空に、風に。

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 放課後、やっぱり斉藤は居た。

 次々と帰宅して行く他の生徒の挨拶を丁寧に受け取りながらも、机上に肘を着き、頬杖しながら空を見詰める斉藤のことばかり気にかかる。

「斉藤、今日は何考えてる?」
「え、なに」

 クラスメイトが全員去った所で率直に尋ねてみたのだが、流石に聞き方が不味かったらしい。
 疑わしい視線が、真直ぐに突き立てられている。

「ごめんごめん、聞き方が可笑しかったな、今日の空はどうだ?」

 込めた意味の一部を抜粋して言葉を作り直すと、斉藤は直ぐに表情を和らげた。
 なんだ、と溜め息ごと漏らす。

「今日の空は、広いね」
「そうなのか?」

 意味を理解しようと、窓枠から顔を出して天を見上げてみる。
 しかし、いつも通りの広い空で、当たり前のように彼方まで続いている。

「広いでしょ」
「そうだな」
「雲は、風に流されちゃったみたい」

 漸く理解する。
 確かに斉藤が言うように、今日の空は雲ひとつ無いオレンジの空だ。
 美しすぎるくらい、濁りのない橙の空。

「斉藤は凄いなぁ」
「なにが」
「うーん、感受性が強いと言うのかな、皆が気付かないところまで気付ける、とても凄いよ」

 返らない返事に斉藤を見ると、珍しく目を丸くしていた。少し頬が赤らんでいる。

「……ありがとう、帰る」

 しかし、それだけ残すと、直ぐに教室の後ろの扉から出て行ってしまった。
 斉藤のどこか照れた顔が新鮮で、こっちまで目を丸くしてしまった。



 いつしか私は、斉藤ばかり目で追いかけるようになっていた。
 教師たる者、皆に同じだけ目を向けなければならないと分かりつつも、どうしても異彩を放つ斉藤ばかり気になってしまうのだ。
 恐らくまだ、生徒達にはばれていない。

 斉藤が、放課後遅い時間まで残るようになって、一ヶ月が経過した。

 秋空は瞬く間に冬空に変わり、放課後がやってくる頃には、空の色はいつも暗くなっていた。
 風も冷たく、窓を開けると少し冷える。

 斉藤は寒がりなのか、シャツの上に学校指定のカーディガンを羽織り、一日中過ごしていた。

「先生、窓開けて良い?」
「いいぞ」

 斉藤は鍵を下ろすと、窓を一気に開いた。まさか全開にするとは思わず、ついびっくりしてしまう。
 風が、吹き込む。

「さ、寒くないか?」
「気持ち良い」

 斉藤のさらさらした髪が、風に靡かれ揺らいでいる。表情は見えないが、声色からリラックスモードであると伺える。

「…なら良いか」
「先生も来てよ」
「ん?あぁ」

 手招きされて横に立つと、冷たい空気が顔面に当たった。

「おお、冷たいな」
「目が冴えるね」

 斉藤が、珍しく笑う。私は返答も忘れ、その横顔を注視してしまった。

「なに」

 一気に、いつもの表情に戻る。

「あ、いや、冬だなぁと思って」

 再度窓向こうに視線を合わせると、斉藤も空へと視線を向けた。

「…冬だよ、嫌だね」
「嫌いなのか?」
「…うん、年取りたくない」

 まだ若いだろう、と突っ込みたくなったが、冷たくあしらわれるのを想定し堪えた。

「…誕生日なのか」
「そう、あと10日」
「おめでとう」
「おめでたくないよ」

 強い口調で言い放たれ横顔を見ると、憂鬱そうに目先を睨んでいた。

「なんで?」
「……なんでもない」

 愁いを帯び始めた瞳に気付くと同時に、その手の平が震えている事にも気づいた。

「そろそろ閉めようか、冷えてきただろう」
「うん、そうだね」

 斉藤は、窓を閉め鍵をかけると、別れの挨拶もなしに教室を出て行ってしまった。

 突然の態度の変化に疑問符を浮かべつつも、年頃の少女は不思議だ、とまた流した。



 次の日になれば何時も通り、澄ました顔をした斉藤が居る。
 今日は許可も取らず―――昨日寒かったからか―――窓を半分ほど開けて空を見詰めている。
 今日の空は、曇っていてとても暗い。

「暗くなってきたが、親御さん心配しないかー?」

 一瞥した空の色から、脳裏に浮かんだ心配を投げ掛ける。ノートに目を通しながら、声だけで。

「しないよー」

 斉藤は、棒読みでだが口調を真似し、返答してくれた。
 時々垣間見せる学生らしい一面は、やっぱり可愛らしい。そして安心もする。

「いや、してるだろ、それとも喧嘩でもしてるのか?」
「当たり、家嫌い」

 案外素直に認めたのが意外で、私が顔を上げると、斉藤はただただじっと天を見上げていた。

 家庭問題を持っている生徒は、斉藤に限ったことではない。
 多感な時期であり、受験を控える身でもある、この時期においての親との喧嘩は、誰もが踏む人生の一環となる事だろう。

 だとしても、大きな悩みになっている可能性は否めない。
 私は励ましを実行する為に斉藤の横まで行き、その頭に手の平を乗せた。

「…そんな事言わずに頑張れ」
「え、ちょっと、止めてよ」

 斉藤は頬を紅潮させて、手の平の間に自分の指先を滑り込ませ、頭を守り始めた。

「素直になっても良いんだぞ~」

 照れながら拒むのが初々しくて、私はその後もずっと撫で続けていた。

 翌日は土日が重なり、斉藤と会う事はなかった。



月曜日の放課後、斉藤はまた窓の前で、風を浴びながら外を見ていた。

「先生、今日も空が流れてるよ」
「うん?」

 斉藤の発言を理解しようと、空けられた窓から外を見つめる。
 そよそよと吹く冷たい風が、雲を流しているのが見えた。

「本当だ、雲が旅してるな」

 単純な比喩表現を使い、理解を表現してみると斉藤はくすくすと笑った。

「分かってきたね」

 斉藤は寒いのか、カーディガンの袖を伸ばして指先で留めている。

「先生あのね、私空になるの」
「えっ?」

 感覚的に死をイメージした。だが、決め付けるのはまだ早いだろう。

「どういうことだ?」
「…深い意味は、無いけど」
「…変なことは考えるなよ」
「…そんなんじゃない。……夢、みたいな…きっとどんな職業よりも幸せだよ」

 そう言った斉藤の表情は、言葉通り幸せそうだった。

 心配は取れなかったが、単に死にたいといっている人間ならこんな顔はしない筈だ、と結論を出す。
 もっと違う意味を込めて、斉藤は発言したのかも知れない。
 この子は時々、本当に変な事を言うから。
 しかしだとすると、どんな意味を込めたのだろうか。

 斉藤は風を吸い込み、満足気に目を閉じている。
 ―――やっぱり今時の子の考えることは分からない、と私は頭を捻るしかなかった。



 次の日も斉藤は居た。今日は小雨が降っている。窓から入ってくる僅かな小雨を手の平に受けながら、じっと藍色の空を眺めている。

「……泣いてる」

 また不思議発言だ。しかし、とても神秘的で、ユーモアに長けた発言である。

「じゃあ、晴れの日は笑っているのか」

 ノートから視線を上げて得意げに斉藤を見ると、斉藤も表情はまだ変えずこちらを見ていた。
 目が合うと、少し爽やかに笑って、「そうだね」と零す。

 斉藤は、時間の経過と共に強まる雨脚を見詰めながらも、窓を閉めようとはしなかった。
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