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「初手でそうくるとは……」
「私には言えないことですか?あなたの妻ですが」
笑顔を向けて小首を傾げてみたところ、ランスは完全に私の顔面に見入り黙り込んだ。頬まで染めている。
「……」
「……」
夫が我に返るのを待った。
やがて自分が呆けていたと気づいたランスが照れ隠しのように笑って目を逸らし食事を再開する。
背が高いランスは手も大きい。
ノアム侯爵令息は長く寝たきりの末、記憶喪失を経てランスの所業を告白した。重傷を負わせた手が現在、私に届く距離でターキーサンドを摘まんでいる。
重要なのはやはりランスから後悔や自責の念を全く感じないことだ。
覚えがあった。
私はシュヴァリエ伯爵夫人テレザの大切な指輪を盗んでなどいない。だから悔やみもしなければ反省もしない。やっていないのだ。当然だ。
ただランスとは決定的な違いがある。夫は罰を受け入れようとしている。
私なら無実の罪で裁かれようとしているのに弁明も釈明もせず受け入れて時を待つなんてしたくない。例外は負けた時だけ。
私は負けた。
夫は、負けたのか……?
裸の王様の急所を握るランスが?
「……」
ところで返事がない。
私は手の甲でランスの腕辺りを軽く叩いた。
「!……ああ、御免」
狼狽えている様子はあるものの、それは罪を暴かれるとか責められるとかいった心的苦痛を恐れる類のものではなかった。
ランスは私の顔に見惚れている。
完食からの逃走という道を取らせる気はない。質問を変えてみよう。
「何か理由があるのでしょう?」
「……」
私に見惚れていたランスの顔に次第に理性が戻る。
そうなると私がランスの顔に見惚れそうなので、私は目を逸らした。
私は知っていた。
たとえ顔を逸らしてもせめて私の横顔だけでも描こうという画家たちによって、この横顔には一定の価値があるということを。
「君は知らないまま受け継げるのに」
「知りたいから聞きました。妻なので」
「そうか……」
ランスの食事の手が止まる。
「言わないよ」
「……」
苛立ちで眉間に皴を寄せているだけであり料理に文句があるわけではない。美味しい。給仕係から料理人に妙な誤解が伝わらないよう願う。
しかし私の苛立ちは杞憂だった。
ランスははっきりとした口調で続けた。
「ただ事実を伝えよう」
「?」
「他でもない奥さんの質問は無視できない」
余計なことは言わなくていいからと指摘して台無しにするのは本望ではない。私はぶり返した苛立ちと微かな期待を抑え横目でランスを見遣る。早く言えという目で。彼は応じた。
「陛下も同じ質問をされた。何か理由があるのだろうと。私は答えなかった。正確には、理由は言えないと答えた」
「何故?」
「……」
「それも言えないのね」
何かをフォークで刺したくなった。
しかし私も子供じゃない。衝動は抑えられる。
ランスは、その恐ろしい瞬間、衝動を抑えられなかったのだ。抑えられない理由があった。或いは解き放つ理由が。
「……」
そう。
理由は、在る。
「陛下は2年の猶予をくださった」
夫ランスは事実を伝えると言った。
誠実が見かけだけではないとしたら、その猶予は私にも深く関係する事実だ。私たちは夫婦なのだから。
「弁明する気になるのを待ってくださっている。でも私は」
「その気はないのね」
ランスは見た目通り悪い人ではないようだし、この顔が苦痛に歪む様を想像するだけで辛い。ランスには笑顔が似合う。
「私の夫はどうなるのでしょう?」
それとなく尋ねるとランスが小さく笑みを浮かべた。
「優雅な幽閉生活になるだけだよ。気にしてくれたんだね。ありがとう」
「……」
「心配いらないよ。極刑にはならない。君の生活も保証されている」
夫に幽閉生活を強いる王族の方の御風呂の世話をする私……か。
温泉が素晴らしいとしても心境は複雑だ。
私は複雑なことが嫌いだった。
だからこの状況でも確実なものを明白にしておきたかった。
「わかりました。あなたには理由があった。信じます」
「え……?」
私は完全に食事の手を止めて椅子の上で体を捻り、できるだけ夫の方を向く。そしてできる限り正面に近い角度で夫ランスを見上げる。身長差は椅子の上でも充分にあるのだ。
「妻ですから、あなたを信じます。私の夫は王家に信頼される善人です。あなたにはそうするだけの理由があった。今のところ、それで充分です」
「シルヴィ……」
「私の話をすると」
急に話題を変えたためかランスがやや目を丸くして驚いた表情を見せた。
私は構わずに続ける。
「シュヴァリエ伯爵家で指輪を盗んだ罪を被せられました。濡れ衣です」
ランスが私を見つめながら深く心に入り込んでくる。
「うん。わかっているよ」
ランスの低く柔らかな声が私を包み、癒す。
私は心からの笑顔を夫に向けた。
「誰も私を信じてくれませんでした。だから、私は夫を信じます」
私たちは形は違えど互いに罪を背負い結ばれた夫婦。
この契約結婚は悲劇と呼べるだろう。
でも、私たちだけは知っている。
私たちだけが知っていればいいのだ。
信頼しあえるということを。
「私は負けました。ランス。あなたは、負けたのですか?」
夫は事実を答える。
私はそう信じると決めた。
私を見つめていたランスがまるで希望を見出したかのように瞳を輝かせ、微かな笑みを浮かべ、囁いた。
「違う」
「私には言えないことですか?あなたの妻ですが」
笑顔を向けて小首を傾げてみたところ、ランスは完全に私の顔面に見入り黙り込んだ。頬まで染めている。
「……」
「……」
夫が我に返るのを待った。
やがて自分が呆けていたと気づいたランスが照れ隠しのように笑って目を逸らし食事を再開する。
背が高いランスは手も大きい。
ノアム侯爵令息は長く寝たきりの末、記憶喪失を経てランスの所業を告白した。重傷を負わせた手が現在、私に届く距離でターキーサンドを摘まんでいる。
重要なのはやはりランスから後悔や自責の念を全く感じないことだ。
覚えがあった。
私はシュヴァリエ伯爵夫人テレザの大切な指輪を盗んでなどいない。だから悔やみもしなければ反省もしない。やっていないのだ。当然だ。
ただランスとは決定的な違いがある。夫は罰を受け入れようとしている。
私なら無実の罪で裁かれようとしているのに弁明も釈明もせず受け入れて時を待つなんてしたくない。例外は負けた時だけ。
私は負けた。
夫は、負けたのか……?
裸の王様の急所を握るランスが?
「……」
ところで返事がない。
私は手の甲でランスの腕辺りを軽く叩いた。
「!……ああ、御免」
狼狽えている様子はあるものの、それは罪を暴かれるとか責められるとかいった心的苦痛を恐れる類のものではなかった。
ランスは私の顔に見惚れている。
完食からの逃走という道を取らせる気はない。質問を変えてみよう。
「何か理由があるのでしょう?」
「……」
私に見惚れていたランスの顔に次第に理性が戻る。
そうなると私がランスの顔に見惚れそうなので、私は目を逸らした。
私は知っていた。
たとえ顔を逸らしてもせめて私の横顔だけでも描こうという画家たちによって、この横顔には一定の価値があるということを。
「君は知らないまま受け継げるのに」
「知りたいから聞きました。妻なので」
「そうか……」
ランスの食事の手が止まる。
「言わないよ」
「……」
苛立ちで眉間に皴を寄せているだけであり料理に文句があるわけではない。美味しい。給仕係から料理人に妙な誤解が伝わらないよう願う。
しかし私の苛立ちは杞憂だった。
ランスははっきりとした口調で続けた。
「ただ事実を伝えよう」
「?」
「他でもない奥さんの質問は無視できない」
余計なことは言わなくていいからと指摘して台無しにするのは本望ではない。私はぶり返した苛立ちと微かな期待を抑え横目でランスを見遣る。早く言えという目で。彼は応じた。
「陛下も同じ質問をされた。何か理由があるのだろうと。私は答えなかった。正確には、理由は言えないと答えた」
「何故?」
「……」
「それも言えないのね」
何かをフォークで刺したくなった。
しかし私も子供じゃない。衝動は抑えられる。
ランスは、その恐ろしい瞬間、衝動を抑えられなかったのだ。抑えられない理由があった。或いは解き放つ理由が。
「……」
そう。
理由は、在る。
「陛下は2年の猶予をくださった」
夫ランスは事実を伝えると言った。
誠実が見かけだけではないとしたら、その猶予は私にも深く関係する事実だ。私たちは夫婦なのだから。
「弁明する気になるのを待ってくださっている。でも私は」
「その気はないのね」
ランスは見た目通り悪い人ではないようだし、この顔が苦痛に歪む様を想像するだけで辛い。ランスには笑顔が似合う。
「私の夫はどうなるのでしょう?」
それとなく尋ねるとランスが小さく笑みを浮かべた。
「優雅な幽閉生活になるだけだよ。気にしてくれたんだね。ありがとう」
「……」
「心配いらないよ。極刑にはならない。君の生活も保証されている」
夫に幽閉生活を強いる王族の方の御風呂の世話をする私……か。
温泉が素晴らしいとしても心境は複雑だ。
私は複雑なことが嫌いだった。
だからこの状況でも確実なものを明白にしておきたかった。
「わかりました。あなたには理由があった。信じます」
「え……?」
私は完全に食事の手を止めて椅子の上で体を捻り、できるだけ夫の方を向く。そしてできる限り正面に近い角度で夫ランスを見上げる。身長差は椅子の上でも充分にあるのだ。
「妻ですから、あなたを信じます。私の夫は王家に信頼される善人です。あなたにはそうするだけの理由があった。今のところ、それで充分です」
「シルヴィ……」
「私の話をすると」
急に話題を変えたためかランスがやや目を丸くして驚いた表情を見せた。
私は構わずに続ける。
「シュヴァリエ伯爵家で指輪を盗んだ罪を被せられました。濡れ衣です」
ランスが私を見つめながら深く心に入り込んでくる。
「うん。わかっているよ」
ランスの低く柔らかな声が私を包み、癒す。
私は心からの笑顔を夫に向けた。
「誰も私を信じてくれませんでした。だから、私は夫を信じます」
私たちは形は違えど互いに罪を背負い結ばれた夫婦。
この契約結婚は悲劇と呼べるだろう。
でも、私たちだけは知っている。
私たちだけが知っていればいいのだ。
信頼しあえるということを。
「私は負けました。ランス。あなたは、負けたのですか?」
夫は事実を答える。
私はそう信じると決めた。
私を見つめていたランスがまるで希望を見出したかのように瞳を輝かせ、微かな笑みを浮かべ、囁いた。
「違う」
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