僕は愛されて

有箱

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愛しているのは?

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「聡太くんお早う!」

 騒がしかった、朝の教室が一斉に静まる。同時に高村へ視線が集まったが、瞬間的に散らばった。

 これは、いつもの光景だ。時間ギリギリを狙って登校しても、高村は必ず挨拶をしてきた。
 学期の初めは周りの視線が痛かったが、今は恒例行事として教室全体に馴染んでしまっている。

 そして、挨拶を返さないことにもすっかり慣れた。
 ――心の痛みが、消え去ることはないけれど。

 高村の二個前、そこが僕の席だ。横を通り過ぎ、座ってしまえば顔は見えない。元通りになった周囲の喧騒が、荒れた心を刺激しだした。

 不図、気になる名が耳に触れる。

「……詩歩さぁ、浅見に声掛けるの止めたら? アイツ無口だし愛想ないし、何の取り得もないじゃん」

 この声は、高村の隣席の人間――勝野の声だ。勝野は僕の元友達で、話さなくなって数年になる。

「今は金もないしさ」

 勝野は声を潜めていたが、僕の耳には十分に届いた。不思議なことに、他の声が背景と化している。

「聡太くん取り得あるよ! 今はちょっとあれだけど……」

 高村は、いつもの溌剌とした語調で答えていた。語尾に行くに連れ、少しずつ萎れていったが。

「詩歩は良い子過ぎ。あんな奴と付き合うより、新しい彼氏作った方が楽しいに決まってるじゃん」

 うん、勝野の言っていることは正しい。何も返さない奴より、何かを返してくれる相手の方が一緒にいて楽しいと思う。利益もあるし。

 ――皮肉なことに、同調してしまった。僕自身、返せないのに構われても困るだけだ。

 失望を形にするなら、早い内に済ませて欲しい。もう、現実に突きつけられるのは懲り懲りなのだ。

「私はそう思わないけど」

 柔らかいはずの言葉は、心の傷を塞がなかった。いつしか純粋に聞けなくなった他者の声は、僕の中で濁りを被ってしまう。

 もしかして、嫌がらせる為に近付いてるのかな。なんて思ってしまった。思いたくないのに、自分の内の歪みに反抗出来なかった。

「でもさ、なんでそこまでアイツに構うわけ?」
「えー、だって構いたいんだもん」
「物好き」

 冷たい返事が落とされる。高村の表情が気になり、尻目を向けたが見えなかった。
 そこで教師が入って来て、号令が掛かった。



 昼休みの教室は居心地が悪い。なぜなら、昔を思い出してしまうからだ。

 各方向から耳を突く喧騒、笑声、冗談。そのどれもが嘗て僕の周りにもあった。
 しかし、それらを作り出す人間の中には、常に黒いものが渦巻いている。利用すべく企んでいる。

 そう考えてしまい、食事さえ楽しめなかった。ゆえに、いつからか昼食を屋上で摂るようになった。

 屋上は、整備が行き届いておらず荒廃していた。それゆえ、絶好の無人スポットと化している。

 雨の日以外は、寒暖関係なく空を仰いだ。フェンスに体を預け、一人のんびりと摂る食事は気楽でいい。
 そう。だから放っておいて欲しいのに。

 そんな場所にも、彼女は容赦なく現れる。

「快晴だねー! 絶好のお弁当日和じゃん」

 パンの袋を開けた矢先、声が聞こえて思わず閉じた。そのまま方向転換し、フェンス側へと向き直る。
 そうして、空を見てますと言わんばかりに、盛大に首をあげた。

「聡太くんって空ばっか見てるね。好きなの?」
「うん、だから邪魔しないで」

 視界の端に、高村が入り込む。フェンスを後ろに座られた所為で、向かい合う形になってしまった。

「分かった。じゃあ隣で食べてるけど気にしないでね」
「いや、さすがに気にするっていつも……」

 弁当箱を開く仕草に、思わず視線が向かった。箱の中には、質素なおかずが並んでいる。しかし、僕よりは遥かに豪華だ。

「いつも通り、空気だと思ってくれれば良いから」

 それだけ言うと、高村は食事を開始した。

 これらの行動も日常茶飯事である。毎度毎度、本当に懲りない奴だ。

 美味しそうに食べる姿を見ていると、不意に会話が蘇った。勝野と高村の会話だ。

「……いい加減飽きない?」

 投げ掛けると、高村は顔を上げた。否定感情を向けたのに関わらず、表情に怯えや怖じ気はない。
 寧ろ、不思議そうにしていた。しらばっくれているのか、本当に分からないのか不明だ。

 どちらにせよ、直接言葉にする必要がありそうだ。

「僕なんて何の取り得もないじゃん。だから、ちゃんと構ってくれる彼氏作った方が良いと思うよ」
「あっ、もしかして聞こえてた?」

 やっと理解したのか、高村は斜め上を仰ぐ。掲げていた箸がゆっくりと下りた。

「……えっと、聞いてたなら分かるだろうけど、私は思わないな。そもそも彼氏って作るものじゃないと思うんだよね。料理じゃないんだし」

 箸の先が、再び浮き上がった。先端で卵焼きが摘まれていて、意図的に揺らされている。

「そんな直接的な……」

 つい入れてしまった突っ込みと同時に、卵焼きが口内に放り込まれた。三、四回大きく咀嚼され、飲み込まれる。

「あのね。彼氏って作るとかじゃなくて、なるべくしてなるものだと思うの。私が言いたい事分かる?」

 ビッと向けられた箸先は、教鞭を彷彿させた。その所為か、つい回答を手繰ってしまう。
 そして、それは直ぐに見つかった。

 誰でも良いなんて可笑しい。運命に導かれ、なるものこそが正しい。
 そう彼女は言いたがっている。それが僕の解釈だ。

「でもさ、普通ってそんなもんだろ?」
「……どういう意味?」

 回答を放棄し意見したからか、高村の表情が歪む。合点が行かない、と言った様子だ。

「好きでもないけどカップルになる。それは優しくされたいからかもしれないし、友だちと話を合わせたいからかもしれない。物が目的で彼氏を作るなんて話も珍しくないよ」

 それこそ、友達作りも同じだ。

「結局、人付き合いってさ、己の利益で相手を選ぶものじゃないの。該当しそうなら誰でも良い。自分の提示する条件にさえ合っていれば、AさんでもBさんでもお構いなし」

 そうだ。金さえあれば、別に僕じゃなくても良かった。
 昔の僕は、そんな事も知らずに自惚れていた。だからこそ、今はもう惑わないと決めた。

「……それって、もしかして」

 勢い良く両手を合わせる。行動の意味を悟ったのか、高村の口は噤まれた。

「ごちそうさま。僕、教室戻るから」

 立ち上がり、空の袋をポケットに詰め込む。ぐしゃぐしゃと鳴る音が不快だった。

「……私は違うから」

 そうして、声を無視して屋上を去る。
 胸の痛みにも、気付かない振りをして。
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