5 / 20
5(リカード)
しおりを挟む
オリヴィアは疲れたからと言って寝室に戻った。
僕はオリヴィアの父デニッツ伯爵と互いに思い詰めた顔をして見つめ合う。
「座ってくれ」
向かい合ってソファーに座る。
幼い頃おじさんと呼んで慕ったデニッツ伯爵はすっかり意気消沈したふうで先程のオリヴィアのように頭を抱えてしまった。
「すまない、リカード」
「謝らないでください。望んでここへ来ました。来てよかったです」
畳みかけるように言うとデニッツ伯爵は顔をあげてくれた。
僕も歯を食いしばり涙を拭いた。
「娘は変わり果ててしまった」
デニッツ伯爵の言葉はある意味で正しい。
優しく穏やかで聡明だったオリヴィアは確かに変貌していた。だがそれが熱病の後遺症であると僕は知っていた。
「ヴィンクラー伯爵から説明は受けていますか?」
「ああ」
尋ねるとデニッツ伯爵は苦渋の表情で頷いた。
「まさか、これ程とは……」
「恐ろしい風土病です。土地の者は先祖から免疫を受け継いで産まれ痒み程度で済むそうですが、そうではない外部の者がその虫に刺されると酷い熱病に冒され、助かっても一生酷い倦怠感に苛まれ……そして、狂う」
熱病が人を変えてしまう。
その心は二度と幸福を感じることも、安らぐこともない。強烈な猜疑心によって世界の全てが敵だと思い込んでしまう。
倦怠感に打ち勝つ体力を持っていた場合、破壊行動が始まる。
「娘は殺されたも同然だ……」
「おじさん」
「私が愚かだった。行かせるべきではなかったのだ」
デニッツ伯爵の苦悩は察するに余りある。
夫人の方は心労で臥せってしまっている。
「フェルスター伯爵家から何と言われたんですか?間もなく娘が嫁ぐという家から安全を保障されれば普通は信じるものですよ」
僕はオリヴィアを愛しているし、デニッツ伯爵を実の父のように慕っている。
油断してしまうだけの理由があったはずだと確信していた。
デニッツ伯爵が僅かな沈黙の後、口を開く。
「夏のヴィンクラー伯領は魔境だと皆が言うが、自分たちは隣で問題なく暮らしている。結婚したらこちらに来るのだから、今から慣れておくようにと」
「湿地帯と隣接しているわけじゃないから、そりゃあフェルスター伯領には問題はないでしょう。しかし、自ら湿地帯に立ち入れば元も子もない」
「大したことはないから無駄な遠回りをするなと……早く会いたいと急かされ、娘は、奴を愛していたから……」
「さっきも言いましたが、普通、娘の婚約者が安全を保障すれば、噂と現実は違うのだと思いますよ」
「あの湖で泳いだこともあると……!」
「わかりました。おじさん、気休めにもならないかもしれないですが聞いてください」
デニッツ伯爵が僕に昏い目を向ける。
「テオフィルス殿下は人望の厚い英雄です。然るべき処分を下してくれます」
「……ご存知なのか」
「はい。僕に、オリヴィアの傍にいるようにと命じてくださいました」
「ああ……!」
感極まったふうにデニッツ伯爵が身を乗り出し僕の手を強く握った。僕は即座に握り返し、寄り添う意志を伝える。
「すまない、君の将来を……娘の為に……」
「何を言うんです。あれが僕の本心です。ずっとオリヴィアを愛していた。帰って来たんです。オリヴィアが僕を男として愛してくれなくてもいい。一生傍で支え続けます。そうしたいんです。させてください」
「……」
やがて消え入りそうな声でデニッツ伯爵は僕にありがとうと言った。
言わせてしまったのだと、僕は少しだけ悔やんだ。
僕はオリヴィアの父デニッツ伯爵と互いに思い詰めた顔をして見つめ合う。
「座ってくれ」
向かい合ってソファーに座る。
幼い頃おじさんと呼んで慕ったデニッツ伯爵はすっかり意気消沈したふうで先程のオリヴィアのように頭を抱えてしまった。
「すまない、リカード」
「謝らないでください。望んでここへ来ました。来てよかったです」
畳みかけるように言うとデニッツ伯爵は顔をあげてくれた。
僕も歯を食いしばり涙を拭いた。
「娘は変わり果ててしまった」
デニッツ伯爵の言葉はある意味で正しい。
優しく穏やかで聡明だったオリヴィアは確かに変貌していた。だがそれが熱病の後遺症であると僕は知っていた。
「ヴィンクラー伯爵から説明は受けていますか?」
「ああ」
尋ねるとデニッツ伯爵は苦渋の表情で頷いた。
「まさか、これ程とは……」
「恐ろしい風土病です。土地の者は先祖から免疫を受け継いで産まれ痒み程度で済むそうですが、そうではない外部の者がその虫に刺されると酷い熱病に冒され、助かっても一生酷い倦怠感に苛まれ……そして、狂う」
熱病が人を変えてしまう。
その心は二度と幸福を感じることも、安らぐこともない。強烈な猜疑心によって世界の全てが敵だと思い込んでしまう。
