もしもしんだなら

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第六話:違う時を歩みながら

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 あれから数日が経過した。不思議と慧とは遭遇せず、出会う前と同じ日々を過ごしていた。
 当然、能力を求めて来る人間といる時を除き一人だ。授業も、帰り道も、食事も全部一人きり。

 けれど、寂しくはなかった。私にとっては、本当に前に戻っただけだった。
 心が空っぽなのは、前から変わらないことだ――。

「あ」

 慧の事を考えていたからか、目の前に本人を見つけた。見慣れた寂しげな背中が揺れている。
 廊下を踏む足に力はなく、やけに不安定だ。

「椎名さん」

 少しだけ速度を速め、背中に少し触れる。突然だったからか、慧の背中は跳ねた。

「宮園……」

 振り向いた慧の顔は、明らかな疲れを醸していた。だが、目が合うと同時に無邪気な笑みが被される。

「じゃっ」

 そうして、完全な横並びになる前に去っていった。

***

 日直の仕事である黒板消しを終えた頃には、授業終了から約一時間ほどが経過していた。隣席の人間が、授業終了と同時に消えた結果だ。
 教室は、放課後を謳歌する生徒の笑声で溢れている。その中で一つ、耳に残る会話が聞こえてきた。

「もう勉強するの嫌だー! 死にたいー」
「はいはい、分かった」
「生まれ変わって天才になりたい」
「死んでもなれないからね。ほら次!」

 会話されている場所に目を向けると、勉強を教え合っている生徒達が見えた。〝死〟と口にした彼女たちは、何も無かったように無邪気に笑っていた。

「……死って軽いな……」

 単調な呟きは、教室内の喧騒に掻き消された。

***

 先ほど――数日振りに見た慧の顔は、とても印象的だった。隠し切れない傷跡が、一層多くなっていたのだ。
 きっと、まだ彼らに苛められているのだろう。

 私はというと、彼らに会ってすらいなかった。介入しなければ、本当に絡んでこないらしい。

 二人で逃げ帰った日を思い出し、足が止まる。新しい思い出が刻まれないからか、つい昨日のことのようだ。
 あの恐怖を受けて、慧はまた死にたいと考えているのだろうか。そうして、家族の涙を思うのだろうか。

 一瞬、なぜか学校に戻ろうかと考えたが止めた。止まった足は、早足へと変わり進み始める。
 そう言えば、今日は安売りの日だった。家族の為にタイムバーゲンを逃してはいけないのだ。

***

 離れようと提案してきてから、更に時が経過した。その間に何度か出会い、目までは合わせたが、その度に慧は笑って去ってしまった。
 そうやって避けられている内に声を掛ける事も減り、赤の他人だった頃のようになった。

 季節はすっかり冬真っ盛りだ。卒業式まで約三ヶ月のこの時期、全国の卒業生達は受験で大忙しだろう。一年生である私たちには、何の関係もないのだが。

***

 順番に来る掃除当番が回ってきて、何時も通りゴミ捨てを頼まれた。暖房で温められた部屋から出るのは些か気が引けたが、否定する理由もないと教室を出る。
 外は曇り空だった。冷たい風が吹いており、体を急速に冷やしてゆく。僅かな時間の外出だからと、コートを羽織らなかったのが悪かった。

 早く捨てて戻ろうと駆け足する。しばらく進むと〝あの音〟が聞こえた。つい速度を緩めてしまう。
 それは、暴力の音だった。現場をこの目で見なくとも、状況がありありと浮かぶ。
 それなのに。

 ――それなのに、足が向かっていた。慧の居るであろう場所へと、何を思うより先に足が動き出した。

 とは言え、影から覗くだけではある。今ここで出て行ったりしたら、同じ事の繰り返しになってしまうだろう。

「あれ?」

 そこにあったのは殆ど予想通りの光景――ではあった。しかし、想像と違う箇所が存在した。

 慧が抵抗していなかったのだ。一方的に、蹴られ殴られ、酷すぎる虐めを受けている。
 仕舞いには、財布の中身をごっそりと抜き取られていた。それでも尚、中身が少ないともう一発食らわされていた。

 それで十分満足したのだろう。苛めっ子は笑いながら去っていった。愉快に笑い合う姿は何とも不思議だった。そして、少し不快だった。

 残された慧は、座り込んでいた。目元に影を落としながら、目の前に落とされた財布を見ている。
 拾ってあげようと踏み出した瞬間、雨雫のような物が慧の目元から落ちた。

 魔法のように、体が止まる。雨粒は次々と零れ落ち、財布の方へと落ちてゆく。
 理由も無く、訳も分からず。それなのに、どうしてか声を掛けてはいけないと思った。
 イメージの中でばかり見ていた涙を見て、夢感覚にでも陥ったのかもしれない。

 結局、一声も掛けずにその場から去った。教室に戻った時には、完全に冷え切っていた。

***

 窓の外は雪が降っていた。約一ヶ月が経過し、寒さも一層厳しくなった。

「次、移動教室だから早めに行っとけよー」

 教師の呼びかけに対し、ちらほらと反応した生徒達は各々の行動を始める。
 早めに行って、席を確保しておくか。
 と、何の気も無く立ち上がると、後方から名が呼ばれた。

 そこには知らない男子生徒がいて、真向かいになるや否や能力に付いて触れてきた。また、いつもの奴だ。
 承諾し、彼の死で生まれるであろう感情を見た。
 当然のように悲しむ人間が見えて、それを伝えると生徒は喜ばしげに笑った。

 ――短い時間に見るとどうなるか。答えは簡単だ。遅刻しそうになる。
 皆、教室に納まっているのだろう。廊下に、生徒の姿は殆ど見えなかった。

 途中で響いたチャイムに急かされ、更に速度を上げる。それに不注意が加わり、曲がり角で人とぶつかりそうになった。
 自然と視線を上げた先、慧を苛めていた人間の一人がいた。私だと気付いたからか、眉間に皺が寄る。

「おまえかよ」

 まだ椎名くんを苛めているんですね。止めませんか。と脳裏に台詞が過ぎったが、口頭には出さなかった。
 ここで問題が起こっては面倒事になると、一瞬の内に悟ったのだ。
 それに、授業開始までに教室に入るのが優先だ。構っている暇は欠片もない。

 会話は無駄だと結論付き、足を止めず通り過ぎようとした。瞬間、声が聞こえた。

「アイツさ、お前なんか守る為に馬鹿だよなぁ」
「?」

 双方が前に進んだ所為か、振り向いた時に彼の姿は無かった。
 意味深な言葉ではあったが、再びチャイムが鳴った事で追究心は掠れた。
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