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10(フィオナ)
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窓際に佇み、じっとりと結露の垂れる窓に指を添えて、私は修道院の建つ方角を見下ろしている。
「……」
ああ、やっといなくなった。
物心ついた頃から姉が鬱陶しくてたまらなかった。
父の期待を一身に受けているからと調子に乗って、まるで跡継ぎかのように、つまり男のように私の上に君臨し続けた。
男のような教育を受けつつ、グレンフェル伯爵家の看板として常に流行の洗練されたドレスに身を包んで、アロイシャス侯爵令息フランクリン様に見初められた。
だけどあなたの負けよ、お姉様。
フランクリン様は結局、私の微笑みに靡いたの。
「……ふっ」
物心ついた頃、既に父は私ではなく姉ばかり見ていた。
母は私によく言った。
イデアには似合ったのに。
イデアはこの年齢でできたのに。
私はイデアではない。だからなんだというのか。
私を姉の複製として生みたかったなら、それは母の責任で私の落ち度ではないはずだ。
私は欠陥品。
その呪いは着実に私の魂を蝕み続けた。
けれど忘れもしない11才の夏の夕暮れ。
私は鏡の中の呆然とした自分の顔を視界に収めながら唐突に覚醒した。
私はイデアではない。
私はイデアよりずっと愛らしい。
その時から世界は薔薇色に輝き始めた。
私は父に姉と比較され愚鈍だと詰られる事が度々あった。だからより一層、ゆっくりと穏やかな時間を味わうよう意識した。
私は母に姉と比較され童顔だと落胆される事が度々あった。だからお化粧も美しさではなく幼さを強調するやり方に変えた。
13才で姉のおまけとして両親に見せびらかされた舞踏会、私は〈グレンフェル伯爵家の天使〉と一躍有名になった。
「……」
それさえ姉に栄光を奪われた。誇りを奪われた。
私が天使であるはずだった。それなのに定着したのは結局〈グレンフェル伯爵家の美人姉妹〉というまとめた呼称。
私はこれだけ魅力的であっても姉の副産物なのだ。
イデア。
あの女さえいなければ私の人生は完璧なものになるはずだった。
だからフランクリン様を盗ってやろうと決めた。
何も特別な事をする必要はなかった。
私は私らしく恥じらいながら微笑んでいただけだ。
「フィオナ。イデアとの婚約は破棄した。グレンフェル伯爵も承知している。僕は君を妻にしたい。結婚しよう」
「……はい!喜んで!」
私の魅力は、姉にはない愛らしさ。
凛として美しく高慢なイデアには天地がひっくり返っても備わる事がない、従順さ。
無邪気に喜んだ私へフランクリン様は輝くような微笑みとキスをくれた。
「君は本当に可愛い」
そう言って大きな掌で頬を包み、優しく親指で頬骨の辺りを撫でてくれた。
「ずっとそのままでいてくれ」
イデアではない私。
イデアではなくフィオナが愛されるべきなのだ。
長い忍耐を経て、世界はあるべき形へと造り直された。
そして今日、負け犬イデアは貴族社会から永久に姿を消した。シスターになるのだ。
「ふ……くくっ」
酷い大雨。
まるで地獄へと転がり落ちていくような惨めな祝福。
このまま嵐の中で死んでくれたら最高なのに……
「どうしたの?フィオナ」
背後から母に名を呼ばれ、私は愛らしさの中に悲愴を込めておっとりと身を翻す。
「お母様……」
「凄い嵐ね」
「はい……お姉様は、御無事でしょうか……」
運よく死んでくれるでしょうか。
母は都合よく意味を取り違え、疲れたような微笑みを浮かべてから私をそっと抱き寄せた。
「フィオナ。あなたは本当に心の優しい天使ね」
「……」
母が私の髪を撫でる。
もうこの手が姉に触れる事もないと思うと、笑いだしてしまいそうなくらい愉快だ。
息を止め態勢を整える。
母の胸に顔を埋め、か細い声を絞り出す。
「お祈りします、お姉様のために。……」
そう言えばこの大雨の中、慣れない道程をあの薬師は無事に帰れるのだろうか。
どうか二人まとめて消してくださいと、強く、強く願いを込める。
母が髪を撫でるのをやめて私をぎゅっと抱きしめた。
