3 / 3
3
しおりを挟む
早朝、雨は上がった。しかし、斉藤は休みだった。その次の日も、計2日間続けての欠席だ。
多分、体でも冷やしてしまったのだろう。気温が低くなっているにも関わらず、ずっと窓を開いて風を浴びていたから。
恒例になりつつあった、放課後の日課が無い事に寂しく思いながらも、他の生徒に囲まれれば、やはりそれなりに楽しい一日が送れた。
斉藤の発言について不図過ぎったが、あまり気にならなかった為、直ぐに別の案件について思い巡らせた。
*
金曜日、斉藤はやってきた。
放課後いつも通り、誰も居ない教室で一人静かに座っている。
今日は、ここ最近では珍しく、自分の机から空を見ている。まだ、体調が優れないのかもしれない。
今日の空は、晴れている。とは言え冬の空だ。既に、夜みたいに暗い。
「ねぇ、先生」
「なんだ?」
珍しく、途中で止められた台詞に聞き入る。
いつもの変わった発言を、予想は出来ないが想像しながら待っていると、不意に視線が絡んだ。
「キスして」
「へっ?」
急な要請に、素っ頓狂な声を出してしまう。
「先生、私の事どう思ってる?」
「えっと、素敵だとは思うが、それは一生徒としてだな」
初めての告白に、しかも生徒として見ていた少女からの告白に、動揺が隠せない。
それに、さすがにキスは不味いだろう。それは、思考力を一切働かせなくとも分かる事だ。
じっと凝視され視線を泳がせているのを見ていた斉藤は、不意に可笑しそうに笑い出した。
「嘘!嘘だよ…!」
その言葉自体、本物か建前か分からず混乱は解けない。
だが、斉藤から取り消してくれたのだ。乗っからない理由もなく、乗る。
「はは、そうか、吃驚したよ、斉藤でも冗談言うんだな」
「先生、驚くと思って」
笑顔はささやかな物に変わり、美しさを際立たせる。告白直後な所為か、妙に美しく見える。
「驚いたよ」
「私のこと、嫌いではないんだね?」
「あぁ、それは断言できる」
「そう、良かった」
斉藤は、既に準備の済まされていた鞄を手に持ち、窓の外の暗い空を見た。
「あー、空が綺麗だね」
「そうだな」
まだ恥ずかしさが顔に残っていて、どうしても斉藤を直視できなかった。
「じゃあね」
「あぁ、また来週」
しかし、小さく戸惑いを含んだ、それで居ながら軽快な声色は、恥ずかしげな笑顔を連想させた。
斉藤の誕生日は丁度土日に重なっていたため、月曜になったら改めて祝いの言葉をかけようと決めた。
毛嫌いしていた誕生日が、少しでも良い日だと思えるように。
放課後誰も居ない時間、満面の笑顔で心からの祝福をしよう。
*
月曜日、斉藤は学校に来なかった。
その日は、空が大泣きをしていた。
授業中、強まってゆく雨脚と空席を気にかけながら、黒板に白い文字を並べてゆく。
「先生、斉藤さんからお電話です」
電話の子機を手に教室に入ってきたのは、事務員の女性だった。
「え?はい」
私は、生徒に自習を告げると、直ぐに廊下に出て保留を解除する。
「もしもし、お電話代わりました」
「――――もしもし」
電話越しから聞こえたのは、悄然とした母親の声だった。
「…どうかしましたか?」
「…先生、凛音が死にました…」
「………えっ?」
―――――言葉の意味が、分からなかった。
いや、理解は出来た。しかし分からない、分かりたくない。
否定したままで私は、教えられた病院へと走っていた。
*
とある部屋の前に、家庭訪問の時一度だけ会った母親が立っていた。父親は居ない。
しかし、その両脇には警察がいる。
状況の理解が間に合わず、緊張感に背筋を張り伸ばしながらも、どうにか教師らしい毅然とした態度を貫く。
「遅くなりました」
「…先生、これを…」
母親はとある一冊のノートを手渡すと同時に、その場で崩れた。
警察官の人間に、宥められながら泣いている。何度も謝罪しながら泣いている。
「あの、斉藤…凛音さんは…」
医師の姿が見当たらなかった為、警察官に問いかけてみる。すると警察官は、苦い顔をして首を横に振った。
「…凛音さんは、どうして…?」
警察官は母親を配慮してか、耳元でそっと原因を口にした。
「…自殺、なされました」
現実が、一気に突き刺さった。
発言の意味は、やはりそういう事だったのだ。空になるとは、死を暗示していたのだ。
嗚呼、気付いてあげられなかった。
「……至らず、申し訳有りませんでした…」
