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63(レオン)

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──なに、その顔。自分だってヒルデガルドを誑かしたくせに。

「……」

クローゼル侯爵家の令嬢ヘレネが言い残した言葉は僕に現実を突き付けた。

その通りだった。
見たい彼女しか見ていなかったのは僕も同じだ。

僕が証言を終えた時ヒルデガルドは泣いていた。
ウィリスの時も、ザシャの時も、ヨハンの時も、彼女は神の娘の顔をしていたのに、僕にだけは女の顔を見せた。

本当に気づかなかったのか?
僕は何度も、何度も、愛しいから優しい言葉を掛け、可愛いから傍に寄ったじゃないか。

そうだ。
利用した。

僕は自分を誤魔化してヒルデガルドの傍に侍る尤もらしい理由を信じ込んだ。

ただ愛しくて傍に居たかっただけなのに。

「……っ」

最低だ。

ヒルデガルドの正義感や使命感を生みだす清らかな心を敬うような気分になって、正当な訴えのつもりで、僕は証言台に立った。
差し伸べられた手を取るのが礼儀だと思おうとした。

実際、王家はソフィアを廃すと宣言した。
悪を倒した。ああよかった。あとは父を探し出すだけだ。

ヒルデガルドは元婚約者が受けた傷を見て二度目の宮廷裁判を決意した。大義と言えば聞こえはいいが、自業自得な碌でもない元婚約者の為ではない。僕らのためだ。だがヨハンとザシャと僕は平等じゃない。僕がやらせた。ここまで突き動かしたのは僕だ。

僕はヒルデガルドの傍に居る口実として宮廷裁判に臨んだ。

ヘレネだけは、それを見抜いていたのだ。
ザシャが欲しくてたまらないあの女だけは、建前に隠れた僕の本心を正面から見定めていた。僕が見たくなかった本心。犠牲者の僕であれば神の娘の傍にいていいのだという、狡猾な下心を。

僕は男娼に成り下がっていた。
美しい純白に躊躇いもなく色を落とした。

ヒルデガルドがそれに気づいてしまった。

可愛いお嬢様。
僕のヒルデガルド。

「……違う!」

僕がヒルデガルドのレオンであるのはいい。
逆は絶対にありえない。許されない。

ヒルデガルドの碌でもない元婚約者ウィリスは下らない自尊心を守る為、王女たちの拷問に性交が含まれていた事実を伏せていた。僕らはこれ幸いとそれを利用し、隠し通した。

裁判中、王女もその取り巻きたちも全員、単なる聖職者だけでなく異端審問官までいるとあっては一つでも罪をなかったことにしたかったのだろう、やはり言い出さなかった。

男娼に落とされた僕が何人かの貴族と寝たことについては、ヒルデガルドもはじめからそのつもりでいる。
だが僕が人形に成り下がりアイリスとイザベルの玩具にされたことを知らない。ヒルデガルドは、僕が汚れている本当の理由を知らない。

今更、教えたくもない。

それなのに少しだけなら愛されてもいいと思い上がってしまった。
犬は余程のことがなければ自ずと忠犬になる。僕は、犬以下だ。

だから見誤った。
見たい御令嬢しか見ていなかった。

小さくて、人の好さそうな優しい丸顔の善人。
疑うこともなく、戦いは好まない。
敬虔な伯爵令嬢は安全な教会で上品に祈り続ける。

そんな偶像からははじめからかけ離れていたのに、僕は、ヒルデガルドの強さから目を背けた。

僕を好いてしまったら、強い彼女は想いを貫こうとしてしまう。
それがわからなかった。

わからないふりをしていたのではなく、目を逸らしたから気づかなかった。

気づかずに、ずっと手招いていた。
ヘレネが誑かしたと言ったのは正しかった。

落ちるはずがないと高を括り、傍に居た。
これは恋でも愛でもないと言い聞かせながら、僕は結局、いつも彼女を愛でていた。

ヒルデガルドは僕に落ちた。
宮廷裁判で彼女の涙を見た瞬間に僕は、己の犯した過ちに気づいた。

ザシャのように適度な距離を保つこともできたはずなのに、僕は、そうしてこなかった。

サッロ伯爵の別邸で待機を命じられ、また数日、同じ屋根の下で寝起きしなければならなくなった。
同じ過ちは犯さない。
僕がそう決意しても、ヒルデガルドはそれが宿命のように何故か僕の傍に現れた。

突き放してみた。
だが、彼女は踏みとどまろうとした。

次に懐柔を試みた。
それは彼女に却ってやる気を起こさせた。

だから仕方なく最悪な方法を選んだ。

大切なヒルデガルドが逃げてくれるよう、誰であろうと関係ないただ一人の女として誘惑した。

僕は今、秋の花が美しく咲き誇る小さな中庭の噴水の脇で跪き、乾いた笑い声を上げながら己を蔑んでいる。

ああ僕は本当に相応しくない。

「ヒルデガルド……!」

可愛い御令嬢は驚いて逃げてくれた。
それなのに僕は、まだ愛しい。

いっそ産まれてこなければ、こんな苦しみも、今日までの屈辱も知らずに済んだ。
だが僕はヒルデガルドに出会わなくてもよかったと心にも無いことを言えるのか?

「……」

神はいるのだろう。ヒルデガルドの傍に。
そして彼女を守るのだろう。

じゃあ僕に何を見せようとしている?
絶え間なく渇き続ける病を与え、悶え苦しむ僕が見たいのか?

あの愛らしい微笑みを。
静かなのに頑固な決意の顔を。
どんな宝石より美しいペリドットの瞳を。

僕を呼ぶ声を。

忘れるなんて、もう、できないのに。
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