上 下
10 / 84

10(フィオナ)

しおりを挟む
窓際に佇み、じっとりと結露の垂れる窓に指を添えて、私は修道院の建つ方角を見下ろしている。

「……」

ああ、やっといなくなった。

物心ついた頃から姉が鬱陶しくてたまらなかった。
父の期待を一身に受けているからと調子に乗って、まるで跡継ぎかのように、つまり男のように私の上に君臨し続けた。

男のような教育を受けつつ、グレンフェル伯爵家の看板として常に流行の洗練されたドレスに身を包んで、アロイシャス侯爵令息フランクリン様に見初められた。

だけどあなたの負けよ、お姉様。
フランクリン様は結局、私の微笑みに靡いたの。

「……ふっ」

物心ついた頃、既に父は私ではなく姉ばかり見ていた。
母は私によく言った。

 イデアには似合ったのに。
 イデアはこの年齢でできたのに。

私はイデアではない。だからなんだというのか。
私を姉の複製として生みたかったなら、それは母の責任で私の落ち度ではないはずだ。

私は欠陥品。
その呪いは着実に私の魂を蝕み続けた。

けれど忘れもしない11才の夏の夕暮れ。
私は鏡の中の呆然とした自分の顔を視界に収めながら唐突に覚醒した。




その時から世界は薔薇色に輝き始めた。

私は父に姉と比較され愚鈍だと詰られる事が度々あった。だからより一層、ゆっくりと穏やかな時間を味わうよう意識した。

私は母に姉と比較され童顔だと落胆される事が度々あった。だからお化粧も美しさではなく幼さを強調するやり方に変えた。

13才で姉のおまけとして両親に見せびらかされた舞踏会、私は〈グレンフェル伯爵家の天使〉と一躍有名になった。

「……」

それさえ姉に栄光を奪われた。誇りを奪われた。
私が天使であるはずだった。それなのに定着したのは結局〈グレンフェル伯爵家の美人姉妹〉というまとめた呼称。

私はこれだけ魅力的であっても姉の副産物なのだ。

イデア。
あの女さえいなければ私の人生は完璧なものになるはずだった。

だからフランクリン様を盗ってやろうと決めた。

何も特別な事をする必要はなかった。
私は私らしく恥じらいながら微笑んでいただけだ。

「フィオナ。イデアとの婚約は破棄した。グレンフェル伯爵も承知している。僕は君を妻にしたい。結婚しよう」
「……はい!喜んで!」

私の魅力は、姉にはない愛らしさ。
凛として美しく高慢なイデアには天地がひっくり返っても備わる事がない、従順さ。

無邪気に喜んだ私へフランクリン様は輝くような微笑みとキスをくれた。

「君は本当に可愛い」

そう言って大きな掌で頬を包み、優しく親指で頬骨の辺りを撫でてくれた。

「ずっとそのままでいてくれ」

イデアではない私。
イデアではなくフィオナが愛されるべきなのだ。

長い忍耐を経て、世界はあるべき形へと造り直された。

そして今日、負け犬イデアは貴族社会から永久に姿を消した。シスターになるのだ。

「ふ……くくっ」

酷い大雨。
まるで地獄へと転がり落ちていくような惨めな祝福。
このまま嵐の中で死んでくれたら最高なのに……

「どうしたの?フィオナ」

背後から母に名を呼ばれ、私は愛らしさの中に悲愴を込めておっとりと身を翻す。

「お母様……」
「凄い嵐ね」
「はい……お姉様は、御無事でしょうか……」

運よく死んでくれるでしょうか。

母は都合よく意味を取り違え、疲れたような微笑みを浮かべてから私をそっと抱き寄せた。

「フィオナ。あなたは本当に心の優しい天使ね」
「……」

母が私の髪を撫でる。
もうこの手が姉に触れる事もないと思うと、笑いだしてしまいそうなくらい愉快だ。

息を止め態勢を整える。
母の胸に顔を埋め、か細い声を絞り出す。

「お祈りします、お姉様のために。……」

そう言えばこの大雨の中、慣れない道程をあの薬師は無事に帰れるのだろうか。
どうか二人まとめて消してくださいと、強く、強く願いを込める。

母が髪を撫でるのをやめて私をぎゅっと抱きしめた。
私は母の胸に圧迫されながらやっと、この与えられた数秒の中で思う存分口角を上げて笑みを刻む。

生き永らえても、どうせ元の姉には戻らない。
いい気味。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】婚約者の義妹と恋に落ちたので婚約破棄した処、「妃教育の修了」を条件に結婚が許されたが結果が芳しくない。何故だ?同じ高位貴族だろう?

