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26(ソフィア)

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クローゼル侯爵家の令嬢ヘレネから《ユフシェリア》で虫刺されによる無様な被害が出ているらしいと聞いた。
丁度ジェーンに船を用意させているところではあるものの、完成するのは数年先だ。
時を待つ間、男娼たちを何処か別の場所に転居させた方がいいだろうか。

薬草に詳しい使用人を置いているはずなのに、役立たずめ。

「ソフィア」

考え事をしながら宮殿内を歩いていた私を忌々しい声が呼び止めた。

兄である王太子ニコラス。
疎ましい男。

「何ですの、お兄様」
「やっと捉まえたぞ。お前は王家の一員である自覚があるのか?何処を遊び回っているのだか知らないが、丁度いい、話がある」
「私はありません」
「!」

王太子と兄の肩書を笠に着て常に私に命令するこの忌々しい男が私は大嫌いだった。

「疲れておりますので、部屋で休みます」

あしらった私に兄はしつこく付き纏う。

「馬鹿を言うな。真剣な顔で考え事をしながら闊歩してきておいて、疲れたから休むだと?何を企んでいる?」
「お暇なのでしょうか?お兄様、他にやることはありませんの?」
「誰も手を付けたがらない王家の大問題に着手しようとしている」
「そうですか。どうぞ頑張って」
「お前だ、ソフィア」

高圧的な物言いが頭に来て私は足を止めた。

「私が何だと仰いますの?王家の一員である自覚ならありますけれど」

私は只一人の王女ソフィア。
国王である父の血を引く、誰よりも特別な存在だ。

「何の罪もない敬虔な令嬢から婚約者を奪い、更にその略奪愛を正当化する為にあり得ない噂を流しただろう」
「はあ。何のことだか」
「ビズマーク伯爵令嬢がそんなことをするはずはない!お前、自分がどれだけ陰湿で汚い手を使ったかわかっているのか?罪深く汚らわしいのはお前だ」
「ちょっと仰る意味がわかりませんわ」

私は呆れて笑ってしまった。
兄がヒルデガルドを庇い始めた。

やはり兄は聖なる存在と持ち上げられる女に弱いらしい。

「ウィリスは深く傷つき、私に救いを求めたのです。悪いのは清純ぶった魔女ヒルデガルド只一人」
「馬鹿を言うな」
「だってお兄様、シェロート伯爵家は莫大な慰謝料を受け取ったのですよ?誰が払ったの?娘の罪を認めたビズマーク伯爵が、せめてものけじめとしてなさったことじゃないの」
「お前が裏で糸を引いているんだろう」
「……まあ、酷いこと仰るのね」

心から憤慨した。
憤懣やる方ない思いで目が回りそうだ。

「いつも悪いのは私?」

昔からそうだった。

「何か起これば、いつも、いつもいつも私が悪者」

物心ついた頃から私は家族に疎まれていた。
一言で済む。国王とその妃は王太子だけを大切に可愛がった。それだけだ。

「私が誰かに愛されるのがそんなに嫌?」
「否、お前が他人を踏みつけにして王家の顔に泥を塗るのが嫌なんだ」
「お兄様……さっきからご自分が何を仰っているか、わかっていらっしゃるの?酷すぎるわ」

私は孤独だった。
両親は私を避け、それを見て育った兄もまた当然のように私を蔑ろにしてきたのだ。

私は何不自由なく王女としての教育は受けた。
厳しい教育に耐え、気に入らない教師はどんどん壊して追い出した。私が私を守らなければ、誰が守ってくれたというのか。

父は私の存在など見えていないかのように振舞う。
母は……

ああ、あの女。
あの女が母親だと認めるのが心底忌々しい。

娘の私に注ぐべき愛情さえ持ち合わせていないくせに、私を見るエメラルドの瞳は常に軽蔑を含んでいる。冷たいあの緑色の目が大嫌いだ。
私の全てを否定するから。

兄と母は似ている。
二人とも綺麗と持て囃される金髪に、真面目ぶった厳つい顔立ち。母は神聖、兄は正義。特別扱いされて図に乗っている。

可笑しいではないか。
私の方が父に似ているというのに。

何故、二人ばかり宮廷で幅を利かせているのか。

私の美しい黒髪。
これ程までに国王の血を濃く受け継いでいる私に対し、皆あまりにも無礼だ。

聖人ぶった母親と、善人ぶった兄。
私はこの手で忌々しい二人を壊してやると心に決めていた。

兄は母に似ている。
だが兄は、私のように父と同じ髪の色もしていなければ、目の色も微かに違う。父は闇のような深いダークブルーの瞳だが、兄は鮮やかな碧。

だから私はこう考えている。

兄は国王の血を引いていない。
王妃である母が不貞を働き成した不義の子だと。
それが王太子の顔をして我が物顔で宮殿を闊歩しているのだ。腹が立つ。許せない。粉々に壊してやりたい……

「なんだ、その顔は。傷ついたような口ぶりで、随分と睨むじゃないか。今にも私を殺しそうだ」

そうだ。
神の名を騙る反逆者たちをこの手で罰し、晒し、葬り去る。
それが私の生き甲斐。

そうすれば父は私を認めてくれる。
たった一人の可愛い娘である私を、只一人の王位継承者である私を、見てくれる。

「私の愛を阻む前に、御自分の未来をお考えになったら?お兄様が本当に王太子として相応しい人物なら、もうとっくに御結婚なさっているのではなくて?」
「……」

兄の碧い瞳が冷酷な炎を揺らす。

「お前ほど暇ではないからな」
「ああ、つまり、やきもちね。無様な人」

付き合っていられない。
私がじっくり対峙してあげるのは、時が満ちてからだ。

私は兄を無視して歩き始めた。兄はもう付き纏いはしなかったが、廊下に声を響かせ私を侮辱するのを忘れなかった。

「お前のような女に惹かれたシェロート伯爵令息も碌でもない男なのだろう。元よりビズマーク伯爵家には相応しくなかったようだ」

下らない。
ヒルデガルドと比べられて私の心が動くとでも思っているのだろうか。
あんなつまらない女、生きていても死んでいても誰も何も思わない。

皆どうして聖女を崇めたがるのだろう。
一度犯されれば娼婦に成り下がる只の女でしかないというのに。馬鹿ばっかり。

兄や母やその他大勢の馬鹿が妄信する神など存在しない。
尊ぶべきは国王とその血を引く王女の私。

謂わば父と私がハルトルシア王国の神なのだ。

皆、幻を信じている。
私が真実を皆の目に付きつけてみせる。

男娼に溺れる汚れた聖女を目の当たりにしたら、皆、過ちに気づき私を崇めるだろう。
そして私と同じ言葉を叫ぶはずだ。

魔女を火炙りにせよ、と。

「……」

母が炎に焼かれ泣き叫びながら死んでいくのを想像すると、ぞくりとした快感が全身を駆け抜ける。
壊れて男娼と成り下がった兄は狂い尽くして母を抱き、悍ましい近親相姦の罪で死刑。

「無様ぁ」

ああ、たまらない。
もうすぐ……もうすぐだ。目前に迫っている。楽しみでたまらない。

裁きの日が、待ち遠しい。
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