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49(ジェームズ)
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僕は思い出す。
あの人の大きな背中を。太陽のような笑い声を。
僕は冬が嫌いだったが、それは厳しい寒さのせいじゃない。暖炉の火が恐い。あの火が、今にも暖炉からぬらりと飛び出して僕を食べてしまうような気がして、ずっとずっと恐かった。
その理由を一昨年やっと思い出したのだ。
この人が火をつけた。
柩に横たわる痩せ細った祖母の姿に僕は哀しみのひとつも覚えはしない。
恐怖の扉が開いたことで、楽しかった優しい日々の思い出も甦った。この人が全て灰にした。村に火をつけ、僕たちを無理矢理この城に連れ戻した。
ジャクリーンは村全体に火を放つのと畑を焼くのとでは比べ物にならないと言うけれど、祖母のしたことは許し難い侵略行為、襲撃だと僕は思う。
そのおかげで父は伯爵になれたというが、どうだか。
僕はずっとわからなかった。
どうして、父は母を地下の使用人部屋に住まわせているのか。僕が会いに行くことを嫌うのか。
僕には、ずっとわからなかった。
僕が父と全く同じ意見を持ち思う通りに行動しないと拗ねるのか。
幼い日々を思い出して、謎が解けた。
父は王様になる夢を見ている。
それが夢だと気づかずに、ひたすらに、自分だけの王座に座る為に、毎日毎日、自分自身に愛を注いでいる。その無尽蔵ともいうべき自己愛の養分として僕と母が必要なのだ。
「さあ、ジェームズ。母上は死んだ。これでお前が伯爵令息だと認めない人間はいなくなったよ」
父は嬉しそうな満面の笑みを浮かべ僕の頭を撫でるけれど、僕が喜んでいないということがわからないらしい。
ジャクリーンの話によると、父は自身がエヴァンズ伯爵だと主張しているだけで、それこそ周囲の貴族には認められていないというから呆れてしまう。
ただ秘密の計画が……
もう12才になった僕は、大人としてこれから何が起きるのかきちんと聞かされていた。
祖母や父は周囲の貴族から嫌われているけれど、僕が生まれた頃に亡くなったという祖父はたくさんの人に慕われていたという。
祖母の死によって城門内に葬られていた祖父が、祖母の遺体と共に改めて教会の墓地に埋葬される。
それを待って、父はついに罰を受ける。
何も知らずに父は僕の頭を撫でて笑っている。
物心ついた頃からずっと思ってきた。
父の笑顔が嫌いだ。
自分だけ幸せで、自分だけが満足で、周りの人を苦しめて、それで酔い痴れたように笑っている父が大嫌いだ。
こんな風にだけはなりたくない。
僕、聞いたんだ。
一昨年、焼ける村の惨状を思い出した時に。
本当は、ヒルダを苛めていたのは母ではなく父だったって。
この体に父の血が流れているなんて嫌悪しかない。掻き毟って父と同じ色の血を残さず絞り出せるならそうしたい。
だけどあの人は言ってくれた。
──誰が親だろうと関係ない。お前は、お前だよ。
僕は思い出す。
あの人の大きな背中を。太陽のような笑い声を。
あの人が父親ならよかったのに。
何度も、何度も、そう思った。だけど僕は現実を見失いはしなかった。たった一つ父が僕に教えてくれたのは、現実から目を背けてはいけないという真実。
あの人は僕の父親にはならない。
だけど僕は、あの人の背中を追って、学び、誇り高い一人の男として生きていきたい。
だから決断した。
後悔しないと始めから確信していた。
祖父母の埋葬が済んで、翌朝。
いつも通りの朝が始まったようでいて、僕はこれが終わりの朝だと知っていた。
父に言われて食堂で一緒に朝食を摂る。これが最後だとしても、名残惜しさの欠片もない。この時は普通に解散した。
昼過ぎ、廊下でジャクリーンと目が合った。
誰にも悟られないように、遠くから。僕たちはほんの一瞬だけ真剣に見つめ合う。
ジャクリーンが頷いた。
僕も頷き返した。
そして二人同時に走り出した。
ジャクリーンが父に来客を伝え、応接室で足止めする。
その間に僕は、母と、弟のトラヴィスと妹のエリスを連れて北の古い通用門へ向かう。
母はこの時間、料理場の付近を掃除している。
僕に貴族の血が流れているからあまり親しくしてくれなくなっていたし、自分はメイドだからと言って引いてしまうのがわかっていたから、僕は先に幼い弟と妹の方に回った。
