職業病

有箱

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転機

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 目覚めても白黒。夢の中でも白黒。そんな生活が当たり前になって、どれくらい経っただろう。

 時間を重ねるにつれ、私の中の葛藤は徐々に傾きを見せていった。イラストレーターには戻らず、一生今の仕事を続ける。それが答えだった。

 ただ、それは妥協案のようなものだ。もっと簡単に言えば諦めだ。
 病が長引けば長引くほど、腕は落ちる。ファンも減る。だったら、きっぱり離れた方が賢明だ――と。

 幸い、現職の方は順調だ。だからこの選択は正しいだろう。
 きっと神さまは、イラストレーターは向かないと教える為、病にかけたんだ。

 電車から降り空を仰いだが、晴れか曇りかさっぱり分からなかった。どちらも、同じ白に見えるのだから仕方がない。

「色、塗りたいなぁ……」

 ぽつりと、頬に雫が当たる。バケツを逆さにしたかの如く、一気に落ちてくる。上空は晴れでも曇りでもなく、雨だったらしい。

 傘のない私は、走って会社に飛び込んだ。心まで濡れた気分だった。



「えっ、大丈夫!?」

 偶然、玄関にいたのは斎藤さんだった。出勤時間が被ったらしい。
 慌てて持っていたハンカチで拭いてくれる。それでは足りないと判断したのか、鞄からタオルまで出していた。

 準備が良いと言えばそれで終わるが、事務仕事にタオルなんて違和感がある。
 そう感じると同時に、社長の過去を思い出した。

「……なんでそんなの持ってるんですか」
「えっ、ああ。やっぱ普通は持ってないのかな。昔の名残でね。突然雨に降られたとき、対応出来るように持ってるんだよ」

 やっぱりね。この人だって、多分私と同じだ。

「やっぱ戻りたいんじゃないんですか? 前の仕事に」

 睨むように問う。だが、相対して社長は笑った。

「……なんかあった?」

 突っかかったのが馬鹿みたいだ。目を反らし、忙しい腕に制止をかける。

「いえ、ただ、吹っ切れないだけです……」
「そっか。話、聞こうか?」

 優しい気遣いに心が揺れた。誰でも良いから吐き出したい、なんて私は駄目人間だ。



 斎藤さんは忙しい。時間だってないはずだ。けれど、彼は嫌な態度一つ見せず、ただ耳を傾けてくれた。

「河上さんは、治ったら戻りたいの?」

 一区切りつき、斎藤さんは尋ねてくる。これこそ、私の中で渦巻いていた問いだ。

「分からないです。実際、描くのが苦しくもあったし、戻ったところで過去の栄光はないですし」

 私は、イラストレーターに戻りたい。でも、苦しい頃には戻りたくない。欲しいのは、人気だった頃のような優越感だ。

 話ながら整理していくと、己の意地が嫌になってくる。

「そもそも、治るかすら怪しいですけどね」

 やや皮肉っぽく吐くと、斎藤さんは穏やかに笑った。少しだけ眉をハの字に曲げながら。

「河上さん、僕はね」

 視線が窓向こうに反れる。社長の見ている景色は、私と違い鮮やかだろう。

「もし色が戻らなくても、河上さんの人生が彩れば良いなと思うよ」

 ただ、今、色彩が戻っても、私には彼と同じ世界は見えそうにない。

「場所はどこでも良いんじゃない。河上さんが居たいと思う場所なら。なんて、おじさんの戯言だけどね」

 一人小さく笑う姿は、不思議と立派に見えた。

 ああ、この人のように生きてみたいな。そうしたら、こんなモノクロの世界も美しくなるだろうか。

「斎藤さんは、今の人生好きですか?」
「うん、病にかかって良かったと思えるくらいにはね」

 堂々と胸を張って、生きられるだろうか。言えるだろうか。諦めは、正解だったと。

「私もいつか、そう思えるかな……」



 溜め込んでいたものを吐ききったからか、心が軽い。

 悲観するだけが全てじゃない。逸れた先にだって、居場所はあるのかもしれない。
 
 私の中で、何かが変わった。
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