8 / 20
8(リカード)
しおりを挟む
可哀想に。
オリヴィアの世界はいつも不安でいっぱいで、危険に満ち、裏切りが約束されている。
もう普通の安らぎが訪れることはなく、常に警戒し、緊張し、自身を取り囲む敵に隙を見せまいとしている。
これが性格の問題なら、多少骨が折れようと苛立ちを覚えようと未来を信じてぶつかっていける。だがオリヴィアは違う。熱病で壊されてしまった精神はもう元には戻らず、孤独と恐怖の人生を消化していくだけ。
それなのに、僕といるとたまに笑ってくれる。
時々、不安を忘れたような表情を見せてくれる。
嬉しかった。
少しでもその心が安らぐなら、僕はなんだってしてあげたい。
僕は極めて短い婚約期間を経て婿養子という形でオリヴィアと結婚した。
幼い頃には無邪気に、或いは不作法におじさんおばさんと呼んでいた人たちが、義理の親になった。
「ありがとう。リカード。本当にありがとう……っ」
「やめてくださいよ。僕は厭々オリヴィアと結婚したんじゃないんですから」
「そうよ、あなた。リカードはずっとオリヴィアに片想いしていたの。私、知ってるんですから」
「それもやめてください。恥ずかしいから……」
まるで幼い日々がそのまま戻ってきたように、家族同然だったデニッツ伯爵夫妻と会話する気楽な時間がある意味では癒しだった。
オリヴィアを愛しているからといって、彼女の病状に真正面から向き合って疲れないような超人ではない。
体力はいくらでもある。ただ、オリヴィアの苦悩を思うと居た堪れない。愛している分、心労は激しくなってしまう。愛する人の苦しむ姿を見るのは辛い。
それでも、僕はオリヴィアの傍で心を痛めることさえ幸せだった。
オリヴィアが幸せだったらそれがいちばんいいのだが、見果てぬ夢だ。オリヴィアの傍で苦悩していられるのは、やはり僕だから。オリヴィアを愛する僕だからそうしていたい。もう傷つくことでしか寄り添えないなら、どこまでも傷つきたい。
オリヴィアの痛みに近づきたい。
義理の両親と話していて癒されるのは、同じ思いを抱えているからだ。
義母が微かな笑みを浮かべる。
「あなたが来てからオリヴィアは本当に穏やかになって。私、見たわ。あの子が、昔のようにとは言えないけれど少し笑っていたところを」
「僕といると、安心していられた子どもの頃を思い出すのでしょうね」
今オリヴィアは寝室で仮眠中だ。倦怠感と疲労、それに聞くとやはり頭痛が辛いらしく、一日の半分以上は眠っている。
「結婚というより半分は子守りみたいなものね」
義母となったデニッツ伯爵夫人は幼い僕を知っている。そういう仲だから結構言葉に遠慮がない。だがそれも相手が僕だから言うのであって、元が無神経な人というわけではない。
「本当に怯える子どものようですよ。恐いんだと思います。自分を取り巻く世界の全てが敵だなんて……苦しいでしょう。僕が代わってあげたい。僕なら宮廷でそれなりに揉まれて図太くなってますからね」
「君がオリヴィアの食事を先に少し食べるだろう、毒見みたいに。テオフィルス殿下の側近というからには本当に毒見の経験が?」
「最初の頃だけですよ。恐れ多いことですが、殿下に気が合うと思われているらしく親友と呼んでくださいます」
「そうか……」
義父は苦い表情で目線を落とす。
「結婚するにしても、娘が元気ならよかったんだが……」
オリヴィアはこれを聞いてしまったらしかった。
浅い眠りから覚め、僕を探して扉の前まで来ていたのだ。
仮に体調が万全の状態で結婚していたらテオフィルス殿下の側近である僕と一緒に宮殿暮らしができた、場合によっては宮廷で遣り甲斐のある役職につけたかもしれない……義父はそう思ったのだろう。
だがオリヴィアの耳には全く違って聞こえた。
その夜、僕とオリヴィアは最初で最後の夫婦喧嘩をした。
運命の夜だった。
オリヴィアの世界はいつも不安でいっぱいで、危険に満ち、裏切りが約束されている。
もう普通の安らぎが訪れることはなく、常に警戒し、緊張し、自身を取り囲む敵に隙を見せまいとしている。
これが性格の問題なら、多少骨が折れようと苛立ちを覚えようと未来を信じてぶつかっていける。だがオリヴィアは違う。熱病で壊されてしまった精神はもう元には戻らず、孤独と恐怖の人生を消化していくだけ。
それなのに、僕といるとたまに笑ってくれる。
時々、不安を忘れたような表情を見せてくれる。
嬉しかった。
少しでもその心が安らぐなら、僕はなんだってしてあげたい。
僕は極めて短い婚約期間を経て婿養子という形でオリヴィアと結婚した。
幼い頃には無邪気に、或いは不作法におじさんおばさんと呼んでいた人たちが、義理の親になった。
「ありがとう。リカード。本当にありがとう……っ」
「やめてくださいよ。僕は厭々オリヴィアと結婚したんじゃないんですから」
「そうよ、あなた。リカードはずっとオリヴィアに片想いしていたの。私、知ってるんですから」
「それもやめてください。恥ずかしいから……」
まるで幼い日々がそのまま戻ってきたように、家族同然だったデニッツ伯爵夫妻と会話する気楽な時間がある意味では癒しだった。
