上 下
6 / 79

6(レオン)

しおりを挟む
ノックの直後、此方の返事も待たずに開かれた扉から彼女が館内に入って来た時、単純に驚いた。

彼女は背が低い丸顔の女性で、若いのだが真面目な表情には既に風格がある。
上品な旅用のドレスから貴族であることは一目瞭然だ。
一人で忍んで来るのもわかる。

だが知らない顔だ。
それにどうも不機嫌に見える。

美しい亜麻色の髪はきっちりと結いあげられ、多少のほつれ毛も厳格さを損なわない風情がある。
一見して地味で清楚な印象を受けるが、透き通るペリドットの瞳が知性を現しながらも神秘的な光を宿している。

客として来たと言うより、この館の存在に異議を申し立てに来たと言われた方が納得だ。
第一、新たな客の話など聞いていない。

「おかえりなさい、お嬢様」

年齢から判断し僕はそう声を掛けた。
いつも通り親しみを込めた笑顔も忘れない。

「……」

彼女は玄関扉を背にして佇み、僕を凝視した。

似つかわしくない。
それが彼女に抱いた率直な感想だった。

人のよさそうな顔立ちは本来ならば相手を無条件で安心させそうなものだが、今のところ好意らしきものが向けられていない上、やはりどうも怒っているように見える。

「それが挨拶なのね」

実際の年齢は知らないが、見た目から受ける印象より大人びた落ち着いた声だった。

僕はくすりと笑いを洩らした。
馬鹿にしたわけではない。緊張しているなら、それをほぐして差し上げるのが僕の務めだ。

僕が一歩近づくと、彼女は僅かに眼力を強めた。
畏怖の念を抱くと言えば多少は聞こえがいいかもしれないが、単純に、恐かった。

おお、これは恐い女の子が来たぞ。
僕はそう思った。

「あなたのお好みに合わせて改めますよ。僕はあなたの奴隷ですから」
「……」

あからさまな軽蔑の眼差しを向けられても、僕はいつもの笑みを浮かべ続けた。

こんな辺鄙な場所まで一人で貸馬車を使って人目を忍びやって来たのだから、客は客なのだろう。
繊細な女心は丁寧に扱わなければいけない。

色味、質感、匂い。

どんな素材にも奥深さと相性があるものだ。
たとえこの真面目くさった御令嬢がどんな醜い願望を肉の内に隠していようとも、乱暴に抉じ開けてはいけない。

彼女の夢を、そして彼女自身を美しく仕上げるのが僕の務めだ。

玄関広間の奥には左右に分かれる大階段があり、頭上にはシャンデリアという内装だが、壁際の天井だけは二階部分の床でもある。
扉から向かって右の壁際には書架とテーブルが用意してあり、面談やちょっとした知的なお茶の時間が楽しめるようになっている。

左側はさも読書をしてくださいとばかりに一人掛けのソファが置いてある上、これ見よがしに地球儀まで添えてある。

慣れてくるとさっさと素通りして部屋に篭る客がほとんどだが、この真面目そうな御令嬢はどうなるだろうか。
滞在中も本に気を散らして部屋に持ち込む姿はらしいと言えばらしいし、案外、化けるかもしれない。ただ間違いなく一人掛けのソファに座り何時間も読書している姿のほうが説得力がある。

誰の客だ?

「どなたのご紹介ですか?」

僕はそう尋ねたが、彼女は大真面目に答えた。

「私が買うのは奴隷ではなく男娼です」
「え」

似合わないの一言に尽きる。
たとえそれが目的であったとしても、こんなに貞淑且つ真面目そうな清楚の極みみたいな御令嬢が真顔で口にする言葉でもない。

彼女は慇懃な態度で僕を見上げた。

「あなたも男娼ですか?先程、表で花の世話をしていた男性はお仕着せを着ていましたが、あなたは違いますね。多少寛いだ様子とはいえそのまま社交界に出ても通用しそうですが」

説教されている気分……。
一先ず、ごめんなさいと詫びてみようか。

僕でも、他の奴等でも、外見には自信がある男ばかりだ。そんな自分を呪っている。
だが貴族の女たちは僕らに蕩け溺れていく。

この子は軽蔑する僕らに抱かれるという背徳感を求めるタイプなのだろうか。真面目な性格の箍が外れて酷くなるタイプと、可愛くなるタイプがいるが……

「ありがとうございます。あなたに相応しい人形であるように、どんな努力も厭いません」
「人形?」

美しいペリドットの瞳の上で、眉が怒りを込めてつり上がる。

難しい。
この御令嬢は難しい客だ。

こういう客は僕ではなく元貴族のヨハンに担当してもらうのが絶対にいいと思うが、まずは希望を聞かなくてはならない。
誰の紹介かも、どの男娼をお望みなのかも聞いていない。名前すら知らない。

「ええ。僕はあなたのお人形になれますか?それとも別の者をお望みですか?まだお決まりでないのなら、のんびりとお喋りは如何ですか?お疲れでしょう?すぐにお茶をお持ちします。さあ、そちらに──」

僕がいつも通り親しみを込めた笑顔でテーブルの方へと誘った瞬間、上階から激しい客の嬌声がたゆたうように洩れ聞こえ、清々しい昼日中の空間を妖しく濁らせた。

その中で僕たちは見つめ合っていた。

「……」

彼女は大きく目を見開くと、肩を怒らせ、身震いして硬直した。

それまであった威厳は消えていた。年端も行かない箱入り娘が情事の叫びを聞き恐がって震えているように見えた。

帰そう。
このまま、名前も聞かずに。

彼女は今日ここへ来たことも、僕との出会いも、ただ黙っていればいい。無かった事にしてしまえばいい。

僕は手を伸ばした。
安心させてあげたかった。だから笑った。

「!」

彼女は戦慄し、僕の手を跳ねのけるよう手を振り上げた。本当に無我夢中という感じだ。
指先が左目付近を掠る。

「!」

僕は反射的に目を閉じて躱した。
その隙に彼女は身を翻し、大慌てで館を出ていく。

……これでいい。

彼女の人生から僕らのような存在が永遠に消え去り、僕らのようなどうしようもなく汚れた生き物から彼女のような綺麗な存在が消え去った────かに思えた、が。

「?」

数分も待たずして再び扉は開かれた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

大切なあのひとを失ったこと絶対許しません

にいるず
恋愛
公爵令嬢キャスリン・ダイモックは、王太子の思い人の命を脅かした罪状で、毒杯を飲んで死んだ。 はずだった。 目を開けると、いつものベッド。ここは天国?違う? あれっ、私生きかえったの?しかも若返ってる? でもどうしてこの世界にあの人はいないの?どうしてみんなあの人の事を覚えていないの? 私だけは、自分を犠牲にして助けてくれたあの人の事を忘れない。絶対に許すものか。こんな原因を作った人たちを。

俺の婚約者は地味で陰気臭い女なはずだが、どうも違うらしい。

ミミリン
恋愛
ある世界の貴族である俺。婚約者のアリスはいつもボサボサの髪の毛とぶかぶかの制服を着ていて陰気な女だ。幼馴染のアンジェリカからは良くない話も聞いている。 俺と婚約していても話は続かないし、婚約者としての役目も担う気はないようだ。 そんな婚約者のアリスがある日、俺のメイドがふるまった紅茶を俺の目の前でわざとこぼし続けた。 こんな女とは婚約解消だ。 この日から俺とアリスの関係が少しずつ変わっていく。

婚約破棄ですか? 理由は魔法のできない義妹の方が素直で可愛いから♡だそうです。

hikari
恋愛
わたくしリンダはスミス公爵ご令息エイブラハムに婚約破棄を告げられました。何でも魔法ができるわたくしより、魔法のできない義理の妹の方が素直で可愛いみたいです。 義理の妹は義理の母の連れ子。実父は愛する妻の子だから……と義理の妹の味方をします。わたくしは侍女と共に家を追い出されてしまいました。追い出された先は漁師町でした。 そして出会ったのが漁師一家でした。漁師一家はパーシヴァルとポリー夫婦と一人息子のクリス。しかし、クリスはただの漁師ではありませんでした。 そんな中、隣国からパーシヴァル一家へ突如兵士が訪問してきました。 一方、婚約破棄を迫ってきたエイブラハムは実はねずみ講をやっていて……そして、ざまあ。 ざまあの回には★がついています。

