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21(エディ)

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ヴィルヘルム・ハフグレン。
それが男の名だと言う。

三人とも僕の顔を見て察したのか、其々が挨拶をしてくれた。

毎日鏡の中に見る自分の姿を老化させたかのようなその顔を見れば、母が何をしたか察するのは難しくない。
これは単純な不道徳では済まない、悍ましい罪だ。

だが僕は安堵していた。
僕の中に少なくとも嫌悪した男の血は流れていない。

諦観している様子の三人は僕に優しかった。そして言ったのだ。

「やっと世代交代ですね」
「強そうな奥様だ」
「あなたも見ますか?」

男たちの一人、テオドール・ボードが卑しい笑みを向けてくる。
そこで僕は正気に戻った。

母によって監禁されていたこの三人の男は、ジェシカが給仕を担当していたというこの男たちは、母が選んだ〝教育者〟だ。
そこに自分の真の父親であろう人物を見て僕は本来の危機感を一瞬でも忘れてしまった。僕の背後で踵を返し走り去ったノーラを思うと、申し訳なくて仕方ない。

僕は生まれながらにしてノーラには相応しくない男だった。
僕のもとを去ってくれてよかった。たとえこの胸が張り裂けようと、ノーラには、彼女に相応しい素晴らしい人生を送って欲しい。それが心からの願いだ。

愛している。

僕たちは離婚するだろう。
その後、裁かれることもあるだろう。だがそれはノーラを失った悲しみに比べれば些細なことだ。

愛しい人。
でも、ノーラは僕のものではなかった。僕の妻ではいけなかった。

ノーラがいない人生なんて……僕はもう、生きていけない……。

それでも僕にはやらなければならない仕事がある。

「この中にジェシカの父親はいますか?」

僕の父親であろう男、ヴィルヘルム・ハフグレンが静かに答えてくれた。

「それはカリムです。ジェシカが生まれる前に死にました」
「わかりました。それで終わりにします。もう手ほどきは必要ありません」
「は!?俺たちをどうするつもりだこの野郎!」

ボードが飛びかかってきたが、ハフグレンとフェーストレームが取り押さえたので大事には至らなかった。二人は僕に退室を促した。

「只で済むと思うなよくそ野郎!お前も俺たちと同じなんだ!お前が美味い飯を食って甘やかされていた間、俺たちが────」
「わかっています。決着をつける。あと少し待っていてください」

僕は扉を閉め震える手で施錠した。そうするしかなかった。

厨房に戻り三人の部屋に配膳した召使をつきとめ、その人物に母の居所を尋ねたが、命じられたまま運んだだけだと言われた。細い廊下や鍵のかかった部屋の存在は知らず、その手前で母に引き継いだらしい。本当かもしれないし、万が一の時はそう答えるよう命じられているのかもしれない。僕はそれ以上の追及は控えた。

母を探すと、何故そこでそうしていたのかはわからないが広間の隅で泣いていた。

「ああっ、エディ」

悲壮感たっぷりに泣き崩れながらこちらに駆けよってくる。
その手が僕に縋りつく為に伸ばされているのを見て怖気が走る。

「触るな!」

僕は叫んだ。
母はびくりと体を弾ませて立ち止まり、驚愕の眼差しを僕に向ける。

母を愛していた。
父を愛していた。
その僕の人生は反転した。

「触らないでください、母上。二度と」
「ああ、エディ。ごめんなさい。誤解なの。ノーラに説明してちょうだい。あいつが悪いの。私は叱っていただけなのよ。私は悪い母親じゃないの。あなたたちのママよ!」

号泣しながら言い募る母に僕は告げた。

「終わりですよ、母上。ノーラとジェシカは僕が安全な場所へ送り出しました」
「そんな!」
「二度と戻ってこない」
「駄目よ!連れ戻して!私たちにはノーラが必要よ。どうしても必要なの!説得しなさい!行って!!」
「母上」

初めて見る母の浅ましい姿に怒りを覚えながら自身を律する。

「今はもう、僕がノルドマン伯爵です。母上、全てのことは僕が決めます。二度と指図は受けません」
「親に向かってなんてことを言うの……!あなたを産んだのはこの私よ!そんな酷いことを言われるなんて信じられないわ!!」
「ヴィルヘルム・ハフグレンに会いました」
「!」

母は驚いたようではあるが、それは大した衝撃ではないようだった。
だからどうしたとでも言いたそうな顔で僕を見ている。

「父上は知っているんですか?」

責めるつもりで聞いた。
だが打ちのめされたのは僕のほうだった。

「そりゃあそうよ。当たり前でしょう?ずっと傍で見ていてくれたもの」
「……」

僕は固く瞼を閉じた。
この体に流れる血と、この場所に渦巻く忌まわしい空気が、あまりにも耐え難い。

だが自我を手放すわけにはいかない。
僕にはノーラを巻き込んでしまったという責任と、母の理不尽な仕打ちで人生を奪われた何人かへ贖罪する責任がある。

瞼を開けたとき、僕の心は穏やかだった。
これ以上最悪なことは起きない。だから、恐れることはなにもない。

「よくわかりました」
「あなたは誤解しているのよ。わかっていない。全て必要なことなの。これが愛の儀式なのよ」
「母上はそうお考えなんですね。僕は違う。僕の考える愛は、母上の言う愛とは別の代物のようです」
「だから……っ、それが誤解だと言うのよぉ!ママを信じて!」

幼い子どものように癇癪を起して泣く母を見ていると、居た堪れない気持ちになった。惨めで、醜くて、これまでの人生の全てを悍ましい色で塗り変えられた悲しみが僕を襲う。
だが、立ち止まるわけにはいかない。
一気に片付ける。

「二度とあなたを信じたりしない。あなたの息子であることを呪います」
「エディ!どうして……酷い!!」
「身の振り方を考えておいてください、母上」
「そんな言い方しないで!ああ、エディ。お願い。優しいあなたに戻ってちょうだい」
「僕があなたの失敗作なら、こんなに嬉しい事はありません」

そこからは理性をなくした母が泣き喚いて会話どころではなくなった。
僕は母をその場に残し執務室へ向かった。執務室ではここ数時間の出来事などどこ吹く風で父が書類に目を通していた。

僕が自分の息子ではないと知っていて、よく、今日まで教育を施してきたものだ。

「ジェシカに会いました」
「そうか」

父は微笑みさえ浮かべ頷いた。

「間違っていますよ。ノーラも、ジェシカも、此処に留めるべきじゃない」
「出て行ったのか」
「はい。二度と手を出さないでください。もう僕がノルドマン伯爵だ。従ってもらいます」
「その意気だ。ノーラは惜しかったな」

悪びれもせず言う父が狂人に見えた。

「今更、もう一人用意できないですよね。爵位継承を祝うパーティーで離婚を発表します。僕は生涯、独身を貫きますよ」
「はっはっは」

滅多に聞かない父の大笑いを受け、怒りのあまり眩暈を覚える。しかしこの後、父は再び僕を地獄へ突き落とした。

「今だけだ。そのうち気が変わるさ。ティルダはお前を愛している。それにまだ若い。きっとお前の妻を見つけ出して連れてくるだろう。たとえそれが地の果てであろうとも、やり遂げる。必ず。お前とノルドマン伯爵家の繁栄の為に」
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