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「あの、アーノルド、落ち着いて?」
掌で押し返そうとするとアーノルドは忌避するように私の手からさっと逃げる。
「汚らしい手で僕に触れるな!」
いくらなんでも罵詈雑言が過ぎる。
そんな怒りが私を急激に冷ましていく。
「あなた、何か勘違いしてない?」
そして私の言葉など聞く気がないようだ。
「僕はこの目ではっきり見たんだ!僕の目は一度見たものは忘れない!君は僕という婚約者がいるというのにも関わらず公衆の面前で堂々とキスをしていた!しかも相手は親ほど年の離れた髭面の男だ!」
思い当たる節があった。
しかし私が髭面の年上の貴族とキスしたわけではない。
「あー……」
これが研究所育ちの筋金入りの箱入り令息というものかと思ってしまい、私はうっかり笑ってしまった。
「アーノルド、それは……」
「黙れ!言い訳は聞かないぞ!ウィンデイト伯爵も善人面で博学ぶっているが娘一人まともに教育できない無能のようだなぁ!」
「……」
父は王立図書館の司書でありこの時間はいつも留守だ。
神童と持て囃され滅多に研究所から出てこない天才研究者ブライトマン伯爵令息アーノルドの手に掛かれば瞬く間に無能呼ばわりである。
私は腕組みをして婚約者の瞳を見つめた。
驕り高ぶった神童様の嫌味なほど美しい碧い瞳を。
私と母は父と共に首都の小ぶりな別荘で暮らしているので、アーノルドとは互いに通えない距離ではなかった。互いの邸宅には馬車で20分ほど、市街地でデートをするならまったくもって好立地な場所に住む婚約者同士。
将来有望な伯爵令息から求婚されて私は薔薇色のカーテンが開いたと歓喜した。
しかし相手のアーノルドは私の父の役職に求婚したのだとすぐ気づいた。
薔薇色のカーテンは開かなかった。
開かないカーテンを無理矢理開けても、あるのは締め切られた窓か壁である。
それでもこれが大恋愛に発展しないなら、良好な関係を築きながら信頼を深めていくという方針で納得した。互いに王家から王国の大切な役目を与えられた家同士、相性がいいと思っていた。
その点、私も勘違いしていた。
「あろうことか君は僕の視線に気づき男の腕に抱かれながらこちらに挑戦的な笑みを向けた!これが貴族令嬢というのだから聞いて呆れる!すっかり騙されたよ!君は伯爵令嬢を名乗る資格のないアバズレだ!!」
「いつの話?」
「淫乱な上に記憶力も悪いとは救いようがないな!八日も猶予を与えてやったのに謝罪もなく弁明すらしないとは恐れ入ったよ!生きていて恥ずかしくないのか!?」
呆れてものも言えない。
世間知らずも甚だしい。
「生まれてきたことを反省したまえ!ウィンデイト伯爵夫人の体を痛めつけるだけの価値など君にはなかった!このことを知ればきっと後悔するだろうな!」
私の言葉など一切耳に入っていない。ひたすら一人で怒鳴り散らしている。
私は溜息をついて視線を外した。
不快すぎた。
「この期に及んで不貞腐れた態度しか見せられない愚か者は今すぐ消えろ!目障りだ!」
「私の家よ」
「違う!この邸宅は君ではなくウィンデイト伯爵の別荘だ!それも私有財産ではなく任期中に宛がわれているだけの貸家住いが図に乗るな!」
「あなたに私を追い出す権利はない。ウィンデイト伯爵家から出て行くのはあなたよ」
「僕に指図するとは自分の立場が理解できていないようだな!君のような女は伯爵令嬢失格!人間失格!そして僕の婚約者失格だ!」
「ああ、はいはい」
「君に価値などない!これで終わりだ!!」
「了解よ。さようなら」
私が目礼するとアーノルドが再び私に人差し指を突き立てる仕草で目を剥いた。
「これで済むと思うなよ!?君の不貞について徹底的に責任を追及するつもりだ!ウィンデイト伯爵は誉れ高い王立図書館の職を失い、君は親の信頼を失い勘当されあの髭面の男にとって真の娼婦となるだろう!」
「どうとでも仰って」
「せいぜい夢を見ていることだな!泣いて許しを請おうともう遅い!!」
今度は私がアーノルドを無視した。
「シャットルワース。ブライトマン伯爵令息アーノルド様がお帰りよ」
「ブライトマン伯爵令息アーノルド様、お見送りいたします」
先程シャットルワースを薙ぎ払ったアーノルドは、面白いことに私を貶める目的かシャットルワースを懐柔にかかる。
