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32(マシュー)

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レイチェルの結婚式は本当に素晴らしかった。

ミュリス伯爵家の令息トレヴァーとの結婚式は、古くからのしきたりに則って花嫁の故郷の教会で執り行われた。

花嫁と花婿がともに宮廷人ということもあって、王族と教皇宮殿の聖職者たちや普段宮殿に集う大貴族たちが大移動をして、厳粛な結婚式が執り行われ、夫婦となったレイチェルとトレヴァーと共に速やかに帰路に着いた。

そのまま婚約発表と同様に宮殿の小広間で盛大な披露宴が催された。
僕はフィンリー侯爵に付き従う形でどちらにも参加が許されていた為、レイチェルに自らの口でお祝いを伝えることができた。

本当に、一瞬の夢のようだった。

ウェディングドレス姿のレイチェルは微かに俯いており、純白のベールの中で静かに祈っているかのようだった。
美しかった。

レイチェルは、僕の手の届かない存在となったのだ。

「……」

元から僕は、未熟で、幼稚で、自分本位で、独善的で、その他にもたくさんの欠点を抱え、とてもレイチェルには似合わない男だったのだと、今はもう素直に認められる。

そりゃ、少しは考えた。

レイチェルの純白のベールを捲り、誓いのキスをするのは、僕のはずだった──と。

ただそれは未練というより、寂寞とした思いと憧憬が入り混じった清々しい心境だった。
ほんの一時でも僕はレイチェルと共に人生を歩んでいた。それが、僕の人生の中でいちばん輝き、そして、最も愛すべき日々だった。

僕は自らの過ちで、それらに終止符を打ったのだ。

レイチェルにしてしまったことを真剣に考えれば、あの過ちには意味があったとか、あれでよかったなどとは言えない。

大噴水の事件で僕への評判が僅かに回復し、たまに同情や憐れみを向けられるようになったが、僕はそのような恩情に甘えてはいけないのだと自らを律した。

ハリエットは驚くべき大罪を犯した。
誰も止められなかった。

両親はハリエットの堕落を嘆き悲しみ、僕を叱責し、心を入れ替えて新しい人生を歩むよう諭した。両親もハリエットや僕を甘やかしたことや、子育ての失敗を悔いている。

挽回しようという気はない。
それは傲慢だ。

僕は、いずれコルボーン伯爵家を担う者として、必死で学び直し、堅実に、そして今度こそ誠実に、一人の貴族として精一杯生きていかなければならない。
それは償いの意味も含んだ献身であるべきだ。

もし、何某かの評価や感情によって僕の評判がよいものになれば、それは相手の寛容さの証拠であり、褒め称えられるべきは相対するその人物ということだ。

僕は矮小で、愚かで、軟弱。
それを忘れずに、少しずつでもまともな人間として人々の役に立てるように、精一杯努力していきたい。

いつか、レイチェルと、他愛もない会話ができる関係に戻れたら、僕の人生に悔いはない。

とはいえ、僕と関わったことを悔いている人物は何人もいることだろう。
申し訳ない。

努力するから許して欲しいとは決して言えない。
身勝手な謝罪は迷惑行為だと、今では理解している。

レイチェルの結婚式は僕の意識を変えた。
僕の中の濁りを祝福という聖い光で洗い流してくれた。

僕にとって、レイチェルとは奇跡だったのだ。

結婚式でその奇跡に感極まり、レイチェルへの心からのお祝いの気持ちで胸が震えて泣いてしまった。
誰よりも大切なレイチェルにもっともっと幸せになってほしくて。

僕がレイチェルへの未練で号泣していると思った人々からは厳しい叱責と軽蔑の一瞥を喰らったが、それは仕方がないことだった。
足繁くセイントメラン城に通っていたのも復縁を迫っていると誤解されていたのもあって、一部の風当たりはまだまだ強い。全て受け止めている。

それでも、レイチェルはお祝いを告げた僕に微笑んで、ありがとうと言ってくれた。
只の礼儀正しい挨拶であっても、嬉しかった。
それだけで生きていける。

「マシュー」

フィンリー侯爵が僕を呼んだ。
僕は今フィンリー侯爵の情けにより、英雄の元で再教育を受け研鑽を積んでいた。

フィンリー侯爵は英雄と讃えられる今、一線を退き後進の教育に尽力している。
僕もその一員として切磋琢磨させてもらえるのもまた奇跡だと深く感謝する毎日だ。

軍務全体の学習や訓練の他、適正が認められると領内の街の経営を委任され経験を積むことができるという話だけれど、僕はまだまだ到底そこには至ってはいない。

併し新入りの僕であっても、負傷兵の為の私設や、寡婦の為の救護院、親を亡くした子どもたちの為の孤児院、貧民の為の診療所や学習塾など、日を跨いで巡回しつつ奉仕するので大忙しだ。
フィンリー侯爵と新たな仲間たちから、そして歴史に名を残すことは恐らくない民たちの一人一人から、多くを学ばせてもらっていた。

「申し訳ありません。僕、何かしてしまいましたか?」

尋ねるとフィンリー侯爵はやや陰鬱とした表情、つまりいつもと同じ表情で小さな溜息のようなものを洩らしてから言った。

「否。違う。その話ではない」
「……その話……」

これは、やはり、何かをやらかしているのでは?

「……」

不安だ。

そわそわしている僕にフィンリー侯爵が憐れみの滲む視線を注ぐ。

「?」

なんだろう。
もしかして、誰かの訃報だろうか。

「……」

僕は待った。
英雄と讃えられようと、心身ともに傷を負ったフィンリー侯爵は過剰な繊細さと英傑ならではの知己が混在する複雑な人物だ。

沈黙の間、急かしてはいけない。

やがてフィンリー侯爵は僕に告げた。

「ゴールトン=コリガン辺境伯が急逝された」
「……え?」

その名前は、まだ、耳に新しい。

国境付近の地方長官であるチャニング・ゴールトン=コリガン辺境伯は、国境を守るというその重責の為に、レイチェルの結婚式には欠席し祝辞と盛大な贈り物だけを届けた。

フィンリー侯爵の続けた言葉に僕は耳を疑った。

「辺境伯は臨終に際し咄嗟に遺言証書を書き換えトレヴァーを後継者に任命した。マシュー。レイチェル嬢には二度と会えなくなるかもしれない」
「……」

国境を守る、地方長官の、妻。
それはレイチェルが戦地になり得る遥か彼方の辺境の地へと旅立ってしまうことを意味していた。
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