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69(ニコラス)
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ファンスラー伯爵令嬢コルネリアだと名乗ったソフィアそっくりの女……
ファンスラー伯爵家は母の侍女であったという老嬢アントニアの実家であり、彼女は私が物心つく前にその任を解かれ以来ずっと引き籠っている。
母が頻繁に通う元侍女の実家にソフィアとそっくりの令嬢がいて、今、私の前に姿を現した……
幻惑を見ているようだ。
「ニコラス。まず明確にしておきましょう。私が生んだのはあなた一人です。また、陛下の血を引く王位継承者もあなた一人です」
母は父の方を見向きもせず、私に語り掛ける。
その間も絶えずコルネリアの濃い琥珀色の瞳が私を見つめている。私は次第に彼女の外見から本来受けるはずの嫌悪感がないことに気づき始めた。
眼差しには聡明さと強い信念が窺える。
コルネリアの精神が私の理性を急速に呼び戻した。
「では、ソフィアは誰の娘です?父上に愛妾がいたというのですか?」
父は母を愛している。男の私から見て情けなくなるほどに溺愛し、依存している。だから私は母の方が父を裏切り、私とは似ても似つかない妹をこの世に産み落としたのだとばかり考えていた。
違うと言うのか。
「いいえ。陛下は私だけを愛してくださいました」
母は愛情と呼ぶより怒りと呼ぶ方が相応しいような声音で断言した。父の表情は暗い。
「では……」
私の想像が及ぶ前に母は真実を口にする。
「ソフィアは先王の娘です」
世界が突然、音を立てながら崩壊し、新たな姿へと組み立てられる。
「……では、ソフィアは私の妹ではなく、父上の妹ということですか?」
「そうです」
肯定する母の目は氷より冷たい。
私は、はっとしてコルネリアを見た。
「そう。コルネリアも陛下の妹です」
母の声が幾分の優しさを含んだ。
祖父である先王フロレンツは私が物心つく前に没した。
ソフィア、コルネリア。二人は、私より若い私の叔母ということになる。
「何故……」
理解が追いつかない。
或いは、私自身が真実を拒んでいるのか。
「先王は愛する妃を早くに亡くし厭世的な一面がありました。善良で人望も厚い人柄でしたが、絶望がその命を蝕んでいたのです」
母の回想は概ね正しいだろう。
祖母は父の若い頃、病で天に召されたと聞いてる。
「心の弱さは息子を惑わせました。あなたの父であり私の夫でもある陛下は、若い頃とても手が付けられない野獣でした。まあ、今は見る影もないけれど」
「……」
私は言葉を飲み込んだ。
では、いったい、何が父の牙を折ったと言うのか。
「当時、王太子であったこの人の狂い猛る魂を人の道へと立ち返らせる為、私は神の娘として教会より派遣されました。私たちは惹かれ合い、結婚しました」
母は回想しながらコルネリアの手を握る。
コルネリアは母の侍女であったアントニアの化身のように、母の手を強く握り返す。
「陛下は、王太子としての人生を歩み始めました。そして私は、ニコラス、あなたを身籠った」
「……」
「安心したのでしょう。もう悔いはないと思われたのかもしれません。先王は少しずつ判断力を失い、記憶にも障害が現れるようになりました。そして急速に老いていかれた……」
母は胸部を上下させ、徐々に息を乱し始める。
「まだお若いのにすっかり老人のように変わり果て、まるで、人生を何倍もの速さで駆け抜けて愛する妃の待つ天国へ一日も早く飛び立とうとしているような……誰もがその悲しい姿に胸を痛めました。私にとっても優しい義父でしたから、ただ辛いばかり」
そこで母は微かに口元に笑みを刻んだ。
「でもいいこともありました。あなたが産まれた。男児の誕生は陛下の王位継承を早めるきっかけになりました。先王は塔に移り住み、静かな余生を暮らし始めました……お見舞いに行く度……産後の私を気遣ってくれたことをよく覚えています」
母の声は微笑みの中で歪に淀んでいく。
「責務から解放された先王は、一人の優しく愛情深い父親として私に接しておられました」
私は母を、自分の母親ではなく一人の証人として見始めていた。
「病は体にも現れました。死に急ぐよう、どこもかしこも悪くなりました。医師の処置だけではなく付きっ切りの看護が必要になりました。皆、心を痛めました。その時、アントニアが言った」
母は完全に過去へ立ち返っている。
「ファンスラー伯爵家に残してきた侍女が、自身の父親を看取り勤めに戻ったばかりだと。優しく気立てのいい子だからきっと陛下のお役に立てる、と」
母の目に涙が溜まる。
「ネリーはアントニアと共に育った誰よりも近しい使用人で、私たちは無条件に信頼し、迎え入れました。私に仕えてくれたアントニアの、その手本となってくれていたネリー。ネリーはよく働いてくれましたが、休む間もない介護が彼女の肉体を蝕み始めました。休息が必要だった。その頃には先王はネリーに絶大な信頼を寄せ、依存し、ネリーの言う事しか聞かなくなってしまっていました」
コルネリアが私を見つめている。
名前は、母親から受け継いだものか。
私は固唾を呑まずにはいられなかった。
祖父は心優しい堅実な看護人を凌辱したのだ。
しかし真実は私の予想とは少し違うものだった。
「ある傭兵隊長が〝ネリーによく似た女を知っている〟と言いました。傭兵たちと馴染みのある革職人の妻……セラフィーヌ・ヴィレールは、本当にネリーによく似ていました……うっかり別の場所で目にするとどちらがどちらかわからないくらい」
