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7(ガイウス)

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「ヴェロニカ。ちょっといいかい?」

仕事中のヴェロニカを呼び出した時、使用人たちは訝しむ様子を見せない代わりに無関心を装っていた。
皆ヴェロニカが特別な存在だということは理解しているからだろう。

騎士の祖父を持つ下級貴族で、母娘ともに宮廷に仕えていた。
宮廷仕込みの料理の腕に感服するが、屈託ない性格のヴェロニカは何も鼻にかけることはなく、皆と打ち解けていた。

ヴェロニカは誰とでも仲良くなれる、心の綺麗な女性だ。

だが、誰もが口にせずとも心得ている。
ヴェロニカの父親が誰であるか。

……あったのか。

「はい、なんでしょう?」

ヴェロニカは私に命じられるのが嬉しいとでも言うように、喜んでキッチンから走り出てくると壁際で姿勢を正した。

期待を裏切ってすまないという気持ちと、ヴェロニカしか頼れないという切迫感が、私を苛む。

「ここでは話せない。来てくれ」
「はい……畏まりました」

多少の戸惑いを隠しそびれた感はあったものの、ヴェロニカは従順についてきた。幼い頃、無邪気に私を追いかけ回していた頃を思い出さずにはいられないが、今は懐かしむ余裕すらない。

取り立てて客人もない時期であり、ただ清潔を保たれているだけの客室にヴェロニカを誘い入れる。
その頃になると、ヴェロニカもさすがに眉を潜め状況の如何を疑っていた。私は素早くカーテンを開け、窓を開けた。しかし扉は閉ざしていた。

いったい、どうなさったんですか?

言葉にはしなくても、ヴェロニカの大きな瞳が真剣にそう問いかけてくる。
そこには宮廷で貫禄を身に付けた料理人の風格と同時に、身内の気遣いも滲んでいた。

私は現在ソレーヌが陥っている状態を障りのない程度に打ち明けた。

「──それで、信頼している君に跡継ぎを産んでほしいと……」
「!?」

は!?
と、いう表情。

ヴェロニカは声を出さず、目と口を大きく開けて私を凝然と見つめている。

「勿論、私は違う意見だよ?だが思い悩んだ妻はそのことしか頭にない様子で、もう決定したかのように振舞うんだ」
「……」

ヴェロニカが戦慄したかのように瞬きした。
私は重要なことを付け加えるのを忘れていたと気づき、慌てて補足する。

「安心してほしい。私は君を、そんなふうには見ていない。君の兄や小父のつもりで結婚相手を探しているところだ」
「……はい?」

ついにヴェロニカが声を出した。
そして、そこはかとない怒りを愛くるしい顔に漂わせている。

「……ヴェロニカ。怒って当然だ」

それについては弁明の余地もない。
私の言葉を合図にヴェロニカは憮然と目を逸らした。怒りを必死に抑えようとしているように見えるが、私が想像したよりずっと冷静で驚いた。

「君を怒らせてこんなことを頼むのは心苦しいが、私も、頼れるのは君しかいない。君を信頼しているのも事実だし、何よりも妻が君に心を開いている」
「旦那様」
「私はどうしたらいい?ソレーヌに、なんて言ってやったらいいんだろう?」
「……」

ヴェロニカの表情が怒りから困惑に変わる。
長い睫毛をはためかせるようにしきりに瞬きを繰り返し、何やら真剣に思案してくれているのがわかった。

「既に言葉は尽くしたんだ。結婚までこぎ付けるのだって大変だった。心は伝わったと思っていた。だが私は、ソレーヌの悩みの深さを見誤ったのだと思う」
「……」
「産みたくても産めない苦しみだけではなく、既にいる息子との軋轢による苦しみもある。母親の苦しみを、親にもなっていない男の私が、理解できるなど……思い込むのも烏滸がましいだろう」

ヴェロニカの表情に思いやりが混じり怒りが幾分引いたのを、私は安堵しつつ見つめながら情けない心情を吐露する。

「夫として、これ以上、何を言ったらいい?何をしてあげたらソレーヌの心は晴れるだろうか。彼女は何を言って欲しいんだ?女性の中で、誰よりも信頼していて、絶対に秘密を守ってくれる君の助言が欲しいんだよ。私はどうすべきか。ヴェロニカ」

