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もし続きが許されるなら/最終話
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やはり、本心は告げられなかった。この際、最期まで隠してしまうと思う。
食事中、母親に有りっ丈の思いを伝えた。大変な状況下で育ててくれた事に感謝しているのは本当だし、母親の事を愛しているのも本当だ。
その愛情があったからこそ、本心を隠して生きてしまったのかもしれない。
最期に近付くにつれ、分かる事が増えてゆく。
先ほどから気にしていた時計の針は、五時に指しかかろうとしていた。
「……お母さん、時間までもう少しだ……」
正直な話、自室に篭って一人で最期を迎えたかった。医師の話から、死に苦痛が伴うのは分かっていたからだ。
それが短時間だとしても、出来れば歪んだ顔を見せたくはない。
「……お母さん、私……」
恐怖で眩暈を起こしそうになりながらも、ゆっくり椅子から立ち上がった。母親も同じタイミングで立ち上がり、私に近付いて来る。
そうして、私の体を抱き締めた。
「……お母さん?」
「大丈夫、ずっと傍にいるから怖くないよ。ずっとずっと傍にいるから。大丈夫だよ、大丈夫」
優しく触れた手の平が、上下に動き背を摩る。まるで、恐怖を解き解すように、優しく、優しく。
「………………う、ん……」
涙が溢れ出した。堪えていた涙が、一瞬で滝のようになる。そうして、それが止まる事はなかった。
******
頬を雫が伝い続ける中、私は再び椅子に腰掛けていた。二人して椅子を移動し、今はテレビの見える位置にいる。
茶々を撫でながら、何でもない話をした。途切れる事なく続けた。いや、途切れさせたくなかったから無理にでも口を動かした。
何がしたいと問われ、昔みたいにどうでもいい話をしていたい、と答えた結果この過ごし方となった。
点けっ放しのテレビの音声を背景に、何でもない一日を振り返る。今日は何をしただとか、誰々がどうだったとか、あまり実にならない話をする。
幼い頃は、毎日のように話していた。徐々に回数は少なくなり、最近は専ら自室に篭ってしまっていたが。
幸福だった頃を思い出し、死が一層怖くなった。
もう少し、自由に生きても良かったな。なんて、後悔ばかりが過ぎり続けた。
目の前に置いた、死の薬が静かにこちらを見ていた。
刻々と秒針は進む。一歩一歩、針は動く。私はその間、ずっと話し続けていた。言葉を止めてしまうと、鼓動が聞こえて嫌だったのだ。緊張と恐怖で、うるさく高鳴る鼓動が。
一分が長かった。最後の瞬間を忘れようと努めても、張り付いてしまい一瞬でさえ離れない。ゆえに、何度も時計を見てしまった。
もちろん、母親には分からないように。
「それでね、先生ったら下手な冗談ばかり言うんだよ。どうやって反応すればいいか困っちゃった!」
「ふふ、あの先生は昔からそうだったよね、親父ギャグが好きで私たちの前でもよく言ってたなぁ」
「そうなの!? ある意味凄い人だな……」
今日という、私にとって特別となった一日を、面白おかしく繰り広げた。その全てを、母は楽しそうに聞いてくれた。
そんな中でも、心には悔恨ばかりが渦巻いていた。
******
明日も明後日も命が続くなら、今日で終わらなかったら、多分こんな時間は無かっただろう。もしかすると、一生戻らずに消えていたかもしれない。
時間の重みも、命に突然の終わりがあることも、気付かなかったかもしれない。幸せな日々があった事も、優しさも感謝も、流していたかもしれない。
何も心に留めないまま、老いていたかもしれない。
なんで死ぬ前に気付いてしまったんだろう。どうして、もっとちゃんと考えなかったんだろう。
幸福だった筈なのに、なぜ悪い部分にばかり目を向けてしまったんだろう。これが私なのだからと、どうして割り切れなかったんだろう。いや、なぜ向き合わなかったのだろう。
見方を変えれば、幾らでも楽に生きられたはずなのに。
ただ、自分を殺すのに一生懸命で、悪い方向にばかり歩いて行って。
そうやって自分を不幸にして、死にたいだなんてどうして思ってしまったんだろう。
もっと早く気付いていれば、もっと前向きな生き方ができたかもしれないのに。
出来なくとも、考えることくらいはできたかもしれないのに。
どうして、どうして今なの――。
頭の中、何かが割れる音がした。
味わった事の無い激痛が頭を刺し、勢い良く椅子から転げ落ちる。直ぐに母親が駆け寄ってきて、私の体を強く抱いた。慌てた様子で何かを言っているが、何を言っているのか分からなかった。
目の前は真っ暗だった。ワンワンと、茶々の咆哮が耳を突く。
「……いっ……あ……」
頭が真っ白になって、何の判断も出来ない。激痛に呻く事しか出来ない。
ただ、怖かった。痛かった。本能で感じる素のままの恐怖が、心身を激しく殴打した。
死にたくないと思った。生きていたいと思った。
******
しばらく経って、痛みが消えた。激しかった痛みが嘘のように失せ、同時に感覚も薄らいでゆく。
死を悟った。恐怖感さえも薄まってしまったのか、不思議と怖さは無かった。
胸元が、生暖かいもので染みる。
お母さん、ごめんね。折角貰った命を、幸せに生きられなくてごめん。死にたいとばかり思っててごめん。もう少し、頑張って幸せになれば良かったね。
辛いこともあったけど、そればかりじゃなかったよ。それなのに、ごめんね。今気付いてごめんね。
もっと、ちゃんと生きてれば良かったね。
ねぇ、お母さん。もし続きが許されるなら、私は。