忌まわしい過去が母の口から語られる。
「ネリーの補佐として雇い入れたヴィレールは、先王を誘惑しソフィアを産んだ。ヴィレールに支配された先王は、区別がつかずネリーの純潔を奪ったのです」
ファンスラー伯爵家は母の侍女であったという老嬢アントニアの実家であり、彼女は私が物心つく前にその任を解かれ以来ずっと引き籠っている。
母が頻繁に通う元侍女の実家にソフィアとそっくりの令嬢がいて、今、私の前に姿を現した……
幻惑を見ているようだ。
「ニコラス。まず明確にしておきましょう。私が生んだのはあなた一人です。また、陛下の血を引く王位継承者もあなた一人です」
母は父の方を見向きもせず、私に語り掛ける。
その間も絶えずコルネリアの濃い琥珀色の瞳が私を見つめている。私は次第に彼女の外見から本来受けるはずの嫌悪感がないことに気づき始めた。
眼差しには聡明さと強い信念が窺える。
コルネリアの精神が私の理性を急速に呼び戻した。
「では、ソフィアは誰の娘です?父上に愛妾がいたというのですか?」
父は母を愛している。男の私から見て情けなくなるほどに溺愛し、依存している。だから私は母の方が父を裏切り、私とは似ても似つかない妹をこの世に産み落としたのだとばかり考えていた。
違うと言うのか。
「いいえ。陛下は私だけを愛してくださいました」
母は愛情と呼ぶより怒りと呼ぶ方が相応しいような声音で断言した。父の表情は暗い。
「では……」
私の想像が及ぶ前に母は真実を口にする。
「ソフィアは先王の娘です」
世界が突然、音を立てながら崩壊し、新たな姿へと組み立てられる。
「……では、ソフィアは私の妹ではなく、父上の妹ということですか?」
「そうです」
肯定する母の目は氷より冷たい。
私は、はっとしてコルネリアを見た。
「そう。コルネリアも陛下の妹です」
母の声が幾分の優しさを含んだ。
祖父である先王フロレンツは私が物心つく前に没した。
ソフィア、コルネリア。二人は、私より若い私の叔母ということになる。
「何故……」
理解が追いつかない。
或いは、私自身が真実を拒んでいるのか。
「先王は愛する妃を早くに亡くし厭世的な一面がありました。善良で人望も厚い人柄でしたが、絶望がその命を蝕んでいたのです」
母の回想は概ね正しいだろう。
祖母は父の若い頃、病で天に召されたと聞いてる。
「心の弱さは息子を惑わせました。あなたの父であり私の夫でもある陛下は、若い頃とても手が付けられない野獣でした。まあ、今は見る影もないけれど」
「……」
私は言葉を飲み込んだ。
では、いったい、何が父の牙を折ったと言うのか。
「当時、王太子であったこの人の狂い猛る魂を人の道へと立ち返らせる為、私は神の娘として教会より派遣されました。私たちは惹かれ合い、結婚しました」
母は回想しながらコルネリアの手を握る。
コルネリアは母の侍女であったアントニアの化身のように、母の手を強く握り返す。
「陛下は、王太子としての人生を歩み始めました。そして私は、ニコラス、あなたを身籠った」
「……」
「安心したのでしょう。もう悔いはないと思われたのかもしれません。先王は少しずつ判断力を失い、記憶にも障害が現れるようになりました。そして急速に老いていかれた……」
母は胸部を上下させ、徐々に息を乱し始める。
「まだお若いのにすっかり老人のように変わり果て、まるで、人生を何倍もの速さで駆け抜けて愛する妃の待つ天国へ一日も早く飛び立とうとしているような……誰もがその悲しい姿に胸を痛めました。私にとっても優しい義父でしたから、ただ辛いばかり」
そこで母は微かに口元に笑みを刻んだ。
「でもいいこともありました。あなたが産まれた。男児の誕生は陛下の王位継承を早めるきっかけになりました。先王は塔に移り住み、静かな余生を暮らし始めました……お見舞いに行く度……産後の私を気遣ってくれたことをよく覚えています」
母の声は微笑みの中で歪に淀んでいく。
「責務から解放された先王は、一人の優しく愛情深い父親として私に接しておられました」
私は母を、自分の母親ではなく一人の証人として見始めていた。
「病は体にも現れました。死に急ぐよう、どこもかしこも悪くなりました。医師の処置だけではなく付きっ切りの看護が必要になりました。皆、心を痛めました。その時、アントニアが言った」
母は完全に過去へ立ち返っている。
「ファンスラー伯爵家に残してきた侍女が、自身の父親を看取り勤めに戻ったばかりだと。優しく気立てのいい子だからきっと陛下のお役に立てる、と」
母の目に涙が溜まる。
「ネリーはアントニアと共に育った誰よりも近しい使用人で、私たちは無条件に信頼し、迎え入れました。私に仕えてくれたアントニアの、その手本となってくれていたネリー。ネリーはよく働いてくれましたが、休む間もない介護が彼女の肉体を蝕み始めました。休息が必要だった。その頃には先王はネリーに絶大な信頼を寄せ、依存し、ネリーの言う事しか聞かなくなってしまっていました」
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名前は、母親から受け継いだものか。
私は固唾を呑まずにはいられなかった。
祖父は心優しい堅実な看護人を凌辱したのだ。
しかし真実は私の予想とは少し違うものだった。
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忌まわしい過去が母の口から語られる。
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