2 / 3
2
しおりを挟む
放課後、やっぱり斉藤は居た。
次々と帰宅して行く他の生徒の挨拶を丁寧に受け取りながらも、机上に肘を着き、頬杖しながら空を見詰める斉藤のことばかり気にかかる。
「斉藤、今日は何考えてる?」
「え、なに」
クラスメイトが全員去った所で率直に尋ねてみたのだが、流石に聞き方が不味かったらしい。
疑わしい視線が、真直ぐに突き立てられている。
「ごめんごめん、聞き方が可笑しかったな、今日の空はどうだ?」
込めた意味の一部を抜粋して言葉を作り直すと、斉藤は直ぐに表情を和らげた。
なんだ、と溜め息ごと漏らす。
「今日の空は、広いね」
「そうなのか?」
意味を理解しようと、窓枠から顔を出して天を見上げてみる。
しかし、いつも通りの広い空で、当たり前のように彼方まで続いている。
「広いでしょ」
「そうだな」
「雲は、風に流されちゃったみたい」
漸く理解する。
確かに斉藤が言うように、今日の空は雲ひとつ無いオレンジの空だ。
美しすぎるくらい、濁りのない橙の空。
「斉藤は凄いなぁ」
「なにが」
「うーん、感受性が強いと言うのかな、皆が気付かないところまで気付ける、とても凄いよ」
返らない返事に斉藤を見ると、珍しく目を丸くしていた。少し頬が赤らんでいる。
「……ありがとう、帰る」
しかし、それだけ残すと、直ぐに教室の後ろの扉から出て行ってしまった。
斉藤のどこか照れた顔が新鮮で、こっちまで目を丸くしてしまった。
*
いつしか私は、斉藤ばかり目で追いかけるようになっていた。
教師たる者、皆に同じだけ目を向けなければならないと分かりつつも、どうしても異彩を放つ斉藤ばかり気になってしまうのだ。
恐らくまだ、生徒達にはばれていない。
斉藤が、放課後遅い時間まで残るようになって、一ヶ月が経過した。
秋空は瞬く間に冬空に変わり、放課後がやってくる頃には、空の色はいつも暗くなっていた。
風も冷たく、窓を開けると少し冷える。
斉藤は寒がりなのか、シャツの上に学校指定のカーディガンを羽織り、一日中過ごしていた。
「先生、窓開けて良い?」
「いいぞ」
斉藤は鍵を下ろすと、窓を一気に開いた。まさか全開にするとは思わず、ついびっくりしてしまう。
風が、吹き込む。
「さ、寒くないか?」
「気持ち良い」
斉藤のさらさらした髪が、風に靡かれ揺らいでいる。表情は見えないが、声色からリラックスモードであると伺える。
「…なら良いか」
「先生も来てよ」
「ん?あぁ」
手招きされて横に立つと、冷たい空気が顔面に当たった。
「おお、冷たいな」
「目が冴えるね」
斉藤が、珍しく笑う。私は返答も忘れ、その横顔を注視してしまった。
「なに」
一気に、いつもの表情に戻る。
「あ、いや、冬だなぁと思って」
再度窓向こうに視線を合わせると、斉藤も空へと視線を向けた。
「…冬だよ、嫌だね」
「嫌いなのか?」
「…うん、年取りたくない」
まだ若いだろう、と突っ込みたくなったが、冷たくあしらわれるのを想定し堪えた。
「…誕生日なのか」
「そう、あと10日」
「おめでとう」
「おめでたくないよ」
強い口調で言い放たれ横顔を見ると、憂鬱そうに目先を睨んでいた。
「なんで?」
「……なんでもない」
愁いを帯び始めた瞳に気付くと同時に、その手の平が震えている事にも気づいた。
「そろそろ閉めようか、冷えてきただろう」
「うん、そうだね」
斉藤は、窓を閉め鍵をかけると、別れの挨拶もなしに教室を出て行ってしまった。
突然の態度の変化に疑問符を浮かべつつも、年頃の少女は不思議だ、とまた流した。
*
次の日になれば何時も通り、澄ました顔をした斉藤が居る。
今日は許可も取らず―――昨日寒かったからか―――窓を半分ほど開けて空を見詰めている。
今日の空は、曇っていてとても暗い。
「暗くなってきたが、親御さん心配しないかー?」
一瞥した空の色から、脳裏に浮かんだ心配を投げ掛ける。ノートに目を通しながら、声だけで。
「しないよー」
斉藤は、棒読みでだが口調を真似し、返答してくれた。
時々垣間見せる学生らしい一面は、やっぱり可愛らしい。そして安心もする。
「いや、してるだろ、それとも喧嘩でもしてるのか?」
「当たり、家嫌い」
