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「否、これらは宮殿の宝物庫から持ち出された物だ。お前はなんということを……」

国王は深く傷ついた声で王女を責めた。
その目には軽蔑があった。

ソフィア王女が慌てふためき、ぽろりと涙を零す。
それとほぼ同時にニコラス王太子が私に小さく頷いた。勝利を示していた。

国王が四つの木箱に目を移し、溜息をつきながら王女の嘘を暴いていく。

ニコラス王太子は容赦なく王女を追い詰める。

「宝物庫の厳重な警備を掻い潜ることのできる盗賊はいない。併し、私たち王族ならばそれは容易い。見張りに立つ兵は頭を垂れ、時には灯りすら灯してくれる。お前は一人でこれを持ち出したのか?」
「私は……!」

ソフィア王女が大粒の涙を零しながら何か言おうとしたその時、国王が悲鳴のような声を上げた。

「母上の形見だ……!」

法廷は騒然となった。
今は亡き前王妃、国王の母君の形見が、ソフィア王女が私に与えた木箱の中に含まれていたらしい。私はここへ来て初めて膝が震えた。レオンが手を付けず管理してくれていて本当によかった。

王妃が滑るように国王の傍近くに跪き、その背中に手を添えた。

「私は、あ、愛に飢えていたのよ……ッ!」

王女が泣きじゃくる。
その声は亡き母君の形見を冒涜され嘆き悲しむ国王には届いていないように思われる。

ニコラス王太子は違う。

「では、お前の愛するシェロート伯爵令息は何処だ?何故、この場で愛を証明しない?」
「……、…………」
「奪い取った愛などその程度のものだ」
「……」

王女はその印象的な濃いはちみつ色の瞳を涙で揺らし、兄である王太子を凝視している。
そして、何故か、笑い始めた。

「ふ、ふふ……っ」

目を瞠り涙を流しながらも笑い声を上げるソフィア王女に怪訝な眼差しが集まる。
私も信じられない思いで王女を凝然と見つめてしまった。

私の中でソフィア王女は傲慢で恐ろしい人物だった。
ところが今は、何処か狂気を感じる。

「私が、何故、そのような取るに足らない令嬢を陥れなければならなかったのか……誰も、……お兄様も、お母様も、陛下も……此処に居る全員、決してわかりはしないのよ……!」

王女の泣き笑いに私は背筋が寒くなり、少しだけ同情した。
寂しい人だったのだ。今この宮廷裁判に於いても、ソフィア王女に対する肉親の情といえるものは王家の三人からは感じ取れなかった。

私がされたことは忘れられないし、とても容認できない。
それと同じようにソフィア王女が悲しい人生を歩んでいることもまた揺るぎない事実のようだった。

いつかその魂が救われたらいいが、私は偽りの祈りを捧げることはできない。
王女の為に祈れるようにと神に祈ることしかできないが、それすら今は気持ちが追いつかない。

只、かつて苛烈に燃えた復讐の炎は今や燻ぶりすらもなく、灰となり胸の奥に力なく横たわっていた。達成感というよりは疲労と深い安堵が私を慰める。

「陛下」

ニコラス王太子が国王を厳しく促した。
国王は王妃の支えを受け威厳を取り戻すと、酷く疲弊した土気色の顔で悲しそうに私を見つめ言った。

「王女の罪を認める。ビズマーク伯爵、ヒルデガルド、すまなかった」
「……!」

先程まで私を慰めていた安堵は忽ち感動に姿を変えた。
私は溢れそうな涙を堪えながら跪き頭を垂れる。

今、この瞬間、宮廷裁判で私の潔白は証明された。
汚名は晴れたのだ。

「……」

レオン。
あなたに伝えたい。

ありがとう。
あなたが信じてくれたから、私は、この日を迎えられた。
あなたは卑しい男娼などではない。
私の騎士であり、友だったと。

ヨハン。
あなたの支えと計略が無ければこの結果には辿りつけなかった。
あなたはいつも微笑みを絶やさず、義憤の炎を私に見せまいとしていた。
あなたは堕落などしていない、聖き戦士だった。

ザシャ。
あなたは気が進まなくても私を匿い、見守ってくれた。

ありがとう……

皆、ありがとう……

彼らに早くこの結果を伝えたい。

「ソフィア、その恋は諦めなさい」

オクタヴィア王妃の優しい声が響き渡る。
私は初めて王妃の声を聞いたのだと思い当たり、違和感を覚えた。宮廷裁判の場に相応しくない、静かに娘を揶揄う母親の声音に他ならなかったからだ。

それでも私は勝利の只中にいる。
父が私の傍に跪いたかと思うと、強く私を抱きしめた。
更にはニコラス王太子まで私の前に膝をつき、目線を合わせ力強い精悍な笑顔で頷いてくれる。

その私の耳には励ましや共に勝利を喜ぶ聖職者たちの声、陪審員がシェロート伯爵家を批判する声が届く。王女の泣き笑いが届く。

次の瞬間、王妃が全員の口を噤ませる。

「大司教様」

私の後ろ盾である数多の教会から選出された聖職者たちの内、大司教は二人いた。王妃が呼び掛けたのは、彼女自身の生まれ故郷クレーフェ聖公領の大聖堂から来ている大司教に違いなかった。

私は顔を上げた。
王妃は優しく微笑みながら、そのエメラルドの瞳を異様に輝かせている。何かの激情を秘めていて、それがついに溢れ出してしまったかのように。

「あなたはかつて私に仰いました。私が神の娘であれば何も恐れることはないと」
「……」

私は未だ止まらない涙を拭うことさえ忘れ、微笑む王妃を凝然と見つめていた。
王妃は馴染み深い大司教に語り掛けながら私の方へ歩いてくるのだ。

どうして……

「王家には愚かな娘が与えられましたが、王国にはまた一人神の娘が与えられました。聖き乙女ヒルデガルドの為に、どうか日々お祈りください」
「母上……?」

私の前に膝をついていた王太子が怪訝そうに王妃を呼んだ。
それから王妃に場所を譲った。

父も私から素早く離れ平伏した。

オクタヴィア王妃が私の前で跪いた。

「…………」

信じられないことだった。
王妃は私の手をそっと包むと愛しそうに撫で、それから私の頬も撫でた。

「ごめんなさい、ヒルデガルド。辛い思いをさせて」
「……」

何も思うことができなかった。
頭が真っ白になっていた。

感情の高まりが過ぎて反応できないと思われたのか、更に王妃はそっと私を抱きしめた。

耳元に、息がかかる。

「──、─────」
「……」

この場に居合わせた全員が、恐らく慰めか祈りの言葉を掛けられたのだと思っただろう。或いは、謝罪を重ねたか。普通に考えればそれ以外はありえない。

ところが、王妃は私に意外な一言を囁いたのだ。
囁き終えると優しい微笑みをより深め私の目を見つめた。

体温の感じられないエメラルドの瞳。

「……はい」

私はやっと、それだけ答えた。
王妃の囁きを聞いたのは私だけだ。

時を待ちなさい────と。

何を意味し何を齎すか、私には想像もできなかった。
ただ王妃の透き通る瞳の最奥でよく知る炎がちらついたように、私には、見えた。
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