ヴェロニカの身元引受人が聞いて呆れる。
併し、今、私が妻の件で安心して頼れるのは事実としてヴェロニカただ一人なのだった。

ヴェロニカは真心から妻に優しさを向けてくれる。
私が妻を愛する気持ちも、誠実に尊重してくれる。

だから助言を求めた。

そして、ヴェロニカは私の期待に応え、暫く黙り込んだ後、静かにこう言ってくれたのだった。

「まずは奥様が気持ちよく毎日を過ごせるようになって頂かないと」
「ありがとう」

安堵の溜息とともに感謝を伝えると、ヴェロニカは私にも労わりの視線を注いでくれた。

「不安や心配がおありなら、それは旦那様がお傍で支えて差し上げるしかないと思います」
「私は足りないだろうか」
「そうなのだと思います」

はっきり言ってくれるのは心底ありがたい。

「どうしたらいい?女性の目で、夫として私には何が足りない?」
「さあ。奥様が求めていらっしゃる何かが足りないのでしょうけれど、それが何なのかは、奥様御本人にしかわかりません。それに……」
「?」
「もしかすると、奥様ご自身も、わからないのかもしれません」

困惑しつつも誠実に対応してくれる姿を見ていると、とても年下とは思えない頼もしさがあり、私はふいに感心と感動を覚えた。
そんな私の心境にはまるで頓着せず、ヴェロニカは真剣に妻のことを案じてくれているようだった。それがまた嬉しい。

「ですから、結局は」
「うん」
「旦那様が奥様に悩む隙を作らせない事が肝心です」
「それは、例えば、女性はどんな時間を望んでいるんだい?」

ヴェロニカが大きな瞳を天井に向けたので、白目の部分が良く見えた。
大人になって、綺麗な女性になったとしても、やはりどこか狸を思わせる可愛さがある。

「熱心に口説かれたんですよね?だったら、お二人の間で特に思い出深いデートや、共通の趣味趣向があったと思うのですが……お二人の馴れ初めは?」
「武闘会で私がソレーヌに負けた」
「ああ。なるほど……」

本当にヴェロニカに相談してよかった。
これほど真剣に対応してくれるとは、それなりの期待はしていたが、その私の期待は軽く越えてきた。

「恐れ入りますが、奥様が慣れない暮らしに馴染もうと努力なさっているのはとても感じるのですけれど」
「うん」
「奥様の特技や特性が活かされる場面がないですよね」
「……うん」
「それでは自信を失う一方で、塞ぎ込んで思い悩んでしまっても無理はないかもしれないですよね」
「……そうかもしれない。出来る限り支えようと努めたが」
の愛がいくら真実で深くても、ただ守られるだけというのは守る立場だった奥様には自分が弱くなったように感じて逆効果の面もあったのではないですか?」
「……」

助言が無論、ありがたい。
私が心から求めていたのだから当然だ。

だが今、一瞬、幼い頃に戻ったように、無意識ではあったが私の名を呼んだ。
それが思いの他とてつもなく嬉しかった。

だが今はそれどころではないだろう。
ヴェロニカが気づいていないようだから、敢えて私が指摘して話の腰を折るのはさすがに無礼だ。私も流して妻の件に集中する。

「そうだったかもしれない。考えが足りなかった」
「御自分を責めても仕方ありません。実際、旦那様は間違えたわけではないと思います。男性の限界というか……」

呼び方が戻った。
残念とまでは言わないが、やや、寂しさを感じてしまった。

「失礼ですが、事実として、奥様のほうが大人ですし……」
「本当にその通りだ」
「だから!お二人で楽しめる事で、奥様にリードして頂けるようなことをなさったらいいと思います。きっと奥様も旦那様を可愛く感じていらっしゃると思いますから、ちょっと頼って、甘える感じで、奥様に自信を取り戻して頂くんです」
「なるほど。いい案だ」
「例えば、毎日の運動として奥様から剣の手ほどきを受けるとか、女騎士様だった奥様に騎士学校のようなものを運営していただいて、お二人で領民の子どもたちの武闘会を企画されるとか」
「おお、楽しそうだ!」

期待が膨らみつい声を上げた私につられ、ヴェロニカもにこりと笑った。

「お二人で楽しい時間をお過ごしになれば、今の幸せを実感できますよ」
「ありがとう、ヴェロニカ。君は天才だな」

私は心からの感謝と称賛を込めヴェロニカを抱擁した。
ヴェロニカの方も家族のように親しく抱擁を返し、励ますように私の背中を数回、叩くように摩った。
信頼と親愛に満ちた、気持ちの良い抱擁だった。

私たちは抱擁を解き、笑顔で見つめあった。
この時は、これで全てが解決し、全て良い方へと変化していくだろうと信じて疑わなかった。
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