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16(ヴェロニカ)

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「私がヴェロニカだって言ったら、違うって言われた」

不貞腐れた様子で戻ってきたロージーから書状と毛皮のマントを受け取る。
馬車を停め、火を熾して暖をとりながら、私は見慣れた封蝋に目を凝らした。

宮廷からの書状だ。
開くのと同時に、隣でロージーが毛皮のマントを広げた。

「二着……」

ロージーが私を前と後ろの両方から包もうとしたので、身を捩って辞退する。

「あなた薄着だもの」

父は私を守ろうとしている同世代の薄着の女性をも気遣ってくれたようだ。嬉しさなのか、可笑しさなのか、私はすとんと腑に落ちた。

ああ、お父さんだ。
そう感じた。確信した。

確かに父だった。
書状は、父が宮廷を去り、長く姿を現さなかった理由が綴られており、娘の私に対する謝罪と賠償が記されていた。

「本当に宮廷から?」
「ええ」
「あれ、あんたのパパ?」
「そう」

ロージーは時折父の方を伺いながら、彼女としては警戒を怠らずに、書状を読む私を見守ってくれている。

「エイダっていうの?あんたの、亡くなったお母さん」
「ええ」
「そっか」

ロージーが背中を摩ってくれる。

胸も張って痛いし、涙腺が母乳と連動していて一度泣いたら止まらないという状態もあって、私はまだすすり泣いている。
決して感動の再会という気分ではなかったのだけれど、ロージーは私が感情の波に襲われていると思ったのかもしれない。

実のところ、感動より、少し面白い。
父が目の前に現れたという事実が、嬉しくて、奇妙で、少し可笑しい。

それと感謝があった。
今この切迫した状況だったからこそ、一欠けらの恨みも沸いてこなかったのだろう。

「あ、安全なの?」

ロージーはどこか不安そうに耳打ちしてくる。
私はロージーに微笑み、頷いた。私の涙をロージーが拭ってくれる。

「父さんは当時、近衛兵だったみたい。徴税人の不正を告発して、その親族に逆恨みされて、宮殿の財宝を盗難した罪をでっちあげられて」
「大変じゃない」
「でも王太子夫妻が庇ってくれたのだけれど」
「よかったわね」
「それで、いっそ息の根を止めようって話に」
「難儀な親子ね」

父は命を狙われ、逃亡した。
王太子夫妻が中心となって動いてくれて収束したようだけれど、宮廷としては、その後、父の行方がわからなくなってしまい、極秘で捜索は続けていたらしかった。

ただ、生きていることだけは確かだった。
それは年に数回、近況を知らせる手紙が、あらゆる偽名を使って母に送られてきていたからだという。

私はこの話を知らなかった。
全てこの書状で初めて知らされた。

「見て」

ロージーに書状を向ける。

「用心棒をしていたみたい。投獄二回、遠征一回、捕虜一回だって」
「バ……能天……気……、お人好し?」

言いたくもなるだろう。

命を守る為に逃亡し、生活の為に逃亡先で用心棒をした。
別人になりすまし人助けをしながら旅をする。
わかる。
けれど、それで揉め事に巻き込まれて別人として投獄されているのだから、少し迂闊なのではないかと疑ってしまわなくはない。
遠征まで行っているのは驚いた。生きるために逃げたのではなかったのか。

けれど離れた土地の監獄は、事態が収束するまでの潜伏先として理想的だったかもしれない。

それに、そもそも父に関する過去の事件について、娘である私に対して言葉や情報を選ぶという配慮が成された可能性もある。宮廷は父の潔白を私に証明する方法として、私宛の書状を父本人に託したのだろう。

「もう二十年になるし、さすがに相手も死んだだろうってことで、最近、ついに居所を報せてくれたみたい。その返事が、王太子殿下からの母の訃報になったのよ。あと私のこと」
「あぁ……なんか、可哀相」

もう一度ロージーが父の方を見遣る。
父は、私も含めて主にロージーの警戒心を煽らないよう配慮したのか、少し離れた位置で待機していた。

私は書状を丁寧に膝の上に置き、手を重ねる。

揺れる焚火の火を見つめ、母を思い出して和んだ。

「母は、幸せそうにしてた気がする」
「手紙だけで?」
「うん。父の……帰る場所を守っていたのよ」
「男に甘いのは母親譲りってわけね」

ロージーは少し呆れたようだったけれど、その笑顔は優しく、深い労わりの気持ちが込められていた。その眉根がぎゅっと絞られる。

「でも、妻子を置いて逃げた男だよ。ヴェロニカ」
「んー……」
「いや、今となっては、あんたとお母さんが宮廷で守られていたのはわかるわよ。でも、当時は命を狙われてたんでしょ?どうせ逃げるなら家族で新天地の方がいいに決まってるのに」
「家族じゃなかったの」
「え?」
「母さん、未婚の母だったから」
「……え?そうなの?」

