上 下
69 / 79

69(ニコラス)

しおりを挟む
ファンスラー伯爵令嬢コルネリアだと名乗ったソフィアそっくりの女……

ファンスラー伯爵家は母の侍女であったという老嬢アントニアの実家であり、彼女は私が物心つく前にその任を解かれ以来ずっと引き籠っている。
母が頻繁に通う元侍女の実家にソフィアとそっくりの令嬢がいて、今、私の前に姿を現した……

幻惑を見ているようだ。

「ニコラス。まず明確にしておきましょう。私が生んだのはあなた一人です。また、陛下の血を引く王位継承者もあなた一人です」

母は父の方を見向きもせず、私に語り掛ける。
その間も絶えずコルネリアの濃い琥珀色の瞳が私を見つめている。私は次第に彼女の外見から本来受けるはずの嫌悪感がないことに気づき始めた。

眼差しには聡明さと強い信念が窺える。
コルネリアの精神が私の理性を急速に呼び戻した。

「では、ソフィアは誰の娘です?父上に愛妾がいたというのですか?」

父は母を愛している。男の私から見て情けなくなるほどに溺愛し、依存している。だから私は母の方が父を裏切り、私とは似ても似つかない妹をこの世に産み落としたのだとばかり考えていた。
違うと言うのか。

「いいえ。陛下は私だけを愛してくださいました」

母は愛情と呼ぶより怒りと呼ぶ方が相応しいような声音で断言した。父の表情は暗い。

「では……」

私の想像が及ぶ前に母は真実を口にする。

「ソフィアは先王の娘です」


世界が突然、音を立てながら崩壊し、新たな姿へと組み立てられる。


「……では、ソフィアは私の妹ではなく、父上の妹ということですか?」
「そうです」

肯定する母の目は氷より冷たい。
私は、はっとしてコルネリアを見た。

「そう。コルネリアも陛下の妹です」

母の声が幾分の優しさを含んだ。

祖父である先王フロレンツは私が物心つく前に没した。
ソフィア、コルネリア。二人は、私より若い私の叔母ということになる。

「何故……」

理解が追いつかない。
或いは、私自身が真実を拒んでいるのか。

「先王は愛する妃を早くに亡くし厭世的な一面がありました。善良で人望も厚い人柄でしたが、絶望がその命を蝕んでいたのです」

母の回想は概ね正しいだろう。
祖母は父の若い頃、病で天に召されたと聞いてる。

「心の弱さは息子を惑わせました。あなたの父であり私の夫でもある陛下は、若い頃とても手が付けられない野獣でした。まあ、今は見る影もないけれど」
「……」

私は言葉を飲み込んだ。
では、いったい、何が父の牙を折ったと言うのか。

「当時、王太子であったこの人の狂い猛る魂を人の道へと立ち返らせる為、私は神の娘として教会より派遣されました。私たちは惹かれ合い、結婚しました」

母は回想しながらコルネリアの手を握る。
コルネリアは母の侍女であったアントニアの化身のように、母の手を強く握り返す。

「陛下は、王太子としての人生を歩み始めました。そして私は、ニコラス、あなたを身籠った」
「……」
「安心したのでしょう。もう悔いはないと思われたのかもしれません。先王は少しずつ判断力を失い、記憶にも障害が現れるようになりました。そして急速に老いていかれた……」

母は胸部を上下させ、徐々に息を乱し始める。

「まだお若いのにすっかり老人のように変わり果て、まるで、人生を何倍もの速さで駆け抜けて愛する妃の待つ天国へ一日も早く飛び立とうとしているような……誰もがその悲しい姿に胸を痛めました。私にとっても優しい義父でしたから、ただ辛いばかり」

そこで母は微かに口元に笑みを刻んだ。

「でもいいこともありました。あなたが産まれた。男児の誕生は陛下の王位継承を早めるきっかけになりました。先王は塔に移り住み、静かな余生を暮らし始めました……お見舞いに行く度……産後の私を気遣ってくれたことをよく覚えています」

母の声は微笑みの中で歪に淀んでいく。

「責務から解放された先王は、一人の優しく愛情深い父親として私に接しておられました」

私は母を、自分の母親ではなく一人の証人として見始めていた。

「病は体にも現れました。死に急ぐよう、どこもかしこも悪くなりました。医師の処置だけではなく付きっ切りの看護が必要になりました。皆、心を痛めました。その時、アントニアが言った」