案外素直に認めたのが意外で、私が顔を上げると、斉藤はただただじっと天を見上げていた。
家庭問題を持っている生徒は、斉藤に限ったことではない。
多感な時期であり、受験を控える身でもある、この時期においての親との喧嘩は、誰もが踏む人生の一環となる事だろう。
だとしても、大きな悩みになっている可能性は否めない。
私は励ましを実行する為に斉藤の横まで行き、その頭に手の平を乗せた。
「…そんな事言わずに頑張れ」
「え、ちょっと、止めてよ」
斉藤は頬を紅潮させて、手の平の間に自分の指先を滑り込ませ、頭を守り始めた。
「素直になっても良いんだぞ~」
照れながら拒むのが初々しくて、私はその後もずっと撫で続けていた。
翌日は土日が重なり、斉藤と会う事はなかった。
*
月曜日の放課後、斉藤はまた窓の前で、風を浴びながら外を見ていた。
「先生、今日も空が流れてるよ」
「うん?」
斉藤の発言を理解しようと、空けられた窓から外を見つめる。
そよそよと吹く冷たい風が、雲を流しているのが見えた。
「本当だ、雲が旅してるな」
単純な比喩表現を使い、理解を表現してみると斉藤はくすくすと笑った。
「分かってきたね」
斉藤は寒いのか、カーディガンの袖を伸ばして指先で留めている。
「先生あのね、私空になるの」
「えっ?」
感覚的に死をイメージした。だが、決め付けるのはまだ早いだろう。
「どういうことだ?」
「…深い意味は、無いけど」
「…変なことは考えるなよ」
「…そんなんじゃない。……夢、みたいな…きっとどんな職業よりも幸せだよ」
そう言った斉藤の表情は、言葉通り幸せそうだった。
心配は取れなかったが、単に死にたいといっている人間ならこんな顔はしない筈だ、と結論を出す。
もっと違う意味を込めて、斉藤は発言したのかも知れない。
この子は時々、本当に変な事を言うから。
しかしだとすると、どんな意味を込めたのだろうか。
斉藤は風を吸い込み、満足気に目を閉じている。
―――やっぱり今時の子の考えることは分からない、と私は頭を捻るしかなかった。
*
次の日も斉藤は居た。今日は小雨が降っている。窓から入ってくる僅かな小雨を手の平に受けながら、じっと藍色の空を眺めている。
「……泣いてる」
また不思議発言だ。しかし、とても神秘的で、ユーモアに長けた発言である。
「じゃあ、晴れの日は笑っているのか」
ノートから視線を上げて得意げに斉藤を見ると、斉藤も表情はまだ変えずこちらを見ていた。
目が合うと、少し爽やかに笑って、「そうだね」と零す。
斉藤は、時間の経過と共に強まる雨脚を見詰めながらも、窓を閉めようとはしなかった。
次々と帰宅して行く他の生徒の挨拶を丁寧に受け取りながらも、机上に肘を着き、頬杖しながら空を見詰める斉藤のことばかり気にかかる。
「斉藤、今日は何考えてる?」
「え、なに」
クラスメイトが全員去った所で率直に尋ねてみたのだが、流石に聞き方が不味かったらしい。
疑わしい視線が、真直ぐに突き立てられている。
「ごめんごめん、聞き方が可笑しかったな、今日の空はどうだ?」
込めた意味の一部を抜粋して言葉を作り直すと、斉藤は直ぐに表情を和らげた。
なんだ、と溜め息ごと漏らす。
「今日の空は、広いね」
「そうなのか?」
意味を理解しようと、窓枠から顔を出して天を見上げてみる。
しかし、いつも通りの広い空で、当たり前のように彼方まで続いている。
「広いでしょ」
「そうだな」
「雲は、風に流されちゃったみたい」
漸く理解する。
確かに斉藤が言うように、今日の空は雲ひとつ無いオレンジの空だ。
美しすぎるくらい、濁りのない橙の空。
「斉藤は凄いなぁ」
「なにが」
「うーん、感受性が強いと言うのかな、皆が気付かないところまで気付ける、とても凄いよ」
返らない返事に斉藤を見ると、珍しく目を丸くしていた。少し頬が赤らんでいる。
「……ありがとう、帰る」
しかし、それだけ残すと、直ぐに教室の後ろの扉から出て行ってしまった。
斉藤のどこか照れた顔が新鮮で、こっちまで目を丸くしてしまった。
*
いつしか私は、斉藤ばかり目で追いかけるようになっていた。
教師たる者、皆に同じだけ目を向けなければならないと分かりつつも、どうしても異彩を放つ斉藤ばかり気になってしまうのだ。