私と同世代のロージーは、当然、ある程度の年齢になってからフェラレーゼ伯爵家に雇われている。そして私がフェラレーゼ伯爵家に身を寄せた段階で私と出会った。
私や家族の大前提を知らなくても不思議ではない。

「たぶん、私を身籠っていることを知らなかったか、知っていたから身重の母を宮廷に預けて消えたのよ」
「え?でも、恋人だったのは事実なんでしょう?そんなの残して行ったら、あんたとお母さんなんて最高の人質になっちゃうじゃない。私はそれが言いたいの」
「母が父の恋人だと知るのは極限られた人たちだけだったみたいなの。悪者は知らなかった。父は安全を残してくれたのよ」
「はぁ?あんたね……」

私にしてくれたことを考えてもロージーは人情に厚い女性だ。納得できないのは理解できるし、私が想像だけで父の弁明をするのにも限界がある。

「父さん!」

私は父を呼んだ。
初めて父に呼び掛けた。なんだか、清々しい気分だった。

父は小さく飛び跳ねた。
私の隣でロージーも軽く跳ねて驚いていた。

「あ、あんた……」
「ゥア」

オリヴァーが起きた。
私が大声を上げたからだ。

父がのしのしと歩いてくる。
オリヴァーがぐずり始め、ロージーは狼狽している。

私はオリヴァーのおでこにキスをして揺すってあやしてから、授乳の為に胸をはだけた。

「何人かは父親が誰か知っていそうだったけれど、その何人かに王太子夫妻が含まれていたから誰からも非難されなかったのよ。本当、どうして秘密だったのかしらね。はいオリヴァー、お腹空いたね」

ロージーが大慌てで毛皮のマントを広げて掲げ、父の視界を遮ってくれた。本当に面倒見がいい人だと思った。いつかしっかり御礼がしたい。今は、さすがに余裕はない。

「お前が、ヴェロニカなのか……?」

マントの向こうで父が声を震わせる。

「はい、私がヴェロニカです」

少しなおざりな返事になってしまった。
授乳中なのだ、私は。更には逃亡中でさえある。

あ、こんな所に共通点が。
まさか初めて会った父と似た者親子だったなんて。

「ふふ。あなたの、おじいちゃんよ」

ママと一緒にはじめましてね、とオリヴァーに言った時。父が野太い声で泣き崩れ、ロージーが何かに耐えられないという雰囲気の溜息を洩らし夜空を仰いだ。

風が吹き、マントがはためく。
父の泣き声は私の涙を誘った。静かな涙は単純に生理的なものだったと思う。

オリヴァーが元気なげっぷをして、父の男泣きも落ち着いてから、母との交際を周囲に秘密にしていた理由を聞いてみると、なるほどと納得できるだけの答えが返ってきた。

「お前のじいさんによく思われていなかった」

確かに。

思い出の中の過保護な祖父は、私と母には甘いだけで普段は矍鑠としていて厳めしかった。矍鑠では済まないような、老人らしからぬ屈強な肉体を維持していた。
母の若かりし頃、それは祖父が騎士団長を引退した直後でもある。

当時の祖父が、母の恋愛相手という部類については如何なる男性のことも認めない雰囲気を惜しげもなく撒き散らしていたとしても意外ではないし、客観的に考えて孫の私でもかなり恐ろしいと感じる気がする。

だから両親が王太子夫妻やその周囲の人物を味方に引き入れ、外堀を固めて、できるだけ穏便に祖父から結婚の許可を得ようと備えていたというなら、筋は通る。

「あの一件がなければ、死ぬ気で結婚していた」

この場合、父を抹殺しようとするのは祖父になるけれど。
今となっては昔話だ。

「かもね」

私が笑いかけると、父の目がまた涙に揺れた。
その目の形は、鏡で見る私の目の形とよく似ていた。

「おかえりなさい」
「……!」

父が無意識に私に手を伸ばし、拳を握りしめて耐え留まる。
今日まで見ず知らずだった父の抱擁は、さすがに私もまだ微妙な気持ちにしかなれない。お互いにわかっている。

でもきっと、その内、家族らしい家族になれる。
母が生きていてくれたらいちばんよかったのだけれど、過ぎ去った日々にもしもを言い出せばきりがない。

今を見つめて生きていくしかない。
今、守れる命を守り、愛する人を愛して。

父が涙を散らしながら優しい笑顔を浮かべ、オリヴァーを示した。

「その子は、なんていうんだい?」
「オリヴァー」
「もうやめて……っ」

父と一緒に、ついにロージーが泣きだした。
いい人だと思った。
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