母は完全に過去へ立ち返っている。

「ファンスラー伯爵家に残してきた侍女が、自身の父親を看取り勤めに戻ったばかりだと。優しく気立てのいい子だからきっと陛下のお役に立てる、と」

母の目に涙が溜まる。

「ネリーはアントニアと共に育った誰よりも近しい使用人で、私たちは無条件に信頼し、迎え入れました。私に仕えてくれたアントニアの、その手本となってくれていたネリー。ネリーはよく働いてくれましたが、休む間もない介護が彼女の肉体を蝕み始めました。休息が必要だった。その頃には先王はネリーに絶大な信頼を寄せ、依存し、ネリーの言う事しか聞かなくなってしまっていました」

コルネリアが私を見つめている。
名前は、母親から受け継いだものか。

私は固唾を呑まずにはいられなかった。
祖父は心優しい堅実な看護人を凌辱したのだ。

しかし真実は私の予想とは少し違うものだった。

「ある傭兵隊長が〝ネリーによく似た女を知っている〟と言いました。傭兵たちと馴染みのある革職人の妻……セラフィーヌ・ヴィレールは、本当にネリーによく似ていました……うっかり別の場所で目にするとどちらがどちらかわからないくらい」

忌まわしい過去が母の口から語られる。

「ネリーの補佐として雇い入れたヴィレールは、先王を誘惑しソフィアを産んだ。ヴィレールに支配された先王は、区別がつかずネリーの純潔を奪ったのです」
しおりを挟む
感想 36

あなたにおすすめの小説

【本編完結】婚約者を守ろうとしたら寧ろ盾にされました。腹が立ったので記憶を失ったふりをして婚約解消を目指します。

しろねこ。
恋愛
「君との婚約を解消したい」 その言葉を聞いてエカテリーナはニコリと微笑む。 「了承しました」 ようやくこの日が来たと内心で神に感謝をする。 (わたくしを盾にし、更に記憶喪失となったのに手助けもせず、他の女性に擦り寄った婚約者なんていらないもの) そんな者との婚約が破談となって本当に良かった。 (それに欲しいものは手に入れたわ) 壁際で沈痛な面持ちでこちらを見る人物を見て、頬が赤くなる。 (愛してくれない者よりも、自分を愛してくれる人の方がいいじゃない?) エカテリーナはあっさりと自分を捨てた男に向けて頭を下げる。 「今までありがとうございました。殿下もお幸せに」 類まれなる美貌と十分な地位、そして魔法の珍しいこの世界で魔法を使えるエカテリーナ。 だからこそ、ここバークレイ国で第二王子の婚約者に選ばれたのだが……それも今日で終わりだ。 今後は自分の力で頑張ってもらおう。 ハピエン、自己満足、ご都合主義なお話です。 ちゃっかりとシリーズ化というか、他作品と繋がっています。 カクヨムさん、小説家になろうさん、ノベルアッププラスさんでも連載中(*´ω`*)

性悪という理由で婚約破棄された嫌われ者の令嬢~心の綺麗な者しか好かれない精霊と友達になる~

黒塔真実
恋愛
公爵令嬢カリーナは幼い頃から後妻と義妹によって悪者にされ孤独に育ってきた。15歳になり入学した王立学園でも、悪知恵の働く義妹とカリーナの婚約者でありながら義妹に洗脳されている第二王子の働きにより、学園中の嫌われ者になってしまう。しかも再会した初恋の第一王子にまで軽蔑されてしまい、さらに止めの一撃のように第二王子に「性悪」を理由に婚約破棄を宣言されて……!? 恋愛&悪が報いを受ける「ざまぁ」もの!! ※※※主人公は最終的にチート能力に目覚めます※※※アルファポリスオンリー※※※皆様の応援のおかげで第14回恋愛大賞で奨励賞を頂きました。ありがとうございます※※※ すみません、すっきりざまぁ終了したのでいったん完結します→※書籍化予定部分=【本編】を引き下げます。【番外編】追加予定→ルシアン視点追加→最新のディー視点の番外編は書籍化関連のページにて、アンケートに答えると読めます!!