恐らくまだ、生徒達にはばれていない。
斉藤が、放課後遅い時間まで残るようになって、一ヶ月が経過した。
秋空は瞬く間に冬空に変わり、放課後がやってくる頃には、空の色はいつも暗くなっていた。
風も冷たく、窓を開けると少し冷える。
斉藤は寒がりなのか、シャツの上に学校指定のカーディガンを羽織り、一日中過ごしていた。
「先生、窓開けて良い?」
「いいぞ」
斉藤は鍵を下ろすと、窓を一気に開いた。まさか全開にするとは思わず、ついびっくりしてしまう。
風が、吹き込む。
「さ、寒くないか?」
「気持ち良い」
斉藤のさらさらした髪が、風に靡かれ揺らいでいる。表情は見えないが、声色からリラックスモードであると伺える。
「…なら良いか」
「先生も来てよ」
「ん?あぁ」
手招きされて横に立つと、冷たい空気が顔面に当たった。
「おお、冷たいな」
「目が冴えるね」
斉藤が、珍しく笑う。私は返答も忘れ、その横顔を注視してしまった。
「なに」
一気に、いつもの表情に戻る。
「あ、いや、冬だなぁと思って」
再度窓向こうに視線を合わせると、斉藤も空へと視線を向けた。
「…冬だよ、嫌だね」
「嫌いなのか?」
「…うん、年取りたくない」
まだ若いだろう、と突っ込みたくなったが、冷たくあしらわれるのを想定し堪えた。
「…誕生日なのか」
「そう、あと10日」
「おめでとう」
「おめでたくないよ」
強い口調で言い放たれ横顔を見ると、憂鬱そうに目先を睨んでいた。
「なんで?」
「……なんでもない」
愁いを帯び始めた瞳に気付くと同時に、その手の平が震えている事にも気づいた。
「そろそろ閉めようか、冷えてきただろう」
「うん、そうだね」
斉藤は、窓を閉め鍵をかけると、別れの挨拶もなしに教室を出て行ってしまった。
突然の態度の変化に疑問符を浮かべつつも、年頃の少女は不思議だ、とまた流した。
*
次の日になれば何時も通り、澄ました顔をした斉藤が居る。
今日は許可も取らず―――昨日寒かったからか―――窓を半分ほど開けて空を見詰めている。
今日の空は、曇っていてとても暗い。
「暗くなってきたが、親御さん心配しないかー?」
一瞥した空の色から、脳裏に浮かんだ心配を投げ掛ける。ノートに目を通しながら、声だけで。
「しないよー」
斉藤は、棒読みでだが口調を真似し、返答してくれた。
時々垣間見せる学生らしい一面は、やっぱり可愛らしい。そして安心もする。
「いや、してるだろ、それとも喧嘩でもしてるのか?」
「当たり、家嫌い」
案外素直に認めたのが意外で、私が顔を上げると、斉藤はただただじっと天を見上げていた。
家庭問題を持っている生徒は、斉藤に限ったことではない。
多感な時期であり、受験を控える身でもある、この時期においての親との喧嘩は、誰もが踏む人生の一環となる事だろう。
だとしても、大きな悩みになっている可能性は否めない。
私は励ましを実行する為に斉藤の横まで行き、その頭に手の平を乗せた。
「…そんな事言わずに頑張れ」
「え、ちょっと、止めてよ」
斉藤は頬を紅潮させて、手の平の間に自分の指先を滑り込ませ、頭を守り始めた。
「素直になっても良いんだぞ~」
照れながら拒むのが初々しくて、私はその後もずっと撫で続けていた。
翌日は土日が重なり、斉藤と会う事はなかった。
*
月曜日の放課後、斉藤はまた窓の前で、風を浴びながら外を見ていた。
「先生、今日も空が流れてるよ」
「うん?」
斉藤の発言を理解しようと、空けられた窓から外を見つめる。
そよそよと吹く冷たい風が、雲を流しているのが見えた。
「本当だ、雲が旅してるな」
単純な比喩表現を使い、理解を表現してみると斉藤はくすくすと笑った。
「分かってきたね」
斉藤は寒いのか、カーディガンの袖を伸ばして指先で留めている。
「先生あのね、私空になるの」
「えっ?」
感覚的に死をイメージした。だが、決め付けるのはまだ早いだろう。
「どういうことだ?」
「…深い意味は、無いけど」
「…変なことは考えるなよ」
「…そんなんじゃない。……夢、みたいな…きっとどんな職業よりも幸せだよ」
そう言った斉藤の表情は、言葉通り幸せそうだった。
