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22(ソレーヌ)
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体を解しているところへガイウスが現れた。
随分と息巻いている。理由はわかりきっているから焦ることはなかった。
「ソレーヌ。話がある」
「ええ。何?」
汗を拭きながら椅子に腰を下ろす。
ガイウスは警戒と威嚇を綯交ぜにして私を睨んでいる。
「あなたも、そんな目ができるのね」
ガイウスは答えなかった。
一歩ずつ、私との距離を詰める。
今まで可愛い年下の夫とばかり見てきたガイウスの殺気に、私は久しぶりの高揚感を覚えた。だが怒りに任せて剣を振ったところで、ガイウスでは私にはかなわないだろう。
私が恐れるくらいの腕があったなら、もっと楽しかっただろうに。
「二度と私の許可無しに息子の稽古をしないでほしい」
「ガイウス」
「これは相談ではない」
「私の息子でもあるのよ」
「早すぎる」
「早くから仕込まなくては、あなたのようになってしまう」
「……!」
ガイウスの目の奥に怒りの炎がちらついた。
そう。
そういう闘志が欲しかった。
「弱さが許せないなら、次は私を鞭で打つといい」
「どうして?泣き喚いたのはあの子なのに」
「ソレーヌ。ミカエルを痛めつけるのは間違っている。二度としてはいけない」
「痛みを覚えなかったから、あなたは私に負けたのよ」
「あなたに価値観を変えろとは言わない。私の息子に暴力をふるわないでくれ」
「あはははは!」
私は仰のいて笑った。
「世界は暴力で満ちているのよ、ガイウス。あなたのような血筋の人間がのうのうと慈善に励めるように、外で血を流し戦う人間もいるの。私のように」
「ソレーヌ。騎士の道を進むかどうか、決めるのはミカエル自身だ。あなたではない」
「決めつけているのはあなたよ。私はミカエルを虐めたわけではない。私が教えられる最善の教育を施しただけ」
わからないだろう。
命を賭される側のガイウスには、悪意や刃に立ち向かう強さがどれほど身を助けるか。
「よく考えて。ミカエルには私の血が流れている」
「私の血も流れている。それに──」
「平民の血よ。騎士の血。あの子は敵を殺せる」
「あんな可愛い幼子をどうしようと言うんだ!」
「ミカエルの命は軽い。貴族の半分の価値しかないのよ、ガイウス。生き延びる術も、命の軽さも、わからせるのがあの子の為よ」
「!」
ガイウスが目を瞠り息を飲んだ。
私たちの間にある決定的な違いを、忘れていたのは私ではなく夫の方だ。
私は身を削って跡継ぎを産み落した。それだけで責任を果たしたと考える程、甘くはない。
ガイウスは体の横で拳を震わせているが、それは私へ怒りをぶつけようという逞しい感情がそうさせているわけではないようだった。
痛みを覚えたように目を眇め、苦しそうに息を絞り出している。
その苦悩の間に首を落とされるということが、ガイウスにはわからないだろう。
「ソレーヌ……」
夫が私を呼んだ。
「あなたが歩んだ人生に、私は、向き合ってこなかった。すまなかった」
「謝ることはないわ。ガイウス、あなたは心優しい良い御領主様よ」
「良い夫ではなかった」
「そんな話?あなたは、息子を守りたくていきり立ち私を叱りに来たのではないの?なんなのよ」
軟弱な夫が憎たらしくて私はつい軽くガイウスの足を蹴った。
ガイウスは少しだけ揺らぎ、再び私に視線を注いだ。懇願するような眼差しだった。
「ソレーヌ。父として、ミカエルが正しく人生を歩んでいけるよう育てたい。だがそれは、武力で支配する生き方ではないんだ」
「そう思うのね」
「フェラレーゼ伯爵家は民と良好な関係を築いてきた歴史がある」
「それをあの子も望むとは限らないし、私の子があなたほど好かれるとも思えない」
「あなたがどう考えているかは、本質的な問題ではないんだ。我が家の教育方針を伝える。よく聞いてほしい」
「ええ」
「私は七才から剣を習った。ミカエルもそうする」
遅い。
だがフェラレーゼ伯爵家において絶対的権力を持っているのは夫のガイウスだということは、私とて忘れてはいない。それに不満もない。
七才か。
扱けば充分、間に合わせることができるだろう。
