真実の愛がどうなろうと関係ありません。

希猫 ゆうみ

文字の大きさ
上 下
49 / 58

49(ジェームズ)

しおりを挟む
僕は思い出す。
あの人の大きな背中を。太陽のような笑い声を。

僕は冬が嫌いだったが、それは厳しい寒さのせいじゃない。暖炉の火が恐い。あの火が、今にも暖炉からぬらりと飛び出して僕を食べてしまうような気がして、ずっとずっと恐かった。

その理由を一昨年やっと思い出したのだ。
この人が火をつけた。

柩に横たわる痩せ細った祖母の姿に僕は哀しみのひとつも覚えはしない。

恐怖の扉が開いたことで、楽しかった優しい日々の思い出も甦った。この人が全て灰にした。村に火をつけ、僕たちを無理矢理この城に連れ戻した。
ジャクリーンは村全体に火を放つのと畑を焼くのとでは比べ物にならないと言うけれど、祖母のしたことは許し難い侵略行為、襲撃だと僕は思う。

そのおかげで父は伯爵になれたというが、どうだか。

僕はずっとわからなかった。
どうして、父は母を地下の使用人部屋に住まわせているのか。僕が会いに行くことを嫌うのか。

僕には、ずっとわからなかった。
僕が父と全く同じ意見を持ち思う通りに行動しないと拗ねるのか。

幼い日々を思い出して、謎が解けた。

父は王様になる夢を見ている。
それが夢だと気づかずに、ひたすらに、自分だけの王座に座る為に、毎日毎日、自分自身に愛を注いでいる。その無尽蔵ともいうべき自己愛の養分として僕と母が必要なのだ。

「さあ、ジェームズ。母上は死んだ。これでお前が伯爵令息だと認めない人間はいなくなったよ」

父は嬉しそうな満面の笑みを浮かべ僕の頭を撫でるけれど、僕が喜んでいないということがわからないらしい。

ジャクリーンの話によると、父は自身がエヴァンズ伯爵だと主張しているだけで、それこそ周囲の貴族には認められていないというから呆れてしまう。

ただ秘密の計画が……

もう12才になった僕は、大人としてこれから何が起きるのかきちんと聞かされていた。

祖母や父は周囲の貴族から嫌われているけれど、僕が生まれた頃に亡くなったという祖父はたくさんの人に慕われていたという。
祖母の死によって城門内に葬られていた祖父が、祖母の遺体と共に改めて教会の墓地に埋葬される。

それを待って、父はついに罰を受ける。
何も知らずに父は僕の頭を撫でて笑っている。

物心ついた頃からずっと思ってきた。

父の笑顔が嫌いだ。
自分だけ幸せで、自分だけが満足で、周りの人を苦しめて、それで酔い痴れたように笑っている父が大嫌いだ。

こんな風にだけはなりたくない。

僕、聞いたんだ。
一昨年、焼ける村の惨状を思い出した時に。

本当は、ヒルダを苛めていたのは母ではなく父だったって。

この体に父の血が流れているなんて嫌悪しかない。掻き毟って父と同じ色の血を残さず絞り出せるならそうしたい。



──誰が親だろうと関係ない。お前は、お前だよ。

僕は思い出す。
あの人の大きな背中を。太陽のような笑い声を。

あの人が父親ならよかったのに。
何度も、何度も、そう思った。だけど僕は現実を見失いはしなかった。たった一つ父が僕に教えてくれたのは、現実から目を背けてはいけないという真実。

あの人は僕の父親にはならない。
だけど僕は、あの人の背中を追って、学び、誇り高い一人の男として生きていきたい。

だから決断した。
後悔しないと始めから確信していた。

祖父母の埋葬が済んで、翌朝。
いつも通りの朝が始まったようでいて、僕はこれが終わりの朝だと知っていた。

父に言われて食堂で一緒に朝食を摂る。これが最後だとしても、名残惜しさの欠片もない。この時は普通に解散した。

昼過ぎ、廊下でジャクリーンと目が合った。
誰にも悟られないように、遠くから。僕たちはほんの一瞬だけ真剣に見つめ合う。

ジャクリーンが頷いた。
僕も頷き返した。

そして二人同時に走り出した。

ジャクリーンが父に来客を伝え、応接室で足止めする。
その間に僕は、母と、弟のトラヴィスと妹のエリスを連れて北の古い通用門へ向かう。

母はこの時間、料理場の付近を掃除している。
僕に貴族の血が流れているからあまり親しくしてくれなくなっていたし、自分はメイドだからと言って引いてしまうのがわかっていたから、僕は先に幼い弟と妹の方に回った。