幼いエリスをおんぶ用の紐を使って背負い、トラヴィスの手を掴んで走る。この状態で迎えに行ったので母もさすがに血筋を気にせず母親らしく相手にしてくれた。
「あんた、どうしたの!?」
「来て、母さん。城が落ちる」
「──」
母は一瞬だけ黙って目を瞠り、すぐに僕からトラヴィスの手を取って走り始めた。
僕の誘導も、何一つ疑わず無言のまま迅速に応じてくれた。
こうして北の古い通用門に辿り着き、僕は待機していたレーヴェンガルト辺境伯領の聖堂騎士団に母と幼い弟妹を託した。
ワイラーが僕の頭を撫でる。
「偉いぞ。もう一息だ」
恐いくらい真剣な顔だったけど、かっこよかった。
笑っていなくても僕を嫌っていないのはわかっていた。
「うん」
僕が頷くのを待ってワイラーは数人を率いて城門内へ突入した。
僕も同行した。これは最初で最後の、エヴァンズ伯爵令息としての僕の仕事だ。
応接室でジャクリーンは壁際に立ち、有頂天で歓声をあげる父を冷酷な眼差しで見つめていた。
「ああっ!やっぱり君と僕は結ばれるのは運命だったんだ!凄いよ、ヒルダ!君が王太子妃の妹だったなんて!!」
主賓は三人。
第二王子、その妃、そしてヒルダのふりをしている王太子の妃。それぞれの従者も壁際に待機しているけど、ただ立っているためだけに来たわけでない。
父の手が恐れ多くも王太子妃に伸びた。
第二王子の妃がその手を叩き落とす。
「無礼者」
第二王子の妃という人は顔からして少し恐い。
父は気にせず、浮かれた笑い声をあげたまま叩かれた手を摩っている。
「これでエヴァンズ伯爵家も安泰だ。だって君は次期王妃の妹なんだから!第二王子夫妻まで連れて僕に会いに来てくれたっていうことは、そうだよね?あはっ、僕の夢を叶える為に来てくれたんだよね!?」
「あなたの国を建てるという?」
僕は微かに覚えていたヒルダの声と、その人の声を重ね合わせ、不思議な感覚に陥る。
同じ声のようで、全く違う。何か、そう……ヒルダはもっと親しみ易くて、元気で優しかった。あの人は違う。僕は正直、グレイス王太子妃という人を恐いと思った。
中身が全く違うのに、父にはわからないようだ。
僕の背に手を添えてワイラーが応接室に足を踏み入れた。
第二王子とその妃がこちらに目を向ける中、王太子妃は深いエメラルドの瞳を杭のように父へと据えている。
「待たせたな、屑野郎」
ワイラーが父を呼んだ。
あの人の大きな背中を。太陽のような笑い声を。
僕は冬が嫌いだったが、それは厳しい寒さのせいじゃない。暖炉の火が恐い。あの火が、今にも暖炉からぬらりと飛び出して僕を食べてしまうような気がして、ずっとずっと恐かった。
その理由を一昨年やっと思い出したのだ。
この人が火をつけた。
柩に横たわる痩せ細った祖母の姿に僕は哀しみのひとつも覚えはしない。
恐怖の扉が開いたことで、楽しかった優しい日々の思い出も甦った。この人が全て灰にした。村に火をつけ、僕たちを無理矢理この城に連れ戻した。
ジャクリーンは村全体に火を放つのと畑を焼くのとでは比べ物にならないと言うけれど、祖母のしたことは許し難い侵略行為、襲撃だと僕は思う。
そのおかげで父は伯爵になれたというが、どうだか。
僕はずっとわからなかった。
どうして、父は母を地下の使用人部屋に住まわせているのか。僕が会いに行くことを嫌うのか。
僕には、ずっとわからなかった。
僕が父と全く同じ意見を持ち思う通りに行動しないと拗ねるのか。
幼い日々を思い出して、謎が解けた。
父は王様になる夢を見ている。
それが夢だと気づかずに、ひたすらに、自分だけの王座に座る為に、毎日毎日、自分自身に愛を注いでいる。その無尽蔵ともいうべき自己愛の養分として僕と母が必要なのだ。
「さあ、ジェームズ。母上は死んだ。これでお前が伯爵令息だと認めない人間はいなくなったよ」
父は嬉しそうな満面の笑みを浮かべ僕の頭を撫でるけれど、僕が喜んでいないということがわからないらしい。
ジャクリーンの話によると、父は自身がエヴァンズ伯爵だと主張しているだけで、それこそ周囲の貴族には認められていないというから呆れてしまう。
ただ秘密の計画が……
もう12才になった僕は、大人としてこれから何が起きるのかきちんと聞かされていた。
祖母や父は周囲の貴族から嫌われているけれど、僕が生まれた頃に亡くなったという祖父はたくさんの人に慕われていたという。
