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私が姉と話している間に御者が馬車を牽いて帰ってしまった。
帰ったのかどこぞへと失踪する算段だったのか今の段階ではわからないが、これから確認するのは可能だろう。

両親も出て来て一泊するよう強くすすめられた。
困惑したジェシカは姉に任せておけばいいので、私は特に懐かしくもない自室で一晩休み、夜明け前、ノルドマン伯爵家に帰るため食堂で一人静かに早すぎる朝食をとっていた。

私の行動を先読みしたかのように寝間着姿のままの母が現れた。
パンを齧っていた私は母をただ目で追う。母の方も無言のまま席に着いた。姉と母はこういうところが似ている。

私としては、知っていたなら言ってほしかった。意図して伏せたはずだ。その理由が知りたい。
他にも一点とてつもなく気になることがある。

スープで口を潤してから訊いてみた。

「お母様の食が細くなったのはお姉様を心配していたからでしょう?ハーブティーどうしてらしたの?」
「捨てた」
「……全部?」
「何度か捨てて、一度は煮てみたけれど、臭かった」
「ハーブだからでしょう?」
「少しくらりとして」
「え?」

被害が出てるじゃない。
しっかりしてよ。

「良い植物学者が見つかったから、先日頂いた分はお送りして、今、研究結果を待っているところ」
「よくその状態で私の結婚を祝ったわね」
「エディは可愛いから。あなた、好きでしょう?止めても無駄よ」

全く姉と同じ理屈が母の中にあるようだったので簡潔に告げる。

「エディの父親は平民だった」
「……!?」

姉よりは素直な反応を引き出せて満足した私は朝食を終えて席を立った。

「ではお母様。この件は内密にお願いします」

無駄な時間が惜しかったこともあり返事も待たずに出ていくつもりではあったが、一言、大切なことを付け加えておかなければいけないのを思い出した。

「お母様。今後も、私の結婚について肯定も否定もしないでください。これは私の選んだ結婚ですから」
「ノーラ……」

母は何を感じとったのだろうか。
ただ明確に自覚していたことは、この日、私は人生で初めて本当の意味でノルドマン伯爵夫人としてラーゲルベック伯爵夫人に話しかけていたということだ。


私はノルドマン伯爵家に帰った。
勿論ラーゲルベック伯爵家の御者はその場で帰した。


「きゃあ!ノーラ!!」

感涙に咽びながら私を出迎えたのは言うまでもなく狂った元若妻ティルダで、一切の曇りのない切ない号泣で涙を撒き散らしながら私に抱きついてきた。

「ああっ、よかった!あなたを信じていたわよ、可愛いノーラ!」
「……」

私はティルダの瞳の中に、ほんの一欠けらでもジェシカへの想いがないことを確認した。

「お義母様。エディは?」
「エディは駄目よ!本当に甘やかしすぎたわ。自分じゃなにもできないくせに口ばかり達者になって。でも悪い子じゃないのよ?あなたもエディには頼らないで?なんっにもできない子なの!愛してあげて!あなたが産んでくれる次のノルドマン伯爵に全てがかかっているのよ!」

支離滅裂にも程がある。
私は溜息をついて適当な返事をすると、体に纏わりつくティルダの存在をできる限り無視してエディを探した。

エディは馬鹿というか真面目というか普通に領主としての仕事をしており、執務室で私たち四人が勢揃いするという軽い地獄が始まった。

泣きじゃくるティルダをぶら下げた私を目にしたエディは愕然と瞠目し、手にしていた分厚い書物をどさりと落とした。
その背後で邪悪な妖精爺が微笑している。

私は一先ず自分に言い聞かせた。

この屑は放っておいても生きてあと五年、長くて八年、十年生きたら奇跡。

静かに観察しながら逡巡する。

生きているうちに絶望を味わわせるにはどうしたらいいか。醜聞になっては困るのだ。エディの中の僅かな狂気の種を芽吹かせるわけにもいかない。

私は実験してみることに決めた。
悩んでいる時間は無駄だった。

どうせ崩壊するならこれでもかというほど派手な方がいいという、自暴自棄な気持ちも多少はあった。

ただ私は自分が精神的に強い人間であるという事実をよく理解していた。だから何が起ころうと最後に勝つのは私だと確信していた。

「只今戻りました」

まずは挨拶。

「…………」

エディは絶句。

「何をぼさっと突っ立っているの!?ノーラが帰って来てくれたのよ!?エディ!いい加減にして!!」

ティルダは吠える。

ティルダは私の帰還を自身の勝利と解釈したようで、あの溺愛っぷりは何処へ行ってしまったのかと思うほどエディに高圧的に命じ続けた。

「これからはノーラの言う事をちゃんと聞いて、しっかりやりなさい!逃げられるなんて許しません!!」
「……どうして」

エディの零した小さな問いは、ティルダではなく私に向けてのものだろう。
私はそっと、腹部に手を当てた。

「……」
「……」
「……」

その場が凍り付き、次の瞬間、ティルダが甲高い悲鳴をあげた。

「きゃあああああああッ!」

私は、悪魔か蛇か虫か何かなのだろうか。
鬱陶しかったティルダがついに私から飛び退いた。
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