深いお辞儀と共に謝罪すると、母親は私が悪かった、と言い放った。
私は、込み上げる悲しみに支配されてしまう前に、その場を足早に去った。
*
通り雨だったらしく、病院の外は晴れ間が広がっていた。風も穏やかで、気持ちに全く寄り添ってくれない。
斉藤曰く、笑顔の空だ。
私は少し外に出ると、先程母親から手渡されたノートのページを捲った。
『先生、聞いて』
冒頭から自分へ向けられていて、正直私は驚きが隠せなかった。
このノートは誰でもない、私へ向けられた一冊だったのだ。
それにしても、なぜ私なのか。
『私、嬉しかった。先生が、話聞いてくれて嬉しかった。』
日付は無く、それがいつ書かれた物かは分からない。
しかし、これは遺書に似ている。
『可笑しい子って言わずに、聞いてくれて嬉しかった。』
一行間が空いて、また新たな短めの文章が連なる。
『お母さんは、お父さんに叩かれてる、そんなお母さんは私を叩く』
現実に引き戻された内容に、当時は気付かなかった重さを改める。
『仕方が無いと分かってるの、でもやっぱり怖いの。先生聞いて、私どうすれば良いかな?』
ずっと悩んでいたのだろう。けれど、打ち明ける事が出来なかったのだ。
私も気付けなかった。本気で向き合おうとしなかった。
ごめん、ごめん斉藤。
『雨の音は音楽を刻んでいるみたい、素敵だね』
『今日の空は笑っているよ、雲も流れて遠い遠い世界へと向かってゆく、きっと楽しいね』
『先生が、私の事分かってきてくれて嬉しいの、大好きになっちゃいそうだな』
『素直になるのは皆難しいんだね、でもやっぱり悲しいな、今日の風みたい』
『今日は頬が腫れているから学校に行けないの、早く明日になってほしい』
改行の多い文章を追うごとに、これが日記であると気付いた。
放課後、何気なく重ねた会話についてや行動についても、記載されていたから分かった。
『先生の手のひらは、大きくて暖かくて、撫でてくれてとても嬉しかった、けれどやっぱり恥ずかしかった。』
『先生、先生あのね、やっぱり苦しい、我慢してても、意味無いかもって思っちゃうの』
涙が止まらなかった。人が振り向くのも気にせずに、泣いてしまう。
『先生が、私の事嫌いじゃないって言ってくれた、こんな私の事嫌いじゃないって言ってくれた。』
『先生、先生、大好きだよ。』
もっとまともに向き合わなかった後悔が、とめどなく溢れ出す。
『私はこれから、貴方を見守る空になります。巡って皆を包む、風にも雨にもなります。』
『どうか怒らないで。私はきっと幸せになれる、だから大丈夫だよ。』
『先生、時々で良いから私の事を思い出してね』
「…ごめん、ごめん、さいと…」
泣き止めない顔面に向かって、急に強く風が吹き上げる。
見上げた空は眩しい位に、満面の笑顔を湛えていた――――。
『ばいばい先生、大好きだよ』
多分、体でも冷やしてしまったのだろう。気温が低くなっているにも関わらず、ずっと窓を開いて風を浴びていたから。
恒例になりつつあった、放課後の日課が無い事に寂しく思いながらも、他の生徒に囲まれれば、やはりそれなりに楽しい一日が送れた。
斉藤の発言について不図過ぎったが、あまり気にならなかった為、直ぐに別の案件について思い巡らせた。
*
金曜日、斉藤はやってきた。
放課後いつも通り、誰も居ない教室で一人静かに座っている。
今日は、ここ最近では珍しく、自分の机から空を見ている。まだ、体調が優れないのかもしれない。
今日の空は、晴れている。とは言え冬の空だ。既に、夜みたいに暗い。
「ねぇ、先生」
「なんだ?」
珍しく、途中で止められた台詞に聞き入る。
いつもの変わった発言を、予想は出来ないが想像しながら待っていると、不意に視線が絡んだ。
「キスして」
「へっ?」
急な要請に、素っ頓狂な声を出してしまう。
「先生、私の事どう思ってる?」
「えっと、素敵だとは思うが、それは一生徒としてだな」
初めての告白に、しかも生徒として見ていた少女からの告白に、動揺が隠せない。
それに、さすがにキスは不味いだろう。それは、思考力を一切働かせなくとも分かる事だ。
じっと凝視され視線を泳がせているのを見ていた斉藤は、不意に可笑しそうに笑い出した。
「嘘!嘘だよ…!」
その言葉自体、本物か建前か分からず混乱は解けない。
だが、斉藤から取り消してくれたのだ。乗っからない理由もなく、乗る。
「はは、そうか、吃驚したよ、斉藤でも冗談言うんだな」
「先生、驚くと思って」
笑顔はささやかな物に変わり、美しさを際立たせる。告白直後な所為か、妙に美しく見える。
「驚いたよ」
「私のこと、嫌いではないんだね?」
「あぁ、それは断言できる」
「そう、良かった」
斉藤は、既に準備の済まされていた鞄を手に持ち、窓の外の暗い空を見た。
「あー、空が綺麗だね」
「そうだな」
まだ恥ずかしさが顔に残っていて、どうしても斉藤を直視できなかった。
「じゃあね」
「あぁ、また来週」
しかし、小さく戸惑いを含んだ、それで居ながら軽快な声色は、恥ずかしげな笑顔を連想させた。
斉藤の誕生日は丁度土日に重なっていたため、月曜になったら改めて祝いの言葉をかけようと決めた。
毛嫌いしていた誕生日が、少しでも良い日だと思えるように。
放課後誰も居ない時間、満面の笑顔で心からの祝福をしよう。
*
月曜日、斉藤は学校に来なかった。
その日は、空が大泣きをしていた。
授業中、強まってゆく雨脚と空席を気にかけながら、黒板に白い文字を並べてゆく。
「先生、斉藤さんからお電話です」
電話の子機を手に教室に入ってきたのは、事務員の女性だった。
「え?はい」
私は、生徒に自習を告げると、直ぐに廊下に出て保留を解除する。
「もしもし、お電話代わりました」
「――――もしもし」
電話越しから聞こえたのは、悄然とした母親の声だった。
「…どうかしましたか?」
「…先生、凛音が死にました…」
「………えっ?」
―――――言葉の意味が、分からなかった。
いや、理解は出来た。しかし分からない、分かりたくない。
否定したままで私は、教えられた病院へと走っていた。
*
とある部屋の前に、家庭訪問の時一度だけ会った母親が立っていた。父親は居ない。
しかし、その両脇には警察がいる。
状況の理解が間に合わず、緊張感に背筋を張り伸ばしながらも、どうにか教師らしい毅然とした態度を貫く。
「遅くなりました」
「…先生、これを…」
母親はとある一冊のノートを手渡すと同時に、その場で崩れた。
警察官の人間に、宥められながら泣いている。何度も謝罪しながら泣いている。
「あの、斉藤…凛音さんは…」
医師の姿が見当たらなかった為、警察官に問いかけてみる。すると警察官は、苦い顔をして首を横に振った。
「…凛音さんは、どうして…?」
警察官は母親を配慮してか、耳元でそっと原因を口にした。
「…自殺、なされました」
現実が、一気に突き刺さった。
発言の意味は、やはりそういう事だったのだ。空になるとは、死を暗示していたのだ。
嗚呼、気付いてあげられなかった。
「……至らず、申し訳有りませんでした…」
深いお辞儀と共に謝罪すると、母親は私が悪かった、と言い放った。
私は、込み上げる悲しみに支配されてしまう前に、その場を足早に去った。
*
通り雨だったらしく、病院の外は晴れ間が広がっていた。風も穏やかで、気持ちに全く寄り添ってくれない。
斉藤曰く、笑顔の空だ。
私は少し外に出ると、先程母親から手渡されたノートのページを捲った。
『先生、聞いて』
冒頭から自分へ向けられていて、正直私は驚きが隠せなかった。
このノートは誰でもない、私へ向けられた一冊だったのだ。
それにしても、なぜ私なのか。
『私、嬉しかった。先生が、話聞いてくれて嬉しかった。』
日付は無く、それがいつ書かれた物かは分からない。
しかし、これは遺書に似ている。
『可笑しい子って言わずに、聞いてくれて嬉しかった。』
一行間が空いて、また新たな短めの文章が連なる。
『お母さんは、お父さんに叩かれてる、そんなお母さんは私を叩く』
現実に引き戻された内容に、当時は気付かなかった重さを改める。
『仕方が無いと分かってるの、でもやっぱり怖いの。先生聞いて、私どうすれば良いかな?』
ずっと悩んでいたのだろう。けれど、打ち明ける事が出来なかったのだ。
私も気付けなかった。本気で向き合おうとしなかった。
ごめん、ごめん斉藤。
『雨の音は音楽を刻んでいるみたい、素敵だね』
『今日の空は笑っているよ、雲も流れて遠い遠い世界へと向かってゆく、きっと楽しいね』
『先生が、私の事分かってきてくれて嬉しいの、大好きになっちゃいそうだな』
『素直になるのは皆難しいんだね、でもやっぱり悲しいな、今日の風みたい』
『今日は頬が腫れているから学校に行けないの、早く明日になってほしい』