心配は取れなかったが、単に死にたいといっている人間ならこんな顔はしない筈だ、と結論を出す。
もっと違う意味を込めて、斉藤は発言したのかも知れない。
この子は時々、本当に変な事を言うから。
しかしだとすると、どんな意味を込めたのだろうか。
斉藤は風を吸い込み、満足気に目を閉じている。
―――やっぱり今時の子の考えることは分からない、と私は頭を捻るしかなかった。
*
次の日も斉藤は居た。今日は小雨が降っている。窓から入ってくる僅かな小雨を手の平に受けながら、じっと藍色の空を眺めている。
「……泣いてる」
また不思議発言だ。しかし、とても神秘的で、ユーモアに長けた発言である。
「じゃあ、晴れの日は笑っているのか」
ノートから視線を上げて得意げに斉藤を見ると、斉藤も表情はまだ変えずこちらを見ていた。
目が合うと、少し爽やかに笑って、「そうだね」と零す。
斉藤は、時間の経過と共に強まる雨脚を見詰めながらも、窓を閉めようとはしなかった。
1
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説

立派な王太子妃~妃の幸せは誰が考えるのか~
矢野りと
恋愛
ある日王太子妃は夫である王太子の不貞の現場を目撃してしまう。愛している夫の裏切りに傷つきながらも、やり直したいと周りに助言を求めるが‥‥。
隠れて不貞を続ける夫を見続けていくうちに壊れていく妻。
周りが気づいた時は何もかも手遅れだった…。
※設定はゆるいです。

蔑ろにされた王妃と見限られた国王
奏千歌
恋愛
※最初に公開したプロット版はカクヨムで公開しています
国王陛下には愛する女性がいた。
彼女は陛下の初恋の相手で、陛下はずっと彼女を想い続けて、そして大切にしていた。
私は、そんな陛下と結婚した。
国と王家のために、私達は結婚しなければならなかったから、結婚すれば陛下も少しは変わるのではと期待していた。
でも結果は……私の理想を打ち砕くものだった。
そしてもう一つ。
私も陛下も知らないことがあった。
彼女のことを。彼女の正体を。
美人に告白されたがまたいつもの嫌がらせかと思ったので適当にOKした
亜桜黄身
BL
俺の学校では俺に付き合ってほしいと言う罰ゲームが流行ってる。
カースト底辺の卑屈くんがカースト頂点の強気ド美人敬語攻めと付き合う話。
(悪役モブ♀が出てきます)
(他サイトに2021年〜掲載済)

なんども濡れ衣で責められるので、いい加減諦めて崖から身を投げてみた
下菊みこと
恋愛
悪役令嬢の最後の抵抗は吉と出るか凶と出るか。
ご都合主義のハッピーエンドのSSです。
でも周りは全くハッピーじゃないです。
小説家になろう様でも投稿しています。

リーセフィヨルドに吹く風
暁天進太
現代文学
幣原準造は、2時間のトレッキングの末に、標高600mの危険な展望台『プレーケストーレン』に辿り着いた。柵の無い展望台である。彼は胸ポケットから妻の遺影の入ったストラップケースを取り出して断崖の淵にかざした。

愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。

【完結】堅物な婚約者には子どもがいました……人は見かけによらないらしいです。
大森 樹
恋愛
【短編】
公爵家の一人娘、アメリアはある日誘拐された。
「アメリア様、ご無事ですか!」
真面目で堅物な騎士フィンに助けられ、アメリアは彼に恋をした。
助けたお礼として『結婚』することになった二人。フィンにとっては公爵家の爵位目当ての愛のない結婚だったはずだが……真面目で誠実な彼は、アメリアと不器用ながらも徐々に距離を縮めていく。
穏やかで幸せな結婚ができると思っていたのに、フィンの前の彼女が現れて『あの人の子どもがいます』と言ってきた。嘘だと思いきや、その子は本当に彼そっくりで……
あの堅物婚約者に、まさか子どもがいるなんて。人は見かけによらないらしい。
★アメリアとフィンは結婚するのか、しないのか……二人の恋の行方をお楽しみください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる