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三章 諦めてくれない?

正反対の二人④

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 このサロンに通い始めてまもないけど、二人でいる空間には、ある程度慣れることができた。
 練習の開始を宣言するように、匠さんがリクライニングチェアに寝ころぶ。
 私は教材を見ながら、実際に匠さんの足裏に刺激をしていった。
 最初は匠さんの見よう見まねで指を動かしていたけど、匠さんが「もう少し強く」とか「あと一ミリだけ上」とか、実際に私の圧加減を感じながら指導してくれるおかげで、何となくやり方がわかってきた。
 匠さんの言葉を何でも吸収できる今の状態が、おそらく最も楽しい時期だろう。

「うん、だいぶ感触掴めてきたんじゃない? 始めてまだちょっとしか経ってないのに、ここまでできるのは凄いよ」

 集中しながら匠さんの足裏を見ていたため、顔つきに遊びは出せていなかった。
 匠さんの称賛の声は、私の硬直した顔が一斉に崩れるような、柔らかさをもたらしてくれる。
 甘くて優しい言葉たちが、私がこれを頑張る原動力になっているのは、疑いようのない事実だった。

「あ、ありがとうございます」

「だけど、この指をここに置いて……こう、こっちの方が圧をかけやすいよ」

 お客様役として寝ているはずなのに、わざわざ上半身を起こして、指の置き方を工夫してくれた。匠さんとの距離がますます近くなって、鼓動の高鳴りが早くなってくる。
 まずい……そっちに気を取られていると、練習に集中できない。
 意識を高めて手元を見ると、匠さんが作ってくれたフォームが、私の指の動きをより滑らかにしてくれるように感じた。
 ちょっとだけ指の置き方を変えただけで、こんなにやり易くなるなんて。
 楽しくなって、匠さんの足裏をしつこく刺激してしまう。
 今の私の指は、まるで草原を駆ける馬のように、匠さんの足裏を走り回っていた。

「いいねー、栞ちゃん完璧にコツ掴んだでしょ。とても心地良いよ」

「いえ、匠さんの指導のおかげです!」

 施術の形が出来上がったのを確認すると、匠さんは起こしていた上半身をそっと倒した。
 天井を、遠い目で見つめている。
 何か考え事でもしているのだろうか、それから小一時間は、匠さんの声を聞くことはなかった。

”カランコロン”

「兄貴ー、いるー?」

 無言が続いていた空間に、扉についている鈴の音が、大袈裟に鳴り響いた。
 突然鳴った大きな音に驚いた私は、匠さんの足裏から手を離してしまう。
 それと同時に、その声の方に顔を向けてみると、一瞬で頭の中が痺れるような感覚に襲われた。
 その人物は、紛れもなく、さっきまで大学で見ていた顔だったから。

「……樺山?」

「う、うめの……君?」

 ここで会うなんて思いもよらなかったので、開いた口が塞がらない。
 それは梅野君も同じみたいで、二人して絶句している時間が、その場を包み込んでいた。今、確かに兄貴って聞こえたけど。
 もしかして……私の予想は的中してしまったのか。
 確かめたいけど、上手く声帯を震わせられる自信がなかった。
 お互いに言葉を発さないで驚いていると、面白そうにしている匠さんが、先陣を切って話し始めてくる。

「え、何? 栞ちゃん、風太のこと知ってるの?」

 口元を手で覆いながら聞いてくるけど、匠さんの目元は垂れ落ちている。匠さんは、二人の関係性に、深い興味を抱いているようだ。
 別にここで嘘をつく必要はないし、何の疚しさもない。
 ただただ、語学のクラスが一緒なだけということを、当たり前のような顔をして話す。
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