こんな軟弱者に育ってもらっては困る。
「わかったわ」
「ありがとう」
「それで、私をどう罰するの?」
多少の揶揄いも込めて尋ねると、ガイウスは息を震わせてから再び私を睨んだ。
「私はあなたとは違う。罰はないよ」
「甘いのね」
「同じように、あなたも、罰するような教育はしないと誓って欲しい」
「私の全てを受け入れると言ったじゃない」
「誓わないなら騎士学校は白紙に戻す」
私は一瞬だけ言葉を失くし、また笑った。
失笑というか、呆れというか、諦めでもあったかもしれない。
「それを罰と言うのよ。ガイウス、あなたは自分で思っているほど善人ではないわ」
「ああ、そうだ。あなたが正しい」
「でも、わかったわ。教育方針は伝統に従う」
「ありがとう」
「いいのよ。私は今、フェラレーゼ伯爵夫人なのだから」
そこで沈黙が訪れた。
ガイウスは何かを待っている。躊躇っているのだろうか。
話をしたかったのは私ではなく、ガイウスの方。私はただ無言で待った。
やはてガイウスは力なく尋ねた。
「ミカエルを、愛しているのか?」
「あなたは私を愛してる?」
問い返すとガイウスは逃げるように姿を消した。
そうだ。
とっくに夫婦の愛など冷めている。
ガイウスが王侯貴族の後ろ盾をいいことに、頻繁にヴェロニカの家に通い、本来は庶子であるべき幼児を愛でているのも知っている。
今更、結婚に幸せは求めていない。
この日を境に使用人たちはそれが当然であるかのように息子ミカエルを私から遠ざけた。
ミカエルもアレクシウスと同じように期待外れの人生を勝手に生きていくのだろう。
くだらない。
母の愛だの、親子の絆だとの人々は言うようだけれど、持て囃すほど価値のあるものではあるまい。
私が騎士学校を営み、夫は愛人のもとへ通う。
そんな日々が当たり前になり、慣れ、日常になった頃。晴れ渡る夏の日だった。
私は夫ガイウスが息子ミカエルを抱いて馬車に乗り込むのを目撃し、打ちのめされた。
「……!」
あれは私の息子だ。
私の息子を取り上げ、好き勝手な理想を押し付け、挙句の果てには愛人に会わせようというのか。兄弟がいるから?
「……」
ヴェロニカに産ませたのは間違いだった。
私なら、いつでも息の根を止めることができたのに。
「……」
併し受け入れなければならないだろう。
王侯貴族こそ、私が血を流してでも守りたかった存在であったのは事実なのだから。
貴族を産むというのは、こういう事だったのか。
私は絶望したわけではなかったけれど、ミカエルから切り離された現実によって別の人生が始まった感覚に唖然とした。
私には未来の女騎士たちしか残されていない。
私が生きている意味はもう、それ以外、見出せない。
体罰を禁じられた私は、生温い特訓を補填する為に厳しい躾けを取り入れた。言葉による教育だ。体で覚えさせられないのだとしたら、もう頭に覚えさせ、心に刻ませるより他ない。
「お前たちの命など、お前たちが見てきた家畜ほどの価値もない!食され血肉になり肉体を生かし続ける家畜のほうがまだ尊い!お前たちは一時の盾に過ぎない!ただ一時、尊い血筋の者たちを生き永らえさせる為に死ぬ!それを栄光と喜べない者、その覚悟がない者は、今すぐ帰れ!藁と糞に埋もれ、思う存分、土に鍬をふるうがいい!!」
私は正しい教育を施しているはずだった。
戦場で血を流させたはずの貴族たちは私を批難し、悪評をばら撒いた。守られていたくせにと、思わなくもなかった。所詮、私らなど、幾らでも替えの利く一つの駒に過ぎなかったのだ。
「何の為に……」
死んだのか。
私は、領民の中から女子をさらい過度な思想を植え付けている危険人物だと、そう揶揄されるようになった。私の作ろうとした新たな女騎士団は、誰からも求められず、認められず、解体され、禁じられていった。
何も残らなかった。
世界は私を敵と見做し、フェラレーゼ伯爵は離婚をするべきであるという貴族たちが現れた。
奴らは言うのだ。
フェラレーゼ伯爵の息子にはまともな母親がいる。その女を妻にするべきだと。
ああ、ヴェロニカ……
これ程までに、私から全てを奪い去っていく女だったとは思わなかった。
併し、全てを取り戻す方法も私には残されていた。
今、私こそがフェラレーゼ伯爵夫人だ。この事実は揺るがない。
私は息子たちを取り戻せばいい。
