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ニックスが眠り母が二人きりになりたい雰囲気を隠さないので、私は気持ちを切り替え広間に戻った。だいぶ時間が経ってしまったが、今後の方針などある程度まとまったものを聞けるだろう。

悪魔の僕どもはヴァルカーレ監獄に収監される。王子に任せておけばそれでいい。

私と、兄と、父には、マスグレイヴ城の修繕工事という差し迫った課題がある。
今日の襲撃が公的にどのような筋書きになるか、正しく把握しなければならない。

果して広間は異常な緊迫感に支配されていた。
何かしらの不測の事態が兄と父を硬直させ、王子が一人、訳知り顔で佇んでいる。

「ニックスは?」

父が私に短く問うた。
此方に目も向けず乾いた声なのはいつものことだが、過去の出来事を知った今、私の心は今までとは違う受取り方をしている。

父親ではない。
かつて私の母と実の父親を守り、私を娘として育て上げたマスグレイヴ伯爵。今もニックスを気にかけている。

何も得るものはないのに、ただの人情だけで私たち一家を守り抜くのか。
私に与え続けた、寄せ付けない不気味な雰囲気は故意的なものだったのか。わからない。

父は兄に対しても今や私と同じように接している。
兄が誕生した日、嘔吐するほど嫌悪感を覚えたというかつての父。

愛情深いとさえ悟らせない程の秘密を抱えている。

「少し話してから眠りました」

私が答えると、父は僅かに安堵の表情を見せた。
兄と王子の目がある手前、母が付き添っている事実は伏せておく。

「こちらへ。お前に話がある」

父に呼びつけられ私は素直に応じた。
当然ながら私が席を外した間の報告を受けるのだと思っていた。

兄の横をすり抜ける際に無意識に目を遣ると、兄は無表情だった。
王子が私をずっと目で追っていた。どうやら収監される三人についてアベル王子から話があるようだった。

そんな私の予感は大きく外れる。

父の前に立った私に王子が歩み寄って来る。
私は背筋を伸ばし待ち受け、対峙した。

そして王子が跪く。

「?」

状況が呑み込めず、当日の疲労も相俟って完全に思考が停止した。

そしていっそ蹴りたくなった。
私が求めていたのは報告だ。これ以上、私に深刻な新事実を与えないでほしい。

「フランシスカ。私の妃になって欲しい」
「……あの……」

若干とは言い難い苛立ちの後、事態を悟った。

「え?」

私を驚かして遊ぼうという悪戯が許される日ではない。
それでも数秒、冗談だという一言を待った。

併し父親の前で言っていい冗談ではない。兄もいる。

「え!?」

私は兄の方へと振り返り説明を求めた。或いは王子を諫めてくれることを心の底から期待した。

兄は微動だにしなかった。

「……?」

様子がおかしい。
私が目の前で王子に求婚されているというのに何も思わず行動しないなどおかしい。

「私はお兄様の共同統治者としてマスグレイヴ城で生きていくはずでしょう?」
「オリファント伯爵令息を無難に収監する理由になる。王子の寵愛を受けていれば軽薄な婚約者に婚約破棄を突き付けても誰も文句は言わない」

父の声に再び真逆に体を向ける。

「お得意の嘘ですか?」
「そうだ」

即答された。
命を懸けて私を守り抜いたニックスの容態を見に行かせた以上、父の方も私が真実を聞かされただろうと弁えているのだ。

「嫌です」

父に言っていた。
跪いたままの王子が私の手を取った。

「?」

私は王子が何かを取り出す素振りを見せる前に迅速に手を引き抜いた。

「私は結婚を諦めました。悪人どもはどうぞ裁いてください。私は領地を守りますので」
「フランシスカ。貴殿の父上の言うような意図もある。だが私が君に恋焦がれているのもまた事実なんだ」
「……今日カノン砲を撃ちこまれたところなのですが?」
「だからこそ、何処よりも安全な場所で生涯守りたい」
「宮殿で?」

