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「まるで俺が本当にあの吸血鬼の実の息子じゃないって信じてるような口ぶりだな」
兄が楽な格好で座り直し寛いだ様子で笑う。
それで私も気が楽になった。いつも通りの二人の雰囲気だ。
「それを言ったらお前も似てないんだぞ?」
「だからそれは私が女だからでしょう?」
「女だったら寧ろ父親に似たかっただろう?男のくせに綺麗な顔して。若い頃はさぞや引く手数多だっただろうな、俺たちのお父様は」
「そうなのよ。お兄様とは全然顔立ちが違う。系統が違うのよ」
「お前も系統が違うよ」
売り言葉に買い言葉という次元を越えて私も兄に疑われているのだと気づいたが、特に悪い気はしなかった。それはとても馴染み深い感覚だったからだ。
「自分でもお父様の娘だなんて疑わしいと思うわよ。でも、お母様のことならよくわかるの」
私にとって疑いようのない事実があった。
「お母様は愛してもいない相手と結婚できるほどお淑やかじゃないわ。愛人から執念深く後妻に収まったくらいはお父様を愛していたのでしょうから、私はあの二人の子なのよ」
「まあ、身分を越えた略奪愛には違いない」
「そうでしょう?」
そこまで言ってから私の母が兄の母親の侍女であった事実も思い出した。母は兄の母親を出し抜いた結果、後妻に収まっているとも言えるのだ。恋敵であり女主でもあったライシャワー伯爵夫人を助けもせず、追放されるままにした。
気まずくなったのは私だけで兄の方はまるで気にしていないらしく、更に笑みを柔らかくした。そのいつになく柔和な雰囲気のまま兄は恐ろしい一言を洩らす。
「どんな拷問で言葉を引き出そうとそれが真実とは限らない。翻弄される人間が一人でも生き地獄を味わえば、嘘は吐き通した奴の一人勝ちだ」
「……」
絶句である。
私が言葉を失っているうちに兄も柔和すぎる笑みを徐々にいつもの表情へと戻していった。
厳しさを潜ませた余裕と、精悍な顔に浮かべる揶揄いを含んだ笑顔。兄の顔になる。
「誰が嘘を吐いていようと、お前が苦しまなきゃそれでいいだろ」
「私……?」
その瞬間、答えの片鱗のようなものが頭の片隅で閃いた気がした。
しかし雷鳴が轟き気が逸れた。
「!」
「おお、荒ぶるな」
「びっくりしたわ……」
「恐いのか?」
私は憤慨に近い気持ちで兄の目を覗き込む。
「雷如きが恐くてこの城に住めるとでも?」
稲光が兄の顔を照らし、また雷鳴が轟いた。雨脚が強くなり窓を打ち鳴らし始める。
「これくらいで泣かれたら先が思いやられると思っただけだよ」
兄の揶揄を受け流しながら私は窓辺に歩み寄り、激しい雷雨を呆然と眺めた。
「これは……お父様は暫く帰って来ないわね。何処で徘徊してるか知らないけれど二三日はそこで足止めよ」
父を案じたわけではなかった。
この地で生きて来た父が雷雨のやり過ごし方も心得ていないはずがなく、ただ事実として、帰還途中だとしたら足止めを食うと思っただけだ。
兄が背後に立つ。
私の頭越しに窓の外を眺めているようだ。
「……」
隣に立つことも日常になり、兄の気配や場合によっては体温まで感じる瞬間は珍しくはなくなっていた。
それでも間近に兄が立つと、私の心の中で悟られたくない喜びが跳ねる。
わかったことは、兄も血筋について兄なりの考えがあるということだ。でなければ爵位継承を白紙に戻すような私の疑いにもっと抗っていいはずだった。
誰かが嘘を吐いているという前提で、その嘘を黙認していく姿勢さえ見せた。
私たちの間に血の繋がりがないという可能性を、兄も、考えたことがあるということだ。
それでも兄は当たり前のように私の傍にいる。
もしかして……
「……」
