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「は……?」

時が止まったようだった。
周囲の音がまるで耳に入らなくなる。

「あなた……何、言ってるの……?」

声が震えた。
手から離れた楽譜が風に舞い飛んでいく。

まるで世界から私一人が乱暴に切り取られたような錯覚の中で、私はもう一度同じ言葉を繰り返す。

「なに言ってるのよ」
「フランシスカ?」

君こそ何を言っているんだい?
そういう顔をしている。

なに?
どういうこと?

眩暈がする。

「キャロル」

私の腕に馴れ馴れしく手を添えたウォルトンが、私に触れながらキャロルを呼びその誘惑的な瞳を覗き込む。

「僕と結婚するフランシスカだ。伯爵令嬢だから、喧嘩しちゃ駄目だよ?」
「ええと……」

キャロルは戸惑っている。
違う。戸惑ったふりをしている。

私にはそういうふうにしか見えない。

「……っ」

ふいに涙が込み上げてきて、私はウォルトンの手を振り払う。

「?」

ウォルトンが私に訝し気な目を向ける。

どうして?
どうして……!?

「フランシスカ、どうしたって言うんだい?君が新曲を聞いてみたいって言ったんじゃないか」

責める口調ではなかった。
でも何も可笑しなことはしていないという自信の上に成り立つ、余裕の篭った問いかけだった。

私はカッとなってウォルトンに食って掛かる。

「私たちもうすぐ結婚するのよ!?それなのに私の前でいくらなんでも酷いわ!冗談にしたって質が悪すぎるわよ!」
「はははっ。冗談じゃないよ。びっくりさせたね、キャロル。今度改めて迎えにくるよ」
「やめなさいよ!本気にしたらどうするの!?」
「さっきから何を騒いでいるの?フランシスカ、僕がキャロルを応援するのに君の許可がいるのかい?」
「え……?」

私は気付いてしまった。
ウォルトンは調子に乗って悪質な冗談を口走ったわけではないのだ。

本気で、この、楽譜売りのキャロルを愛人にしようと宣言した。
そういうことなのだ。

ぐらりと視界が揺らいだが私は倒れはしなかった。
ただ、私の世界は崩れ去り、もう昨日までの幸せな日々は戻ってこないのだと受け止めるしかなかった。終わったのだ。ウォルトンとの日々が。

愛していると言われても、もう、そんな言葉には価値はない。
私だけに注がれる愛ではなく、分け合わなくてはいけない愛なら欲しくない。

私は頬を伝う涙を手の甲で乱暴に拭った。

「そう。その子を愛人になさるなら勝手にどうぞ。あなたの奥様になる方が寛大だったらいいわね」
「フランシスカ?」
「馴れ馴れしく呼ばないで。さよなら、オリファント伯爵令息ウォルトン卿。楽譜売りのお嬢さんとお幸せに!」
「え?」

家名で呼ぶとウォルトンが初めて狼狽えた表情を見せた。
その隙をつき、私はウォルトンを残しその場を走り去った。追ってきたが私は馬車を拾いウォルトンを振り切った。

とても信じられない。
謝罪を受ける気も、婚約関係を続ける気もない。

酷い男。

私は婚約を破棄する決意と共に早すぎる帰路に着いたのだった。
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