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9(レオン)

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まさか、死ぬのか?

失礼かもしれないが、悪意なく表現するなら彼女は男遊びができる性格には思えない。

併し見るからに貞淑な御令嬢が男娼という思い切った買い物を決意し、大金を溝に捨てようとしている。口にするのも恥ずかしく、関わるなど論外の存在のはずなのに、あれこれと具体的な計画があるらしい。

それはそうと、やや寸胴に見えていたのは外套の内側に大きな麻袋を隠していたからだったのか。

「重かったでしょう」

つい本音が洩れた。
自分が男娼という卑しい身分であることも、相手が貴族の御令嬢であるらしいことも忘れ、男として彼女に圧倒されていた。

小柄な御令嬢がこれを持ち運んだというのも驚きだが、厳格な雰囲気を漂わせてやってきた場所が男娼の住まう秘密の館だ。

「ええ。でも大したことはありません」

凄い覚悟を決めている。

死を目前にやり残した夢を……そう、例えばロマンチックな恋愛とか美しい結婚の真似事を買いに来たのだと思えば納得もできる。

「お嬢様」

そうだ。
しっかりして見えるせいで実際の年齢が定かではないが、結婚については適齢期じゃないか。
本当なら貴族でなくてもこんなところで大金を見せつけている場合ではない。

もしかして自信がなく未来に絶望しているのだろうか。

確かに、わかりやすい美女という顔立ちではない。丸顔で、化粧気もない。おしゃれをすればどうにでも弄れる簡素な顔立ちとも言える。だが、彼女はそうしない。

結婚なんかできないとか、綺麗な誰かに意地悪を言われたか?
だがこういう一見して素直で純粋そうな御令嬢を育てるような人間が、教育を施さないはずはない。清楚というのは後付けできない素質だ。結婚できなそうだから、よし、男娼を買おう。……とはならないはずだ。

やっぱり死ぬのか?

「持てるだけ持って来ただけで、この十倍は用意できます」
「……」

凄い。
地味な顔をしているだけで、相当の身分らしい。

……やはり高貴な女というのは……

「それで、なんでもしてくださるというのはつまり、あのような関係を結ばずに継続的な人間関係を維持できると解釈していいのよね?」

食い入るように書架を見つめながら御令嬢は小さい手で上階を示した。
美しいというより、可愛らしい手だ。

上階では館の主ザシャ・ケスティングが客を抱いている。
僕が話している御令嬢には刺激が強すぎるのだろうとは思っていたが、根本的にやりたくないならどうして男娼を選んだのか。

寂しいのか?
真面目過ぎて、友達さえいないとか?

「お嬢様は大変かわいらしく魅力的な方ですが、お友達が欲しいなら、男娼に金など与えず、気に入った俳優や吟遊詩人のパトロンになるという方法もあるのですよ?」

言ってやりたくもなるというものだ。
世間を知らないせいで男娼を買ってしまったなんてことになったら、可哀相じゃないか。

「いいえ」

断固とした否定を返され、此方も言葉に詰まる。

「男娼でなければいけません」

抱かれたくないのに、確固たる決意を決めているらしい。

肉体関係なしで友人のように振舞えと言うならそうするが、その程度のものさえ買うのか。地味顔の御令嬢が美形の男と金で親友ごっこしたいなら、男娼は最悪の選択だ。

こっちが説教したくなってきた。

「お嬢様」

正直、大金だが、これで清楚な御令嬢の人生を壊してしまうのは気持ちのいいものではない。
本人の為になるのは勿論、僕の為に、やはりこの御令嬢は追い返そう。

「──」

否、待て。
この御令嬢は馬鹿ではない。見ればわかる。

恐らく誰の目から見てもこの御令嬢は馬鹿ではないのだ。
男娼を選ぶには理由がある……誰にも理解されそうもない理由だとしても、あるはずだ。

死ぬのは本人じゃなく、別の誰か?
だから連れ出したいのか?

それとも、僕に死んだ人間のふりをしてほしいとか?
父親や、男の親戚や、それこそ兄や、想いを寄せた幼馴染など……

「……」

僕は御令嬢の目を覗き込んだ。
美しいペリドットの瞳は知的でありながら神秘的で、確固とした意思を湛えている。

やり遂げたいことがあると言った。
継続的な関係を望んでいるらしい。

単純に、男娼は人間を丸ごと買えるから選んだのかもしれない。しかも金のかかった高級男娼なら健康体で魅力的────

「……」

死ぬのは、僕?
命懸けの何かを求められていたりする?

「まさか」
「〝お嬢様、まさか〟とは?私が何だと仰るの?盗んだお金ではありません」

要らぬ誤解を与えてしまった。

「失礼しました。疑ってなどいませんよ」
「黙り込んだわ。わかっています。私が男娼を買うなんて、嘘みたいよね」
「……」

人のよさそうな丸顔の人物が静かな怒りを表す時、それはこの世の終わりに近い。
まあ丸顔は関係ないが、要は優しい人をついに怒らせたのだ。我慢に我慢を重ねて、この低い声を絞り出すのである。

酷い騙され方をして、愛への絶対的不信から、買える愛を選ぶという過ちに至ってしまったのだろうか。

放り出して別の誰かの餌食になるなら、御令嬢が正気に戻るまで僕の手で引き留めて隠しておくのもいいかもしれない。
実際、何日か泊めて部屋から洩れる客の声を聞かせてやれば、目が覚めて尻尾を巻いて逃げてくれるかもしれない。

御令嬢は真剣そのものの表情で僕を見つめ返している。

美しい瞳だ。
こんな場所で汚してはいけない。

「誰の心にも夢はあるものですよ」

気遣いを返した僕は重そうな麻袋に手を伸ばした。
まだ、断れる。だが心配だ。どうしようか。まだ間に合う。

その逡巡を打ち破ったのは、雑に扱われた扉の開閉音。
上階で客を抱いていたザシャが行為を終え部屋から出て来たのだった。
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