倦怠感に打ち勝つ体力を持っていた場合、破壊行動が始まる。
「娘は殺されたも同然だ……」
「おじさん」
「私が愚かだった。行かせるべきではなかったのだ」
デニッツ伯爵の苦悩は察するに余りある。
夫人の方は心労で臥せってしまっている。
「フェルスター伯爵家から何と言われたんですか?間もなく娘が嫁ぐという家から安全を保障されれば普通は信じるものですよ」
僕はオリヴィアを愛しているし、デニッツ伯爵を実の父のように慕っている。
油断してしまうだけの理由があったはずだと確信していた。
デニッツ伯爵が僅かな沈黙の後、口を開く。
「夏のヴィンクラー伯領は魔境だと皆が言うが、自分たちは隣で問題なく暮らしている。結婚したらこちらに来るのだから、今から慣れておくようにと」
「湿地帯と隣接しているわけじゃないから、そりゃあフェルスター伯領には問題はないでしょう。しかし、自ら湿地帯に立ち入れば元も子もない」
「大したことはないから無駄な遠回りをするなと……早く会いたいと急かされ、娘は、奴を愛していたから……」
「さっきも言いましたが、普通、娘の婚約者が安全を保障すれば、噂と現実は違うのだと思いますよ」
「あの湖で泳いだこともあると……!」
「わかりました。おじさん、気休めにもならないかもしれないですが聞いてください」
デニッツ伯爵が僕に昏い目を向ける。
「テオフィルス殿下は人望の厚い英雄です。然るべき処分を下してくれます」
「……ご存知なのか」
「はい。僕に、オリヴィアの傍にいるようにと命じてくださいました」
「ああ……!」
感極まったふうにデニッツ伯爵が身を乗り出し僕の手を強く握った。僕は即座に握り返し、寄り添う意志を伝える。
「すまない、君の将来を……娘の為に……」
「何を言うんです。あれが僕の本心です。ずっとオリヴィアを愛していた。帰って来たんです。オリヴィアが僕を男として愛してくれなくてもいい。一生傍で支え続けます。そうしたいんです。させてください」
「……」
やがて消え入りそうな声でデニッツ伯爵は僕にありがとうと言った。
言わせてしまったのだと、僕は少しだけ悔やんだ。
97
お気に入りに追加
1,291
あなたにおすすめの小説
【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす
まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。
彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。
しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。
彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。
他掌編七作品収録。
※無断転載を禁止します。
※朗読動画の無断配信も禁止します
「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」
某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。
【収録作品】
①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」
②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」
③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」
④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」
⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」
⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」
⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」
⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」
あなたの姿をもう追う事はありません
彩華(あやはな)
恋愛
幼馴染で二つ年上のカイルと婚約していたわたしは、彼のために頑張っていた。
王立学園に先に入ってカイルは最初は手紙をくれていたのに、次第に少なくなっていった。二年になってからはまったくこなくなる。でも、信じていた。だから、わたしはわたしなりに頑張っていた。
なのに、彼は恋人を作っていた。わたしは婚約を解消したがらない悪役令嬢?どう言うこと?
