はい、私がヴェロニカです。

希猫 ゆうみ

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23(ヴェロニカ)

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「じぃさまぁ~!」

オリヴァーが普段は父が精を出しているはずの畑へ一生懸命駆けていく。
父はガイウスの滞在中、気遣いのつもりで留守にしている。その間の畑仕事は私とロージーで頑張っている。

「じぃさまぁ~?」

穏やかな性格のオリヴァーは精神的にも驚くほど安定している子だった。穏やかで柔軟で何事にも振り回されない性格だった母とやはり似ている。
今も畑に父の姿、本人にとっては大好きなおじいさまの姿がないと理解して、じっと考え、納得してからまた走り出した。

柵の真ん中の段を跨いで抜けて鶏小屋に着くと、オリヴァーは一羽ずつ抱きしめて挨拶をする。正確に名前を覚えているのは、私だけでなくロージーをとても驚かせた。頭のいい子だ。
牛については、いくら頭がよくても体のサイズでとにかく危険なのでオリヴァー単身では触れ合わせないようにしている。

「可愛いな……」

隣でガイウスが呟いた。

ガイウスが息子のオリヴァーを正当な相続人として宮廷に届け出ていてくれたお陰で、息子の人生は必ず安泰とはいかないまでも保証された。
それだけではなく、やはりガイウスは子煩悩な父親だった。

「傍に居たかった。私は、間違いだらけの駄目な父親だ」
「わかってよかったじゃない」

私はガイウスの滞在中、オリヴァーを間に挟んで本当の意味で家族になっていった。だから彼を息子の父親として、少し精神的に未熟なところのある優しい男性として敬い、励まし、そして今、やはり愛している。

ソレーヌとの仲が決定的になってしまったミカエルの事件から、ガイウスは私にやや依存的になった。女性に対して精神的に頼りたい人なのだ。
かつて頼りになる優しい兄のようだったガイウスは、私にとって可愛いおじさんになりつつあった。

今もミカエルを腕に抱き、互いに抱きしめあって、同じ血の流れるオリヴァーを見つめている。

私はミカエルの頬をぷにっとつついた。

「きゃあ」

ミカエルが喜んで、少し照れたように笑う。
そして私の指を掴む。
それから私に両手を伸ばした。

可愛いミカエル。
母親からこの可愛い幼子を奪おうとは思わないけれど、守ってあげたいとは思う。

私はガイウスから私へ乗り換えようとしているミカエルを抱きかかえようとしていた。

「ヴェロニカ!」
「?」

ザックの声に、振り返る。
厩舎の傍で私を呼んだザックは、その表情までは確認できないものの凄まじい緊迫感で右手を振った。それがある一方を指し示している動作だと気づき目を遣る。

「……」

全身をローブに包んだ誰かが、馬に跨り、此方に向かって来るのが見えた。

「……」
「まさか」

ガイウスが心の声を洩らし、私に預けようとしたミカエルをひしと抱きしめた。

「中にいて」

私はガイウスを促した。
妻から隠れなければならないほど弱い男性とは思わないけれど、ミカエルは私より父親と一緒の方が安心できるのだ。だからミカエルの為に彼が傍にいるべきで、一緒に隠れているべきだった。

来訪者に気づいたロージーが柵を開けオリヴァーを促してくれている。
幸いなことに鶏たちに脱走する気配はない。
私は笑顔でオリヴァーに手を伸ばし、此方に来るよう誘った。オリヴァーが笑顔で駆けてくる。

オリヴァーは五歳。
もし、今日、恐ろしい争いが起きれば少なからず記憶に残ってしまう。

「お父様がパイを焼いてくれるって」
「わあ!」
「できるまで、中でミカエルと遊んであげて」
「はぁーい!」

オリヴァーが駆けていく。

可愛い子どもたちを、私は、ソレーヌに任せたくないと感じてしまう。
私が育てたいと願ってしまう。

酷く、狡い女だ。
きっと願いは叶うだろうと考えているのだから。

それが私という人間なのだった。

私は只、可愛い子どもたちの母親でいたい。

「……」

見ると、ロージーもザックも自分の大切な動物が心配で離れられない様子だった。

ローブの人物を乗せた馬は真っ直ぐに此方へ駆けてくる。
馬上の人物は確実に視認し狙いを定めている。
フードから長い髪を一房、風になびかせて。

体格とその雰囲気から、相手はソレーヌに違いない。

「……」

固唾を飲んだ。
天国の母に祈り、神に祈り、父が気まぐれで帰って来てくれやしないかと期待し、心を整える。

私は脇に置くとして、オリヴァーはフェラレーゼ伯爵令息だ。そして今ここにはフェラレーゼ伯爵その人がいる。息子の命が脅かされるはずない。

「大丈夫。話し合える」

自らに言い聞かせ、私は平常心を保つよう努めた。
もし私が今日ここでソレーヌの手にかかることがあったとしても、オリヴァーに知られてはならない。

悲鳴も、怒号も、血も。
清く小さな可愛い心に刻んではいけない。

私は微笑みを浮かべる。
そして、迎える為に歩き出した。

驚いた様子でロージーとザックが駆けてくる。優しい友人夫婦の安全も、私が守らなくてはならない。
ロージーさえ生き延びてくれたらオリヴァーを任せても安心という打算もあった。

「ザック!あんた、本当にダグラス爺さんが何処に行ったか知らないの!?」
「知ってたらもう呼びに行ってる!」

そう言いながら二人して私の前に立ちはだかり、私を庇った。
私はロージーの手をぎゅっと握ってから二人の間を割って、前に進み出る。

私が家主。
お客様に挨拶するのは、私の役目。

「ヴェロニカ……!」

ロージーの声は震えていた。
固唾を飲み震えながら、二人とも私を見ていた。

だから、気づかなかったのだ。

馬上の人物がフードを脱ぐ。
今度こそ長い髪が全て風になびいて揺れた。

「わあ!」

私はつい驚いて、まるでオリヴァーみたいな声を上げてしまう。オリヴァーなら可愛いけれど、私ではどれだけ間抜けだったことか。

私の声に驚いたロージーとザックもその人物を見た。

「え……」
「嘘……」

ついに間近に迫ると、馬は徐々に足取りを緩めた。
やがて私たちのすぐ前まで来て、その人物はしなやかな身のこなしで馬から下りる。それから私とロージーを見比べ、私に問いかけた。

「あなたがフェラレーゼ伯爵の親しい御婦人、ヴェロニカさんですか?」

切れ長の鋭利な目元、鼻梁、頬の形。
全てがそっくり。
只一つ違うのは、美貌にそぐわないしゃがれ声。

「私が──」

ロージーがいつかのように私の身代わりを務めようと前のめりで名乗ろうとした。私はそれを押し留め、をまっすぐに見上げて告げた。

「はい、私がヴェロニカです」

ソレーヌに瓜二つの美少年。
修道騎士見習いのアレクシウスに違いなかった。
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