兄も、……バレット・ヘイズも、もし妹でないとしたら私のことを、少しだけでも……
兄と窓に挟まれていた私は半分振り向いて兄を見上げた。
「もし全く血が繋がっていないとしたら、お兄様、どうするの?」
雷鳴が轟いた。
閃光に霞みながら兄は私を見下ろしていた。
それは永遠の沈黙のようにも思えた。一瞬のようでもあった。
「さあな」
兄は低い声で曖昧に答えた。
その時には大きな掌が私の項にかかり、私も引き寄せられるままに身を寄せ仰向いていた。
兄が大きく屈みこんで私の唇を啄んだ。
唇の感触は強烈な熱さで私を溶かし、甘い吐息も、囁きも、何もかもが激しい雷鳴にかき消されていった。
何度も何度も唇を重ねているうちに、私たちは互いを求め抱きしめあい、縺れ合いながらソファーに倒れ込んだ。
兄の舌が誘うように私の唇を割り、ぬるりと咥内に侵入してくる。
あれほど軽蔑した肉欲が私の中にもあったのだと一瞬だけ理性が脳裏を過ったが、それまでだった。
舌が絡まる程の激しいキスを、私は初めて味わった。
このまま溺れてしまいたい。
何もかもを捨てて、兄と……私とバレットの二人きりで深い罪の底へ沈んでしまいたい。
他には何もいらない。
「フランシスカ……」
「似てない……私たち、どこも似てないわ……っ」
そうだ。
私たちが兄妹であるはずがない。
誰かが嘘を吐いているのではなく、全てが嘘に包まれている。
その中で只一つの真実が今この瞬間、私を突き動かしている。
愛する人に巡り会ったから。結ばれずに死ぬわけにはいかないから。
半分血の繋がった兄妹として引き合わされたからといって、それが真実とは限らない。
真実は私たちだけが知っていれば、それでいい。
「愛してる」
先にバレットが言った。
負けていられないと開いた口はまた唇で塞がれて、熱い吐息に絡め取られる。
熱い掌が、ざらついた肉厚な舌が、低い囁きが、私を激しい雨の夜に甘く溶かしていった。
兄が楽な格好で座り直し寛いだ様子で笑う。
それで私も気が楽になった。いつも通りの二人の雰囲気だ。
「それを言ったらお前も似てないんだぞ?」
「だからそれは私が女だからでしょう?」
「女だったら寧ろ父親に似たかっただろう?男のくせに綺麗な顔して。若い頃はさぞや引く手数多だっただろうな、俺たちのお父様は」
「そうなのよ。お兄様とは全然顔立ちが違う。系統が違うのよ」
「お前も系統が違うよ」
売り言葉に買い言葉という次元を越えて私も兄に疑われているのだと気づいたが、特に悪い気はしなかった。それはとても馴染み深い感覚だったからだ。
「自分でもお父様の娘だなんて疑わしいと思うわよ。でも、お母様のことならよくわかるの」
私にとって疑いようのない事実があった。
「お母様は愛してもいない相手と結婚できるほどお淑やかじゃないわ。愛人から執念深く後妻に収まったくらいはお父様を愛していたのでしょうから、私はあの二人の子なのよ」
「まあ、身分を越えた略奪愛には違いない」
「そうでしょう?」
そこまで言ってから私の母が兄の母親の侍女であった事実も思い出した。母は兄の母親を出し抜いた結果、後妻に収まっているとも言えるのだ。恋敵であり女主でもあったライシャワー伯爵夫人を助けもせず、追放されるままにした。
気まずくなったのは私だけで兄の方はまるで気にしていないらしく、更に笑みを柔らかくした。そのいつになく柔和な雰囲気のまま兄は恐ろしい一言を洩らす。
「どんな拷問で言葉を引き出そうとそれが真実とは限らない。翻弄される人間が一人でも生き地獄を味わえば、嘘は吐き通した奴の一人勝ちだ」
「……」
絶句である。
私が言葉を失っているうちに兄も柔和すぎる笑みを徐々にいつもの表情へと戻していった。
厳しさを潜ませた余裕と、精悍な顔に浮かべる揶揄いを含んだ笑顔。兄の顔になる。
