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見聞録
キュウテオ国編 ~特別な猫の尻尾①~
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国家間を行き来する定期船が、予定時刻とさほど差異なく、目的地の港に到着する。
定期船からは、目的地である国に用がある者たちがぞろぞろと降りてきた。
「ここがキュウテオ国ですか」
最後尾辺りで船から降りた、一見少女らしき人物は独り言ちた。
波風がやや高くなり、彼女の背後からぶわっと勢いのある風が吹き抜ける。ハーフアップでアレンジされた下の、結われておらず癖のない真っ直ぐな長い深紅の髪が、風と自由に戯れて楽しそうだ。
彼女は、初めて足を踏み入れる土地の、遥か彼方に目を向けていた。港町から少し離れた奥は、緩やかに標高が高くなっていく。視線を先へ上へと動かしていけば、青々とした木々が生い茂る小高い山が聳え立つのが目に映る。
彼女の薄葡萄色の瞳は、徐々に細められ、新天地への期待と楽しみでキラキラと煌めいている。口角は僅かに上がっていた。
「こちらもまだ暑さがじんわり残っているね」
彼女の背後から、率直な感想を抱いて優しい声をかけた男性がいた。物腰柔らかな、見た目は容姿端麗な若者である。中性的な顔立ちは秀麗で、女性と見紛うような妖しい奇麗さを滲ませていた。
気分を爽快にさせる、雲が少ない透き通った碧空を、濃紺の短髪の上に手を翳しながら、彼は涼し気な水色の瞳で観賞している。
そんな彼を振り向いて見た少女は、にっこりと笑う。上空に広がる空を真似たような笑顔だった。
「そうですね。スフェンお義兄様」
同意して、少女も彼と同様に空を仰いだ。
この国には、二人が知る他国と同じく四季がある。
夏が徐々に終わりを告げ、秋へと移ろい変わる・・・・・・そのようなウルターヌスの月に入っても、この国の夏は未だ健在だ。照りつける夏の日差しはあまり強くないが、弱くもない。今現在この場での日中の装いは、真夏の格好で事足りる。
港から見られる海面は、そんな日差しと熱さ・暑さをきれいに象徴していると見える。降り注ぐ陽光を反射して、所々宝石を散りばめているかのように、海面を光らせていた。
自然風景を堪能する二人に、早く先へ促そうとするものが一匹。それは、子どもではないがまだ大人になりきれていない大きさのトラに、近い生き物だった。
正式名称はティーグフと呼ばれ、ロムト国民からは『森の番人』と称される。白い毛並みにトラ模様の黒い縞が入った、白いふさふさの鬣を持つ、ぬいぐるみ感の拭えない、猫っぽいモンスターである。
そのティーグフ自身は糸目で少し眠そうな印象に思えるが、その瞳が開けばブルーの瞳を拝むことが出来る。かわいいピンクの鼻先で、スフェンと呼ばれた男性の腰をぐいぐいと押していた。
スフェンはその行為の意味が分かっているからこそ、軽快に笑ってしまう。
「分かっているよ、オスカー。君の目的が、港町で売られている脂ののった魚だってことはね」
オスカーと呼ばれたティーグフは、スフェンを押すのを止めると、尻尾をゆったりを揺らす。まるで尻尾が、分かっているなら構わないと告げているかのようだ。
現に、オスカーの顔は綻び、港町で売られている魚たちに期待が募っている。
彼と同じように、少女もこの港町で評判と噂のとある魚肉練り製品に、思いを馳せていた。
オスカーと彼女はそれらのおいしさを想像し、唾液が込み上げてくる。
そんな一匹と一人に、スフェンはすまなそうな顔で、残酷な真実を告げた。
「でも、残念なことに港町を散策する時間はないようだ」
スフェンの意識が向いている方向からは、この国の者たちが少人数で彼らのいる方向へ近づいてきている。
予めスフェンたちのこの訪問は伝わっている。おそらくは彼らの出迎えだろう。
スフェンの本当に向かう先は、近くの港町ではない。この国の中央に聳え立つ山の中腹、そちらの開けた場所に集落を為す、この国の首都なのだ。
観光は二の次三の次。スフェンはこの国には仕事で足を運んでいる。
対して、オスカーと少女は、観光:仕事=9:1程度でスフェンに同行した次第だ。
だが、聞き分けのない一匹と一人ではない。そこは仕事が大切だと割り切り、一匹は目に見える耳と尻尾を、一人は目に見えないそれらをしょんぼりさせて、しおしおと大人しく引き下がった。
美味なる海の幸が待っているはずの港町に向けて、オスカーが猫に似た切ない鳴き声を振り絞る。続いて彼女もぼそりと呟いた。
「揚げたてのはんぺん、食べたかった・・・・・・」
オスカーと同じく切なそうに振り絞られた言葉は、この世界の世界共通語ではない。
一匹と一人の切ない訴えは、海鳥の鳴き声と波の音に攫われて、かき消されていった。
「大丈夫だよ。滞在先でも魚料理はふんだんに振舞われるはずさ」
絶望するオスカーと少女の素直な姿に、スフェンは品よく陽気に聞こえるような声で笑った。次いで、オスカーの下顎を優しい手つきでスフェンは撫で上げる。
オスカーの首には、ヌメ革とゴールドの金具で出来た首輪が嵌められている。正面中央には、黒い輪っか状のリングが鈴代わりに付けられていた。
