筆を折る

有箱

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筆を折る(最終話)

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 選ぶ余裕もなく、なんとなくアイスコーヒーを注文した。タデも一緒でと言った。涼しげなコーヒーを前に、唇が解かれる。

「実はですね、窓をさす日射、評価が酷かったんです」

 芯のある口調で、タデは開始した。安直な想像が、現実のものへと変換されていく。

「素敵な評価もありましたし、担当の方も認めて下さいました。覚悟もしていたつもりだったんです。けれど駄目でした。頭の中を酷評ばかりが埋めてしまって、何を書きたかったのか、何を書けば受け入れてもらえるのか。探ってたら段々と書き方が分からなくなってしまって……苦しかったです、ずっと」

 コップを滴る結露と同じく、静かに静かに紡がれてゆく。
 彼女にとって日射は、タデであることを奪った物語だった。だとすると、語りを聞くのも怖かっただろう。

「絡まる思考をほどこうと色々読み漁っていた時、ほむさんの小説に出会いました」

 展開に素直に驚く。ここから僕に繋がるとは思わなかった。

「読んだ時、衝撃でした。書きたかった話そのものだったから。見つけたと同時に、こうも思ったんです。この人が書いてくれるなら、私はもう書かなくてもいいかなって。そう思ったら少し楽になりました」

 一年越しに明かされた感情に、少し胸が痛くなる。同時に訪れた嬉しさと苦しさを、どう処理すべきか分からなくなった。

「でも、以前日射の感想を聞いた時、やっぱり書きたくなったりもして……考えてたらまた苦しくなってきて、アカウント消しちゃいました。距離を取らないと心潰れそうで。でも今話してたら、やっぱりもういいかなって思えてきました! ほむさんの物語、これからも楽しみにしていますね!」

 少し早足に括られた告白は、物語を成立させるかのようだった。ハッピーエンドに掻き消されそうな、本音が僕に棘を残す。

「嫌です」
「えっ」
「すみません、わがままで」

 半ば勢いで口にしていた。沸き上がる願いが、冷静な思案を許さなかった。

「でも僕は、SORさんの……いやタデ先生の書いた物語が読みたい! 完全に同じ内容だとしても“佐藤タデ”の書いたものが読みたいんです! 僕が書くからやめると言うなら、僕が書くのをやめます!」

 言葉になりきらない声を溢し、タデは固まる。賭けにも等しい宣言に、僕も内心ガチガチだ。

「……ちょ、ちょっと考えさせて……あっ、でもほむさんは書いて……えっと」
「もう一度筆を執ってくれたら僕も書きます」
「で、でも、書きたいのに書かないのも辛いですし……」

 頭が、瞳が、多方向に揺れ動く。必死に言葉を探しているのが、全身から伝わってきた。

「でしょうね」

 彼女の言う通り、僕は禁断症状に襲われるだろう。けれど、代償の比較など要しないほど、彼女の復活は僕の優先事項となった。タデが執筆を続けてくれるなら、損失なんて粒より小さい。

「完璧な物語を作ろうなんて思わなくていいです。ただ、書きたいように書いた物語を僕が読みたい。もう一度だけでいいんです。書いて下さい」

 狼狽の渦中にいるタデへ、精一杯微笑んでみせる。

「そして僕に再び筆を執らせて下さい」

 アイスコーヒーの氷が、カランと崩れた。
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