24 / 27
24(マテウス)
しおりを挟む
ふと視線を感じ振り向くとそこには毛並みの美しい犬がおり無垢な瞳で私を見上げていた。
驢馬ほどの大きさだが私の知らない犬種であることから、ともすれば雑種の可能性はあるが毛並みそのものは美しく飼育者の愛を感じる。人間を恐れる様子もなく、友好的な眼差しが彼の満ち足りた人生を充分に表している。
牡であることは見ればわかる。
「やあ」
「……」
彼はやや小首を傾げる素振りで舌を出し笑った。
舌を出し呼吸しているだけと言えばそうだが、そこに心情が重なれば笑っていると言って差支えないと私は考えている。
「どうした。はぐれたかな?」
「……」
彼の友好的な眼差しに応えない理由は何処にもない。
私は彼の傍らに片膝をつき手の甲を嗅がせ了承を得てから──つまり肉厚な舌で一舐めされてから──耳の下を豪快に掻くように撫で繰り回した。
「よぉーしよしよしよしよし!お前どうした!?散歩か!?一人でか!?おぉう見せて見ろ。ホッブス伯爵の次にこの別荘地を知り尽くしているこの私がお前の主の元へ必ず送り届けてやるウシャシャシャシャ!」
人気がないのをいいことに私は無邪気に撫で繰り回しつつ戯れた。
フガフガと湿った鼻息を浴びながら顔を舐められ和みつつ首輪の刻印を確かめて私は我に返る。
「……」
「バゥ」
「おう。よしよし」
人に慣れているだけかと思ったが、明確に私を狙った追跡だったようだ。
温泉施設で私の臭いがついた何かしらの物品を入手するのは容易いだろう。これは私が迷子を届ける形で訪問するのを促す巧妙な作戦だ。
そういうわけで私は新築が二棟並ぶクアーク侯爵家の別荘の門を仰いだ。そんな私の足元でクアーク侯爵家の雑種犬が行儀よく座り、主を待っている。
門番に敬礼されたのは私ではなく犬の方だ。
見上げていると向かって左の棟の窓でカーテンが揺れ、少年がこちらを見下ろし、次の瞬間ぱっと消えた。
「……」
つまりあの少年が、妻カイラの元婚約者に一旦は養子として引き取られたクアーク侯爵の孫息子ジュリアンか。
「バゥン」
私の足元で行儀よく座りつつも呑気な声を上げ尻尾を振っているこの雑種犬は、ジュリアンの犬と。
「なるほど」
婚姻関係によって親族でもあり友人にもなったホレーショから、クアーク侯爵家が別荘を建てると聞いた時からある程度の心積もりはしてきたつもりだ。
ブライトマン伯爵令息アーノルドという因縁によって細く結ばれた私たちが顔を合わすとすれば──
左の棟の玄関扉が開いた。
「バウッ!」
犬が歓喜の声を上げて駆けていく。
恐らくジュリアンであると思われる少年ではなく、老齢のクアーク侯爵に向かっていったので私は我が事のように焦った。腰痛の再発は愛犬の愛の抱擁だ。クアーク侯爵家の雑種犬は細身の初老の男の骨をへし折るには充分すぎる程の大きさである。
「閣下!」
私は反射的に手を伸ばし、一歩足を踏み出そうとした。
しかしその犬はクアーク侯爵の細い足の周りをクルクルと回ったかと思うと、臀部をクアーク侯爵のふくらはぎにおしつけるようぴったりと寄り添って座り、腿に頭を擦りつけた。
そしてクアーク侯爵は相好を崩し愛犬の頭や首を撫でている。
「……」
よく訓練されているというよりは、溺愛されて懐いているといった方が正しい。
彼は少年ではなく侯爵閣下の愛犬なのか。それは門番に敬礼の一つもされるというものだ。
意外な人物の微笑ましい光景を見て思わず和んでしまった私をクアーク侯爵が横目で捉えた。
クアーク侯爵は愛犬の首を優しく指先で叩く。促された犬の方は少年に顎で指示を出し、邸宅内へと誘った。どうやら面倒を見られているのは少年の方らしい。
クアーク侯爵が正面から私に目を据えた。
「マテウス卿。ラダリウスを送り届けてくれてありがとう。お礼にお茶でも如何かな」
驢馬ほどの大きさだが私の知らない犬種であることから、ともすれば雑種の可能性はあるが毛並みそのものは美しく飼育者の愛を感じる。人間を恐れる様子もなく、友好的な眼差しが彼の満ち足りた人生を充分に表している。
牡であることは見ればわかる。
「やあ」
「……」
彼はやや小首を傾げる素振りで舌を出し笑った。
舌を出し呼吸しているだけと言えばそうだが、そこに心情が重なれば笑っていると言って差支えないと私は考えている。
「どうした。はぐれたかな?」
「……」
彼の友好的な眼差しに応えない理由は何処にもない。
私は彼の傍らに片膝をつき手の甲を嗅がせ了承を得てから──つまり肉厚な舌で一舐めされてから──耳の下を豪快に掻くように撫で繰り回した。
「よぉーしよしよしよしよし!お前どうした!?散歩か!?一人でか!?おぉう見せて見ろ。ホッブス伯爵の次にこの別荘地を知り尽くしているこの私がお前の主の元へ必ず送り届けてやるウシャシャシャシャ!」
人気がないのをいいことに私は無邪気に撫で繰り回しつつ戯れた。
フガフガと湿った鼻息を浴びながら顔を舐められ和みつつ首輪の刻印を確かめて私は我に返る。
「……」
「バゥ」
「おう。よしよし」
人に慣れているだけかと思ったが、明確に私を狙った追跡だったようだ。
温泉施設で私の臭いがついた何かしらの物品を入手するのは容易いだろう。これは私が迷子を届ける形で訪問するのを促す巧妙な作戦だ。
そういうわけで私は新築が二棟並ぶクアーク侯爵家の別荘の門を仰いだ。そんな私の足元でクアーク侯爵家の雑種犬が行儀よく座り、主を待っている。
門番に敬礼されたのは私ではなく犬の方だ。
見上げていると向かって左の棟の窓でカーテンが揺れ、少年がこちらを見下ろし、次の瞬間ぱっと消えた。
「……」
つまりあの少年が、妻カイラの元婚約者に一旦は養子として引き取られたクアーク侯爵の孫息子ジュリアンか。
「バゥン」
私の足元で行儀よく座りつつも呑気な声を上げ尻尾を振っているこの雑種犬は、ジュリアンの犬と。
「なるほど」
婚姻関係によって親族でもあり友人にもなったホレーショから、クアーク侯爵家が別荘を建てると聞いた時からある程度の心積もりはしてきたつもりだ。
ブライトマン伯爵令息アーノルドという因縁によって細く結ばれた私たちが顔を合わすとすれば──
左の棟の玄関扉が開いた。
「バウッ!」
犬が歓喜の声を上げて駆けていく。
恐らくジュリアンであると思われる少年ではなく、老齢のクアーク侯爵に向かっていったので私は我が事のように焦った。腰痛の再発は愛犬の愛の抱擁だ。クアーク侯爵家の雑種犬は細身の初老の男の骨をへし折るには充分すぎる程の大きさである。
「閣下!」
私は反射的に手を伸ばし、一歩足を踏み出そうとした。
しかしその犬はクアーク侯爵の細い足の周りをクルクルと回ったかと思うと、臀部をクアーク侯爵のふくらはぎにおしつけるようぴったりと寄り添って座り、腿に頭を擦りつけた。
そしてクアーク侯爵は相好を崩し愛犬の頭や首を撫でている。
「……」
よく訓練されているというよりは、溺愛されて懐いているといった方が正しい。
彼は少年ではなく侯爵閣下の愛犬なのか。それは門番に敬礼の一つもされるというものだ。
意外な人物の微笑ましい光景を見て思わず和んでしまった私をクアーク侯爵が横目で捉えた。
クアーク侯爵は愛犬の首を優しく指先で叩く。促された犬の方は少年に顎で指示を出し、邸宅内へと誘った。どうやら面倒を見られているのは少年の方らしい。
クアーク侯爵が正面から私に目を据えた。
「マテウス卿。ラダリウスを送り届けてくれてありがとう。お礼にお茶でも如何かな」
62
お気に入りに追加
1,150
あなたにおすすめの小説

婚約破棄にはなりました。が、それはあなたの「ため」じゃなく、あなたの「せい」です。
百谷シカ
恋愛
「君がふしだらなせいだろう。当然、この婚約は破棄させてもらう」
私はシェルヴェン伯爵令嬢ルート・ユングクヴィスト。
この通りリンドホルム伯爵エドガー・メシュヴィツに婚約破棄された。
でも、決して私はふしだらなんかじゃない。
濡れ衣だ。
私はある人物につきまとわれている。
イスフェルト侯爵令息フィリップ・ビルト。
彼は私に一方的な好意を寄せ、この半年、あらゆる接触をしてきた。
「君と出会い、恋に落ちた。これは運命だ! 君もそう思うよね?」
「おやめください。私には婚約者がいます……!」
「関係ない! その男じゃなく、僕こそが君の愛すべき人だよ!」
愛していると、彼は言う。
これは運命なんだと、彼は言う。
そして運命は、私の未来を破壊した。
「さあ! 今こそ結婚しよう!!」
「いや……っ!!」
誰も助けてくれない。
父と兄はフィリップ卿から逃れるため、私を修道院に入れると決めた。
そんなある日。
思いがけない求婚が舞い込んでくる。
「便宜上の結婚だ。私の妻となれば、奴も手出しできないだろう」
ランデル公爵ゴトフリート閣下。
彼は愛情も跡継ぎも求めず、ただ人助けのために私を妻にした。
これは形だけの結婚に、ゆっくりと愛が育まれていく物語。
【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす
まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。
彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。
しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。
彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。
他掌編七作品収録。
※無断転載を禁止します。
※朗読動画の無断配信も禁止します
「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」
