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3章 ラベンダーの優しさ

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「私を助けてくれたのは、いつもアロマだったのよ。さっき町田様にも話したけど、アロマを通じて多くの成長をさせてもらった。学生の時も、アロマの勉強をしていた私を面白がってくれて、友達がいっぱいできたしね」

「アロマが?」

「ええ。そういった意味では、母には感謝しているわ。両親が離婚した原因は母の方にあったみたいだけど、それも気にならなくなったし」

「そうだったんですか……」

 僕も優衣さんも、両親には少なからず悲しい思い出があるだろう。
 僕の母の場合は父とは死別だったけど、優衣さんの両親は離婚だったなんて。
 七歳の時だったみたいだし、相当複雑な思いをしたはずだ。
 そんな辛い中でも、アロマが優衣さんの人生を支えたということか。
 物心がついてからもそれを武器にして、自分の手で道を切り開いてきた。そう考えると、優衣さんが僕に伝えたいことがわかってきたかもしれない。

「だからね……真輝人君も、これだっていうものを見つけることができたら、何でも乗り越えていけるんだよ。学校で辛い思いをしても、嫌なことがあっても、何かに没頭できるものがあれば、それだけで乗り越えられるの」

「優衣さん……」

「真輝人君にとって、それがアロマじゃなくてもいい。違うことでもいいから、あなたの支えを作って」

 最初は、一体何の話が始まるんだろうと思ったけど、こんなにちゃんとしたメッセージ性があったのか。
 優衣さんは、僕が学校で嫌な思いをしたということを、表情で察してくれた。そして、自分の経験を引き合いに出して、勇気づけてくれたのだ。
 そんなことを言われるとは思わなかったので、若干感動をしている。

 僕にとっても、アロマは一つのきっかけだった。
 智也は別として、莉緒ちゃんとも仲良くなれたし、屈折した自分を見つめ直すこともできている。
 自分を豊かにしてくれている感触があるからこそ、町田君がそれを無惨にも取り上げようとしているのが、ショックで堪らない。
 再び町田君のことを思い出して、また胸がざわついてくる。
 優衣さんが勇気づけてくれたから、まだ何とか自我を保てているけど、本来の僕だったら早退しているところだ。

「まあ、辛いことがあったら、いつでも私を頼っていいからね! 本当の姉のように接して!」

 心強い言葉を聞いて、僕は少しだけ泣きそうになった。
 僕の表情を確認せずに、優衣さんは立ち上がって、まだオイルを垂らしていないディフューザーの前に向かう。
 電源だけついていることを不思議に思っているみたいだけど、僕には何も聞いてこない。優衣さんは、何の香りを垂らすか悩むような素振りを見せている。

「やっぱり今日は、この香りにしようか」

 二滴ほどディフューザーに垂らしたオイルは、ちょっと遠い僕の位置からでも把握することができた。あのラベルの色は、僕が散々見ていた色だから。
 すぐに匂いも漂ってきて、僕はあの夏を思い出す。
 そう……優衣さんが選択したアロマオイルは、ベルガモットだった。

「ベルガモットはね、母が一番好きな香りだったの。だから、私も好きなのかもしれないな……」

 優衣さんは淡い記憶を思い出しているのか、ディフューザーから発される蒸気を見つめながら、しばらく動かなくなっていた。
 僕も合わせるように、ゆらゆらと揺れる蒸気を見つめる。

 父さんも、こんな風に人間たちの中で揉まれて、耐えながら生きていたのかな。
 僕と同じように、色んな人の言動が気になって、ちょっと攻撃されたら何もかもが嫌になってしまう。
 そんな優しい性格が災いして、いっぱいいっぱいになってしまって、結局自殺という選択を取るに至ったのだろう。
 僕はそうなりたくないから、殻に閉じこもって、人に飛び込むことをしないで生きてきた。
 優衣さんに出会うまでは……そんなつまらない人生だったのだ。
 だけど、このお店で働き始めて、前向きに人生を楽しむのも悪くないと思えた。
 智也も莉緒ちゃんもそんな僕を応援してくれているし、精神的にも上手くいっていたのに……今日、久しぶりに嫌なことがあって、また悲観してしまった。

 それでも、優衣さんの言葉を聞いたら、僕は一人じゃないということを思い出すことができた。
 優衣さんの言うように、僕には支えてくれるものがあるから。
 このお店によって、僕の心は救われているのだ。
 父が諦めてしまった、この複雑な人間関係の中で、僕は生きていこうと思える。

 気持ちの変化を再確認できた僕は、目の前の現実から目を背けないことにした。
 僕なりの生き方で、このバイトが校則違反ではないことを、証明してみせる。
 様々な心情が渦巻いたとはいえ、結局早退することなく、今日のバイトをやり切ることができた。
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