「誰が嘘を吐いていようと、お前が苦しまなきゃそれでいいだろ」
「私……?」
その瞬間、答えの片鱗のようなものが頭の片隅で閃いた気がした。
しかし雷鳴が轟き気が逸れた。
「!」
「おお、荒ぶるな」
「びっくりしたわ……」
「恐いのか?」
私は憤慨に近い気持ちで兄の目を覗き込む。
「雷如きが恐くてこの城に住めるとでも?」
稲光が兄の顔を照らし、また雷鳴が轟いた。雨脚が強くなり窓を打ち鳴らし始める。
「これくらいで泣かれたら先が思いやられると思っただけだよ」
兄の揶揄を受け流しながら私は窓辺に歩み寄り、激しい雷雨を呆然と眺めた。
「これは……お父様は暫く帰って来ないわね。何処で徘徊してるか知らないけれど二三日はそこで足止めよ」
父を案じたわけではなかった。
この地で生きて来た父が雷雨のやり過ごし方も心得ていないはずがなく、ただ事実として、帰還途中だとしたら足止めを食うと思っただけだ。
兄が背後に立つ。
私の頭越しに窓の外を眺めているようだ。
「……」
隣に立つことも日常になり、兄の気配や場合によっては体温まで感じる瞬間は珍しくはなくなっていた。
それでも間近に兄が立つと、私の心の中で悟られたくない喜びが跳ねる。
わかったことは、兄も血筋について兄なりの考えがあるということだ。でなければ爵位継承を白紙に戻すような私の疑いにもっと抗っていいはずだった。
誰かが嘘を吐いているという前提で、その嘘を黙認していく姿勢さえ見せた。
私たちの間に血の繋がりがないという可能性を、兄も、考えたことがあるということだ。
それでも兄は当たり前のように私の傍にいる。
もしかして……
「……」
兄も、……バレット・ヘイズも、もし妹でないとしたら私のことを、少しだけでも……
兄と窓に挟まれていた私は半分振り向いて兄を見上げた。
「もし全く血が繋がっていないとしたら、お兄様、どうするの?」
雷鳴が轟いた。
閃光に霞みながら兄は私を見下ろしていた。
それは永遠の沈黙のようにも思えた。一瞬のようでもあった。
「さあな」
兄は低い声で曖昧に答えた。
その時には大きな掌が私の項にかかり、私も引き寄せられるままに身を寄せ仰向いていた。
兄が大きく屈みこんで私の唇を啄んだ。
唇の感触は強烈な熱さで私を溶かし、甘い吐息も、囁きも、何もかもが激しい雷鳴にかき消されていった。
何度も何度も唇を重ねているうちに、私たちは互いを求め抱きしめあい、縺れ合いながらソファーに倒れ込んだ。
兄の舌が誘うように私の唇を割り、ぬるりと咥内に侵入してくる。
あれほど軽蔑した肉欲が私の中にもあったのだと一瞬だけ理性が脳裏を過ったが、それまでだった。
舌が絡まる程の激しいキスを、私は初めて味わった。
このまま溺れてしまいたい。
何もかもを捨てて、兄と……私とバレットの二人きりで深い罪の底へ沈んでしまいたい。
他には何もいらない。
「フランシスカ……」
「似てない……私たち、どこも似てないわ……っ」
そうだ。
私たちが兄妹であるはずがない。
誰かが嘘を吐いているのではなく、全てが嘘に包まれている。
その中で只一つの真実が今この瞬間、私を突き動かしている。
愛する人に巡り会ったから。結ばれずに死ぬわけにはいかないから。
半分血の繋がった兄妹として引き合わされたからといって、それが真実とは限らない。
真実は私たちだけが知っていれば、それでいい。
「愛してる」
先にバレットが言った。
負けていられないと開いた口はまた唇で塞がれて、熱い吐息に絡め取られる。
熱い掌が、ざらついた肉厚な舌が、低い囁きが、私を激しい雨の夜に甘く溶かしていった。
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