【第一章完結】相手を間違えたと言われても困りますわ。返品・交換不可とさせて頂きます

との
恋愛
「結婚おめでとう」 婚約者と義妹に、笑顔で手を振るリディア。 (さて、さっさと逃げ出すわよ) 公爵夫人になりたかったらしい義妹が、代わりに結婚してくれたのはリディアにとっては嬉しい誤算だった。 リディアは自分が立ち上げた商会ごと逃げ出し、新しい商売を立ち上げようと張り切ります。 どこへ行っても何かしらやらかしてしまうリディアのお陰で、秘書のセオ達と侍女のマーサはハラハラしまくり。 結婚を申し込まれても・・ 「困った事になったわね。在地剰余の話、しにくくなっちゃった」 「「はあ? そこ?」」 ーーーーーー 設定かなりゆるゆる? 第一章完結

裏切りの代償~嗤った幼馴染と浮気をした元婚約者はやがて~

柚木ゆず
恋愛
※6月10日、リュシー編が完結いたしました。明日11日よりフィリップ編の後編を、後編完結後はフィリップの父(侯爵家当主)のざまぁに関するお話を投稿させていただきます。  婚約者のフィリップ様はわたしの幼馴染・ナタリーと浮気をしていて、ナタリーと結婚をしたいから婚約を解消しろと言い出した。  こんなことを平然と口にできる人に、未練なんてない。なので即座に受け入れ、私達の関係はこうして終わりを告げた。 「わたくしはこの方と幸せになって、貴方とは正反対の人生を過ごすわ。……フィリップ様、まいりましょう」  そうしてナタリーは幸せそうに去ったのだけれど、それは無理だと思うわ。  だって、浮気をする人はいずれまた――

[完結]「私が婚約者だったはずなのに」愛する人が別の人と婚約するとしたら〜恋する二人を切り裂く政略結婚の行方は〜

日向はび
恋愛
王子グレンの婚約者候補であったはずのルーラ。互いに想いあう二人だったが、政略結婚によりグレンは隣国の王女と結婚することになる。そしてルーラもまた別の人と婚約することに……。「将来僕のお嫁さんになって」そんな約束を記憶の奥にしまいこんで、二人は国のために自らの心を犠牲にしようとしていた。ある日、隣国の王女に関する重大な秘密を知ってしまったルーラは、一人真実を解明するために動き出す。「国のためと言いながら、本当はグレン様を取られたくなだけなのかもしれないの」「国のためと言いながら、彼女を俺のものにしたくて抗っているみたいだ」 二人は再び手を取り合うことができるのか……。 全23話で完結(すでに完結済みで投稿しています)

妹に全てを奪われた伯爵令嬢は遠い国で愛を知る

星名柚花
恋愛
魔法が使えない伯爵令嬢セレスティアには美しい双子の妹・イノーラがいる。 国一番の魔力を持つイノーラは我儘な暴君で、セレスティアから婚約者まで奪った。 「もう無理、もう耐えられない!!」 イノーラの結婚式に無理やり参列させられたセレスティアは逃亡を決意。 「セラ」という偽名を使い、遠く離れたロドリー王国で侍女として働き始めた。 そこでセラには唯一無二のとんでもない魔法が使えることが判明する。 猫になる魔法をかけられた女性不信のユリウス。 表情筋が死んでいるユリウスの弟ノエル。 溺愛してくる魔法使いのリュオン。 彼らと共に暮らしながら、幸せに満ちたセラの新しい日々が始まる―― ※他サイトにも投稿しています。

【完】婚約者に、気になる子ができたと言い渡されましたがお好きにどうぞ

さこの
恋愛
 私の婚約者ユリシーズ様は、お互いの事を知らないと愛は芽生えないと言った。  そもそもあなたは私のことを何にも知らないでしょうに……。  二十話ほどのお話です。  ゆる設定の完結保証(執筆済)です( .ˬ.)" ホットランキング入りありがとうございます 2021/08/08

処理中です...