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25(ミネット)

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「聞いてもいい?」

朝、奇跡のように美しく愛嬌のある奥様の御髪を整えていると鏡越しに尋ねられた。

「はい」
「あなた、私の顔好き?」

複雑な性格の御方ではない。

「はい」
「そうなのね。あなた言わないから」
「申し訳ありません」
「いえ、違うの。言わないでもらえて助かってる。私、顔を褒められるのあまり好きじゃないのよ。嫌いなの。自分の顔」

美貌にそぐわない潔い性格が可愛らしいと思ってきたが、まさか美貌そのものに不満があるとは気づかなかった。

「御綺麗ですよ?」
「わかってる」

このように潔いところがたまらなく愛しくなる。
現当主の子守りをしていた頃より百倍幸せだ。

絹糸のような美しい髪に櫛を通し、私は内心うっとりしている。今この瞬間も。

「母も美人で私は母に似ている」
「はい」
「物心ついた頃からずっと他人から物のように見られたり、触られたりしたの。それが凄く嫌だった」

美しいならでは悩みだが嫌味はない。

「母をまた描きたいという画家がこっそり私をスケッチしていたりね」
「奥様ほどお美しければ見せびらかし羨望の眼差しを浴びようと思う人間の方が多いものですよ」
「楽しめなかった私が変なのかしら。脱げとか、顎や肩の角度を指図されて、視線や息まで自分の意思にならないのよ」

美貌をひけらかしていないのは確かに変わっている。
純粋な奥様がますます好きになった。

「尊厳を踏みにじられて傷つかれたのですね」
「そうよ!」

理解者を得たという喜びが強い語調から感じられた。これが今後一切容姿について触れてくれるなという牽制かと思わない方が鈍感ではないだろうか。
私は外見への賞賛を生涯、口には出すまいと決意した。

しかし次の瞬間、思わぬ方向へと覆される。

「でも最近ね、思うの。夫の顔が、素敵だなって」
「…………」

手を動かし続けた自分を私は褒めたい。
鏡越しに見ていると奥様の頬が忽ち薔薇色に染まり、耳まで真っ赤になった。照れている。

「私は自分が嫌だからわからないの。私、夫を物みたいに見ているのかしら。一度それらしいことを言ってしまったのよ。私、ランスを傷つけた?」
「……」

結婚二日目の昼食以降、若きカルメット侯爵夫妻は急速に打ち解けている。
一月を迎えた今となっては城内で互いの姿を見かければ無邪気な挨拶を交わし、見ているこちらまであたたかな気持ちになるほど微笑ましい情景だ。

ただそれは恋愛感情ではなく、友情や家族愛に近い親密さに見えていた。

それが……ついに……

「まさか。喜ばれたと思いますよ」

春が来た。

「そう?何が違うの?」
「芸術と夫婦関係は全く別物だからとしか申し上げられません」
「でもつい目がいくのよ。勝手に眺めて、悪くない?」

今この瞬間、当主と代わってさしあげたい。

「目が合いませんか?」
「合うわ」
「ランス様も奥様を見ていらっしゃるからです。お嫌ですか?」
「……全然。そうでもないわ」

奥様が眉を顰める。

考えていらっしゃる。
私は当主の喜びを奪わない程度に真実を告げる。

「夫婦が互いの顔に見惚れるのは普通のことです」
「……!」

このくらいにしておこう。
もう髪が編みあがる。

奥様は今日、午前中は執事ベイルの個人的な趣味を観察する予定だ。朝の決まった隙間時間に小さな菜園の手入れをしている。多忙な執事の予定を脅かすのは私としても本望ではない。

それに奥様から手が離れた隙間時間で私にもやりたいことがある。

照れながら考え込んでいる奥様を執事ベイルの菜園に送り届けた私は三階まで階段を駆け上がり夫の持ち場に顔を出した。片眼鏡が曇るが問題ない。

「ハァイ、アリス」

午前中は掃除から昼食の支度まで夫も多忙を極めている。
大量の湯を地下から汲み上げ続けている汗だくの夫アリスチドが顔だけこちらに向けた。

「よお、お疲れさん」
「奥様、ランス様を繋ぎとめてくれるかも」
「そりゃよかった。願ったり叶ったりだ」

作業の手を止めるわけにはいかないアリスチドの邪魔にならない位置で背伸びをし、夫の頬に手を添えて短いキスを交わす。

互いにカルメット侯爵家で生まれ育ち、時間の使い方は心得ている。
見つめ合う理由もよく知っている。

結婚の意味も。

「またね」
「おう」

私は踵を返し仕事に戻った。
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