オリヴィアを愛しているからといって、彼女の病状に真正面から向き合って疲れないような超人ではない。
体力はいくらでもある。ただ、オリヴィアの苦悩を思うと居た堪れない。愛している分、心労は激しくなってしまう。愛する人の苦しむ姿を見るのは辛い。
それでも、僕はオリヴィアの傍で心を痛めることさえ幸せだった。
オリヴィアが幸せだったらそれがいちばんいいのだが、見果てぬ夢だ。オリヴィアの傍で苦悩していられるのは、やはり僕だから。オリヴィアを愛する僕だからそうしていたい。もう傷つくことでしか寄り添えないなら、どこまでも傷つきたい。
オリヴィアの痛みに近づきたい。
義理の両親と話していて癒されるのは、同じ思いを抱えているからだ。
義母が微かな笑みを浮かべる。
「あなたが来てからオリヴィアは本当に穏やかになって。私、見たわ。あの子が、昔のようにとは言えないけれど少し笑っていたところを」
「僕といると、安心していられた子どもの頃を思い出すのでしょうね」
今オリヴィアは寝室で仮眠中だ。倦怠感と疲労、それに聞くとやはり頭痛が辛いらしく、一日の半分以上は眠っている。
「結婚というより半分は子守りみたいなものね」
義母となったデニッツ伯爵夫人は幼い僕を知っている。そういう仲だから結構言葉に遠慮がない。だがそれも相手が僕だから言うのであって、元が無神経な人というわけではない。
「本当に怯える子どものようですよ。恐いんだと思います。自分を取り巻く世界の全てが敵だなんて……苦しいでしょう。僕が代わってあげたい。僕なら宮廷でそれなりに揉まれて図太くなってますからね」
「君がオリヴィアの食事を先に少し食べるだろう、毒見みたいに。テオフィルス殿下の側近というからには本当に毒見の経験が?」
「最初の頃だけですよ。恐れ多いことですが、殿下に気が合うと思われているらしく親友と呼んでくださいます」
「そうか……」
義父は苦い表情で目線を落とす。
「結婚するにしても、娘が元気ならよかったんだが……」
オリヴィアはこれを聞いてしまったらしかった。
浅い眠りから覚め、僕を探して扉の前まで来ていたのだ。
仮に体調が万全の状態で結婚していたらテオフィルス殿下の側近である僕と一緒に宮殿暮らしができた、場合によっては宮廷で遣り甲斐のある役職につけたかもしれない……義父はそう思ったのだろう。
だがオリヴィアの耳には全く違って聞こえた。
その夜、僕とオリヴィアは最初で最後の夫婦喧嘩をした。
運命の夜だった。
79
お気に入りに追加
1,295
あなたにおすすめの小説
【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす
まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。
彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。
しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。
彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。
他掌編七作品収録。
※無断転載を禁止します。
※朗読動画の無断配信も禁止します
「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」
某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。
【収録作品】
①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」
②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」
③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」
④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」
⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」
⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」
⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」
⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」
あなたの姿をもう追う事はありません
彩華(あやはな)
恋愛
幼馴染で二つ年上のカイルと婚約していたわたしは、彼のために頑張っていた。
王立学園に先に入ってカイルは最初は手紙をくれていたのに、次第に少なくなっていった。二年になってからはまったくこなくなる。でも、信じていた。だから、わたしはわたしなりに頑張っていた。
なのに、彼は恋人を作っていた。わたしは婚約を解消したがらない悪役令嬢?どう言うこと?