幼いエリスをおんぶ用の紐を使って背負い、トラヴィスの手を掴んで走る。この状態で迎えに行ったので母もさすがに血筋を気にせず母親らしく相手にしてくれた。

「あんた、どうしたの!?」
「来て、母さん。城が落ちる」
「──」

母は一瞬だけ黙って目を瞠り、すぐに僕からトラヴィスの手を取って走り始めた。
僕の誘導も、何一つ疑わず無言のまま迅速に応じてくれた。

こうして北の古い通用門に辿り着き、僕は待機していたレーヴェンガルト辺境伯領の聖堂騎士団に母と幼い弟妹を託した。

ワイラーが僕の頭を撫でる。

「偉いぞ。もう一息だ」

恐いくらい真剣な顔だったけど、かっこよかった。
笑っていなくても僕を嫌っていないのはわかっていた。

「うん」

僕が頷くのを待ってワイラーは数人を率いて城門内へ突入した。
僕も同行した。これは最初で最後の、エヴァンズ伯爵令息としての僕の仕事だ。

応接室でジャクリーンは壁際に立ち、有頂天で歓声をあげる父を冷酷な眼差しで見つめていた。

「ああっ!やっぱり君と僕は結ばれるのは運命だったんだ!凄いよ、ヒルダ!君が王太子妃の妹だったなんて!!」

主賓は三人。
第二王子、その妃、そしてヒルダのふりをしている王太子の妃。それぞれの従者も壁際に待機しているけど、ただ立っているためだけに来たわけでない。

父の手が恐れ多くも王太子妃に伸びた。
第二王子の妃がその手を叩き落とす。

「無礼者」

第二王子の妃という人は顔からして少し恐い。
父は気にせず、浮かれた笑い声をあげたまま叩かれた手を摩っている。

「これでエヴァンズ伯爵家も安泰だ。だって君は次期王妃の妹なんだから!第二王子夫妻まで連れて僕に会いに来てくれたっていうことは、そうだよね?あはっ、僕の夢を叶える為に来てくれたんだよね!?」
「あなたの国を建てるという?」

僕は微かに覚えていたヒルダの声と、その人の声を重ね合わせ、不思議な感覚に陥る。
同じ声のようで、全く違う。何か、そう……ヒルダはもっと親しみ易くて、元気で優しかった。あの人は違う。僕は正直、グレイス王太子妃という人を恐いと思った。

中身が全く違うのに、父にはわからないようだ。

僕の背に手を添えてワイラーが応接室に足を踏み入れた。
第二王子とその妃がこちらに目を向ける中、王太子妃は深いエメラルドの瞳を杭のように父へと据えている。

「待たせたな、屑野郎」

ワイラーが父を呼んだ。
しおりを挟む
感想 122

あなたにおすすめの小説

最初からここに私の居場所はなかった

kana
恋愛
死なないために媚びても駄目だった。 死なないために努力しても認められなかった。 死なないためにどんなに辛くても笑顔でいても無駄だった。 死なないために何をされても怒らなかったのに⋯⋯ だったら⋯⋯もう誰にも媚びる必要も、気を使う必要もないでしょう? だから虚しい希望は捨てて生きるための準備を始めた。 二度目は、自分らしく生きると決めた。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ いつも稚拙な小説を読んでいただきありがとうございます。 私ごとですが、この度レジーナブックス様より『後悔している言われても⋯⋯ねえ?今さらですよ?』が1月31日頃に書籍化されることになりました~ これも読んでくださった皆様のおかげです。m(_ _)m これからも皆様に楽しんでいただける作品をお届けできるように頑張ってまいりますので、よろしくお願いいたします(>人<;)

【完結】精神的に弱い幼馴染を優先する婚約者を捨てたら、彼の兄と結婚することになりました

当麻リコ
恋愛
侯爵令嬢アメリアの婚約者であるミュスカーは、幼馴染みであるリリィばかりを優先する。 リリィは繊細だから僕が支えてあげないといけないのだと、誇らしそうに。 結婚を間近に控え、アメリアは不安だった。 指輪選びや衣装決めにはじまり、結婚に関する大事な話し合いの全てにおいて、ミュスカーはリリィの呼び出しに応じて行ってしまう。 そんな彼を見続けて、とうとうアメリアは彼との結婚生活を諦めた。 けれど正式に婚約の解消を求めてミュスカーの父親に相談すると、少し時間をくれと言って保留にされてしまう。 仕方なく保留を承知した一ヵ月後、国外視察で家を空けていたミュスカーの兄、アーロンが帰ってきてアメリアにこう告げた。 「必ず幸せにすると約束する。どうか俺と結婚して欲しい」 ずっと好きで、けれど他に好きな女性がいるからと諦めていたアーロンからの告白に、アメリアは戸惑いながらも頷くことしか出来なかった。