つくも茄子
恋愛
国王唯一の王子エドワード。 彼は婚約者の公爵令嬢であるキャサリンを公の場所で婚約破棄を宣言した。 次の婚約者は恋人であるアリス。 アリスはキャサリンの義妹。 愛するアリスと結婚するには「妃教育を修了させること」だった。 同じ高位貴族。 少し頑張ればアリスは直ぐに妃教育を終了させると踏んでいたが散々な結果で終わる。 八番目の教育係も辞めていく。 王妃腹でないエドワードは立太子が遠のく事に困ってしまう。 だが、エドワードは知らなかった事がある。 彼が事実を知るのは何時になるのか……それは誰も知らない。 他サイトにも公開中。

毒家族から逃亡、のち側妃

チャイムン
恋愛
四歳下の妹ばかり可愛がる両親に「あなたにかけるお金はないから働きなさい」 十二歳で告げられたベルナデットは、自立と家族からの脱却を夢見る。 まずは王立学院に奨学生として入学して、文官を目指す。 夢は自分で叶えなきゃ。 ところが妹への縁談話がきっかけで、バシュロ第一王子が動き出す。

【完結】捨てられ正妃は思い出す。

なか
恋愛
「お前に食指が動くことはない、後はしみったれた余生でも過ごしてくれ」    そんな言葉を最後に婚約者のランドルフ・ファルムンド王子はデイジー・ルドウィンを捨ててしまう。  人生の全てをかけて愛してくれていた彼女をあっさりと。  正妃教育のため幼き頃より人生を捧げて生きていた彼女に味方はおらず、学園ではいじめられ、再び愛した男性にも「遊びだった」と同じように捨てられてしまう。  人生に楽しみも、生きる気力も失った彼女は自分の意志で…自死を選んだ。  再び意識を取り戻すと見知った光景と聞き覚えのある言葉の数々。  デイジーは確信をした、これは二度目の人生なのだと。  確信したと同時に再びあの酷い日々を過ごす事になる事に絶望した、そんなデイジーを変えたのは他でもなく、前世での彼女自身の願いであった。 ––次の人生は後悔もない、幸福な日々を––  他でもない、自分自身の願いを叶えるために彼女は二度目の人生を立ち上がる。  前のような弱気な生き方を捨てて、怒りに滾って奮い立つ彼女はこのくそったれな人生を生きていく事を決めた。  彼女に起きた心境の変化、それによって起こる小さな波紋はやがて波となり…この王国でさえ変える大きな波となる。  

「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵から溺愛されています。

木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。 因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。 そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。 彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。 晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。 それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。 幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。 二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。 カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。 こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。

平凡令嬢は婚約者を完璧な妹に譲ることにした

カレイ
恋愛
 「平凡なお前ではなくカレンが姉だったらどんなに良かったか」  それが両親の口癖でした。  ええ、ええ、確かに私は容姿も学力も裁縫もダンスも全て人並み程度のただの凡人です。体は弱いが何でも器用にこなす美しい妹と比べるとその差は歴然。  ただ少しばかり先に生まれただけなのに、王太子の婚約者にもなってしまうし。彼も妹の方が良かったといつも嘆いております。  ですから私決めました!  王太子の婚約者という席を妹に譲ることを。  

命を狙われたお飾り妃の最後の願い

幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】 重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。 イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。 短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。 『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。

〖完結〗拝啓、愛する婚約者様。私は陛下の側室になります。

藍川みいな
恋愛
侯爵令嬢のリサには、愛する婚約者がいた。ある日、婚約者のカイトが戦地で亡くなったと報せが届いた。 1年後、他国の王が、リサを側室に迎えたいと言ってきた。その話を断る為に、リサはこの国の王ロベルトの側室になる事に…… 側室になったリサだったが、王妃とほかの側室達に虐げられる毎日。 そんなある日、リサは命を狙われ、意識不明に…… 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 残酷な描写があるので、R15になっています。 全15話で完結になります。

裏切りの先にあるもの

マツユキ
恋愛
侯爵令嬢のセシルには幼い頃に王家が決めた婚約者がいた。 結婚式の日取りも決まり数か月後の挙式を楽しみにしていたセシル。ある日姉の部屋を訪ねると婚約者であるはずの人が姉と口づけをかわしている所に遭遇する。傷つくセシルだったが新たな出会いがセシルを幸せへと導いていく。

処理中です...