元婚約者様の勘違い

希猫 ゆうみ

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「僕は王立研究所で王国の未来を託されているんだ!貴様など宮廷に掛け合い即刻追放してやるぞ!」
「どうかな」
「全く呆れて頭がおかしくなりそうだ。だいたい温泉別荘地などという如何わしい土地に群がる人間などろくでもない屑ばかり。そんなものの親族と関わったことが僕の人生の汚点だ!どうしてくれる!?」
「湯治を知らないか……」
「いい加減、跪いて名を名乗ったらどうだ!僕はブライトマン伯爵令息だぞ!この王国の至宝を前にしておきながら礼節の弁え方もなっていないなんてそれでも騎士か!?」

次の瞬間、マテウスが素晴らしい早口で名乗った。

「ペベレル伯爵令息マテウス」
「えっ?なんだって?」

神童は聞き取れなかったようである。

「ペベレル伯爵令息マテウス!」

マテウスが速度を上げた。

「はっ!?きっ、貴様……なぜ奇声を上げている……!?」
「私の名はペベレル伯爵令息マテウス!王宮より騎士の称号を賜りホッブス伯領に別荘を持ち要人の案内人を頻繁に任される老若男女犬猫馬に大人気ペベレル伯爵令息マテウスだ!!」
「……は……?貴様、貴族なのか?」
「ペベレル伯爵令息マテウス!」

健康であるならば素晴らしい剣さばきなのであろうと予感させる俊敏な舌さばきに惚れ惚れとしてしまうが、困惑している元神童の顔を拝むという点に於いても感動的な勝利の瞬間だった。

快進撃は続く。

「ペレ……?」
「ペベレル伯爵令息!」
「ペブッ」

元神童が舌を噛んだ。
私は内心、拳を握りしめ歓喜した。

「ふん。相手に名乗らせておいて復唱もできないとは、王国の至宝も随分と錆びついてしまっているようだな」

マテウスが充分聞き取れる速度で刻むように挑発と揶揄を重ねる。
アーノルドはバツが悪そうに顔を赤らめ、一歩あとずさりつつ眉をつり上げて声を上ずらせる。

「なっ、ばっ、馬鹿じゃないか!?僕を馬鹿にするな!」
「だったら私が誰か当ててみろ。さあ、錆びついた頭と舌で私の名を呼ぶんだ!」
「騎士などに落ちぶれたペレベルの塵令息が生意気に指図しないで頂きた──」
「私はペベレル伯爵令息マテウスだ!馬鹿め!!」
「!」

マテウスがアーノルドの誇りを打ち砕いた。
アーノルドは悔しそうな表情で更に後ずさりながら捨て台詞を叫ぶ。

「覚えてろ!この僕を侮辱するなど礼節も弁えない騎士に未来などない!徹底的に追及してやるからな!!」
「誰に苦情を申し立てるべきかもわからずにできるかな!?これは永遠に待つことになりそうだ!」
「ペレベルなど地図から消えろ!」
「元から無い!!ペレベルではなくペベレルだ!何度言ったらわかるんだ!?」
「!!」

アーノルドは更に赤面し、周囲の驚きの視線を集めながら逃走した。
次第に周囲からマテウスが不審者を追い払ったという旨の安堵の会話が聞こえてきたが、私はマテウスの苦痛に苛まれた溜息を聞き逃しはしなかった。

私は無言でその体を支えた。

「……くっ、こんな卑怯な真似をして、あ……あなたに嫌われてしまわなかったか……な」
「いいえ。素敵だった」

酷い腰痛なのだ。
私の窮地と知り駆けつけてその身を挺して守ってくれたのだから、嫌ったりするわけがない。剣として立ち回れない今、盾として戦ってくれたのだ。

「大丈夫?」
「平気と言いたい……っ」
「あ、お父様!叔父様!丁度いいところに……!」

誰かがブライトマン伯爵令息アーノルドの出現を知らせたのか、二人は緊急事態という切迫感を漂わせ人の波を縫いつつ誰かを探しているようだった。それは他の誰でもなく私だろう。

私は手を上げて叫んだ。

「こっちです!」

そして出会いの時と同様に父と叔父がマテウスをベッドまで誘導した。
丁重に運ばれていく間、私は彼がどれだけ勇敢で清々しかったかを父と叔父に熱く語って聞かせた。
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