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36(クローゼル侯爵)
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神の前に人間の身分など意味を持たないのだと実感させられた。
敬虔な一家として認知されていたビズマーク伯爵家は、倹約と品性を融合させた気持ちのいい空間でありながら親しみや温かみも感じられた。
使用人は慇懃でありながら活き活きと働き、主とその一家に忠義と感謝を抱いているであろうことは簡単に見て取れた。
感服した。
ビズマーク伯爵とその娘ヒルデガルドは私より遥かに高潔な人物であった。
「……」
それに引き換え、私の娘は出来損ないだ。
母親と同じで自分の欲に忠実であった。母親、つまり私の妻は美しく、私にとってそれは重要なことだったのだ。
併し娘が外見にばかり磨きをかけどんどん欲深い女に仕上がっていくのは耐えられなかった。しかも縁談を悉く拒否するなど我儘が過ぎる。
密かに思う相手がいるのだとしても、聞き出すつもりは毛頭なかった。
愛など続かない。一時の心地よい夢の為に家名を損なうなど愚の骨頂だ。
ソフィア王女に気に入られていることだけが取り柄であったというのに、今や家名に泥を塗るお荷物でしかない。
妻の体形を守る為に息子の誕生を諦めた私にも責任がある。年の離れた弟に爵位を継承するにしても余計な心配を残してしまう形になった。悔やんでも悔やみきれない。
「……っ、く……」
共に馬車に揺られながら泣きじゃくる娘の忌々しさに、つい手が出そうになる。
「……」
併し、私はビズマーク伯爵とヒルデガルドの必死の制止を思い出さずにはいられなかった。私はそれが正しい行いかどうかは脇に置き、思い留まることを選んだ。
それにしてもビズマーク伯爵は謙虚だ。
王女と私の娘、そして場の雰囲気に流された貴族たちの行った甚だしい侮辱は到底許せるものではない。もし立場が逆であったなら、私は国王に嘆願し何人かの首を刎ね何人かは追放し、それでなくとも爵位の剥奪や没落まで見届けたいと魂を燃やすだろう。
娘の主催した昼食会の後、私は二つのことを願った。
間違いであってほしい。
ビズマーク伯爵令嬢がそのような愚かな真似をするはずがない。
間違いであってほしい。
敬虔なビズマーク伯爵令嬢を私の娘が真偽も確かめず魔女と罵ったなど、あってはならない。
私は願いこそすれ沈黙を貫いてしまった。それが私の罪だ。
ビズマーク伯爵令嬢ヒルデガルドの潔白は証明された。
罪と体面の悪さで後悔に震える貴族はそれなりの数に上るであろう。傍観も同罪である。
私の謝罪金は拒否された。
王家以外の誰からも受け取らないと言う。
受け取られなかった大金は、各々の領地内の教会へ寄付するか民の為に活用することが望まれている。
「……」
それが聖人の思考なのかと感心させられる。
積極的に見倣おうとは思えない。時には狡猾な判断が重要な場面もある。併し私とビズマーク伯爵の間に交わされた赦しという契約に於いて、私は誠意を貫くつもりだ。
それでも……
何か、敬意を表したい。
個人的な敬意だ。
美酒や調度品などは受け取らないだろうと思われた。
娘のヘレネと比べれば遥かに見劣りするヒルデガルドも、質素で地味な格好でありながら内側から光り輝くようだった。華美なドレスや宝飾品などは好まないだろうし、第一、男が女に贈るのと同じ行為を尊敬する男の娘にしていいはずはない。
ヒルデガルドには欠けるものがない。必要な物は全て父親か教会が与えているだろう。
「……」
ビズマーク伯爵に私の敬意を受け取り理解してほしい。認めて欲しい。
これが友情なのだろうか。
私は暫し熟考し、唯一これと思われる妙案を思いついた。
二年と少し前、メラーという男を使用人として雇い入れた。
元は宮廷に出入りする腕のいいテーラーとして有名だったが、ある時から姿を見せなくなり私のみならずその身を案じる者も少なからずいたものだ。
悪い噂も皆無で出入りを禁止されたわけではないようだから心配も一入であり、何より腕のいいテーラーの損失は惜しまれた。
私は街で偶然メラーを見かけた。
そこで初めて、失踪した一人息子を探しているのだと知った。
私は父親の才能を受け継ぐ一番弟子であったその息子レオンの捜索を申し出ると共に、クローゼル侯爵家での安定した使用人暮らしを提供したのだ。
メラーは精神衰弱ぎみではあるものの、手の空いた時は従僕や庭師の補佐をしながら主に私の衣服を仕立てている。作業に集中することで気が紛れるようでもあった。
レオンの行方はまるで知れない。
私は注意深く捜索を繰り返したが手掛かりすら得られず現在に至っている。だがメラーを諦めさせ、その才能を潰してしまうのはあまりにも惜しかった。
だから私は今も捜索を続けている。
私個人の意見としては何処かで事故に遭ったか獣にでも襲われ既に死んでいるのだろうと考えてはいるが、息子を愛するメラーには口が裂けても洩らせない本音であった。
今や私専属のテーラーとなったメラーの手でビズマーク伯爵の礼服を仕立てるというのはどうだろう。
体格にぴったり合う上品な礼服であれば、他の誰に譲るでもなく売って金にするでもなく、受け取る気になってくれるのではないだろうか。
レオンを喪った悲しみもビズマーク伯爵であれば癒せるかもしれない。
メラーの神の手を更に高みへと押し上げる助けになるかもしれない……
敬虔な一家として認知されていたビズマーク伯爵家は、倹約と品性を融合させた気持ちのいい空間でありながら親しみや温かみも感じられた。
使用人は慇懃でありながら活き活きと働き、主とその一家に忠義と感謝を抱いているであろうことは簡単に見て取れた。
感服した。
ビズマーク伯爵とその娘ヒルデガルドは私より遥かに高潔な人物であった。
「……」
それに引き換え、私の娘は出来損ないだ。
母親と同じで自分の欲に忠実であった。母親、つまり私の妻は美しく、私にとってそれは重要なことだったのだ。
併し娘が外見にばかり磨きをかけどんどん欲深い女に仕上がっていくのは耐えられなかった。しかも縁談を悉く拒否するなど我儘が過ぎる。
密かに思う相手がいるのだとしても、聞き出すつもりは毛頭なかった。
愛など続かない。一時の心地よい夢の為に家名を損なうなど愚の骨頂だ。
ソフィア王女に気に入られていることだけが取り柄であったというのに、今や家名に泥を塗るお荷物でしかない。
妻の体形を守る為に息子の誕生を諦めた私にも責任がある。年の離れた弟に爵位を継承するにしても余計な心配を残してしまう形になった。悔やんでも悔やみきれない。
「……っ、く……」
共に馬車に揺られながら泣きじゃくる娘の忌々しさに、つい手が出そうになる。
「……」
併し、私はビズマーク伯爵とヒルデガルドの必死の制止を思い出さずにはいられなかった。私はそれが正しい行いかどうかは脇に置き、思い留まることを選んだ。
それにしてもビズマーク伯爵は謙虚だ。
王女と私の娘、そして場の雰囲気に流された貴族たちの行った甚だしい侮辱は到底許せるものではない。もし立場が逆であったなら、私は国王に嘆願し何人かの首を刎ね何人かは追放し、それでなくとも爵位の剥奪や没落まで見届けたいと魂を燃やすだろう。
娘の主催した昼食会の後、私は二つのことを願った。
間違いであってほしい。
ビズマーク伯爵令嬢がそのような愚かな真似をするはずがない。
間違いであってほしい。
敬虔なビズマーク伯爵令嬢を私の娘が真偽も確かめず魔女と罵ったなど、あってはならない。
私は願いこそすれ沈黙を貫いてしまった。それが私の罪だ。
ビズマーク伯爵令嬢ヒルデガルドの潔白は証明された。
罪と体面の悪さで後悔に震える貴族はそれなりの数に上るであろう。傍観も同罪である。
私の謝罪金は拒否された。
王家以外の誰からも受け取らないと言う。
受け取られなかった大金は、各々の領地内の教会へ寄付するか民の為に活用することが望まれている。
「……」
それが聖人の思考なのかと感心させられる。
積極的に見倣おうとは思えない。時には狡猾な判断が重要な場面もある。併し私とビズマーク伯爵の間に交わされた赦しという契約に於いて、私は誠意を貫くつもりだ。
それでも……
何か、敬意を表したい。
個人的な敬意だ。
美酒や調度品などは受け取らないだろうと思われた。
娘のヘレネと比べれば遥かに見劣りするヒルデガルドも、質素で地味な格好でありながら内側から光り輝くようだった。華美なドレスや宝飾品などは好まないだろうし、第一、男が女に贈るのと同じ行為を尊敬する男の娘にしていいはずはない。
ヒルデガルドには欠けるものがない。必要な物は全て父親か教会が与えているだろう。
「……」
ビズマーク伯爵に私の敬意を受け取り理解してほしい。認めて欲しい。
これが友情なのだろうか。
私は暫し熟考し、唯一これと思われる妙案を思いついた。
二年と少し前、メラーという男を使用人として雇い入れた。
元は宮廷に出入りする腕のいいテーラーとして有名だったが、ある時から姿を見せなくなり私のみならずその身を案じる者も少なからずいたものだ。
悪い噂も皆無で出入りを禁止されたわけではないようだから心配も一入であり、何より腕のいいテーラーの損失は惜しまれた。
私は街で偶然メラーを見かけた。
そこで初めて、失踪した一人息子を探しているのだと知った。
私は父親の才能を受け継ぐ一番弟子であったその息子レオンの捜索を申し出ると共に、クローゼル侯爵家での安定した使用人暮らしを提供したのだ。
メラーは精神衰弱ぎみではあるものの、手の空いた時は従僕や庭師の補佐をしながら主に私の衣服を仕立てている。作業に集中することで気が紛れるようでもあった。
レオンの行方はまるで知れない。
私は注意深く捜索を繰り返したが手掛かりすら得られず現在に至っている。だがメラーを諦めさせ、その才能を潰してしまうのはあまりにも惜しかった。
だから私は今も捜索を続けている。
私個人の意見としては何処かで事故に遭ったか獣にでも襲われ既に死んでいるのだろうと考えてはいるが、息子を愛するメラーには口が裂けても洩らせない本音であった。
今や私専属のテーラーとなったメラーの手でビズマーク伯爵の礼服を仕立てるというのはどうだろう。
体格にぴったり合う上品な礼服であれば、他の誰に譲るでもなく売って金にするでもなく、受け取る気になってくれるのではないだろうか。
レオンを喪った悲しみもビズマーク伯爵であれば癒せるかもしれない。
メラーの神の手を更に高みへと押し上げる助けになるかもしれない……
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