食事中、母親に有りっ丈の思いを伝えた。大変な状況下で育ててくれた事に感謝しているのは本当だし、母親の事を愛しているのも本当だ。
その愛情があったからこそ、本心を隠して生きてしまったのかもしれない。
最期に近付くにつれ、分かる事が増えてゆく。
先ほどから気にしていた時計の針は、五時に指しかかろうとしていた。
「……お母さん、時間までもう少しだ……」
正直な話、自室に篭って一人で最期を迎えたかった。医師の話から、死に苦痛が伴うのは分かっていたからだ。
それが短時間だとしても、出来れば歪んだ顔を見せたくはない。
「……お母さん、私……」
恐怖で眩暈を起こしそうになりながらも、ゆっくり椅子から立ち上がった。母親も同じタイミングで立ち上がり、私に近付いて来る。
そうして、私の体を抱き締めた。
「……お母さん?」
「大丈夫、ずっと傍にいるから怖くないよ。ずっとずっと傍にいるから。大丈夫だよ、大丈夫」
優しく触れた手の平が、上下に動き背を摩る。まるで、恐怖を解き解すように、優しく、優しく。
「………………う、ん……」
涙が溢れ出した。堪えていた涙が、一瞬で滝のようになる。そうして、それが止まる事はなかった。
******
頬を雫が伝い続ける中、私は再び椅子に腰掛けていた。二人して椅子を移動し、今はテレビの見える位置にいる。
茶々を撫でながら、何でもない話をした。途切れる事なく続けた。いや、途切れさせたくなかったから無理にでも口を動かした。
何がしたいと問われ、昔みたいにどうでもいい話をしていたい、と答えた結果この過ごし方となった。
点けっ放しのテレビの音声を背景に、何でもない一日を振り返る。今日は何をしただとか、誰々がどうだったとか、あまり実にならない話をする。
幼い頃は、毎日のように話していた。徐々に回数は少なくなり、最近は専ら自室に篭ってしまっていたが。
幸福だった頃を思い出し、死が一層怖くなった。
もう少し、自由に生きても良かったな。なんて、後悔ばかりが過ぎり続けた。
目の前に置いた、死の薬が静かにこちらを見ていた。
刻々と秒針は進む。一歩一歩、針は動く。私はその間、ずっと話し続けていた。言葉を止めてしまうと、鼓動が聞こえて嫌だったのだ。緊張と恐怖で、うるさく高鳴る鼓動が。
一分が長かった。最後の瞬間を忘れようと努めても、張り付いてしまい一瞬でさえ離れない。ゆえに、何度も時計を見てしまった。
もちろん、母親には分からないように。
「それでね、先生ったら下手な冗談ばかり言うんだよ。どうやって反応すればいいか困っちゃった!」
「ふふ、あの先生は昔からそうだったよね、親父ギャグが好きで私たちの前でもよく言ってたなぁ」
「そうなの!? ある意味凄い人だな……」
今日という、私にとって特別となった一日を、面白おかしく繰り広げた。その全てを、母は楽しそうに聞いてくれた。
そんな中でも、心には悔恨ばかりが渦巻いていた。
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明日も明後日も命が続くなら、今日で終わらなかったら、多分こんな時間は無かっただろう。もしかすると、一生戻らずに消えていたかもしれない。
時間の重みも、命に突然の終わりがあることも、気付かなかったかもしれない。幸せな日々があった事も、優しさも感謝も、流していたかもしれない。
何も心に留めないまま、老いていたかもしれない。
なんで死ぬ前に気付いてしまったんだろう。どうして、もっとちゃんと考えなかったんだろう。
幸福だった筈なのに、なぜ悪い部分にばかり目を向けてしまったんだろう。これが私なのだからと、どうして割り切れなかったんだろう。いや、なぜ向き合わなかったのだろう。
見方を変えれば、幾らでも楽に生きられたはずなのに。
ただ、自分を殺すのに一生懸命で、悪い方向にばかり歩いて行って。
そうやって自分を不幸にして、死にたいだなんてどうして思ってしまったんだろう。
もっと早く気付いていれば、もっと前向きな生き方ができたかもしれないのに。
出来なくとも、考えることくらいはできたかもしれないのに。
どうして、どうして今なの――。
頭の中、何かが割れる音がした。
味わった事の無い激痛が頭を刺し、勢い良く椅子から転げ落ちる。直ぐに母親が駆け寄ってきて、私の体を強く抱いた。慌てた様子で何かを言っているが、何を言っているのか分からなかった。
目の前は真っ暗だった。ワンワンと、茶々の咆哮が耳を突く。
「……いっ……あ……」
頭が真っ白になって、何の判断も出来ない。激痛に呻く事しか出来ない。
ただ、怖かった。痛かった。本能で感じる素のままの恐怖が、心身を激しく殴打した。
死にたくないと思った。生きていたいと思った。
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しばらく経って、痛みが消えた。激しかった痛みが嘘のように失せ、同時に感覚も薄らいでゆく。
死を悟った。恐怖感さえも薄まってしまったのか、不思議と怖さは無かった。
胸元が、生暖かいもので染みる。
お母さん、ごめんね。折角貰った命を、幸せに生きられなくてごめん。死にたいとばかり思っててごめん。もう少し、頑張って幸せになれば良かったね。
辛いこともあったけど、そればかりじゃなかったよ。それなのに、ごめんね。今気付いてごめんね。
もっと、ちゃんと生きてれば良かったね。
ねぇ、お母さん。もし続きが許されるなら、私は。
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