ノイズノウティスの鐘の音に

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9月24日

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 午前10時――街全体に大きな鐘の音が鳴り響いた。丁度街の中央にある、背の高い教会に備え付けられた歴史ある鐘の音は、深く重く、街の端まで音を届ける。
 誰かが、雑音交じりの音色を耳にし、こう言っていたのを聞いた事がある。
 『これは、叫び声だ』と。

 ――冷たい空気が部屋を吹きぬける。
 月としてはまだ9月であるが、比較的寒い地方にあるこの街では、既に真冬並みの寒さが記録されていた。常に指先は凍りつき、感覚が乏しい。

「じゃあ行って来るよ」
「……行ってらっしゃい、気をつけてね…………」

 午前9時42分、ルアンはベッドに伏せた3つ年下の妹ティニーへと、軽い笑顔と共に挨拶を落とした。
 因みにルアンは16歳、ティニーは13歳である。

「ラジオ切るね」
「うん」

 ラジオの電源を落とし、心配そうな顔を見せるティニーを振り切って、軋む階段を踏み一階へとあがった。

 二人の住処は地下にある。2階と3階を二人で使用している。家自体は既に無人で、ルアン達がここにやってきた時から空き家だった。築何年になるか想像もつかないくらいのボロ屋で、地下まで風が吹き込むほど壁は隙間だらけである。

 しかしそれでも、生活スペースが確保できるだけで今のルアンたちには十分だった。

 固い面持ちで向かった先は、一軒のパン屋だった。
 伸びきった薄手の服の上から体を摩り、毛先の解れたマフラーを靡かせる。足音を極力立てないようにして息を殺し、視線を上手く掻い潜りながら駆け足する。

 その外観が見えて来た時、あの鐘が鳴った。店の番をしていた店主が、店の裏へと姿を消す。
 ルアンは、店内に人が居なくなった事をはっきりと確認すると、これまたゆっくりと無音で近付いた。
 ――――このタイミングは、計算通りである。

 数年前、突然戦争が始まった。
 比較的小さめのこの国は、嘗て優しく和やかな空気に満ち溢れていたのだが、戦争はその全てを奪い、殺伐とした物へと変化させてしまった。

 しかも皮肉な事に、戦争を始めた両国の間にくらい置していた、と言うだけの理由で。
 元々気質が温厚で、戦の意志を持たない人々が集っているようなところだ。
 必然的に、支配される結果となってしまった。

 支配されるだけならば、まだ幸せだと言えただろう。しかし支配国は、全てを許しはしなかった。
 原住民を無差別に捕らえて、奴隷として過酷な労働を命じるようになったのだ。

 勿論、逆らえば待っているのは¨死¨だ。逆らわずとも、重労働の末に待っているのも¨死¨であるが。

 『捕まれば死ぬ。』

 それが、住人たちが出した結論だった。

 ――――反響音が脳内に入って来て、威圧的に轟く。
 ルアンは音も無く開き忍び込むと、破れて穴の開いた鞄を開き、そっと商品を詰め込んだ。因みに、鞄のサイドポケットには、護身用のフルーツナイフが入っている。

 様々な種類のパンがたくさん積まれていて、見ただけで国の裕福さが伺えた。
 俊敏に、だが無音で、幾つも幾つも、鞄が閉じなくなるまで詰め続けた。

 店主は相変わらず、裏から出てこない。その代わり部屋からは、テレビの音声が聞こえて来た。

 ――――叫び声、呻き声、空気の抜ける音。
 ルアンは、何度も耳にした事のある音声の正体を知っていた。いや、街の住人なら誰でも知っている。
 そこから来る気持ち悪さを堪えて、息を殺しそっと店から出た。

 鐘の鳴る午前10時頃、そこからたったの10分。その一時だけ、街中が死んだように静かになる。

 道を行くのは、ルアンと同じ立場にある人間だけだった。まだ生き残っている、数少ない原住民達。ルアンとティニーは、それに該当する人間だ。
 支配国からの住人はその時間、ある放送に夢中になっている。
 それは、処刑を映した番組だった。

 鐘がなる時間、人が消えるのはその為だ。
 10時は処刑の時間なのだ。労働の末、使えなくなった人間の命を絶つ為の時間。
 鐘は開始の合図だ、と言っても良いだろう。

 その様子はテレビやラジオで包み隠さず放映されて、他国からやってきた住民の間で刺激的な娯楽として愛されている。
 皆、それに釘付けになっているのだ。

「ただいまー」
「お帰りお兄ちゃん」

 ベッドから、ティニーが笑う。
 ティニーは体が弱い。元々の病弱さに加えて、環境が更に悪くさせた。
 母親は自分達の為、食料を探しに行ったきり戻らず、父親は戦時中に兵士として召集されてそれっきりだ。

「盗って来たよ、新しいやつ出てた」
「ありがとう、嬉しい」

 ゆっくりと上体を起こしたティニーの視線は、新種のパンを見ようと鞄の中に注がれる。ルアンはティニーに渡すパンを手探った。

「はい」

 何の隔ても無く直に詰め込まれたパンは、もう温度を失っている。

「今回もいっぱいだね」
「うん、好きなだけ食べな」
「お兄ちゃんは?」
「俺は後で食べるよ。じゃあちょっと行くね」

 ルアンはいつも通り部屋を後にすると、ラジオを手に、更に一階地下へと降りた。

 棚においておいた水を少し含み、ラジオを付けるとノイズ交じりに演説が聞こえて来た。
 内容に耳を傾けた結果、聞く必要がなさそうだと判断し、別の音声へと周波数を合わせる。
 しかし、欲しい情報は、今日も何一つ聞こえてこなかった。

 こうして日々、状況を探っている。
 絶対に死にたくないとの恐怖と、もしかしたら逃亡の日々が終わるかもしれないとの希望を掲げて。
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