わたしはカイルの姿を見て追っていく。
ずっと、ずっと・・・。
でも、もういいのかもしれない。
【完結】薔薇の花をあなたに贈ります
彩華(あやはな)
恋愛
レティシアは階段から落ちた。
目を覚ますと、何かがおかしかった。それは婚約者である殿下を覚えていなかったのだ。
ロベルトは、レティシアとの婚約解消になり、聖女ミランダとの婚約することになる。
たが、それに違和感を抱くようになる。
ロベルト殿下視点がおもになります。
前作を多少引きずってはいますが、今回は暗くはないです!!
11話完結です。
【完結】わたしの大事な従姉妹を泣かしたのですから、覚悟してくださいませ
彩華(あやはな)
恋愛
突然の婚約解消されたセイラ。それも本人の弁解なしで手紙だけという最悪なものだった。
傷心のセイラは伯母のいる帝国に留学することになる。そこで新しい出逢いをするものの・・・再び・・・。
従兄妹である私は彼らに・・・。
私の従姉妹を泣かしたからには覚悟は必要でしょう!?
*セイラ視点から始まります。
【完結】私は死んだ。だからわたしは笑うことにした。
彩華(あやはな)
恋愛
最後に見たのは恋人の手をとる婚約者の姿。私はそれを見ながら階段から落ちた。
目を覚ましたわたしは変わった。見舞いにも来ない両親にー。婚約者にもー。わたしは私の為に彼らをやり込める。わたしは・・・私の為に、笑う。
【完結】わたしの欲しい言葉
彩華(あやはな)
恋愛
わたしはいらない子。
双子の妹は聖女。生まれた時から、両親は妹を可愛がった。
はじめての旅行でわたしは置いて行かれた。
わたしは・・・。
数年後、王太子と結婚した聖女たちの前に現れた帝国の使者。彼女は一足の靴を彼らの前にさしだしたー。
*ドロッとしています。
念のためティッシュをご用意ください。
平凡令嬢の婚活事情〜あの人だけは、絶対ナイから!〜
本見りん
恋愛
「……だから、ミランダは無理だって!!」
王立学園に通う、ミランダ シュミット伯爵令嬢17歳。
偶然通りかかった学園の裏庭でミランダ本人がここにいるとも知らず噂しているのはこの学園の貴族令息たち。
……彼らは、決して『高嶺の花ミランダ』として噂している訳ではない。
それは、ミランダが『平凡令嬢』だから。
いつからか『平凡令嬢』と噂されるようになっていたミランダ。『絶賛婚約者募集中』の彼女にはかなり不利な状況。
チラリと向こうを見てみれば、1人の女子生徒に3人の男子学生が。あちらも良くない噂の方々。
……ミランダは、『あの人達だけはナイ!』と思っていだのだが……。
3万字少しの短編です。『完結保証』『ハッピーエンド』です!
寡黙な貴方は今も彼女を想う
MOMO-tank
恋愛
婚約者以外の女性に夢中になり、婚約者を蔑ろにしたうえ婚約破棄した。
ーーそんな過去を持つ私の旦那様は、今もなお後悔し続け、元婚約者を想っている。
シドニーは王宮で側妃付きの侍女として働く18歳の子爵令嬢。見た目が色っぽいシドニーは文官にしつこくされているところを眼光鋭い年上の騎士に助けられる。その男性とは辺境で騎士として12年、数々の武勲をあげ一代限りの男爵位を授かったクライブ・ノックスだった。二人はこの時を境に会えば挨拶を交わすようになり、いつしか婚約話が持ち上がり結婚する。
言葉少ないながらも彼の優しさに幸せを感じていたある日、クライブの元婚約者で現在は未亡人となった美しく儚げなステラ・コンウォール前伯爵夫人と夜会で再会する。
※設定はゆるいです。
※溺愛タグ追加しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる