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「もうやめてください。こんな、危ないこと」
ガーゼ越しであれば私に触れることができるらしいレオンは、苦しそうにそう囁いた。
薬で湿らせたガーゼは冷たく、それでも私の右のこめかみを激しくひりつかせる。鈍痛だけならこうはならない。切れてはいないが擦りむけているのだろう。
私が傷みに息を詰める度、レオンも苦しそうに息を詰まらせる。
最初から優しい人だと思っていた。
レオンは男娼にされてしまった、優しい普通の男性だったのだ。
ソフィア王女はレオンの人生を奪った。
でも、全てではない。永遠ではない。
「大丈夫よ」
「どこからそんな自信が沸いてしまうんですか?こんな怪我して」
「……っ」
「駄目ですよ。女の子なんだから……」
「……」
「でも、治りますからね。これくらいなら、腫れが引けば元通り可愛いお顔に戻りますから」
「……」
「何を笑ってるんです?僕は、少し怒ってますよ」
確かにレオンは少し苛立っている。それを私にぶつけはしないだけだ。私も彼の苦しみを想像して怒りの炎に呑み込まれた。
とはいえレオンが私の為に怒っているなどという烏滸がましいことは思えない。
「だから、何を笑っているんですか?」
ベッドに座る私の前に跪き手当てしていたレオンは、疵にガーゼを当てたまま手を止めて私の目を覗き込んだ。その表情は、今度は私への怒りをちらつかせている。
「私、可愛くないわ……」
「…………これが、仕事ならね」
レオンはそう前置きすると、反対の手をベッドについて私を腕の中に閉じ込めた。私は胸の高鳴りを自覚したが今の私たちには必要のない感情だと弁えるだけの理性は残っていた。
私もレオンの目を覗き込む。
レオンの碧い瞳は少し潤み、揺れている。
「只、あなたは可愛いですと言います。でも、あなたが世界でいちばん可愛いと本気で思う人間がいるんですよ。あなたの御両親以外にも。そういう人の前では、あなたは相手の宝物を預かっているつもりでいなきゃいけません。相手の大切なものを貶しちゃいけません」
まるでレオンがその相手であるかのような言い方だと思った。だから私は自分の本心は脇に置き、レオンに宣言してみる。
「私は可愛い」
「そうです」
レオンははっきりと即答する。
「若いお父さんね」
「まあ、あなたは小さいですからね。考えてみてください。目の前で小さな女の子が丸太にでもぶつかって額が割れたら、胸が張り裂けるように痛むでしょう」
「そうね」
「そういうことですよ」
私は考えを改めた。
レオンは私の為に怒っているのだ。そして、私の為に傷ついている。そう思うと胸が苦しくなる。
私とは比較にならない程の苦痛を生き抜いたのに、レオンは優しくて、とても強い。
「だけど、私は裁判を起こしたし、あなたも協力してくれたでしょう?子どもじゃないわ」
「あなたは皺くちゃのおばあちゃんになっても可愛いんですよ。ずっと誰かに守られていてほしいのに、また、こんなところに来てしまって……」
「ずっとあなたのことを考えていた」
レオンが口を噤み、目を逸らした。
「言ったでしょう?あなたのこと、ずっと、毎日祈るって」
「僕も祈りましたよ。でも届かなかった。こんな姿で帰ってくるなんて……どうして……」
ガーゼを離しベッドからも手を下ろすと、レオンは拳を握りしめて肩を震わせた。
美しい金髪の、滅多に見ることのできないつむじの部分を見つめながら、私はそっと告げた。
「神様を思い通りにはできないわ」
「じゃあ、どうして祈るんです」
レオンは苛立っているようだ。
彼が苦難を与えられた意味を、私も知りたかった。
「生きる為よ。与えられた人生を生き抜く為に祈るの」
何故ですか、と。
神に問いかける。
それも祈りだと知れば意味を見出せる。
けれど苦しみの渦中にある人には残酷な啓示にしかならない。乗り越えられないとしても、それが神の意思なのだ。敗北の中にその人物だけに与えられた答えが用意されている。
レオンは敗北していない。
卑しくなどない。汚れてなどいない。
奪われた魂を取り戻さなければならない。
「意味がある。完成させる為に、私たちは祝福と苦難を与えられる」
「僕は満足ですよ。あなたの役に立てた。あなたは宮廷裁判に勝った。相手は王女だ。凄い感動を貰いました。だからもう戦わないでください。それに、元婚約者の御令息とも二度と会っちゃいけません」
「それでは私の望みは叶わない」
「何が欲しいんですか?潔白を証明できて、神の娘として認められたんでしょう?放っておいても王太子と神様が罰してくれますよ。充分でしょう」
「取り戻したいの」
「何を?」
「あなたよ」
言ってしまった。
レオンは息を止め、私を凝視する。
「あなたを取り戻したいの」
本心を告げた瞬間、私の心は安らかだった。
ガーゼ越しであれば私に触れることができるらしいレオンは、苦しそうにそう囁いた。
薬で湿らせたガーゼは冷たく、それでも私の右のこめかみを激しくひりつかせる。鈍痛だけならこうはならない。切れてはいないが擦りむけているのだろう。
私が傷みに息を詰める度、レオンも苦しそうに息を詰まらせる。
最初から優しい人だと思っていた。
レオンは男娼にされてしまった、優しい普通の男性だったのだ。
ソフィア王女はレオンの人生を奪った。
でも、全てではない。永遠ではない。
「大丈夫よ」
「どこからそんな自信が沸いてしまうんですか?こんな怪我して」
「……っ」
「駄目ですよ。女の子なんだから……」
「……」
「でも、治りますからね。これくらいなら、腫れが引けば元通り可愛いお顔に戻りますから」
「……」
「何を笑ってるんです?僕は、少し怒ってますよ」
確かにレオンは少し苛立っている。それを私にぶつけはしないだけだ。私も彼の苦しみを想像して怒りの炎に呑み込まれた。
とはいえレオンが私の為に怒っているなどという烏滸がましいことは思えない。
「だから、何を笑っているんですか?」
ベッドに座る私の前に跪き手当てしていたレオンは、疵にガーゼを当てたまま手を止めて私の目を覗き込んだ。その表情は、今度は私への怒りをちらつかせている。
「私、可愛くないわ……」
「…………これが、仕事ならね」
レオンはそう前置きすると、反対の手をベッドについて私を腕の中に閉じ込めた。私は胸の高鳴りを自覚したが今の私たちには必要のない感情だと弁えるだけの理性は残っていた。
私もレオンの目を覗き込む。
レオンの碧い瞳は少し潤み、揺れている。
「只、あなたは可愛いですと言います。でも、あなたが世界でいちばん可愛いと本気で思う人間がいるんですよ。あなたの御両親以外にも。そういう人の前では、あなたは相手の宝物を預かっているつもりでいなきゃいけません。相手の大切なものを貶しちゃいけません」
まるでレオンがその相手であるかのような言い方だと思った。だから私は自分の本心は脇に置き、レオンに宣言してみる。
「私は可愛い」
「そうです」
レオンははっきりと即答する。
「若いお父さんね」
「まあ、あなたは小さいですからね。考えてみてください。目の前で小さな女の子が丸太にでもぶつかって額が割れたら、胸が張り裂けるように痛むでしょう」
「そうね」
「そういうことですよ」
私は考えを改めた。
レオンは私の為に怒っているのだ。そして、私の為に傷ついている。そう思うと胸が苦しくなる。
私とは比較にならない程の苦痛を生き抜いたのに、レオンは優しくて、とても強い。
「だけど、私は裁判を起こしたし、あなたも協力してくれたでしょう?子どもじゃないわ」
「あなたは皺くちゃのおばあちゃんになっても可愛いんですよ。ずっと誰かに守られていてほしいのに、また、こんなところに来てしまって……」
「ずっとあなたのことを考えていた」
レオンが口を噤み、目を逸らした。
「言ったでしょう?あなたのこと、ずっと、毎日祈るって」
「僕も祈りましたよ。でも届かなかった。こんな姿で帰ってくるなんて……どうして……」
ガーゼを離しベッドからも手を下ろすと、レオンは拳を握りしめて肩を震わせた。
美しい金髪の、滅多に見ることのできないつむじの部分を見つめながら、私はそっと告げた。
「神様を思い通りにはできないわ」
「じゃあ、どうして祈るんです」
レオンは苛立っているようだ。
彼が苦難を与えられた意味を、私も知りたかった。
「生きる為よ。与えられた人生を生き抜く為に祈るの」
何故ですか、と。
神に問いかける。
それも祈りだと知れば意味を見出せる。
けれど苦しみの渦中にある人には残酷な啓示にしかならない。乗り越えられないとしても、それが神の意思なのだ。敗北の中にその人物だけに与えられた答えが用意されている。
レオンは敗北していない。
卑しくなどない。汚れてなどいない。
奪われた魂を取り戻さなければならない。
「意味がある。完成させる為に、私たちは祝福と苦難を与えられる」
「僕は満足ですよ。あなたの役に立てた。あなたは宮廷裁判に勝った。相手は王女だ。凄い感動を貰いました。だからもう戦わないでください。それに、元婚約者の御令息とも二度と会っちゃいけません」
「それでは私の望みは叶わない」
「何が欲しいんですか?潔白を証明できて、神の娘として認められたんでしょう?放っておいても王太子と神様が罰してくれますよ。充分でしょう」
「取り戻したいの」
「何を?」
「あなたよ」
言ってしまった。
レオンは息を止め、私を凝視する。
「あなたを取り戻したいの」
本心を告げた瞬間、私の心は安らかだった。
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