一匹と一人は、スフェンに面白がって揶揄われていることなど、さして気には留めない。むしろ、スフェンの言葉に救われたかのように、曇天からやっと差した光の如く、顔を明るくしたのであった。
定期船からは、目的地である国に用がある者たちがぞろぞろと降りてきた。
「ここがキュウテオ国ですか」
最後尾辺りで船から降りた、一見少女らしき人物は独り言ちた。
波風がやや高くなり、彼女の背後からぶわっと勢いのある風が吹き抜ける。ハーフアップでアレンジされた下の、結われておらず癖のない真っ直ぐな長い深紅の髪が、風と自由に戯れて楽しそうだ。
彼女は、初めて足を踏み入れる土地の、遥か彼方に目を向けていた。港町から少し離れた奥は、緩やかに標高が高くなっていく。視線を先へ上へと動かしていけば、青々とした木々が生い茂る小高い山が聳え立つのが目に映る。
彼女の薄葡萄色の瞳は、徐々に細められ、新天地への期待と楽しみでキラキラと煌めいている。口角は僅かに上がっていた。
「こちらもまだ暑さがじんわり残っているね」
彼女の背後から、率直な感想を抱いて優しい声をかけた男性がいた。物腰柔らかな、見た目は容姿端麗な若者である。中性的な顔立ちは秀麗で、女性と見紛うような妖しい奇麗さを滲ませていた。
気分を爽快にさせる、雲が少ない透き通った碧空を、濃紺の短髪の上に手を翳しながら、彼は涼し気な水色の瞳で観賞している。
そんな彼を振り向いて見た少女は、にっこりと笑う。上空に広がる空を真似たような笑顔だった。
「そうですね。スフェンお義兄様」
同意して、少女も彼と同様に空を仰いだ。
この国には、二人が知る他国と同じく四季がある。
夏が徐々に終わりを告げ、秋へと移ろい変わる・・・・・・そのようなウルターヌスの月に入っても、この国の夏は未だ健在だ。照りつける夏の日差しはあまり強くないが、弱くもない。今現在この場での日中の装いは、真夏の格好で事足りる。
港から見られる海面は、そんな日差しと熱さ・暑さをきれいに象徴していると見える。降り注ぐ陽光を反射して、所々宝石を散りばめているかのように、海面を光らせていた。
自然風景を堪能する二人に、早く先へ促そうとするものが一匹。それは、子どもではないがまだ大人になりきれていない大きさのトラに、近い生き物だった。
正式名称はティーグフと呼ばれ、ロムト国民からは『森の番人』と称される。白い毛並みにトラ模様の黒い縞が入った、白いふさふさの鬣を持つ、ぬいぐるみ感の拭えない、猫っぽいモンスターである。
そのティーグフ自身は糸目で少し眠そうな印象に思えるが、その瞳が開けばブルーの瞳を拝むことが出来る。かわいいピンクの鼻先で、スフェンと呼ばれた男性の腰をぐいぐいと押していた。
スフェンはその行為の意味が分かっているからこそ、軽快に笑ってしまう。
「分かっているよ、オスカー。君の目的が、港町で売られている脂ののった魚だってことはね」
オスカーと呼ばれたティーグフは、スフェンを押すのを止めると、尻尾をゆったりを揺らす。まるで尻尾が、分かっているなら構わないと告げているかのようだ。
現に、オスカーの顔は綻び、港町で売られている魚たちに期待が募っている。
彼と同じように、少女もこの港町で評判と噂のとある魚肉練り製品に、思いを馳せていた。
オスカーと彼女はそれらのおいしさを想像し、唾液が込み上げてくる。
そんな一匹と一人に、スフェンはすまなそうな顔で、残酷な真実を告げた。
「でも、残念なことに港町を散策する時間はないようだ」
スフェンの意識が向いている方向からは、この国の者たちが少人数で彼らのいる方向へ近づいてきている。
予めスフェンたちのこの訪問は伝わっている。おそらくは彼らの出迎えだろう。
スフェンの本当に向かう先は、近くの港町ではない。この国の中央に聳え立つ山の中腹、そちらの開けた場所に集落を為す、この国の首都なのだ。
観光は二の次三の次。スフェンはこの国には仕事で足を運んでいる。
対して、オスカーと少女は、観光:仕事=9:1程度でスフェンに同行した次第だ。
だが、聞き分けのない一匹と一人ではない。そこは仕事が大切だと割り切り、一匹は目に見える耳と尻尾を、一人は目に見えないそれらをしょんぼりさせて、しおしおと大人しく引き下がった。
美味なる海の幸が待っているはずの港町に向けて、オスカーが猫に似た切ない鳴き声を振り絞る。続いて彼女もぼそりと呟いた。
「揚げたてのはんぺん、食べたかった・・・・・・」
オスカーと同じく切なそうに振り絞られた言葉は、この世界の世界共通語ではない。
一匹と一人の切ない訴えは、海鳥の鳴き声と波の音に攫われて、かき消されていった。
「大丈夫だよ。滞在先でも魚料理はふんだんに振舞われるはずさ」
絶望するオスカーと少女の素直な姿に、スフェンは品よく陽気に聞こえるような声で笑った。次いで、オスカーの下顎を優しい手つきでスフェンは撫で上げる。
オスカーの首には、ヌメ革とゴールドの金具で出来た首輪が嵌められている。正面中央には、黒い輪っか状のリングが鈴代わりに付けられていた。
一匹と一人は、スフェンに面白がって揶揄われていることなど、さして気には留めない。むしろ、スフェンの言葉に救われたかのように、曇天からやっと差した光の如く、顔を明るくしたのであった。
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