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長い新婚旅行の果てに辿り着いた辺境の地は、分厚い風で私を迎えた。
肌に貼りつくような草木の瑞々しい香りは生命力で満ち溢れているのに、同時に乾いた土の匂いも時折入り混じる。

気候の違う場所。皮膚感覚から未知の世界。
今まで生まれ育った場所とは全く異なる環境に、私は期待と少しの不安で胸をふるわせた。

堅牢な城塞都市の南に岩山が聳え、ゴールトン=コリガン城はその岩山を背に厳めしい姿で残る全方位を見渡しているかのようだった。

当然ながら軍隊の街である。
市街地は狭く入り混じっているものの、重要な施設が点在しており、教会や交易所などはいい目印になった。

酒場や宿はいい匂いを煙突や窓から吹き上げるけれど、それだけではない。
ここは鍛冶屋や防具屋、武器屋、馬屋と馬具の専門店、更には巨大防衛設備や兵器の製造所などもある為、至る所で煙が上がっていた。

女性も多い。

其々がこの地で働く男たちの妻や母や娘であるけれど、中にはそういった女性たちの為のドレス職人もいるらしく、物々しいながらに活気があり、独特な華やかさのある街だった。

魚は川と湖から吊り上げるという。

狩場もある森へと続くのは東の城門で、その先のいくつかの集落に重要な農村地帯があるとのことだった。
トレヴァーとの長い新婚旅行の道のりの締めくくりを飾った地帯でもある。
集落の防衛は国境を守る砦と連携しているらしい。

「東の農民たちを守る砦は極めて頑強な造りになっており、謂わば小さな城壁で脇腹を抱き込んでいるようなものであります」

到着早々、荷物を運び入れる間に近所を案内してくれると申し出たのは、屈強な老人だった。
拘りの髭の毛先を太い指で抓んで撚糸の如く揉む癖を見て、私はメラン伯爵こと王弟クリストファー殿下を思い出した。

思い出すと切なくなる。
グレース妃や二人の可愛い天使たち、親愛なるウォリロウ侯爵夫人、美貌のモードリンと癖の強い国王付首席近侍マクシーム、私の命を救ってくれた水力技師のウォルトン・ヴェゼンティーニ、そして愛する家族。
みんなみんな、遥か遠くの彼方。

私は、本当に遠くへ来てしまったのだと、思い知らされる。

「国境付近と言いましても、南の岩山を越えてくることはまずありません。北は同盟国と挟んでいる地帯が二つある為、それほどの脅威はまずないでしょう」

クリストファー殿下とは似ても似つかない屈強な老人はフェリクス・パンディアーニと名乗った。
亡きチャニング卿の右腕として国境を守り続けた猛者であり、年齢的に考えても彼が仕えるゴールトン=コリガン辺境伯はトレヴァーで三人目だろう。

爵位も、軍の階級も聞いていない。
トレヴァーは身内を喪った者同士の強い抱擁で無言のまま挨拶を済ませていた為、私としては、パンディアーニ自身の為人についてはどちらかが語り出すのを待っている状態である。

パンディアーニが新たな主であるトレヴァーを見る目には厳しさより優しさの方が濃く、微かに涙ぐんでいるようにさえ見えた。
それが感情からくる涙を堪えているのか、ムズムズしているだけなのか、私にはまだわからない。

「攻め込まれる危険が最も高いのは西の地帯ですが、此方も極めて頑強な造りの砦によって守備を固めております」

挨拶代わりにまず、ゴールトン=コリガン辺境伯領という場所の説明をしてくれているのである。

「敵が現れた際にはまず東を叩き、此方を狼狽させ西から攻め込んでくるでしょう」

戦地だ。
覚悟はしていたけれど、現地で、こうも屈強な老人に面と向かって言われてしまうと、若干、気が遠くなる。

若かりし頃、雄々しく戦場を駆け抜けていそうなパンディアーニ老人である。

「ご安心ください、奥様」

私は奥様。

「そうならないように我々は命を懸けて務めて参りました。ゴールトン=コリガンは不落の城。王国の要所です。我々が新たな城主トレヴァー坊ちゃ……トレヴァー様をしっかりお育て致します」
「……ありがとう」

トレヴァーは坊ちゃまと呼ばれていたのだろうか。
子どもの頃の思い出を語っていたのは、そういう側面もあると私は妻として弁えておくべきだった。

「坊ちゃまはやめてくれ」
お小さくいらっしゃったのに!」

チャニング卿を亡くした悲しみから、二人が過去の優しい時代を思い出すのは無理もないことだった。
屈強な髭の老人フェリクス・パンディアーニが腰も膝も折って分厚い掌を地面に擦りつけようとしている。

トレヴァーが憮然として否定した。

「そんなに小さくない」

それはそう。
寝かされている赤ん坊くらいの小ささだ。

この話の本題はトレヴァーが如何に小柄な少年で、国境を守る大人たちの手を如何に煩わせたかではない。
子どものいないチャニング卿や周辺の大人たちにとって、トレヴァーが如何に愛すべき少年だったかということ。

男の子を産みたいと、強く願い始めたのはこの時だった。

姿勢を正したパンディアーニは、ついに太い指で目尻を拭い、屈強な体躯をややもじもじとさせて僅かに声をふるわせる。

「まさかこんなお綺麗な方とご結婚されるなんて!」

野太いしゃがれ声でもトレヴァーの結婚相手が私で嬉しいと表明してくれるのは、私も嬉しい。

「幸せ者!」
「おふっ」

分厚い掌に込められた親しみの重さに、トレヴァーが噎せつつ傾いた。
そんなトレヴァーを視界の隅に収めたまま助け起こすでもなく、パンディアーニが私に向かい屈みこんでくる。目尻を下げて。

この目付きには、覚えがある。
私もつい先日まで、愛くるしい二人の天使に向かってこんな風に目尻を下げつつ、覆い被さるかのような勢いで屈みこんでいたものだ。

パンディアーニが優しく、併し畏まった口調で言った。

「ようこそ、レイチェル様。美しく聡明な奥様を、皆、心から歓迎いたしております。慣れない土地でご不便もあるかと存じますが、何なりとお申し付けくださいませ」
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