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三才になったレイモンを伴いホッブス伯領の温泉別荘地にあるペベレル伯爵家の別荘にやってきた。
昨年ハリエットが産んだ双子エドモンドとナサニエルは庭に沸いている温泉で日頃から水遊びをしており、レイモンは一足遅れての温泉デビューを果たしたのだった。
エドモンド、ナサニエル、レイモンが揃うと知った叔母夫婦もやってきたが、母は父との二度目の新婚生活が続いている為か今回は合流しなかった。
レイモンが三才になるまで待たなければならなかったのは、一昨年はレイモンが風邪をこじらせ、昨年はマテウスの腰痛が再発しつつ極秘任務にあたっていた為に首都を離れられなかったからだ。
腰痛の原因は微笑ましく、今もレイモンの遊び相手になっている……のか、レイモンで遊んでいるのかとにかく駆け回っている。
マテウスの友人が、マテウスの息子であれば動物好きだろうと気を回し、自身の飼育している猟犬がちょうど六つ子を出産したということもあって一頭譲ってくれたのだ。
猟犬と言えども親犬と飼育者から愛情を浴びたその犬は利発ながら愛嬌のある牡犬で、到着すると同時にレイモンを兄弟と見做した。
レイモンも毛むくじゃらで既に体の大きくなり始めていたジュード──名付けられた名前を尊重し私たち一家は彼の名前を変えなかった──に絆を感じたらしく一瞬で打ち解けた。
ジュードはマテウスも兄弟と見做した。
私には幾分余所行きの顔を見せ、礼儀正しくも若干取り繕った甘え方をする。
昨年、成犬になっていたこのジュードの愛の抱擁を受けた際にマテウスがバランスを崩しよたつき、腰痛が再発したのだった。
医師から次の妊娠出産は二年の休息を挟むようにと言い渡されていた私だったが、毛むくじゃらの息子ジュードによって更に一年延びて現在に至る。
温泉施設で寛いだ後、屋外のサロンで息子たちを眺めながら一息ついていた私の前を一人の貴婦人が通りかかった。
「あっ」
「?」
既視感。
湯あたりしたのか貴婦人は私の寛ぐテーブルに軽く手をつき足を止めた。
「失礼」
「どうぞお掛けになってください」
私は彼女を向かいの席に誘った。
湯あたりしたらしい薔薇色の頬の貴婦人が恥じらいの笑みを浮かべつつ迅速に腰を下ろす。
私は近くの給仕に目配せし、貴婦人の前にソーダが用意された。
貴婦人は豪快にソーダを飲み干した。
「こちらは初めてですか?」
夫マテウスを見習い、私も他者から好印象を持たれ易い接し方を心掛けるようになっていた。
「……ええ、つい先日、別荘が完成しましたの」
貴婦人が掌で頬を扇ぐ。
扇を忘れたか紛失したのだろうと思い、私はテーブルの上で自身の扇を滑らせた。
「そうでしたか」
「御親切ありがとうございます。頂き物の別荘ということもあって、初めての温泉で浮かれすぎましたわ。お恥ずかしい。おほ────」
貴婦人は私の扇を潔く受け取って開き、そこで初めて私と目を合わせた。
「まあ!」
「?」
私でもわかる。
彼女は正直者で、嘘やふりが苦手な善良な人物だと。
湯あたりは本当のようだが、私を狙ってテーブルに近寄り、私の顔を見て驚いたふりをしているようだ。
「ホッブス伯爵夫人でいらっしゃいましたの?」
「それは妹です」
「まあ!ではあなたはペベレル伯爵令息マテウス卿の奥様!?」
声量と音を上げれば驚いていることになるわけではないが、やりたいことはわかる。
私は彼女の意思を尊重し、驚いたふりには気づいていないふりをしつつ息子たちを示した。
「はい。そこに夫そっくりの息子と、毛むくじゃらの息子も」
「あら、まあ!」
母の純粋な感嘆詞を聞き慣れている私としてはもう少し気持ちを込めて欲しい気がしないでもない。
しかし用がなければ偶然を装って話しかけはしないだろう。用件を聞こう。
「初めての温泉は如何でした?ええと……」
慎ましく水を向ける。
貴婦人はやや気の強そうな笑みを浮かべた。
「失礼。申し遅れましたが、私はフィネガン伯爵家の出戻り令嬢アンジェリアと申します。カイラ夫人とは無関係とも言い切れない関係の仲かもしれませんわね」
昨年ハリエットが産んだ双子エドモンドとナサニエルは庭に沸いている温泉で日頃から水遊びをしており、レイモンは一足遅れての温泉デビューを果たしたのだった。
エドモンド、ナサニエル、レイモンが揃うと知った叔母夫婦もやってきたが、母は父との二度目の新婚生活が続いている為か今回は合流しなかった。
レイモンが三才になるまで待たなければならなかったのは、一昨年はレイモンが風邪をこじらせ、昨年はマテウスの腰痛が再発しつつ極秘任務にあたっていた為に首都を離れられなかったからだ。
腰痛の原因は微笑ましく、今もレイモンの遊び相手になっている……のか、レイモンで遊んでいるのかとにかく駆け回っている。
マテウスの友人が、マテウスの息子であれば動物好きだろうと気を回し、自身の飼育している猟犬がちょうど六つ子を出産したということもあって一頭譲ってくれたのだ。
猟犬と言えども親犬と飼育者から愛情を浴びたその犬は利発ながら愛嬌のある牡犬で、到着すると同時にレイモンを兄弟と見做した。
レイモンも毛むくじゃらで既に体の大きくなり始めていたジュード──名付けられた名前を尊重し私たち一家は彼の名前を変えなかった──に絆を感じたらしく一瞬で打ち解けた。
ジュードはマテウスも兄弟と見做した。
私には幾分余所行きの顔を見せ、礼儀正しくも若干取り繕った甘え方をする。
昨年、成犬になっていたこのジュードの愛の抱擁を受けた際にマテウスがバランスを崩しよたつき、腰痛が再発したのだった。
医師から次の妊娠出産は二年の休息を挟むようにと言い渡されていた私だったが、毛むくじゃらの息子ジュードによって更に一年延びて現在に至る。
温泉施設で寛いだ後、屋外のサロンで息子たちを眺めながら一息ついていた私の前を一人の貴婦人が通りかかった。
「あっ」
「?」
既視感。
湯あたりしたのか貴婦人は私の寛ぐテーブルに軽く手をつき足を止めた。
「失礼」
「どうぞお掛けになってください」
私は彼女を向かいの席に誘った。
湯あたりしたらしい薔薇色の頬の貴婦人が恥じらいの笑みを浮かべつつ迅速に腰を下ろす。
私は近くの給仕に目配せし、貴婦人の前にソーダが用意された。
貴婦人は豪快にソーダを飲み干した。
「こちらは初めてですか?」
夫マテウスを見習い、私も他者から好印象を持たれ易い接し方を心掛けるようになっていた。
「……ええ、つい先日、別荘が完成しましたの」
貴婦人が掌で頬を扇ぐ。
扇を忘れたか紛失したのだろうと思い、私はテーブルの上で自身の扇を滑らせた。
「そうでしたか」
「御親切ありがとうございます。頂き物の別荘ということもあって、初めての温泉で浮かれすぎましたわ。お恥ずかしい。おほ────」
貴婦人は私の扇を潔く受け取って開き、そこで初めて私と目を合わせた。
「まあ!」
「?」
私でもわかる。
彼女は正直者で、嘘やふりが苦手な善良な人物だと。
湯あたりは本当のようだが、私を狙ってテーブルに近寄り、私の顔を見て驚いたふりをしているようだ。
「ホッブス伯爵夫人でいらっしゃいましたの?」
「それは妹です」
「まあ!ではあなたはペベレル伯爵令息マテウス卿の奥様!?」
声量と音を上げれば驚いていることになるわけではないが、やりたいことはわかる。
私は彼女の意思を尊重し、驚いたふりには気づいていないふりをしつつ息子たちを示した。
「はい。そこに夫そっくりの息子と、毛むくじゃらの息子も」
「あら、まあ!」
母の純粋な感嘆詞を聞き慣れている私としてはもう少し気持ちを込めて欲しい気がしないでもない。
しかし用がなければ偶然を装って話しかけはしないだろう。用件を聞こう。
「初めての温泉は如何でした?ええと……」
慎ましく水を向ける。
貴婦人はやや気の強そうな笑みを浮かべた。
「失礼。申し遅れましたが、私はフィネガン伯爵家の出戻り令嬢アンジェリアと申します。カイラ夫人とは無関係とも言い切れない関係の仲かもしれませんわね」
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