【完結】この運命を受け入れましょうか

なか
恋愛
「君のようは妃は必要ない。ここで廃妃を宣言する」  自らの夫であるルーク陛下の言葉。  それに対して、ヴィオラ・カトレアは余裕に満ちた微笑みで答える。   「承知しました。受け入れましょう」  ヴィオラにはもう、ルークへの愛など残ってすらいない。  彼女が王妃として支えてきた献身の中で、平民生まれのリアという女性に入れ込んだルーク。  みっともなく、情けない彼に対して恋情など抱く事すら不快だ。  だが聖女の素養を持つリアを、ルークは寵愛する。  そして貴族達も、莫大な益を生み出す聖女を妃に仕立てるため……ヴィオラへと無実の罪を被せた。  あっけなく信じるルークに呆れつつも、ヴィオラに不安はなかった。  これからの顛末も、打開策も全て知っているからだ。  前世の記憶を持ち、ここが物語の世界だと知るヴィオラは……悲運な運命を受け入れて彼らに意趣返す。  ふりかかる不幸を全て覆して、幸せな人生を歩むため。     ◇◇◇◇◇  設定は甘め。  不安のない、さっくり読める物語を目指してます。  良ければ読んでくだされば、嬉しいです。

お飾り王妃の愛と献身

石河 翠
恋愛
エスターは、お飾りの王妃だ。初夜どころか結婚式もない、王国存続の生贄のような結婚は、父親である宰相によって調えられた。国王は身分の低い平民に溺れ、公務を放棄している。 けれどエスターは白い結婚を隠しもせずに、王の代わりに執務を続けている。彼女にとって大切なものは国であり、夫の愛情など必要としていなかったのだ。 ところがある日、暗愚だが無害だった国王の独断により、隣国への侵攻が始まる。それをきっかけに国内では革命が起き……。 国のために恋を捨て、人生を捧げてきたヒロインと、王妃を密かに愛し、彼女を手に入れるために国を変えることを決意した一途なヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は他サイトにも投稿しております。 表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID:24963620)をお借りしております。

【完結】婚約者様、王女様を優先するならお好きにどうぞ

曽根原ツタ
恋愛
オーガスタの婚約者が王女のことを優先するようになったのは――彼女の近衛騎士になってからだった。 婚約者はオーガスタとの約束を、王女の護衛を口実に何度も破った。 美しい王女に付きっきりな彼への不信感が募っていく中、とある夜会で逢瀬を交わすふたりを目撃したことで、遂に婚約解消を決意する。 そして、その夜会でたまたま王子に会った瞬間、前世の記憶を思い出し……? ――病弱な王女を優先したいなら、好きにすればいいですよ。私も好きにしますので。

真実の愛のお相手様と仲睦まじくお過ごしください

LIN
恋愛
「私には真実に愛する人がいる。私から愛されるなんて事は期待しないでほしい」冷たい声で男は言った。 伯爵家の嫡男ジェラルドと同格の伯爵家の長女マーガレットが、互いの家の共同事業のために結ばれた婚約期間を経て、晴れて行われた結婚式の夜の出来事だった。 真実の愛が尊ばれる国で、マーガレットが周囲の人を巻き込んで起こす色んな出来事。 (他サイトで載せていたものです。今はここでしか載せていません。今まで読んでくれた方で、見つけてくれた方がいましたら…ありがとうございます…) (1月14日完結です。設定変えてなかったらすみません…)

「白い結婚の終幕:冷たい約束と偽りの愛」

ゆる
恋愛
「白い結婚――それは幸福ではなく、冷たく縛られた契約だった。」 美しい名門貴族リュミエール家の娘アスカは、公爵家の若き当主レイヴンと政略結婚することになる。しかし、それは夫婦の絆など存在しない“白い結婚”だった。 夫のレイヴンは冷たく、長く屋敷を不在にし、アスカは孤独の中で公爵家の実態を知る――それは、先代から続く莫大な負債と、怪しい商会との闇契約によって破綻寸前に追い込まれた家だったのだ。 さらに、公爵家には謎めいた愛人セシリアが入り込み、家中の権力を掌握しようと暗躍している。使用人たちの不安、アーヴィング商会の差し押さえ圧力、そして消えた夫レイヴンの意図……。次々と押し寄せる困難の中、アスカはただの「飾りの夫人」として終わる人生を拒絶し、自ら未来を切り拓こうと動き始める。 政略結婚の檻の中で、彼女は周囲の陰謀に立ち向かい、少しずつ真実を掴んでいく。そして冷たく突き放していた夫レイヴンとの関係も、思わぬ形で変化していき――。 「私はもう誰の人形にもならない。自分の意志で、この家も未来も守り抜いてみせる!」 果たしてアスカは“白い結婚”という名の冷たい鎖を断ち切り、全てをざまあと思わせる大逆転を成し遂げられるのか?

今更「結婚しよう」と言われましても…10年以上会っていない人の顔は覚えていません。

ゆずこしょう
恋愛
「5年で帰ってくるから待っていて欲しい。」 書き置きだけを残していなくなった婚約者のニコラウス・イグナ。 今までも何度かいなくなることがあり、今回もその延長だと思っていたが、 5年経っても帰ってくることはなかった。 そして、10年後… 「結婚しよう!」と帰ってきたニコラウスに…

処理中です...