私は母の胸に圧迫されながらやっと、この与えられた数秒の中で思う存分口角を上げて笑みを刻む。
生き永らえても、どうせ元の姉には戻らない。
いい気味。
「……」
ああ、やっといなくなった。
物心ついた頃から姉が鬱陶しくてたまらなかった。
父の期待を一身に受けているからと調子に乗って、まるで跡継ぎかのように、つまり男のように私の上に君臨し続けた。
男のような教育を受けつつ、グレンフェル伯爵家の看板として常に流行の洗練されたドレスに身を包んで、アロイシャス侯爵令息フランクリン様に見初められた。
だけどあなたの負けよ、お姉様。
フランクリン様は結局、私の微笑みに靡いたの。
「……ふっ」
物心ついた頃、既に父は私ではなく姉ばかり見ていた。
母は私によく言った。
イデアには似合ったのに。
イデアはこの年齢でできたのに。
私はイデアではない。だからなんだというのか。
私を姉の複製として生みたかったなら、それは母の責任で私の落ち度ではないはずだ。
私は欠陥品。
その呪いは着実に私の魂を蝕み続けた。
けれど忘れもしない11才の夏の夕暮れ。
私は鏡の中の呆然とした自分の顔を視界に収めながら唐突に覚醒した。
私はイデアではない。
私はイデアよりずっと愛らしい。
その時から世界は薔薇色に輝き始めた。
私は父に姉と比較され愚鈍だと詰られる事が度々あった。だからより一層、ゆっくりと穏やかな時間を味わうよう意識した。
私は母に姉と比較され童顔だと落胆される事が度々あった。だからお化粧も美しさではなく幼さを強調するやり方に変えた。
13才で姉のおまけとして両親に見せびらかされた舞踏会、私は〈グレンフェル伯爵家の天使〉と一躍有名になった。
「……」
それさえ姉に栄光を奪われた。誇りを奪われた。
私が天使であるはずだった。それなのに定着したのは結局〈グレンフェル伯爵家の美人姉妹〉というまとめた呼称。
私はこれだけ魅力的であっても姉の副産物なのだ。
イデア。
あの女さえいなければ私の人生は完璧なものになるはずだった。
だからフランクリン様を盗ってやろうと決めた。
何も特別な事をする必要はなかった。
私は私らしく恥じらいながら微笑んでいただけだ。
「フィオナ。イデアとの婚約は破棄した。グレンフェル伯爵も承知している。僕は君を妻にしたい。結婚しよう」
「……はい!喜んで!」
私の魅力は、姉にはない愛らしさ。
凛として美しく高慢なイデアには天地がひっくり返っても備わる事がない、従順さ。
無邪気に喜んだ私へフランクリン様は輝くような微笑みとキスをくれた。
「君は本当に可愛い」
そう言って大きな掌で頬を包み、優しく親指で頬骨の辺りを撫でてくれた。
「ずっとそのままでいてくれ」
イデアではない私。
イデアではなくフィオナが愛されるべきなのだ。
長い忍耐を経て、世界はあるべき形へと造り直された。
そして今日、負け犬イデアは貴族社会から永久に姿を消した。シスターになるのだ。
「ふ……くくっ」
酷い大雨。
まるで地獄へと転がり落ちていくような惨めな祝福。
このまま嵐の中で死んでくれたら最高なのに……
「どうしたの?フィオナ」
背後から母に名を呼ばれ、私は愛らしさの中に悲愴を込めておっとりと身を翻す。
「お母様……」
「凄い嵐ね」
「はい……お姉様は、御無事でしょうか……」
運よく死んでくれるでしょうか。
母は都合よく意味を取り違え、疲れたような微笑みを浮かべてから私をそっと抱き寄せた。
「フィオナ。あなたは本当に心の優しい天使ね」
「……」
母が私の髪を撫でる。
もうこの手が姉に触れる事もないと思うと、笑いだしてしまいそうなくらい愉快だ。
息を止め態勢を整える。
母の胸に顔を埋め、か細い声を絞り出す。
「お祈りします、お姉様のために。……」
そう言えばこの大雨の中、慣れない道程をあの薬師は無事に帰れるのだろうか。
どうか二人まとめて消してくださいと、強く、強く願いを込める。
母が髪を撫でるのをやめて私をぎゅっと抱きしめた。
私は母の胸に圧迫されながらやっと、この与えられた数秒の中で思う存分口角を上げて笑みを刻む。
生き永らえても、どうせ元の姉には戻らない。
いい気味。
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