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34(バレット)

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「階段で足を滑らせて頭を打ちながら転がり落ちたりしてくれないかしら」

フランシスカが頬杖を突いた真顔を窓に向け呟く。
気色悪い元婚約者オリファント伯爵令息の存在が妹の心に重くのしかかっている今日この頃だ。

「忘れてくれりゃあ命までは取らないと」

俺が歴史書を捲りながら相手をするもフランシスカは沈黙を返してくる。
どうやら消えて欲しいのは記憶を通り越して命の域まで達しているらしい。

目の前で愛人を選抜し、婚約破棄という当然の報いを受けると凄まじい未練心を発揮して愛人予定だった少女を誘拐した上フランシスカの生き人形にした。それが罪に問われると逆上し、王子の予想ではいずれ此処マスグレイヴ城に攻め込む狂いっぷりという。

俺でさえ唾を吐いてやりたい軟弱で粘着質な屑だ。
妹にしてみれば虫唾が走るなどでは済まない嫌悪に苛まれていることだろう。

騒がしい王子がやっと立ち去り、城主は不在と気が緩んだところで奴のことばかり思い悩んでしまうのも無理はない。

妹の心境を狙ったようにここ数日は鬱陶しい雨さえ続いている。
大好きなチェスさえ気が乗らないと断られる始末だ。

「外れ籤を引いただけだ」

俺は妹を励ました。

「呪いよ。肉欲に溺れた親たちの業を背負っているだけと思えば気が楽だわ」
「ああ。お前に罪はない」
「お兄様にもね」

妹が姿勢はそのままに目だけを灰色の空に向ける。

「罪深いお父様の帰りを阻むかのような雨ね」
「雨くらいどうってことないだろ」
「暇よ」

共同統治に向けた教育を受けるという新たな日常に染まった妹は、忌々しくもありながらその教師たる現マスグレイヴ伯爵、つまり俺たちの父親の不在に退屈してきているらしい。

雨ともなれば、木登りで気を紛らわせてやれるわけでもない。

「お父様って人間なのかしら」
「……」

俺は素直に歴史書を閉じた。
過去より、今目の前にいる妹の方が百倍も面白いからだ。

「どういう意味だよ」

何を考えているか、根掘り葉掘り尋問したくなる。
自分の頬が緩み目尻が下がっているのを自覚しながら、妹の視線が灰色の空から離れるのを待っていると、やがて綺麗に透き通った翡翠色の瞳が俺をまっすぐに貫いた。

マスグレイヴ伯爵なんか帰ってこなくていい。

さえいなければ俺たちは他人かもしれない。

マスグレイヴ伯爵令嬢フランシスカは俺の妹かもしれなかった。
それが可愛かった。

だからこんなに可愛いわけじゃないと気づかない方が無理だった。

フランシスカは俺の妹ではないかもしれない。
父親さえ違えば赤の他人かもしれないこの可愛い女に俺の心が傾かないなら、俺はもうとっくの昔に死んでいる。

ああ、俺は生きているんだ。
フランシスカといると全身の血がそう叫び歓喜する。

ただ誰にも悟られるわけにはいかないし、俺は教会と監獄で仮面の使い分けを習得していた。

マスグレイヴ伯爵夫人が俺の父親に抱かれていたら、フランシスカは本当に俺の妹かもしれない。

何があろうと俺はフランシスカの兄で在り続けるべきだ。
可愛いフランシスカに本当の罪を犯させるわけにはいかない。

だから──

「本当に吸血鬼かもしれないわ。だからお兄様はお父様とは全然似ていないのよ」

その可愛いフランシスカが胸の奥の燻ぶりに息を吹きかけて来るなんて想像してもいなかった。
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