祖母の死によって城門内に葬られていた祖父が、祖母の遺体と共に改めて教会の墓地に埋葬される。
それを待って、父はついに罰を受ける。
何も知らずに父は僕の頭を撫でて笑っている。
物心ついた頃からずっと思ってきた。
父の笑顔が嫌いだ。
自分だけ幸せで、自分だけが満足で、周りの人を苦しめて、それで酔い痴れたように笑っている父が大嫌いだ。
こんな風にだけはなりたくない。
僕、聞いたんだ。
一昨年、焼ける村の惨状を思い出した時に。
本当は、ヒルダを苛めていたのは母ではなく父だったって。
この体に父の血が流れているなんて嫌悪しかない。掻き毟って父と同じ色の血を残さず絞り出せるならそうしたい。
だけどあの人は言ってくれた。
──誰が親だろうと関係ない。お前は、お前だよ。
僕は思い出す。
あの人の大きな背中を。太陽のような笑い声を。
あの人が父親ならよかったのに。
何度も、何度も、そう思った。だけど僕は現実を見失いはしなかった。たった一つ父が僕に教えてくれたのは、現実から目を背けてはいけないという真実。
あの人は僕の父親にはならない。
だけど僕は、あの人の背中を追って、学び、誇り高い一人の男として生きていきたい。
だから決断した。
後悔しないと始めから確信していた。
祖父母の埋葬が済んで、翌朝。
いつも通りの朝が始まったようでいて、僕はこれが終わりの朝だと知っていた。
父に言われて食堂で一緒に朝食を摂る。これが最後だとしても、名残惜しさの欠片もない。この時は普通に解散した。
昼過ぎ、廊下でジャクリーンと目が合った。
誰にも悟られないように、遠くから。僕たちはほんの一瞬だけ真剣に見つめ合う。
ジャクリーンが頷いた。
僕も頷き返した。
そして二人同時に走り出した。
ジャクリーンが父に来客を伝え、応接室で足止めする。
その間に僕は、母と、弟のトラヴィスと妹のエリスを連れて北の古い通用門へ向かう。
母はこの時間、料理場の付近を掃除している。
僕に貴族の血が流れているからあまり親しくしてくれなくなっていたし、自分はメイドだからと言って引いてしまうのがわかっていたから、僕は先に幼い弟と妹の方に回った。
幼いエリスをおんぶ用の紐を使って背負い、トラヴィスの手を掴んで走る。この状態で迎えに行ったので母もさすがに血筋を気にせず母親らしく相手にしてくれた。
「あんた、どうしたの!?」
「来て、母さん。城が落ちる」
「──」
母は一瞬だけ黙って目を瞠り、すぐに僕からトラヴィスの手を取って走り始めた。
僕の誘導も、何一つ疑わず無言のまま迅速に応じてくれた。
こうして北の古い通用門に辿り着き、僕は待機していたレーヴェンガルト辺境伯領の聖堂騎士団に母と幼い弟妹を託した。
ワイラーが僕の頭を撫でる。
「偉いぞ。もう一息だ」
恐いくらい真剣な顔だったけど、かっこよかった。
笑っていなくても僕を嫌っていないのはわかっていた。
「うん」
僕が頷くのを待ってワイラーは数人を率いて城門内へ突入した。
僕も同行した。これは最初で最後の、エヴァンズ伯爵令息としての僕の仕事だ。
応接室でジャクリーンは壁際に立ち、有頂天で歓声をあげる父を冷酷な眼差しで見つめていた。
「ああっ!やっぱり君と僕は結ばれるのは運命だったんだ!凄いよ、ヒルダ!君が王太子妃の妹だったなんて!!」
主賓は三人。
第二王子、その妃、そしてヒルダのふりをしている王太子の妃。それぞれの従者も壁際に待機しているけど、ただ立っているためだけに来たわけでない。
父の手が恐れ多くも王太子妃に伸びた。
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父は気にせず、浮かれた笑い声をあげたまま叩かれた手を摩っている。
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「あなたの国を建てるという?」
僕は微かに覚えていたヒルダの声と、その人の声を重ね合わせ、不思議な感覚に陥る。
同じ声のようで、全く違う。何か、そう……ヒルダはもっと親しみ易くて、元気で優しかった。あの人は違う。僕は正直、グレイス王太子妃という人を恐いと思った。
中身が全く違うのに、父にはわからないようだ。
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