「君も老い先短いんだ。くだらない主の為に命を削るな」
「痛み入ります。お構いなく。お帰りはこちらです」
「気の毒に。もう骨の髄まで操られてしまっているのだな。まあ、虚しかろうがそれも人生だ」
こうして私の人生から婚約者は去った。
盛大な勘違いと、憤懣やる方ない思いと多大なる罵詈雑言を残して。
掌で押し返そうとするとアーノルドは忌避するように私の手からさっと逃げる。
「汚らしい手で僕に触れるな!」
いくらなんでも罵詈雑言が過ぎる。
そんな怒りが私を急激に冷ましていく。
「あなた、何か勘違いしてない?」
そして私の言葉など聞く気がないようだ。
「僕はこの目ではっきり見たんだ!僕の目は一度見たものは忘れない!君は僕という婚約者がいるというのにも関わらず公衆の面前で堂々とキスをしていた!しかも相手は親ほど年の離れた髭面の男だ!」
思い当たる節があった。
しかし私が髭面の年上の貴族とキスしたわけではない。
「あー……」
これが研究所育ちの筋金入りの箱入り令息というものかと思ってしまい、私はうっかり笑ってしまった。
「アーノルド、それは……」
「黙れ!言い訳は聞かないぞ!ウィンデイト伯爵も善人面で博学ぶっているが娘一人まともに教育できない無能のようだなぁ!」
「……」
父は王立図書館の司書でありこの時間はいつも留守だ。
神童と持て囃され滅多に研究所から出てこない天才研究者ブライトマン伯爵令息アーノルドの手に掛かれば瞬く間に無能呼ばわりである。
私は腕組みをして婚約者の瞳を見つめた。
驕り高ぶった神童様の嫌味なほど美しい碧い瞳を。
私と母は父と共に首都の小ぶりな別荘で暮らしているので、アーノルドとは互いに通えない距離ではなかった。互いの邸宅には馬車で20分ほど、市街地でデートをするならまったくもって好立地な場所に住む婚約者同士。
将来有望な伯爵令息から求婚されて私は薔薇色のカーテンが開いたと歓喜した。
しかし相手のアーノルドは私の父の役職に求婚したのだとすぐ気づいた。
薔薇色のカーテンは開かなかった。
開かないカーテンを無理矢理開けても、あるのは締め切られた窓か壁である。
それでもこれが大恋愛に発展しないなら、良好な関係を築きながら信頼を深めていくという方針で納得した。互いに王家から王国の大切な役目を与えられた家同士、相性がいいと思っていた。
その点、私も勘違いしていた。
「あろうことか君は僕の視線に気づき男の腕に抱かれながらこちらに挑戦的な笑みを向けた!これが貴族令嬢というのだから聞いて呆れる!すっかり騙されたよ!君は伯爵令嬢を名乗る資格のないアバズレだ!!」
「いつの話?」
「淫乱な上に記憶力も悪いとは救いようがないな!八日も猶予を与えてやったのに謝罪もなく弁明すらしないとは恐れ入ったよ!生きていて恥ずかしくないのか!?」
呆れてものも言えない。
世間知らずも甚だしい。
「生まれてきたことを反省したまえ!ウィンデイト伯爵夫人の体を痛めつけるだけの価値など君にはなかった!このことを知ればきっと後悔するだろうな!」
私の言葉など一切耳に入っていない。ひたすら一人で怒鳴り散らしている。
私は溜息をついて視線を外した。
不快すぎた。
「この期に及んで不貞腐れた態度しか見せられない愚か者は今すぐ消えろ!目障りだ!」
「私の家よ」
「違う!この邸宅は君ではなくウィンデイト伯爵の別荘だ!それも私有財産ではなく任期中に宛がわれているだけの貸家住いが図に乗るな!」
「あなたに私を追い出す権利はない。ウィンデイト伯爵家から出て行くのはあなたよ」
「僕に指図するとは自分の立場が理解できていないようだな!君のような女は伯爵令嬢失格!人間失格!そして僕の婚約者失格だ!」
「ああ、はいはい」
「君に価値などない!これで終わりだ!!」
「了解よ。さようなら」
私が目礼するとアーノルドが再び私に人差し指を突き立てる仕草で目を剥いた。
「これで済むと思うなよ!?君の不貞について徹底的に責任を追及するつもりだ!ウィンデイト伯爵は誉れ高い王立図書館の職を失い、君は親の信頼を失い勘当されあの髭面の男にとって真の娼婦となるだろう!」
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