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ヨハンが亡きデシュラー伯爵の未亡人、パメラ夫人を兵士に引渡した。
裏切り者と繰り返し叫ぶ声が届く────


ウィリスが行方不明という件についてニコラス王太子は迅速に調査を始め、ソフィア王女の口からパメラ夫人の名を引き出した。

パメラ夫人はウィリスをかなり気に入った様子であったこと、夫を亡くした寂しさで正気を失っていること、更には薬物による心中相手を探していると洩らしていたことをニコラス王太子に語り、所在不明なのであれば誘拐されたかもしれない──と、ソフィア王女はそう言ったらしい。

まさか、と思った。

ニコラス王太子がシェロート伯爵だけでなく私を呼んだのは、パメラ夫人の逮捕に立ち会わせる為だった。

宮廷裁判に向けた準備の中で、パメラ夫人が私を貶めたソフィア王女の取り巻きの一人であることは伝わっている。
私に直接酷い言葉をかけた取り巻きの中と限定した上で、現段階に於いて謝罪に訪れたのはクローゼル侯爵家の令嬢ヘレネだけだ。
パメラ夫人の逮捕を見れば少しは気も晴れるだろうと、ニコラス王太子は言ってくれた。

そして気が晴れるなどと言っていられない事態になった。

主は不在だと主張する執事と兵士の押し問答の最中、庭に面した一室から脱走を試みる者たちが現れ、入念に配置されていた別の兵士によって捕らえられた。
後にわかるが、デシュラー伯爵の主治医であった医師の、その助手たちだった。

彼らは只ひたすらパメラ夫人の命令だったと主張し、ウィリスの滞在を認めた。

私とシェロート伯爵は全体を指揮するニコラス王太子と共に馬車を停めた前庭で待機していたが、医師たちの逮捕は物々しい様相であり、何か良からぬことが起きていると本能的に察知せずにはいられなかった。

救出されたウィリスは布を被っていた。
一人では歩けないほどに弱り果てている様子から、相手が誰であれ痛ましさに胸が苦しくなったが、その包帯だらけの顔や首、手を見て私は目を疑った。

そこでパメラ夫人の叫びがあった。
不在であるはずのパメラ夫人を兵士に引渡しのたのは、まさかとも、やはりとも思えてしまうヨハンだ。

「ふむ。やはり使えるな」

ニコラス王太子が呟く。
ヨハンは私と彼らの関係を巧妙に隠し通したが、ニコラス王太子もまたヨハンとの関りを私に隠している。
私が何も知らない者として振舞えばこれ以上の混乱を招かずに済むだろうと思われた。

その時、ウィリスが叫んだ。

「くそばばあ!ざまぁみろ!!」
「!?」

余りの剣幕と喉が破れてしまわないかと恐くなるような声に、私は驚き身を翻す。
シェロート伯爵の腕の中で暴れながら、ウィリスは唾を撒き散らし叫び続けた。

「終わりだ!貴様等全員、何をやっていたか全部吐いてやる!!処刑だ!死ねぇぇぇっ!!」

包帯の隙間から覗く充血した目を剥いて、ウィリスは、完全に人が変わり正気も失ったとしか思えない様子で怒号をあげる。

それを受けニコラス王太子がヨハンたちの方へ手を振り上げ声を張った。

「口を塞げ!自害させるな!」

私は恐ろしい展開に息を飲み、眩暈を覚えながら立ち尽くしている。
否、必死で足を踏ん張っているといった方が正しい。

いったい何が起きているというのか。

「くそおぉぉぉぉっ!!」

ウィリスが父親の腕の中で号泣する。
混沌とした混乱が静かな広い空の下を泥のように埋め、閉じ込めていく。まるで世界から切り離されたかのような昏く忌まわしい風景だ。

ニコラス王太子が私の肩に手を添えた時、私は酷く狼狽し声にならない悲鳴を上げた。

「!」
「失礼。ヒルデガルド、気を確かに持て」
「……は、はい」
「予想を超えて来たな。王女が素直に反省するわけがないとは思っていたが、どうやらあなたを裏切った元婚約者は何かの生き証人らしい」
「……」
「何を企んでいる、ソフィア……」

ニコラス王太子が私を気遣いながらも奥歯を噛み呻る。

私は努めて深呼吸を繰り返し、ウィリスを、そして遠くで兵士に受け答えしているヨハンを順に見遣った。

パメラ夫人が心中相手としてウィリスを誘拐したという話は強ち嘘でもないかもしれないと思えてしまえるような姿ではある。
併し、ウィリスは叫んだ。

貴様等、と。

「……」

私を取り囲み蔑んだ、あの、ソフィア王女の取り巻きたちだろうか。
私からウィリスという婚約者を奪い、それを正当化する為に私に汚名を被せた……

「……」

腑に落ちない。

「……」

これは、略奪愛ではない。
別の、何か、もっと恐ろしいものだ。

それが何かはわからない……
併し……

ウィリスが地獄に落ちろと泣き叫んでいる。
地獄に落ちろソフィア、と。

「……殿下」
「ああ。聞かなかったことにする。まず養生させなければ」

逮捕劇は幕を閉じた。
もっと恐ろしいものが始まる予感に、私は息を震わせ、目を閉じた。
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