改行の多い文章を追うごとに、これが日記であると気付いた。
放課後、何気なく重ねた会話についてや行動についても、記載されていたから分かった。
『先生の手のひらは、大きくて暖かくて、撫でてくれてとても嬉しかった、けれどやっぱり恥ずかしかった。』
『先生、先生あのね、やっぱり苦しい、我慢してても、意味無いかもって思っちゃうの』
涙が止まらなかった。人が振り向くのも気にせずに、泣いてしまう。
『先生が、私の事嫌いじゃないって言ってくれた、こんな私の事嫌いじゃないって言ってくれた。』
『先生、先生、大好きだよ。』
もっとまともに向き合わなかった後悔が、とめどなく溢れ出す。
『私はこれから、貴方を見守る空になります。巡って皆を包む、風にも雨にもなります。』
『どうか怒らないで。私はきっと幸せになれる、だから大丈夫だよ。』
『先生、時々で良いから私の事を思い出してね』
「…ごめん、ごめん、さいと…」
泣き止めない顔面に向かって、急に強く風が吹き上げる。
見上げた空は眩しい位に、満面の笑顔を湛えていた――――。
『ばいばい先生、大好きだよ』
1
お気に入りに追加
5
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説

立派な王太子妃~妃の幸せは誰が考えるのか~
矢野りと
恋愛
ある日王太子妃は夫である王太子の不貞の現場を目撃してしまう。愛している夫の裏切りに傷つきながらも、やり直したいと周りに助言を求めるが‥‥。
隠れて不貞を続ける夫を見続けていくうちに壊れていく妻。
周りが気づいた時は何もかも手遅れだった…。
※設定はゆるいです。

蔑ろにされた王妃と見限られた国王
奏千歌
恋愛
※最初に公開したプロット版はカクヨムで公開しています
国王陛下には愛する女性がいた。
彼女は陛下の初恋の相手で、陛下はずっと彼女を想い続けて、そして大切にしていた。
私は、そんな陛下と結婚した。
国と王家のために、私達は結婚しなければならなかったから、結婚すれば陛下も少しは変わるのではと期待していた。
でも結果は……私の理想を打ち砕くものだった。
そしてもう一つ。
私も陛下も知らないことがあった。
彼女のことを。彼女の正体を。
美人に告白されたがまたいつもの嫌がらせかと思ったので適当にOKした
亜桜黄身
BL
俺の学校では俺に付き合ってほしいと言う罰ゲームが流行ってる。
カースト底辺の卑屈くんがカースト頂点の強気ド美人敬語攻めと付き合う話。
(悪役モブ♀が出てきます)
(他サイトに2021年〜掲載済)

なんども濡れ衣で責められるので、いい加減諦めて崖から身を投げてみた
下菊みこと
恋愛
悪役令嬢の最後の抵抗は吉と出るか凶と出るか。
ご都合主義のハッピーエンドのSSです。
でも周りは全くハッピーじゃないです。
小説家になろう様でも投稿しています。

リーセフィヨルドに吹く風
暁天進太
現代文学
幣原準造は、2時間のトレッキングの末に、標高600mの危険な展望台『プレーケストーレン』に辿り着いた。柵の無い展望台である。彼は胸ポケットから妻の遺影の入ったストラップケースを取り出して断崖の淵にかざした。

愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。

【完結】堅物な婚約者には子どもがいました……人は見かけによらないらしいです。
大森 樹
恋愛
【短編】
公爵家の一人娘、アメリアはある日誘拐された。
「アメリア様、ご無事ですか!」
真面目で堅物な騎士フィンに助けられ、アメリアは彼に恋をした。
助けたお礼として『結婚』することになった二人。フィンにとっては公爵家の爵位目当ての愛のない結婚だったはずだが……真面目で誠実な彼は、アメリアと不器用ながらも徐々に距離を縮めていく。
穏やかで幸せな結婚ができると思っていたのに、フィンの前の彼女が現れて『あの人の子どもがいます』と言ってきた。嘘だと思いきや、その子は本当に彼そっくりで……
あの堅物婚約者に、まさか子どもがいるなんて。人は見かけによらないらしい。
★アメリアとフィンは結婚するのか、しないのか……二人の恋の行方をお楽しみください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる