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観客の前、緩やかに弦を弾く。小さな振動を感じると共に、耳に心地よい音が響いた。
続けて一音、また一音。それらが繋がりメロディーになる。僕は、この瞬間が堪らなく好きだ。
*
「お疲れ様です、ATLASさん。本日の予定はこれにて終了です。家までお送りしますね」
「西野さんもお疲れ様です。いつもありがとう」
僕の職業はミュージシャンだ。弾き語りシンガーという名を貰っている。幼い頃からの夢で、紆余曲折の末ようやく掴みとった。
ATLASは芸名で、本名は峰岸向と言う。西野さんは、デビュー当時からのマネージャーだ。
今は名前も売れるようになり、多忙を極めている。だが、その忙しさが、僕にとっては幸せだった。
社用車の後部座席に乗り込む。先程のフェスの余韻に浸りつつ、車に揺られた。
僕の家は、都心から少し離れた場所に位置する。実家付近での一人暮らしを求めた結果だ。県名は東京だが、大自然もある田舎っぽさ滲む場所である。
そんな土地に住んでいることもあり――電車の時間が合わない時など――こうして、よく送迎してもらった。
「そう言えば私、最近ギター新調したんですよ。店頭見てたら一目惚れしちゃって」
「そうなんだ。新しいギターどんな感じ?」
「良いもんですよ。まず第一に気分が上がります」
「それはいい買い物をしたね、今度写真送ってよ」
長い付き合いということもあり、西野さんとは仲がいい。だが、マネージャーの立場だからと彼から敬語は崩さなかった。
光の消え行く町から、横の席へと視線を渡す。あるのは古びたギターケースだ。もちろん、中にギターが入っている。
「もちろんです! もしかするとATLASさんも新しいの欲しくなるかもしれませんよー。なんちゃって! ありえませんね!」
軽快なテンポで言い切られ、はは、と小さな笑声が溢れる。
「よく分かってるね、さすが西野さん。僕は一生このギターと歩んでいくつもりだからね」
「本当に大事にされてますものねー。確か、女の子に貰ったんでしたっけ?」
そう、このギターは僕にとって特別な物だ。第二の命と形容しても過言ではないほどに。
本格的に歌の道を行く切っ掛けになったのも、心が折れそうなとき支えてくれたのもこのギターだった。それだけじゃない、今も支えてもらっている。
「うん、名前も知らない女の子にね」
貰った当初から手入れが届いており、ギターはとても綺麗だった。だから、年季は逆に良い味となっている。今も良い状態を保てているのは、持ち主に大切に使われていた何よりの証拠だ。
「その女の子、きっと今ATLASさんにあげて良かったと思ってるはずですよ」
「そうだと良いんだけどな……」
それは約十年前、十五才の秋のことだった。綺麗な夕焼けをバックに、小さな鳥が飛んでいた。
数分にも満たない、あのワンシーンを今も鮮明に覚えている。
*
その頃の僕は、事情により進路に迷っていた。事情と言えど、内容は至ってシンプルだ。
僕の家は片親で、加えて六人兄弟という大家族だった。ゆえに貧乏で、家族を養うため就職するべきか、音楽の道に進むべきか決めかねていたのだ。
と言っても、ギターさえねだれないほどの金欠だったため、ほぼ決まっていたといって良いだろう。ただ、音楽の道を諦めきれなかった。それだけだ。
そんな折り、僕は彼女に出会った。
その日、人通りのない寂れた公園で僕は歌っていた。そしたら、突然後ろから声を掛けられた。
ただ一言、『あげる』と。目の前、ギターケースが差し出されていた時は、驚いて声も出なかった。
視線を上げた先、彼女はどうしてか目を腫らしていた。顔を見た時の困惑も、まだ鮮明に思い出せる。
絶句しつつも受け取った僕を見て、女の子は去っていった。それっきりだ。
叶うなら、もう一度彼女に会いたい。そして、心よりのお礼が言いたい。
それと、許されるならば尋ねたい。あの時、どうして僕にギターをくれたのか。そして、なぜ手放そうと思ったのか。
十年たった今でも、その疑問だけが燻っている。
続けて一音、また一音。それらが繋がりメロディーになる。僕は、この瞬間が堪らなく好きだ。
*
「お疲れ様です、ATLASさん。本日の予定はこれにて終了です。家までお送りしますね」
「西野さんもお疲れ様です。いつもありがとう」
僕の職業はミュージシャンだ。弾き語りシンガーという名を貰っている。幼い頃からの夢で、紆余曲折の末ようやく掴みとった。
ATLASは芸名で、本名は峰岸向と言う。西野さんは、デビュー当時からのマネージャーだ。
今は名前も売れるようになり、多忙を極めている。だが、その忙しさが、僕にとっては幸せだった。
社用車の後部座席に乗り込む。先程のフェスの余韻に浸りつつ、車に揺られた。
僕の家は、都心から少し離れた場所に位置する。実家付近での一人暮らしを求めた結果だ。県名は東京だが、大自然もある田舎っぽさ滲む場所である。
そんな土地に住んでいることもあり――電車の時間が合わない時など――こうして、よく送迎してもらった。
「そう言えば私、最近ギター新調したんですよ。店頭見てたら一目惚れしちゃって」
「そうなんだ。新しいギターどんな感じ?」
「良いもんですよ。まず第一に気分が上がります」
「それはいい買い物をしたね、今度写真送ってよ」
長い付き合いということもあり、西野さんとは仲がいい。だが、マネージャーの立場だからと彼から敬語は崩さなかった。
光の消え行く町から、横の席へと視線を渡す。あるのは古びたギターケースだ。もちろん、中にギターが入っている。
「もちろんです! もしかするとATLASさんも新しいの欲しくなるかもしれませんよー。なんちゃって! ありえませんね!」
軽快なテンポで言い切られ、はは、と小さな笑声が溢れる。
「よく分かってるね、さすが西野さん。僕は一生このギターと歩んでいくつもりだからね」
「本当に大事にされてますものねー。確か、女の子に貰ったんでしたっけ?」
そう、このギターは僕にとって特別な物だ。第二の命と形容しても過言ではないほどに。
本格的に歌の道を行く切っ掛けになったのも、心が折れそうなとき支えてくれたのもこのギターだった。それだけじゃない、今も支えてもらっている。
「うん、名前も知らない女の子にね」
貰った当初から手入れが届いており、ギターはとても綺麗だった。だから、年季は逆に良い味となっている。今も良い状態を保てているのは、持ち主に大切に使われていた何よりの証拠だ。
「その女の子、きっと今ATLASさんにあげて良かったと思ってるはずですよ」
「そうだと良いんだけどな……」
それは約十年前、十五才の秋のことだった。綺麗な夕焼けをバックに、小さな鳥が飛んでいた。
数分にも満たない、あのワンシーンを今も鮮明に覚えている。
*
その頃の僕は、事情により進路に迷っていた。事情と言えど、内容は至ってシンプルだ。
僕の家は片親で、加えて六人兄弟という大家族だった。ゆえに貧乏で、家族を養うため就職するべきか、音楽の道に進むべきか決めかねていたのだ。
と言っても、ギターさえねだれないほどの金欠だったため、ほぼ決まっていたといって良いだろう。ただ、音楽の道を諦めきれなかった。それだけだ。
そんな折り、僕は彼女に出会った。
その日、人通りのない寂れた公園で僕は歌っていた。そしたら、突然後ろから声を掛けられた。
ただ一言、『あげる』と。目の前、ギターケースが差し出されていた時は、驚いて声も出なかった。
視線を上げた先、彼女はどうしてか目を腫らしていた。顔を見た時の困惑も、まだ鮮明に思い出せる。
絶句しつつも受け取った僕を見て、女の子は去っていった。それっきりだ。
叶うなら、もう一度彼女に会いたい。そして、心よりのお礼が言いたい。
それと、許されるならば尋ねたい。あの時、どうして僕にギターをくれたのか。そして、なぜ手放そうと思ったのか。
十年たった今でも、その疑問だけが燻っている。
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