わたしはカイルの姿を見て追っていく。
ずっと、ずっと・・・。
でも、もういいのかもしれない。
愛しき冷血宰相へ別れの挨拶を
川上桃園
恋愛
「どうかもう私のことはお忘れください。閣下の幸せを、遠くから見守っております」
とある国で、宰相閣下が結婚するという新聞記事が出た。
これを見た地方官吏のコーデリアは突如、王都へ旅立った。亡き兄の友人であり、年上の想い人でもある「彼」に別れを告げるために。
だが目当ての宰相邸では使用人に追い返されて途方に暮れる。そこに出くわしたのは、彼と結婚するという噂の美しき令嬢の姿だった――。
これは、冷血宰相と呼ばれた彼の結婚を巡る、恋のから騒ぎ。最後はハッピーエンドで終わるめでたしめでたしのお話です。
完結まで執筆済み、毎日更新
もう少しだけお付き合いください
第22回書き出し祭り参加作品
2025.1.26 女性向けホトラン1位ありがとうございます
【完結】わたしの大事な従姉妹を泣かしたのですから、覚悟してくださいませ
彩華(あやはな)
恋愛
突然の婚約解消されたセイラ。それも本人の弁解なしで手紙だけという最悪なものだった。
傷心のセイラは伯母のいる帝国に留学することになる。そこで新しい出逢いをするものの・・・再び・・・。
従兄妹である私は彼らに・・・。
私の従姉妹を泣かしたからには覚悟は必要でしょう!?
*セイラ視点から始まります。
【完結】薔薇の花をあなたに贈ります
彩華(あやはな)
恋愛
レティシアは階段から落ちた。
目を覚ますと、何かがおかしかった。それは婚約者である殿下を覚えていなかったのだ。
ロベルトは、レティシアとの婚約解消になり、聖女ミランダとの婚約することになる。
たが、それに違和感を抱くようになる。
ロベルト殿下視点がおもになります。
前作を多少引きずってはいますが、今回は暗くはないです!!
11話完結です。
あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます
おぜいくと
恋愛
「あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます。さようなら」
そう書き残してエアリーはいなくなった……
緑豊かな高原地帯にあるデニスミール王国の王子ロイスは、来月にエアリーと結婚式を挙げる予定だった。エアリーは隣国アーランドの王女で、元々は政略結婚が目的で引き合わされたのだが、誰にでも平等に接するエアリーの姿勢や穢れを知らない澄んだ目に俺は惹かれた。俺はエアリーに素直な気持ちを伝え、王家に代々伝わる指輪を渡した。エアリーはとても喜んでくれた。俺は早めにエアリーを呼び寄せた。デニスミールでの暮らしに慣れてほしかったからだ。初めは人見知りを発揮していたエアリーだったが、次第に打ち解けていった。
そう思っていたのに。
エアリーは突然姿を消した。俺が渡した指輪を置いて……
※ストーリーは、ロイスとエアリーそれぞれの視点で交互に進みます。
【完結】わたしの欲しい言葉
彩華(あやはな)
恋愛
わたしはいらない子。
双子の妹は聖女。生まれた時から、両親は妹を可愛がった。
はじめての旅行でわたしは置いて行かれた。
わたしは・・・。
数年後、王太子と結婚した聖女たちの前に現れた帝国の使者。彼女は一足の靴を彼らの前にさしだしたー。
*ドロッとしています。
念のためティッシュをご用意ください。
命を狙われたお飾り妃の最後の願い
幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】
重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。
イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。
短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。
『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる