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四章 これが人生

悲しみを背負って⑥

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「でも……風太君は、私のことを気遣って、あえて言ってくれたんだと思います」

 確かに風太君の言葉がなければ、ここまで匠さんについて詮索はしていないし、今頃も変わらずにサロンに通っていただろう。風太君は、私が悲しむ姿を想像したのかもしれない。
 匠さんが死んで、私が立ち直れなくなる想像をしたから、だから口をついてくれた。
 この現実と向き合わなければいけなくなった辛さはあるけど、それは決して風太君のせいではない。
 混濁の中にある脳内でも、それくらいは感じ取ることができた。

「まあ……そうだね。風太のこと、これからもよろしく」

 匠さんはポケットに手を突っ込みながら、電灯の下まで移動した。
 蛾がバタバタと光にぶつかっているのを見上げながら、淡い声で「やっぱり夏は暑いな」と呟いたのが耳に入る。
 その背中を見ていたら、この手で匠さんに触れたくなった。
 そして、どこにも行かないように、がっちりと抱きしめたくなった。
 思い立った瞬間に、匠さんのすぐ後ろまで素早く近づく。
 その後に、涙腺が崩壊するように涙を流しながら、匠さんの背中に飛びついた。

「匠さん、死なないでください」

 匠さんに涙が付こうが、鼻水がこぼれようが、どうでもいいと思えた。
 とにかく、死んでほしくない。
 自分本位な願いをぶつけたところで、匠さんが困るのはわかっている。
 それでも、このやり場のない想いを、ぶつけることは匠さんにしかできないから……。
 匠さんの体を抱きしめながら、馬鹿正直な言葉を発した私に対して、匠さんはふふっと微笑んでくれている。

「死なないよ、栞ちゃんをセラピストにする日までね」

「え?」

「もう、栞ちゃんの心は十分に温かいよ。俺なんかいなくても大丈夫なくらいに。でも……まだ死ねないんだ。栞ちゃんが新しい目標を持ってくれたから。今の俺が生きている理由は、栞ちゃんを立派なセラピストに育てるためさ」

 匠さんは胴体にくるっと巻きついている私の手に触れながら、今生きている理由を話してくれた。
 最初に出会った時は、セラピストとして私の心を温めるために、残りの人生を捧げようと思ってくれたはずだけど、どうやらこの数か月で違う理由を見つけたみたいだ。
 それは私が、セラピストを目指すことを決めたから。
 リフレクソロジーの勉強が、私の人生を豊かにしてくれているのは事実で、そのおかげで『死にたい』なんて思いつくこともなくなった。
 私はもう堕ちることがない……そう判断した匠さんは、私がセラピストになるまで支えるという人生にシフトした。
 その言い方が、死ぬことが確定しているみたいで、当然のようには受け入れられない。

「私がセラピストになった後も、一緒にいてくださいよ……」

 ぐすんという鼻声のまま、匠さんの背中に向かって必死に懇願する。
 匠さんは私の想いに、答えることはしなかった。
 もし、わかったって言ってしまったら、それは嘘になるだろうから。
 匠さんが死ぬことは、もう確定していることなんだって、その無言で思い知らされてしまった。
 きっと匠さんは困っている……変えたくても変えられないような未来なのに、その先を望まれるなんて、どれほど苦しいことだろうか。
 静寂が続き、何にも喋らなくなった匠さんを、そっと解放してあげた。
 離れた手が、物寂しさを語るように、とても軽くなったのを感じる。
 これ以上匠さんに、身勝手な願望を伝えたら、きっと余計に辛くなっていくはず。
 自分が行っている行為が、匠さんのためにはならないと気づいたことが、とにかくもどかしい。

「栞ちゃん、ごめんね。でも、これが俺の人生だから。だから……」

「……だから?」

「だから、またサロンに来てほしい」

 これが、匠さんの人生。残りの時間は、私のために使ってくれる。
 私が立派なセラピストになるまで、匠さんは生きてくれるはず。
 そうだとしたら、私は……まだ匠さんの隣にいたいから、まだまだ温もりを与えてほしいから、この志だけは失ってはいけないんだ。

「これからも……よろしくお願いします」

 私が小さい声で答えると、匠さんは天を仰ぐようにして上を向いた。
 その顔つきは、現実を恨んでいるようにも見えるし、覚悟を決めているようにも見える。
 電灯に照らされている匠さんの表情からは、生命の美しさみたいなものを感じ取れるくらい、私の瞳に綺麗に映っている。

 一生、このままでいられればいいのに……。
 儚い願いが、真夏の夜の暑さによって、シュワッと溶けていくみたいだ。
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