許婚と親友は両片思いだったので2人の仲を取り持つことにしました

結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
恋愛
<2人の仲を応援するので、どうか私を嫌わないでください> 私には子供のころから決められた許嫁がいた。ある日、久しぶりに再会した親友を紹介した私は次第に2人がお互いを好きになっていく様子に気が付いた。どちらも私にとっては大切な存在。2人から邪魔者と思われ、嫌われたくはないので、私は全力で許嫁と親友の仲を取り持つ事を心に決めた。すると彼の評判が悪くなっていき、それまで冷たかった彼の態度が軟化してきて話は意外な展開に・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

不遇な王妃は国王の愛を望まない

ゆきむらさり
恋愛
稚拙ながらも投稿初日(11/21)から📝HOTランキングに入れて頂き、本当にありがとうございます🤗 今回初めてHOTランキングの5位(11/23)を頂き感無量です🥲 そうは言いつつも間違ってランキング入りしてしまった感が否めないのも確かです💦 それでも目に留めてくれた読者様には感謝致します✨ 〔あらすじ〕📝ある時、クラウン王国の国王カルロスの元に、自ら命を絶った王妃アリーヤの訃報が届く。王妃アリーヤを冷遇しておきながら嘆く国王カルロスに皆は不思議がる。なにせ国王カルロスは幼馴染の側妃ベリンダを寵愛し、政略結婚の為に他国アメジスト王国から輿入れした不遇の王女アリーヤには見向きもしない。はたから見れば哀れな王妃アリーヤだが、実は他に愛する人がいる王妃アリーヤにもその方が都合が良いとも。彼女が真に望むのは愛する人と共に居られる些細な幸せ。ある時、自国に囚われの身である愛する人の訃報を受け取る王妃アリーヤは絶望に駆られるも……。主人公の舞台は途中から変わります。 ※設定などは独自の世界観で、あくまでもご都合主義。断罪あり。ハピエン🩷

【 完結 】「婚約破棄」されましたので、恥ずかしいから帰っても良いですか?

しずもり
恋愛
ミレーヌはガルド国のシルフィード公爵令嬢で、この国の第一王子アルフリートの婚約者だ。いや、もう元婚約者なのかも知れない。 王立学園の卒業パーティーが始まる寸前で『婚約破棄』を宣言されてしまったからだ。アルフリートの隣にはピンクの髪の美少女を寄り添わせて、宣言されたその言葉にミレーヌが悲しむ事は無かった。それよりも彼女の心を占めていた感情はー。 恥ずかしい。恥ずかしい。恥ずかしい!! ミレーヌは恥ずかしかった。今すぐにでも気を失いたかった。 この国で、学園で、知っていなければならない、知っている筈のアレを、第一王子たちはいつ気付くのか。 孤軍奮闘のミレーヌと愉快な王子とお馬鹿さんたちのちょっと変わった断罪劇です。 なんちゃって異世界のお話です。 時代考証など皆無の緩い設定で、殆どを現代風の口調、言葉で書いています。 HOT2位 &人気ランキング 3位になりました。(2/24) 数ある作品の中で興味を持って下さりありがとうございました。 *国の名前をオレーヌからガルドに変更しました。

婚約破棄してくださって結構です

二位関りをん
恋愛
伯爵家の令嬢イヴには同じく伯爵家令息のバトラーという婚約者がいる。しかしバトラーにはユミアという子爵令嬢がいつもべったりくっついており、イヴよりもユミアを優先している。そんなイヴを公爵家次期当主のコーディが優しく包み込む……。 ※表紙にはAIピクターズで生成した画像を使用しています

<完結> 知らないことはお伝え出来ません

五十嵐
恋愛
主人公エミーリアの婚約破棄にまつわるあれこれ。

根暗令嬢の華麗なる転身

しろねこ。
恋愛
「来なきゃよかったな」 ミューズは茶会が嫌いだった。 茶会デビューを果たしたものの、人から不細工と言われたショックから笑顔になれず、しまいには根暗令嬢と陰で呼ばれるようになった。 公爵家の次女に産まれ、キレイな母と実直な父、優しい姉に囲まれ幸せに暮らしていた。 何不自由なく、暮らしていた。 家族からも愛されて育った。 それを壊したのは悪意ある言葉。 「あんな不細工な令嬢見たことない」 それなのに今回の茶会だけは断れなかった。 父から絶対に参加してほしいという言われた茶会は特別で、第一王子と第二王子が来るものだ。 婚約者選びのものとして。 国王直々の声掛けに娘思いの父も断れず… 応援して頂けると嬉しいです(*´ω`*) ハピエン大好き、完全自己満、ご都合主義の作者による作品です。 同名主人公にてアナザーワールド的に別な作品も書いています。 立場や環境が違えども、幸せになって欲しいという思いで作品を書いています。 一部リンクしてるところもあり、他作品を見て頂ければよりキャラへの理解が深まって楽しいかと思います。 描写的なものに不安があるため、お気をつけ下さい。 ゆるりとお楽しみください。 こちら小説家になろうさん、カクヨムさんにも投稿させてもらっています。

処理中です...