夫の息子たちは、フェラレーゼ伯爵夫人である私が育てる。奪還する。
只それだけの話だ。
随分と息巻いている。理由はわかりきっているから焦ることはなかった。
「ソレーヌ。話がある」
「ええ。何?」
汗を拭きながら椅子に腰を下ろす。
ガイウスは警戒と威嚇を綯交ぜにして私を睨んでいる。
「あなたも、そんな目ができるのね」
ガイウスは答えなかった。
一歩ずつ、私との距離を詰める。
今まで可愛い年下の夫とばかり見てきたガイウスの殺気に、私は久しぶりの高揚感を覚えた。だが怒りに任せて剣を振ったところで、ガイウスでは私にはかなわないだろう。
私が恐れるくらいの腕があったなら、もっと楽しかっただろうに。
「二度と私の許可無しに息子の稽古をしないでほしい」
「ガイウス」
「これは相談ではない」
「私の息子でもあるのよ」
「早すぎる」
「早くから仕込まなくては、あなたのようになってしまう」
「……!」
ガイウスの目の奥に怒りの炎がちらついた。
そう。
そういう闘志が欲しかった。
「弱さが許せないなら、次は私を鞭で打つといい」
「どうして?泣き喚いたのはあの子なのに」
「ソレーヌ。ミカエルを痛めつけるのは間違っている。二度としてはいけない」
「痛みを覚えなかったから、あなたは私に負けたのよ」
「あなたに価値観を変えろとは言わない。私の息子に暴力をふるわないでくれ」
「あはははは!」
私は仰のいて笑った。
「世界は暴力で満ちているのよ、ガイウス。あなたのような血筋の人間がのうのうと慈善に励めるように、外で血を流し戦う人間もいるの。私のように」
「ソレーヌ。騎士の道を進むかどうか、決めるのはミカエル自身だ。あなたではない」
「決めつけているのはあなたよ。私はミカエルを虐めたわけではない。私が教えられる最善の教育を施しただけ」
わからないだろう。
命を賭される側のガイウスには、悪意や刃に立ち向かう強さがどれほど身を助けるか。
「よく考えて。ミカエルには私の血が流れている」
「私の血も流れている。それに──」
「平民の血よ。騎士の血。あの子は敵を殺せる」
「あんな可愛い幼子をどうしようと言うんだ!」
「ミカエルの命は軽い。貴族の半分の価値しかないのよ、ガイウス。生き延びる術も、命の軽さも、わからせるのがあの子の為よ」
「!」
ガイウスが目を瞠り息を飲んだ。
私たちの間にある決定的な違いを、忘れていたのは私ではなく夫の方だ。
私は身を削って跡継ぎを産み落した。それだけで責任を果たしたと考える程、甘くはない。
ガイウスは体の横で拳を震わせているが、それは私へ怒りをぶつけようという逞しい感情がそうさせているわけではないようだった。
痛みを覚えたように目を眇め、苦しそうに息を絞り出している。
その苦悩の間に首を落とされるということが、ガイウスにはわからないだろう。
「ソレーヌ……」
夫が私を呼んだ。
「あなたが歩んだ人生に、私は、向き合ってこなかった。すまなかった」
「謝ることはないわ。ガイウス、あなたは心優しい良い御領主様よ」
「良い夫ではなかった」
「そんな話?あなたは、息子を守りたくていきり立ち私を叱りに来たのではないの?なんなのよ」
軟弱な夫が憎たらしくて私はつい軽くガイウスの足を蹴った。
ガイウスは少しだけ揺らぎ、再び私に視線を注いだ。懇願するような眼差しだった。
「ソレーヌ。父として、ミカエルが正しく人生を歩んでいけるよう育てたい。だがそれは、武力で支配する生き方ではないんだ」
「そう思うのね」
「フェラレーゼ伯爵家は民と良好な関係を築いてきた歴史がある」
「それをあの子も望むとは限らないし、私の子があなたほど好かれるとも思えない」
「あなたがどう考えているかは、本質的な問題ではないんだ。我が家の教育方針を伝える。よく聞いてほしい」
「ええ」
「私は七才から剣を習った。ミカエルもそうする」
遅い。
だがフェラレーゼ伯爵家において絶対的権力を持っているのは夫のガイウスだということは、私とて忘れてはいない。それに不満もない。
七才か。
扱けば充分、間に合わせることができるだろう。
こんな軟弱者に育ってもらっては困る。
「わかったわ」
「ありがとう」
「それで、私をどう罰するの?」
多少の揶揄いも込めて尋ねると、ガイウスは息を震わせてから再び私を睨んだ。
「私はあなたとは違う。罰はないよ」
「甘いのね」
「同じように、あなたも、罰するような教育はしないと誓って欲しい」
「私の全てを受け入れると言ったじゃない」
「誓わないなら騎士学校は白紙に戻す」
私は一瞬だけ言葉を失くし、また笑った。
失笑というか、呆れというか、諦めでもあったかもしれない。
「それを罰と言うのよ。ガイウス、あなたは自分で思っているほど善人ではないわ」
「ああ、そうだ。あなたが正しい」
「でも、わかったわ。教育方針は伝統に従う」
「ありがとう」
「いいのよ。私は今、フェラレーゼ伯爵夫人なのだから」
そこで沈黙が訪れた。
ガイウスは何かを待っている。躊躇っているのだろうか。
話をしたかったのは私ではなく、ガイウスの方。私はただ無言で待った。
やはてガイウスは力なく尋ねた。
「ミカエルを、愛しているのか?」
「あなたは私を愛してる?」
問い返すとガイウスは逃げるように姿を消した。
そうだ。
とっくに夫婦の愛など冷めている。
ガイウスが王侯貴族の後ろ盾をいいことに、頻繁にヴェロニカの家に通い、本来は庶子であるべき幼児を愛でているのも知っている。
今更、結婚に幸せは求めていない。
この日を境に使用人たちはそれが当然であるかのように息子ミカエルを私から遠ざけた。
ミカエルもアレクシウスと同じように期待外れの人生を勝手に生きていくのだろう。
くだらない。
母の愛だの、親子の絆だとの人々は言うようだけれど、持て囃すほど価値のあるものではあるまい。
私が騎士学校を営み、夫は愛人のもとへ通う。
そんな日々が当たり前になり、慣れ、日常になった頃。晴れ渡る夏の日だった。
私は夫ガイウスが息子ミカエルを抱いて馬車に乗り込むのを目撃し、打ちのめされた。
「……!」
あれは私の息子だ。
私の息子を取り上げ、好き勝手な理想を押し付け、挙句の果てには愛人に会わせようというのか。兄弟がいるから?
「……」
ヴェロニカに産ませたのは間違いだった。
私なら、いつでも息の根を止めることができたのに。
「……」
併し受け入れなければならないだろう。
王侯貴族こそ、私が血を流してでも守りたかった存在であったのは事実なのだから。
貴族を産むというのは、こういう事だったのか。
私は絶望したわけではなかったけれど、ミカエルから切り離された現実によって別の人生が始まった感覚に唖然とした。
私には未来の女騎士たちしか残されていない。
私が生きている意味はもう、それ以外、見出せない。
体罰を禁じられた私は、生温い特訓を補填する為に厳しい躾けを取り入れた。言葉による教育だ。体で覚えさせられないのだとしたら、もう頭に覚えさせ、心に刻ませるより他ない。
「お前たちの命など、お前たちが見てきた家畜ほどの価値もない!食され血肉になり肉体を生かし続ける家畜のほうがまだ尊い!お前たちは一時の盾に過ぎない!ただ一時、尊い血筋の者たちを生き永らえさせる為に死ぬ!それを栄光と喜べない者、その覚悟がない者は、今すぐ帰れ!藁と糞に埋もれ、思う存分、土に鍬をふるうがいい!!」
私は正しい教育を施しているはずだった。
戦場で血を流させたはずの貴族たちは私を批難し、悪評をばら撒いた。守られていたくせにと、思わなくもなかった。所詮、私らなど、幾らでも替えの利く一つの駒に過ぎなかったのだ。
「何の為に……」
死んだのか。
私は、領民の中から女子をさらい過度な思想を植え付けている危険人物だと、そう揶揄されるようになった。私の作ろうとした新たな女騎士団は、誰からも求められず、認められず、解体され、禁じられていった。
何も残らなかった。
世界は私を敵と見做し、フェラレーゼ伯爵は離婚をするべきであるという貴族たちが現れた。
奴らは言うのだ。
フェラレーゼ伯爵の息子にはまともな母親がいる。その女を妻にするべきだと。
ああ、ヴェロニカ……
これ程までに、私から全てを奪い去っていく女だったとは思わなかった。
併し、全てを取り戻す方法も私には残されていた。
今、私こそがフェラレーゼ伯爵夫人だ。この事実は揺るがない。
私は息子たちを取り戻せばいい。
夫の息子たちは、フェラレーゼ伯爵夫人である私が育てる。奪還する。
只それだけの話だ。
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