このまま王子を説き伏せようと奮闘するのは不毛だ。
しかし父は嫌がる結婚相手しか連れて来ないし、兄は沈黙している。そして王子は真剣な眼差しで私を見上げ言い募る。

「そうだ。私自身の行いのせいで白い目を向けられることはあれど、妃殿下の権威は揺るぎなく君を守る」
「私が生きている間に再びこの度のような脅威に見舞われるとすれば脱獄者のせいです。ヴァルカーレ監獄から脱獄者は出ませんね?守って頂く必要はありません」
「好きだ」
「求婚は命令ですか?女はただ頷くのが義務だと?」

腹が立った。
たとえ本気だろうと私の心を無視している。

「相手は王子だ」

兄の声がした。
私はゆっくりと兄の方へ体を向けた。

「やっと口を開いたと思ったら……お兄様の仰りたいのはそんなことなの?」

手に余る一日だった。
兄の外出で気分が沈み、襲撃を受け、実の父親は重傷。私が愛していると承知の上で、私を愛しているはずの兄が他の男の求婚を黙って見ていた。

最悪だ。
兄は、私が王子の求婚を受ければいいと思っている。

「どうして?私、お兄様と生きていくって言ったわよね?」
「……」

兄が曖昧な笑みを刻む。
微細な表情の変化だったが、それは自虐的で私には納得できなかった。

襲撃の首謀者が実の父親だから罪悪感が兄を弱気にしている。
併しそれは関係ないのだ。似ているそうだが、それは顔の造形だけの話。別の精神を宿した別の人間の罪に血の繋がった息子だからといって心を痛める必要はないし、罪の果てに生まれた命だと思っているならそれは親の罪であって兄自身の罪ではない。

両親の事情は理解した。両親も兄に罪がないのはわかっているだろう。それでも兄を残して何処かへ行けない。

何より離れたくない。
他の男と結婚するなんてあり得ない。

何故、止めてくれないの?
バレット……

「殿下。今は、頭が混乱していて……お答えできません。申し訳ございません」

私は既に父に意思を伝えていた。
王子からの求婚を正式に辞するのであれば、私個人よりマスグレイヴ伯爵から丁重に伝えるべきだ。

さすがに私が瓦礫から這い出たかのような姿で震えている今この瞬間に、強引に早まった返答をするような父ではなかった。

全員、気が動転しているのだ。
頭を冷やせば最適な決断に辿り着けるはずだ。

でも父は……
半分は平民の血が流れる私だからこそ、さっさと愚かな伯爵令息と結婚させて手綱を握らせればいいと考えたのだ。マスグレイヴ伯爵令嬢として伯爵家に嫁がせ、私の貴族としての立場を確固たるものにさせようと。

それなら相手が王子に格上げされたこの求婚は好都合なのでは?

兄は?

父は、この世の誰よりも憎む相手の息子を我が子としてこの先生きていけるのだろうか。
バレットなら同じ顔でも容認できるのだろうか。

わからない。

私はバレットと生きていきたいと思っているのに、そうできると信じていたのに、その未来は潰されようとしている。

王子のせいだ。
そうには違いないが、厄介なのは王子が一つも間違っておらず、悪くもなく、誰もが喜んで当然の求婚をしているということ。断る明確な理由が、誰もが納得する理由が捻り出せない。

王子はどうすれば引いてくれる?
王子の求婚を断ればマスグレイヴ伯爵家は王族に盾突いたことになってしまうの?

父は私を妃殿下にしようと決意し、兄も私を引き留めてはくれない。

「失礼します……!」

私は口を押さえ走り去った。
私は父のように嘔吐はせず、嗚咽を堪え駆けた。

一度引き裂かれた母ならわかってくれる。この件については父を説得してくれる。母の愛を守り通した父が私の愛を壊すはずがない。

「──!」

私は衝撃に足を止めた。

「……っ」

そうだ。
気づいてしまった。

私は母のようにはなれない。

私が兄を愛しているからどうなりたいと言うのか。

誰にも祝福されない愛だ。
私たちは公には兄妹なのだから。

跡継ぎの問題もある。

「……まさか」

私はある仮説に辿り着き、息を止めた。
愕然と涙を拭いて走り抜けた廊下を振り返る。

「……」

兄は、バレットはまさか────私を本当の妹だと疑っている?
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