某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。
【収録作品】
①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」
②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」
③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」
④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」
⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」
⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」
⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」
⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

婚約して三日で白紙撤回されました。
Mayoi
恋愛
貴族家の子女は親が決めた相手と婚約するのが当然だった。
それが貴族社会の風習なのだから。
そして望まない婚約から三日目。
先方から婚約を白紙撤回すると連絡があったのだ。
幼馴染み同士で婚約した私達は、何があっても結婚すると思っていた。
喜楽直人
恋愛
領地が隣の田舎貴族同士で爵位も釣り合うからと親が決めた婚約者レオン。
学園を卒業したら幼馴染みでもある彼と結婚するのだとローラは素直に受け入れていた。
しかし、ふたりで王都の学園に通うようになったある日、『王都に居られるのは学生の間だけだ。その間だけでも、お互い自由に、世界を広げておくべきだと思う』と距離を置かれてしまう。
挙句、学園内のパーティの席で、彼の隣にはローラではない令嬢が立ち、エスコートをする始末。
パーティの度に次々とエスコートする令嬢を替え、浮名を流すようになっていく婚約者に、ローラはひとり胸を痛める。
そうしてついに恐れていた事態が起きた。
レオンは、いつも同じ令嬢を連れて歩くようになったのだ。

【完結】他人に優しい婚約者ですが、私だけ例外のようです
白草まる
恋愛
婚約者を放置してでも他人に優しく振る舞うダニーロ。
それを不満に思いつつも簡単には婚約関係を解消できず諦めかけていたマルレーネ。
二人が参加したパーティーで見知らぬ令嬢がマルレーネへと声をかけてきた。
「単刀直入に言います。ダニーロ様と別れてください」

恋愛に興味がない私は王子に愛人を充てがう。そんな彼は、私に本当の愛を知るべきだと言って婚約破棄を告げてきた
キョウキョウ
恋愛
恋愛が面倒だった。自分よりも、恋愛したいと求める女性を身代わりとして王子の相手に充てがった。
彼は、恋愛上手でモテる人間だと勘違いしたようだった。愛に溺れていた。
そんな彼から婚約破棄を告げられる。
決定事項のようなタイミングで、私に拒否権はないようだ。
仕方がないから、私は面倒の少ない別の相手を探すことにした。
【完結】冷遇・婚約破棄の上、物扱いで軍人に下賜されたと思ったら、幼馴染に溺愛される生活になりました。
えんとっぷ
恋愛
【恋愛151位!(5/20確認時点)】
アルフレッド王子と婚約してからの間ずっと、冷遇に耐えてきたというのに。
愛人が複数いることも、罵倒されることも、アルフレッド王子がすべき政務をやらされていることも。
何年間も耐えてきたのに__
「お前のような器量の悪い女が王家に嫁ぐなんて国家の恥も良いところだ。婚約破棄し、この娘と結婚することとする」
アルフレッド王子は新しい愛人の女の腰を寄せ、婚約破棄を告げる。
愛人はアルフレッド王子にしなだれかかって、得意げな顔をしている。
始まりはよくある婚約破棄のように
喜楽直人
恋愛
「ミリア・ファネス公爵令嬢! 婚約者として10年も長きに渡り傍にいたが、もう我慢ならない! 父上に何度も相談した。母上からも考え直せと言われた。しかし、僕はもう決めたんだ。ミリア、キミとの婚約は今日で終わりだ!」
学園の卒業パーティで、第二王子がその婚約者の名前を呼んで叫び、周囲は固唾を呑んでその成り行きを見守った。
ポンコツ王子から一方的な溺愛を受ける真面目令嬢が涙目になりながらも立ち向い、けれども少しずつ絆されていくお話。
第一章「婚約者編」
第二章「お見合い編(過去)」
第三章「結婚編」
第四章「出産・育児編」
第五章「ミリアの知らないオレファンの過去編」連載開始
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる