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4章 ティートリーの季節

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「ま、僕の父は亡くなってるから。何にも言うことができないんだけどね。そう言った意味だと、莉緒ちゃんが羨ましいや!」

「一緒にしないで」

「……え?」

「真輝人君のお父さんの弱さと、私の父の弱さを、一緒にしないで」

 パッと目を上げると、莉緒ちゃんが目を尖らせて、眉毛をピクピクと震わせていた。あまり受けたことのない凄みに、唾を飲んでたじろいでしまう。
 静かな声と物凄い剣幕で、僕に牙を向けており、何が何だかわからない状態になった。ただただ動揺をしながら、莉緒ちゃんに謝ることしかできない。

「ご、ごめん」

「真輝人君は何もわかってないよ。勝手に全部知った気になって、勝手に私を励まして。もっとちゃんと考えて発言すれば」

 額に青筋を張って、僕に顔を近づけてくる。
 それを聞くまでは、何で怒られているかわからなかったけど、今の発言で腑に落ちた。
 僕は良かれと思って、莉緒ちゃんが羨ましいという発言をしたのだ。
 比べる気は全くなかったけど、僕の父がいないことは疑いようのない事実で、莉緒ちゃんには父親が存在している。自虐の意味も込めてした発言だったけど、莉緒ちゃんからしたら笑えない冗談だったのだろう。
 だけど、ここまで怒りをぶつけられるとは思わなかった。別に悪気があったわけではないのに。
 僕の中にも湧き出てくる感情を、抑えることができない。これ以上何かを返すと喧嘩になることくらいは想像がつく。
 でも、このまま黙って頭を下げていても、自分にストレスを抱えるだけだ。
 気がつくと、僕も口を尖らせて反論していた。

「莉緒ちゃんが暗い顔をしてたから、善意のつもりで言ったのに。そんな言い方しなくてもいいじゃん」

「そんなの頼んでないし、無神経過ぎるよ」

「無神経って……莉緒ちゃんこそ、神経質なんじゃないの」

「……話にならないね」

 短くて荒い会話が、莉緒ちゃんの言葉を最後に途切れた。
 ムッとした顔のまま立ち上がって、施設内の更衣室に入っていく。僕はその後ろ姿を目で追いながら、多大な罪悪感に襲われていた。
 いや、この喧嘩に関しては僕が悪いとは思わないし、気の弱い僕だとしても、発言しなければいけないところだっただろう。
 生まれて初めてした喧嘩の後味は、最悪だ。でも、引くわけにはいかない。今まで感じることのなかったプライドが、自分の中に芽生えていることを実感した。

「真輝人、そろそろ帰るぞー! あれ、莉緒ちゃんは?」

「ああ、ちょうど着替えに行ったんじゃないかな」

「そっか、じゃあ俺たちは先に車行ってようぜ!」

 智也は僕と違って、最高潮に明るい気分だろう。
 智也のお父さんも同じような充実感を得ているのか、二人共終始笑顔だった。一人寂しく後部座席に座ると、遅れて莉緒ちゃんが入ってくる。
 僕に目を合わせようとはせず、智也たちに「待たせてごめん」と大袈裟に謝っていた。

 誰も話す気力がないのか、帰りの車内は、ほとんどの時間を沈黙で過ごした。時折、智也のお父さんが「トイレ大丈夫か」とか「コンビニ寄るか」とかを、僕たちに聞いてくれるだけ。それ以外は、各々が車窓からの景色を眺めていた。
 前の席の二人は、単純に体を動かした疲労感のせいで、声を出せないのだろう。それに比べて、後部座席の僕たちは、精神的な疲労で声が出ないだけだ。
 人といがみ合うというのは、物凄い体力を使う。
 喧嘩なんかするもんじゃないなと心で思いながらも、莉緒ちゃんの方は向けないでいた。

「莉緒ちゃん、公園に着いたけど……帰りもここでいいの?」

「うん! ここで大丈夫。今日はありがとうね」

「おっけー! じゃあ次会う時は冬休み明けだね! よいお年をー!」

 結局、あの喧嘩以降、言葉を交わすことはできなかった。
 莉緒ちゃんを降ろしてからも、沈黙は続く。智也の言う通り、次に莉緒ちゃんと会うのは、冬休みを開けた後だ。今年はもう会うことはない。
 そんな考え事をしていると、すぐに僕の家についた。冬休みなのにも関わらず、道はそこまで混雑していなかったみたいだ。
 智也と智也のお父さんに感謝を伝えて、車を降りる。智也は僕にも「よいお年を」と言ってくれた。照れながら「よいお年を」と返すと、智也は嬉しそうに笑った。

 家の前で、皮膚から湧き出る汗を拭う。特に額から垂れ落ちる、この冷や汗を綺麗に拭き取りたかった。
 顔の近くにハンカチが来る度に、ティートリーの香りが鼻を刺激してくる。
 スースーするような匂いは、相変わらず効力を持続させており、僕の神経を休ませてくれるようだった。

 ようやく増えた大切な友達と、僕史上一番の大喧嘩をしてしまった。
 まさか、家族の話を発端に、こんなに対立させてしまうとは。
 前までの殻にこもっていた自分だったら、気持ちをぶつけ合うなんて、できなかったことだ。それは成長と捉えることもできるけど、後味が悪過ぎて、嫌な気持ちになった。
 またしても、人と関わる上でのしがらみを実感することになるなんて。

 このティートリーの匂いは、苦い記憶として、僕の脳内に刻み込まれるだろう。
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