに口にしてくれた方が、正直イーグルとイザベルにとっては面白い。
しかしながら、そこまで深く酔いが回った者はいなかった。
「そうですね。皆様もご存知のように、国交面では、確かにロムトはプロンツ国とは友好的になったと言えましょう。残念ながら、パンピニョンに関しては、一切優遇はされておりません。先の結婚式も、新婦があのようにすべく独自で手配したものなのですよ」
イーグルが爽やかに語った。
イザベルはあらと、珍しく軽率な発言をしたと思える夫を、不思議そうに見る。
「パンピニョンが優遇されていないとは、驚きました」
一人の男性の言葉に、何人かがすぐに首肯せずにいられない。
「そうでしょうか? 種族間の違いを鑑みれば、プロンツ国の族長はそこまで甘くはないでしょう。いとこがイグナシオと結婚したといえど、ロムトと友好関係を結んでくれたこと自体、本来奇跡に近いかと」
「そうですね。イーグル殿の言う通りでしょう。彼の国と友好を結びたくても、容易に結べるものではありません」
イーグルに同意したのはセ二ョフである。彼女は膝の上で眠るカランを撫でながら、苦笑を滲ませていた。
「予言と未来視に長けた方々ですから、私たちの今こうしているやり取りも、もしかしたら知られているのかもしれませんね」
「そうですな」
「全くです」
セ二ョフの独り言ちたような台詞に、次々と賛同の声が上がった。
「ところでイーグル殿。先ほど花嫁が独自にパンピニョンを手配したとおっしゃいましたが、それはすなわち結婚式で使用された大量のパンピニョンは、ロムト国で手配したものはないということですかな?」
「はい。プロンツ国側から贈られたものでも、買い取ったものでもありません。花嫁自身が元々所有していたものを使用したのですよ」
その発言にイザベルは内心驚くが、決して顔に出すことはない。イーグルは何か考えがあって述べているのだろうと、イザベルは黙って成り行きを見守る。
周囲は、イーグルの発言に驚きや好奇心を隠せない。
「真とは思えませんな。おかしいではありませんか? パンピニョンは、プロンツ国から入手するしかないはず」
ぶつぶつと謎が解けない男性に、イーグルはわざとらしく片眉を上げる。
「おや、ご存じありませんか? パンピニョンの出どころは、かつても今もあの老師なのですよ。彼が、イグナシオと結婚する可愛い孫娘に渡したとて、なんの不思議もないでしょう」
その説明には、周囲は皆一様に微苦笑を浮かべた。
イザベルだけは、そうもっていったかと、ふうと安堵の息を吐く。
「おっしゃる通りだ」
「理解できました」
イーグルの述べたことが、一般に公にされている事実が大半だからこそ、その場にいた者たちはイーグルの少しの嘘に全くもって気づく気配はない。
一般に公にされている事実が、必ずしも真実とは限らないのだ。
かつてこの世界で悪役非道の権化と称された老師が、溺愛している孫娘にパンピニョンをあげたことは、一度たりともない。また、パンピニョンの出どころは、厳密には老師の妻と孫娘にあたる。
そもそも、プロンツ国にパンピニョンを売っているのは、プロンツ国先々代族長の娘であり、老師の孫娘であり、イーグルのいとこであるイグナシオの妻という肩書きを持つ、一人の女性だ。
その女性が、善意でイーグルたちにパンピニョンを時々無料でくれるのだから、プロンツ国がパンピニョンをロムト国に優遇する必要は正直ない。
また、彼女自身の結婚式に、パンピニョンを参列者に大盤振る舞いしたのも、彼女がパンピニョンの出どころたる所以だ。
諸事情により、実はその女性、パンピニョンの真の値打ちを未だよく理解していない。彼女の周囲も、敢えてパンピニョンの有能さを、彼女にははっきり教えないでいる。
だから、彼女はパンピニョンは食べると多分体に良くて、人によっては美容にもよく、一時的にちょっと見た目が若返る、売ると高値の果実と思い込んでいた。寿命が延びたり、あらゆる病気や怪我も完治したりする効果もあることなど、彼女は知る由もない。
それらの事情を知っているのは、この場ではイーグルとイザベルだけだ。
* * *
「実は、パンピニョンが私たち一族を厄介事から救ってくれるかどうか、まだ試したことはないのですよ。試したくとも、入手が困難ですから」
それからしばらくして、セ二ョフがそんなことを口にした。話しかけた相手は、ドゥロ一族の一部の者たちの厄介な事情を解決する糸口として、パンピニョンを引き合いに出した中年の男性である。
「では、試す価値はある、ということですね」
「ええ。ゆくゆくは試すつもりです」
話の流れから、また自然とイーグルとイザベルに周囲の視線が向く。その視線の意味が、分からない二人ではない。
「パンピニョンを持っておらず、悔しい限りです」
そう発言したのは、酒に飲まれ気味の、セ二ョフに特別な思いを抱いているらしき男性である。彼は、他意があって、その言葉を発したつもりはないように見える。
しかし、機会を窺っていた他の者たちは、それを利用せんと後に続いた。
「私もですよ。持ってさえいれば、すぐにでもお渡ししたのですが」
「そうですな、お役に立てず残念です」
「お力になれず申し訳ない限りで・・・・・・」
それからも、何人かの者が似たような言葉を繰り返していく。
白々しい三文芝居をする面々の中には、イグナシオの結婚式に参加していた顔ぶれもある。結婚式の参加者には、パンピニョンを加工したものが土産として配られていた。果たして彼らが今「道具」の中にそれらを持ち合わせていないのか、甚だ怪しいものである。緊急時のために、少しでもそれらを残しておいていても、なんらおかしくはない。
(自分たちが持っているパンピニョンの加工品は、絶対に渡したくない)
(イーグルとイザベルなら、絶対にパンピニョンかその加工品を持っているに違いない)
(さあ、もったいぶらず、差し出してみろ)
私利私欲と嫉妬と悪意にまみれた、そのような心の声が、容易に聞こえてくるかのようだ。
だからこそ、イーグルは心の中で嘲笑し、イザベルも内心冷ややかな視線を送りたい気持ちでいっぱいだ。
イーグルとイザベルは、確かにパンピニョンを持っている。
二人にとって、セ二ョフにそれを渡すことを惜しいとは思わない。むしろ、セ二ョフたちドゥロ一族の役に立つなら、喜んで渡したい次第だ。
だが、今ここで容易にそんなことはできようもない。
各国の要人たちが顔をそろえる中で、招待国であるア=ラウジ国の代表だけにパンピニョンを渡すことは、リスクもある。
様々なことを予測し、良心的な対応をしたくても取れないことだってあるのだ。
さてどうするかと、イーグル・イザベル夫妻が考えを巡らし言葉を発するよりも早く、セ二ョフが口を開いた。
「その温かいお気持ちだけで、私たちには十分でございます。皆様、そこまで私たちのことを思ってくださり、感謝いたします」
セ二ョフの気持ちのこもったその言葉で、もうイーグルもイザベルも、二人に追い打ちをかけようと目論んでいた輩も、何も言わず仕舞いで締めくくられる。
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